第60話 ゲーム実況者は逃げられない
遙か空から湖へ、ばっしゃーん!! と落下した俺を待っていたのは、他の連中からの手荒い歓迎だった。
「またお前か!」
「ナイス根性!」
「がはははははは!!」
「ぶわっ!? ちょっ、痛い痛い! 沈めるなっ……ぶくぶくぶく」
背中や頭をバシバシ叩かれた末、水の中に沈められる。
溺れる、溺れる!
「はいはーい。そこまでにしてください! それ以上は教会送りになっちゃいますよ!」
「おっと、彼女の登場だ」
「はあ~! マジムカつくこいつ!」
「彼女じゃないって何千回言えばわかるんですかっ!!」
転覆した舟を探し出してきたチェリーに救出された。
死ぬかと思った……。
祝勝ムードや戦利品確認もそこそこに、俺たちは湖の中心にある小島に上陸した。
コケやツタに覆われた古城を仰ぎ見る。
「ここもダンジョンだったりしねえよな……?」
「まっさか~。ボス戦やった直後ですよ?」
もしそうだったらさすがにいったん撤退だ。
幸い、前線キャンプも近くにあるし。
入口をぴったりと締め切った分厚い鉄扉を、俺を含めた男数人でせーのと引き開く。
一応、武器を構えて警戒しながら、ぞろぞろと城内に突入した。
埃がきらきらと舞うロビーは、空気が冷えきっているように感じた。
とても生き物がいるような感じじゃない。
まあ、エターナル・ガードナーみたいなアンデッドは、生き物とは呼ばないかもしれないが。
「手分けして探索してみようか」
セツナの提案に、プレイヤーたちは各々頷いた。
俺とチェリーは2階を担当する。
ロビー右奥にある階段を、朽ちて空いた穴に気をつけながら上った。
「じゃあ、俺たちはあっちに行きます」
そう言って左の廊下を指さしたのは、10歳ほどのショタアバター――旅館で俺と相部屋になったジャックだ。
右手に長剣、左手にスペルブックという、最前線組では珍しい魔法剣士スタイルである。
「何かあれば遠慮せずに報告していただきたい。できればスクショで記録してもらえると助かる」
ジャックの隣で、ウィザードのストルキンがくいっと眼鏡を上げた。
最古参プレイヤーである俺たちに今更念押しするようなことではないが、そこはストルキンの性格だろう。
俺たちが頷くと、ジャックとストルキンは階段から見て左の廊下に消えていった。
俺とチェリーは反対側に伸びる廊下に進む。
「わっ!?」
「っと! あっぶね」
チェリーが踏んだ床が不意に抜けて、俺はとっさにその腕を掴んだ。
さすがに長い年月を経ているから、建物にガタが来ているようだ。
朽ちた梁が転がっていたりもするので、足下だけじゃなくて頭上にも注意しなくちゃならない。
「こういう古い城って、ゲームだと抜けた床を使って1階と2階を行ったり来たりさせられがちだよな」
「そうだとすると、マップがないと非常にめんどくさいことになるんですが……シェアマップ用意したほうがいいですかね?」
シェアマップってのは、複数人でダンジョンなどをマッピングするときに使うツールだ。
何人分ものマッピング情報をリアルタイムに共有できるので、一人でやるのとは比べものにならない早さでダンジョンマップが完成する。
とはいえ、MAOのシステムにはない外部ツールだから、ご使用は自己責任で。
「複雑そうなら必要かもな……。でも今んとこ、そんなに複雑な構造には見えな―――」
「……? どうしました?」
唐突に言葉を止めた俺の顔を、チェリーが不思議そうに覗き込んだ。
俺の目は、まっすぐ前方に釘付けになっている。
前方にある曲がり角に、縛り付けられている。
「いや……その……勘違いかも……」
「遠慮せずに何でも報告しろって言われたばかりじゃないですか。どうしたんですか?」
「……怒るなよ?」
「なんでですか。そんなに怒りっぽくありませんよ、私」
「さっき、あの曲がり角に……白い、幽霊みたいなのが消えてったように見え―――」
チェリーはさっと自分の耳を塞いだ。
「冗談はやめてください!! 馬鹿馬鹿しい!!」
「馬鹿馬鹿しいと思ってるならなぜ耳を塞ぐ」
「あーあーきこえなーい」
あの廃旅館の一件以来、すっかりホラー駄目になったなこいつ。
ま、俺も相変わらず無理なんだがな。
見ろ、さっきから足が縫いつけられたように動かない!
