第5話 家族旅行に来た夫婦っぽくなる
現在の最前線ダンジョン《ナイン坑道》。
その少し手前で道を右手に逸れ、崖際の細い道を降りていったところに、その村はひっそりと佇んでいる。
《キルマの村》だ。
キルマの村は、かつてはナイン坑道で働く炭鉱夫のために作られた炭鉱村だった、という設定になっている。
ムラームデウス島は、俺たちがバージョン1で《魔王バラグトス》を倒すまで、南部の一部を除く全域を魔族に支配されていた。
この村は山脈を隠れ蓑に使い、その脅威を辛くも逃れたらしい。
白衣の少女作家ブランクは、シマウマ模様の長髪を振りながら、きょろきょろと辺りを見回した。
「へえー。本当にこんなところに村がねえ。見たところショップも宿屋もないようだけど?」
「ああ、最前線に縁がないと知りませんよね。NPCショップはエリアボスを倒してその街を人類圏にしないと出現しないんですよ。補給線が確保できてないってことで」
「たまたまここにはねえけど、体力回復用の宿屋とかセーブポイントになる教会があったりはするけどな。それにモンスターがポップしねえから、休憩には使えるし」
「そろそろこの辺のエリアボスが見つかる頃だと思うんですけどね。《ナイン坑道》のボスがそうなんじゃないかって言われてますけど」
「ふんふん」
ブランクは頷くと、例の取材ノートを取り出してメモを取り始めた。
その様はフィールドワークに来た何かの研究者のようにも見える。
少なくとも剣と魔法のファンタジー世界に相応しい姿ではなかった。
俺はステータス画面を開いた。
さっきブランクとその弟子兼助手兼護衛ウェルダをパーティに入れたので、二人のHPバーとレベルが表示されている。
ウェルダのほうはレベル73。
今の俺とチェリーがレベル100台なので、中級者の上のほうってくらいか?
装備やクラス、それに《流派》にもよるが、ナイン山脈の中でも浅いエリアであるこの辺なら戦えないこともない。
で、問題はブランクのほうだ。
レベル12。
執筆に時間取られてとか言ってたけど絶対嘘じゃん。
初心者が3日くらいで辿り着くレベルだぞ。
たぶんこいつ、自分で戦ったことないんじゃないか?
当然、生産職としても、商人としても働いたことはないはずだ。
特に何もしないでも手に入る《クロニクル・クエスト》の最低報酬だけで上がったレベルなんじゃないか。
寄生プレイさえするつもり皆無の、ゲーム内ニートだ。
まさかこんな奴がいるとは。
本当に小説のネタ探しのためだけにMAOをやっているらしい。
「あのっ、『おんせん』はどこにあるんでしょうかっ」
ガリガリとメモを取る先生をよそに、リアル小学生らしい割にはやり込んでいるウェルダがわくわくした顔できょろきょろした。
チェリーが(俺には向けられたことがない)優しい声音で言う。
「温泉はここにはないよ。温泉に行くためのクエストNPCがいるだけで」
「NPCさんですかっ」
「そう。だからまずはその人に会いに行こうね」
「はいっ」
「さっさと行こうぜ。こっちだっけ?」
「もう! 先輩、さきさき行かないでください! 小さい子もいるんですから!」
「いや……子供の相手とか苦手だし……」
「優しさが足りません! ね? ウェルダちゃん」
「子供に優しい男のひとはモテると思いますっ!」
「別にモテたくねえし。……っていうか、なんでいきなりそんな仲良しな感じなの君ら」
「嫉妬ですかー? 子供に嫉妬とかみっともないですよ? ぷぷっ」
「ちゃうわい!!」
「―――ウェルダを交えて戯れる彼ら二人は、まるで家族旅行に来た夫婦のようだった。
気安いやり取りは独特の空間を形成し、まるで結界魔法の如く余人に入り込む隙を与えない」
「「何をメモってる!!」」
ガリガリとノートにメモをし続けながら勝手なモノローグを呟いていたブランクは、ぱんっとノートを閉じるや、物憂げに額に手を当てた。
「ああ……憎い……。憎むべきものすら反射的にメモってしまう自分の意識の高さが憎い……。無意識のフラッシュアイデアをステークホルダーとコンセンサスしたのちにコミットしてしまう……」
「作家としてその超雑な言葉の使い方はどうなんですか」
「っていうか消せ! その捏造メモを!!」
「いやだ! わたしは一度したメモは絶対消さない!! たとえ深夜のノリで考えた恥ずかしいポエムであっても!!」
変なところで変なこだわり持ちやがって。
「チッ……お前の小説探し出して盗作疑惑かけてやる……」
「やめてくださいお願いします」
即座に土下座してみせたブランクからノートを受け取った。
よろしい。
チェックしてみたところ、なんと俺たちの会話がほとんどそのままメモしてあった。
ただし、糖度2倍くらいで。
これじゃまるでカップルだろうが。
「お前、リア充滅びろとか言うくせに……」
「少女漫画フィルターかかってますね。往来でこんなアホそうな会話する人いませんよ」
チェリーもノートを覗き込んで言う。
土下座から立ち上がったブランクは、なぜか目を丸くした。
「(……現実をそのまま書いたんだが……え、本気で自覚ないの?)」
「なんか言ったか?」
「なんか言いました?」
「い、いや、うん、そうだね。無意識に眠れる乙女回路が働いてたかな? HAHAHA!」
とりあえず、あからさまな捏造部分に指で触れる。
スマホみたいに長押ししてからドラッグ。
削除、っと。
VRのノートは消しゴム使わなくていいから楽だな。
学校のノートもこんな感じにしてくれねえかな……。
「これ、無許可で小説にしたりしないよな?」
「許可は取るとも。本当に書くとなったらね。今はMAOと関係ない話を書いてるから、書くとしてももう少し先になるが」
「へえ。どんな話を書いてるんですか?」
「これがまた、我ながらツラい話でな……温泉でも行かんと精神が保たん……」
「それで温泉クエストか」
「リアル温泉に行く金も時間もないのだ! それに温泉旅館に長逗留って作家っぽくない?」
自分で言ってしまった時点で作家っぽさはなくなったな。
しかし、『リアル温泉に行く金も時間もない』という動機には、見るべきものがあるかもしれん。
実際、現代人には旅行に行く余裕がないと聞くし。
旅館があるかどうかは知らないが、この温泉クエストの噂がもっと広まったら、かなり人気が出るんじゃないか?
