第66話 そういうわけでニセコイ開始
「…………つまり、こういうことですか?」
MAO内。
恋狐亭2階の廊下。
俺の説明を聞いたチェリーは、悩ましげにこめかみを押さえながら言った。
「私……つまり、MAOの《チェリー》のことを、レナさんが先輩の彼女だと思っていて」
「はい」
「でも、それがレナさんのリアル友達である真理峰桜だとはまだバレていない、と」
「……はい」
「その上で、レナさんがこれから、チェリーに会いに来る?」
「…………はい」
「……………………先輩」
「はい……」
「正座」
「……はい……」
俺は廊下に正座した。
「どうっっっっっしてビビりのくせに軽率なんですか!! ビビりのくせに!!」
「ビビりって2回言った!!」
「なんですか、発想の逆転って! そういうのは本末転倒って言うんです!!」
ぐうの音も出ねえ。
「すまん……俺はナルホド君にはなれなかった……」
せいぜい変な証拠品を突きつけたときのナルホド君だった……。
「どうするんですか、これから……。アカウント作って一直線にここまで来るとしたら、さほど時間はかかりませんよ? 私、逃げたほうがいいですかね?」
「いや……あいつのしつこさは知ってるだろ……。会うまで帰らないぞ、絶対……」
「ですよね……。それじゃあ……」
「――――話は聞かせてもらった!!」
バーン!
と、客室の扉が開いたかと思うと、ツインテールの双剣くらげが現れた。
後ろには黒髪ロングのろねりあの姿もある。
二人ともいつものビキニアーマーや装飾的なローブから、旅館備え付けの浴衣に着替えていた。
「ケージ君の妹さんに二人のことがバレたって!? そんでその妹さんがチェリーちゃんのリアル友達!? っていうかケージ君、妹の友達に手ぇ出してたんだウケる! あははは!」
まったくウケねえよ。
というか手なんか出してねえよ。
「ちょ、ちょっとくらげさん! リアル関係の話に首を突っ込むのは……」
「フリをすればいいじゃん!」
制止するろねりあを物ともせず、双剣くらげはズバッと告げた。
俺とチェリーは首を傾げる。
「「……フリ?」」
「チェリーちゃんはケージ君の彼女のフリをしてー、妹さんとも初対面のフリをする。それしかなくなーい?」
「えっ……わ、私が……先輩の彼女のフリ、ですか?」
「ぶっちゃけあたしらは普段から二人のこと付き合ってると思ってるし、口裏合わせも超簡単!!」
その認識には異を唱えたいが、むむむ……。
「それしかない……のか……?」
「えっ、ええっ!? か、彼女のフリって……ど、どうすれば……」
「普段通りしてればいいじゃん」
何言ってんだこいつは、みたいな目でチェリーを見る双剣くらげ。
「普段通り……? 普段通りって……?」
「いつもみたいにハートマークを振り撒きまくってればそれだけで―――」
「はい、くらげさんステイ! ステイです!」
「もごごごご!」
ろねりあに後ろから羽交い絞めにされつつ口を塞がれ、双剣くらげはずりずりと部屋の中に引きずり込まれていった。
「失礼しました! あ、あの……頑張ってくださいね!」
と、ろねりあが言い残して、扉が閉まる。
「……………………」
「……………………」
フリ……。
恋人のフリ?
ちらっとチェリーを見ると、チェリーもまた俺を見ていた。
不意に合った視線を、チェリーのほうがさっと外す。
「…………し、仕方ないです」
「な、なにが?」
思わず訊き返すと、チェリーの顔に赤みが差した。
「やってあげるって言ってるんですよ! 先輩の恋人のフリ!」
◆◆◆―――――――◆◆◆―――――――◆◆◆
「あっ、いたいた! お兄ちゃん!」
恋狐亭の前で待っていると、坂の下から手を振りながら走ってくる女子がいた。
髪色が青っぽいこと以外は現実の容姿とあまり変わらなかったので、割り合いすぐに気付くことができた。
俺は軽く手を挙げて、
「おう……えーと」
頭の上に浮かんだネームタグを見る。
……《レナ》?