「白い幽霊みたいなのってなんですか! はっきり言ってください、はっきり! カーテンか何かでしょうどうせ! はい、ご唱和ください! 幽霊の、正体見たり、枯れ尾花!」
「いやだって、髪みたいなのが見えたんだよ! すげー長いの! 腰くらいまであるやつ!」
「カーテンが2枚重なってたんですかねあははははは!!」
こいつ自分が見てねえからって認めないつもりだ。
一番怖いのは俺なんだぞせめて共有させろこの恐怖を!(涙目)
「……で、でもまあ、何でも報告しろって言われましたし……呼びますか、人を?」
「うぐぐぐ……」
それは非常に魅力的な提案だ。
だが……。
「……本当にただのカーテンだったりしたら、すげえハズい」
「……確かに」
《MAOプレイヤーwiki》に記載されて、リアルに末代までの恥になる。
「じゃあ……い、行くんですか?」
「そういうことになる……かな?」
「どっちですか!」
「い、行く! 行きます!」
本音では誰かに任せたいけど!
俺たちはさっきまでより気持ち近寄って、埃が舞う廊下を進んだ。
傾きつつある日の光が窓から射し込んでいるが、廊下は全体的に薄暗い。
耳に入ってくるのは静寂ばかりで、何の気配も感じ取れない。
……おのれ、今まで気にならなかったことが急に気になり始めた。
問題の曲がり角が一歩先に迫った。
その先は城の中心に向かっていて、窓がないため、よりいっそう薄暗い。
……窓がない?
「…………窓ないじゃん」
カーテンなんてあるわけないじゃん。
「ううううう~~……」
チェリーが怒ったような唸り声を発して、俺の服の袖を掴む。
ちょっとだけ落ち着いた。
一人きりだったらここで帰ってた。
俺たちはじりじりと曲がり角の壁から距離を取る。
壁際から角を覗き込んだら、超至近距離で『何か』と目が合いそうという無根拠な被害妄想からの行動だった。
じりじりとすり足で下がりつつ、そ~っと、暗い闇がわだかまる廊下を覗き込む。
廊下の一番奥に、真っ白な女が立っていた。
「「……………………」」
そいつは白い服をふわっと翻して、角の向こうに消え去る。
「「………………だ、誰かあああ――――っ!!!」」
俺たちは全力で助けを呼んだ。
◆◆◆―――――――◆◆◆―――――――◆◆◆
「いえ、別にですね? 怖かったわけじゃないですよ?」
「そうそう! 独断専行はやめようと思っただけで!」
「それです! 独断専行はよくない! 足並みを揃えていかないと!」
「報・連・相が大事だって言うしな? 勝手に突っ走る前にな?」
「めっちゃ言い訳するじゃんこのカップル!」
ビキニアーマーの双剣くらげがゲラゲラ笑った。
言い訳じゃない!
ないったら!
「まあ、とにかく、いたんだよね、白い服の女の人が」
苦笑しながらそう確認するセツナに、俺とチェリーはこくこく頷いた。
眼鏡ウィザードのストルキンが、細長い両目を暗い廊下に向ける。
「確認しない手はないな。大人数で押し掛ける必要もなし、君たちはここにいても―――」
「いっ、行きますよ! 私たちだって! ね、先輩!?」
「お、お、おおおおう」
反射的に頷いちゃったけど、行くの?
そりゃ置いてかれるのも癪だけどさあ!