今時、VRを現実の代替にするなんてのは珍しい話じゃない。
すでに仮想世界への適応を果たしている業界だって存在する。
例えば電子書籍なんか、今や紙の本より売れてるらしいし。
VR書店に行けば、現実の本屋を回るのと同じ感覚で本が買える。
仮想空間内で読めば、紙の本と同じ感覚で読める。
VR書庫を用意すれば、実質無限の空間に好きなだけ本棚を並べられる。
いいことずくめだ。
まあ一方で、作家の印税が実売ベースになったから、ますます作品の方向性が売上至上主義になってうんたらかんたら――
なんて話もちらほら聞こえてくるが。
あとは、まあ、ほら。
エロいこととかね?
最近のVRエロゲーのクオリティはすごいらしいしね?
当然、対人でもね?
避妊具もラブホ代もいらないわけでね?
VR対人エロネトゲとかいう魔の巣窟がね?
まあ俺はやったことないけどね?
未成年だしね?
閑話休題。
温泉クエストを起動するNPCは村長の家にいるらしい。
掘ったて小屋ばかりのキルマの村にあって、ひときわ立派な門構えの家がそれだ。
玄関の手前にぶら下がっている小さなベルを神社の鈴みたいに鳴らすと、栗色の髪を大きな三つ編みにした少女が扉を開けた。
「むう……!」
結構好みなキャラデザ。
「……先輩?」
「ぐえっ」
脇腹にチェリーの肘を喰らった。
こいつ、読心スキルでも持ってんの?
「秘湯のことでお話を伺いたいのですが」
俺に肘を入れたことなどおくびにも出さず、チェリーは少女NPCにクエスト起動ワードを告げた。
ピコーンと音が鳴って、基地に侵入したスパイに気付いた兵士みたいに、ビックリマークが少女の頭の上に灯る。
「以前、お話しさせていただいた方ですね! お入りください。詳しいことは中で」
そして聞いた彼女の話を簡単にまとめるとこうだ。
彼女の父でもあるキルマ村の村長が、過労で倒れてしまったのだと言う。
一度壊れてしまった身体は容易には直らず、休んで復帰してまた倒れてを繰り返しているそうだ。
しかし、そこで彼女は思い出した。
昔、キルマ村の炭鉱夫たちが身体を休めるため使っていた温泉が、ナイン山脈のどこかにあるのだと。
それは、浸かればたちまち疲労回復するのはもちろん、飲むことでも回復効果を得られるのだという。
魔族の活発化によって入りに行くことはできなくなり、詳しい場所もわからなくなってしまったが、百戦錬磨の冒険者ならばきっとたどり着くことができるはず―――
要するに、その温泉を汲んで持ってきてくれ、という話だった。
報酬は武器強化に使う鉱石。
しかも結構レア。
ちょうど俺のメイン武器《魔剣フレードリク》の強化にも必要なものだ。
これはかなり嬉しい――
――のだが。
「実はその温泉には、鉱山夫たちが使い始める前からちょっとした言い伝えがありまして」
話の終わりがけだった。
「好き合う男女が二人きりで入ると、未来永劫、永遠に結ばれる――らしいですよ」
少女らしい、夢見るような調子で。
そんな情報が付け加えられた。
「……へえー」
「……ふーん」
冷めた反応をする俺とチェリー。
「りっ……リア充向け設定っ……!! 癒しの温泉におひとり様のことをまるで配慮していない設定がっ……!! ぐああっ……!!」
「先生ーっ!! しっかりしてくださいっ、先生ーっ!!」
胸を押さえて苦しむ作家は置いといて。
……あの、チェリーさん。
あなた、この設定のこと知ってて俺を誘ったんですか?
なんてことを訊く勇気は、当然ながら。
この俺にあるはずもなかった。