「お前、本名じゃん」
「言わなきゃバレないバレない」
俺の妹、レナ……のアバターは、ひらひらと手を振りながら笑った。
まあ、そんなに珍しい名前でもないしな。
本名としてもハンドルネームとしても。
てっきり初期装備で来るもんだと思ってたが、布で胸を巻いて超短いショートパンツを履いただけの、ほとんどビキニみたいな格好だった。
こんなへそも太腿も出し放題な服が初期装備であってたまるか。
「お前……その服……」
「ふふーん。いいっしょー。ザ・ファンタジーって感じで!」
「へそと太腿と乳袋がお前の中のファンタジーなのか!?」
「いや~ん。お兄ちゃんったら、妹のエッチなとこばっか見てる~♪」
「実の妹に露出癖があったのかと心配してんだよ!」
「ちなみに、防御力高そうなブーツと無防備な上半身のギャップがあたし的フェチポイント!」
「悪びれる様子がねえ」
まあその、自分のアバターに性癖を叩きつける奴ってのは、実のところいっぱいいるし、そんなもんなんだろうか……。
「で~?」
によによっと笑って、レナは右へ左へと辺りを見回した。
「どこかな~? お兄ちゃんの彼女は!」
「あ~……」
声を出して誤魔化しながら、俺は背後をちらっと見た。
「(……おい。心の準備できたか?)」
「(……は、はい……)」
俺の後ろに隠れていたチェリーが、おずおずと顔を出す。
それから、カッチコチの笑顔を作った。
「……こ、こんにちは~……」
不自然!
下手くそか!
「あーっ!!」
レナは大きく声を上げて、チェリーの顔を指差す。
バレた!?
「写真の人だー!! ひょえー、かっわいいー!!」
バレてなかった。
「え? なに? なになに!? お兄ちゃんこんな可愛い子と付き合ってんの!? マジで!? お兄ちゃんのくせに!」
「い……いや、これはアバターだから」
「あっ、そっか。いやでも、へえ~」
引き攣った笑顔を浮かべるチェリー。
レナはその全身をじろじろ眺める。
あんまり見られるとひやひやするぞ。
さっきはああ言ったが、顔立ちはリアルとほとんど一緒だからな、チェリーの奴……。
「あの! 歳はいくつですか!?」
「えっ、えっと……せんぱ――じゃなくてケージさんの一つ下で……」
「えーっ!? 同いじゃん! じゃあじゃあ――」
「ちょ、ちょっと落ち着けレナ。ここであんま立ち話ってのも……」
「あ、そだね。どっかお店入る? いろいろあるよねー!」
跳ねるように歩いていくレナについていきながら、俺は隣のチェリーにこしょこしょと話す。
「(お前、もうちょっとなんとかならんのか)」
「(しっ、仕方ないじゃないですか! こんな演技したことないんですもん!)」
「(いつも猫被ってるだろ。それと同じでいいんだよ)」
「(被ってませんよ猫なんか!)」
むしろ猫そのものって感じだけどな、いつも。
真ん中に川が流れている緩やかな坂を、俺たちは降りていく。
両脇には土産物屋や食べ物屋が軒を連ねていた。
でかいシノギの匂いを嗅ぎつけた金の亡者たちの戦場である。
「あっ、お団子屋さんだって! こんなのもあるんだ~! ここ入ろうよ!」
そういうわけで、レナに引っ張り込まれる形で団子屋に入った。
割烹着にエプロンを着けたような制服の店員に応対される。
「ねえ、お兄ちゃん。この店員さんもエヌピーシーってやつなの?」
「大体そうだな。人間と違って注文ミスとかしないし」
プレイヤーショップ用NPCのAIは六衣ほど高度じゃないから、柔軟性には欠けるが。
店員に奥のほうのテーブル席に案内される。
俺とチェリーが隣同士に座り、その対面にレナが座った。
なんか面接みたいだ。
「で?」
レナは碇ゲンドウみたいに手を組んだ。
「お兄ちゃんのどういうところが好きなのかな……?」
「どこ視点で喋ってんだよ! 別にお前に逐一全部報告する義務なんてないぞ!」
「ありますぅ~! 妹には兄の彼女を審査する責務があるんですぅ~!」
「お前の場合は兄に限らんだろうが……」
誰彼かまわず他人の色恋沙汰に首を突っ込みまくってると聞いているぞ(本人から)。
「っていうかさっきからお兄ちゃんが喋ってばっかじゃん。あたしはチェリーさんとお話したいの!」
「ぐっ……」
できるだけチェリーに喋らせなければボロは出ないと思っていたのに。
「で! チェリーさんはお兄ちゃんのどういうとこが好きなの!?」
「えっ……えっと……」
ずずいっと詰め寄られて、チェリーは困ったように俺を見た。
悪い。
助けられん。
自力でなんとかしてくれ。