「ええと、あのう……だったら、わたしはここで待機を――」
「なに言ってんのろねりあ! あたしらも行くに決まってるでしょ!」
「い、いえいえいえ! ストルキンさんも大人数は必要ないって仰ってますし! 別のところを探索する人手も―――」
「れっつごー!!」
「ああっ! ちょっ、くらげさん! 引っ張らないでー!!」
双剣くらげが戦士職ならではSTRを発揮し、ろねりあのローブを引っ掴んで引きずっていった。
セツナがそれを見送りながら、苦笑して肩を竦める。
その仕草が似合う日本人初めて見た(アバターだけど)。
「じゃ、僕らも行こうか。怖い人は別の場所に回ってもいいから」
「……なあセツナ。お前もホラー得意じゃなくない? お前のホラゲ実況見たことあんだけど」
「あっはっはっはっは。……ケージ君。実況者はね、怖がりであればあるほどホラーゲームから逃げられないんだよ」
……大変な商売だなあ……。
「……わ、わたしは、どうしよう……」
ろねりあと双剣くらげに取り残された二人のうちの一人――小柄なウィザード、ショーコが、目をあちこちに泳がせていた。
「あんまり得意じゃないでしょ? 無理しなくていいよ?」
取り残されたもう一人、ポニーテールの重戦士、ポニータに優しく諭されるも、ショーコはろねりあたちが消えた暗い廊下をちらちらと見る。
「でも、ろねりあちゃんたち、行っちゃったし……うう……やっぱり行く」
「頑張るんだね。えらいえらい」
「あうう……頭撫でないで……」
女子校スキンシップだ……。
俺が感動を覚えていると、チェリーが咎めるように袖をぐいぐい引っ張ってきた。
ええ?
今のアウトなの?
「それじゃあ行くのは、先に行った二人を合わせて……8人かな? ちょっと多いね」
「……はあ。だったらオレは他に回ろう。ジャックさんを置いてきているしな。セツナさん、ここは頼めますか」
「あ、はい。大丈夫です、ストルキンさん」
ストルキンは一人、来た道を戻っていった。
……ああ、頼もしい奴が一人いなくなった……。
「それじゃあ行こうか。僕の経験からすると、先に行った二人をこれ以上孤立させると、次に会ったときは死体だ」
「ひっ」
「やめろよセツナお前!」
「もしくは化け物になってるか」
「ひいいっ」
「このゲーム、バイオでも青鬼でもねえから!」
「何か出てきてもタンスにだけは隠れないようにね。あはは」
爽やかな声と顔で言ってやがるが、ちょっと顔色悪いぞイケメン実況者。
ホラーに耐性がありそうなのがポニータただ一人という極めて頼りないメンツで、俺たちは暗い廊下を歩き始めた。
「おいチェリー、背中押すな」
「押してません。触ってるだけです」
「っていうか俺の後ろに隠れるな!」
仮にも先輩を盾にしてやがるコイツ!
白い人影が消えた曲がり角まで来ると、もうほとんど日の光が届かなかった。
カンテラが必要なほどじゃないが……中途半端に視界が取れるのもまた……。
「――――&#$&0%&%#$#!!??」
「ひあっ!?」
「ふあっ!」
どこかから、悲鳴のような断末魔のような、奇声としか呼びようのない声が聞こえてきた。
その瞬間、俺の腰と左腕に誰かが抱きつく。
腰に抱きついたのは後ろにいたチェリーだが……左腕は?
目をやってみると、ショーコがぎゅっと目をつぶって、俺の二の腕を抱き締めていた。
「え……? あっ」
ショーコはその状況に気付くと、慌てて俺から離れて、魔女帽子を下げて目元を隠す。
「……ご、ごめんなさい……つい……」
「い、いや、別に……」
ちょっと……いや、割とびっくりしたけど。
平然を装っていると、背後から腰に回されっぱなしの腕に、ぎゅうううっと力がこもった。
「おい! 苦しい苦しい!」
「どうして私のほうには無反応なんですか……!!」
「どうしてかと言ったらお前の普段の行いのせいだよ!」
俺が何度この手の方法でからかわれてると思ってる!
耐性もできるわ、そりゃあ!
チェリーは俺の腰を締めつける力を緩めない。
このまま背骨をへし折る気か!?
「いやあ、これ、全然怖くないね。賑やかすぎて」
セツナが朗らかに言った。
俺は幽霊と別種の恐怖に晒されてるんだが?
「でも、今の声はなんだったんだろう……? モンスター?」
「あー、今のはろねりあの声だよ。……ほら、いた」
ポニータが前方を指さして言う。
廊下の真ん中にろねりあがヘたり込み、そのそばで双剣くらげがゲラゲラ笑っていた。
「……もうむり……ほんと……むりですよう……」
「あっはははは!! だーいじょうぶだって! 幽霊と至近距離で目を合わせたくらい! でもナイス奇声! あはははは!!」
マジで……?