「そ……その……意外と優しいとこ、とか?」
「具体的には?」
「具体的って……」
「エピソードを求めています!」
本当に何の立場から言ってんだコイツ。
チェリーはもじもじと指先をこねくりあわせながら、
「え、えっと……じゃあ……前に、その、ちょっと悩んでいたことがあって……私、うっかり先――ケージさんに、愚痴っちゃったことがあるんですけど……」
「ふんふん」
「ケージさんは、何時間も文句ひとつ言わずに、聞いててくれて……」
「ほほー!」
……何もマジのエピソード喋らなくても。
「あるよね! お兄ちゃん、そういうとこ! 普段は超頼りないのに!」
「そう! そうなんですっ! こっちが優しくしてほしいときだけ優しいんです!」
普通に盛り上がらないで。
ボロ出そうで怖い。
「ねえ、そのあとは? そのあとは?」
「そのあとは……別に……気晴らしにゲームしようって言われて……遊んでるうちに、なんとかなるかなって気分になってきたんです」
「へー! やるじゃん、お兄ちゃん! 変に説教垂れたりしなかったんだ! 男の人ってそういうことやりがちなんだけどなー」
「……知らん」
「照れない照れない」
「知らん!」
顔を背けると、レナはけらけらと笑った。
「はー。ちょっと安心したよ。実は7割くらい、お兄ちゃん騙されてんじゃないかって疑ってたんだよね」
「失礼な妹だな!」
「でも、実際会ってみたら、チェリーさんのほうがお兄ちゃんにベタ惚れなんだもん」
「えっ……?」
チェリーがぱちくりと目を瞬いた。
「そ、そう見えます……か?」
「見えるよー! あたしの目は誤魔化せないよ!」
「そうなんですか……?」
「いや、俺に訊かれても」
どう答えろと。
「その点、まだお兄ちゃんは固いかなー? 恥ずかしがってる感じがする」
「そ、そうか?」
「もっと欲望を解放しなよ! チェリーさんとしたいこといっぱいあるでしょー? 我慢しなくていいんだよ?」
「なんでお前が許可を出す!」
「よ、よくぼう……?」
「お前も真に受けるな!」
フリだろうが、フリ!
忘れてないか!?
「まあまあまあ。手始めにもうちょっと近付いてみなよ。もっとピトッとくっついて座ってみなよ」
「人前でそんなにくっつけるか!」
「あたしのことは壁だと思って!」
「そんなに雄弁に喋る壁があるか!」
「恥ずかしがらなくてもいいじゃん。カップルだったら普通だよ?」
「っていうか、お前は身内のそういうシーンを見て気持ち悪くならんのか?」
「ならないね!!」
愚問だった。
「もう5センチ! 5センチだけ近付いてみよう! ねっ!」
くっ……。
我が妹の強引なドリブルを止める手立てがない。
突破力ヤバすぎるよコイツ。
「……い、いいか?」
一応チェリーに許可を取ると、
「は……はい」
チェリーは俺に視線を向けないまま、こくりと頷いた。
5センチ……5センチ……。
じりじりとお尻をずらして、チェリーに近付く。
このくらい……か?
ほんの少しの移動なのに、ずいぶんと近付いた気がした。
身体が触れてるわけでもないのに、温もりを感じる。
あー、やばいやばいやばい。
なんかすっごいドキドキしてきた。
「……ぐふふふっ……」
レナが怪しい笑い声を漏らし、両手を合わせた。
「ありがたや~……」
拝むな。
ただただレナを喜ばせてるだけだよなこれ……。
と思いつつ、視線を明後日の方向に逃がすと、入口近くの席にいる客がさっと顔を逸らした気がした。
み、見られてた?
やっぱり目立ってるか……?
と、一瞬思ったが。
……あの匿名フード……。
なんか、見覚えがあるような?
引っかかるものを感じて、その客を注視する。
よく見ると、テーブル席なのに一人だけだ。
体格はかなり小柄で……。
……肩が、ぷるぷると震えてる。
めちゃくちゃ笑ってやがる。
それに気付くなり、俺はそいつの正体を看破した。
「……ちょっと悪い」
「あれ? どこ行くのお兄ちゃん? トイレ?」
「そうだ……あ、いや、じゃなくてだな」
VR空間でトイレなんて行くわけがない。
「ちょっと通話が入ったから出てくる。たぶん攻略関係だ。もうすぐミーティングだしな、うん」
我ながらうまい言い訳だ。
そう思いながら、足早に席を離れる。
しばらくチェリーだけで頑張ってもらうことになるが許してくれ。
店の入口のほうへと歩きながら――
それとなく、そいつの肩をつついた。
「(表に出ろ)」
「(やん、こわ~い♪)」
甘ったるい声が、おどけるように言った。