今の奇声が、いつもお嬢様然としたあのろねりあ……?
ジャングルとかにいる怪鳥かと思った。
「いやあー、ろねりあ~。今度ホラゲ実況しようよ! 絶対伸びるって! ガポガポ儲かっちゃうよ! 好きなことで生きていけちゃうよ! ね、リスナー諸君もそう思うっしょ!?」
「ぜっっっっっっっったいイヤです! ホラーゲームだけはしないって、配信始めるときに決めたんですっ!!」
セツナ曰く、怖がりの実況者はホラーゲームから逃げられないらしいが、ろねりあはその風潮に対するレジスタンスらしい。
でも正直、俺も観てみたい。
「まあまあ、無理強いはよくないよ」
セツナが優しく窘めながら駆け寄り、へたり込んだろねりあに手を差し伸べた。
「ほら、立てる?」
「は、はい……ありがとうございます……」
……うーむ。
セツナの装備は、銀色の鎧に盾、片手剣という、オーソドックスな勇者スタイルだ。
なのだが、その爽やかな容姿のために、王子様っぽくもある。
一方のろねりあは、クラスとしてはウィザード系だが、身に纏ったローブは繊細な装飾が入ったドレス的なもので、本人の雰囲気も相まってお姫様っぽくも見える。
つまるところ、セツナが手を差し伸べ、ろねりあがそれを取る光景は、驚くほど様になっていた。
「美男美女って卑怯だな……」
「ですよねー」
さらっとチェリーが同意したが、お前が言うな美少女。
学校の制服のモデル頼まれたことあるって前に自慢してただろうが。
「さて」
女の子に手を差し伸べて助け起こすという、結構な割合の男子高校生にとってハードルの高い行為をさらっと流し、セツナはすぐ横にある扉に目を向けた。
「幽霊と目が合ったって言ってたよね? ここ?」
「はい……くらげさんに、扉に空いた穴から中を覗けって言われて……うう……」
あはははー、と双剣くらげは明るく笑っているが、怖がりになんてことさせんだあの鬼畜ツインテール。
セツナは苦笑して、所々に穴が空いた扉のノブに手をかけた。
「じゃあ僕が入ってみるよ。大丈夫、怖がるのは慣れてるからさ」
「ちょっと腰引けてっけど」
イケメン人気ストリーマーの肩書きが泣くダサさ。
「ははは。プロはいつでも退路を確保しておくものさ。逃げるときのことを考えずに突っ込むのは素人」
「あ、はい」
「行くよ! ……行くよ!」
なぜか2回言って、2回目のタイミングでセツナは扉を引き開いた。
瞬間。
真っ白な女が、部屋の中から飛び出してくる。
「うお「えぇえ「ひゃあぁ「ぅぉおわ!?」
十人十色に叫んで、俺たちは一斉に扉から離れた。
部屋から飛び出してきた女は、人を絞め殺せそうなくらい長い髪を振り乱して、1歩、2歩と廊下を歩き――
――べちゃっ。
無様に顔から倒れる。
「……え?」
「へ……?」
幽霊とはとても思えない、鈍くささの極みみたいな倒れ方だった。
純白の衣と白い髪とが、荒れ果てた廊下に広がっている。
……いや……?
あの髪、白じゃないぞ?
暗くて見えにくいが、黒も混じっている……。
白と黒が入り交じった色なのだ。
纏っている服もよく見たら死に装束の類ではなく、研究者なんかが着るような白衣だった。
白衣に、白黒の髪の、女……?
あれ?
「いたたたた……。なんだ、いきなり扉が開いたぞ?」
白い女が呻きながら、顔を上げた。
見覚えのある顔が、俺たちをきょろきょろと見回す。
「んん?」
女が埃っぽい床に手を突いたまま首を傾げると、モノトーンの髪がさらりと流れた。
「なんだ、ついに突破されてしまったのか。面白い仕事場だと思っていたのに……」
白衣の『欠片作家』ブランクは、残念そうにそうごちた。