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第58話 見えない場所には何かがいる


 神殿を出て、洞窟を逆戻りし、前線キャンプでアイテムを補給してから、繋いでおいた馬に乗る。


「あっ、やっぱり二人乗りなんだ」


 チェリーを前に乗せるやセツナにそう言われ、俺たちは即刻馬から降りた。

 大した距離じゃないし歩いていこう、うん。


「恥ずかしがらなくていいのに……」


「別に恥ずかしくありませんし」


「たまには歩かないと健康に悪いし」


「リアルの身体は不健康に寝そべってるんだけど」


 ふぉふぉふぉ……何のことやらわかりませんのう……。


 湖畔に移動する。

 そこでは、ろねりあたちJK4人組が俺たちを待っていた。


「霧を抜けられそうなアイテムが見つかったと聞きまして。他にも話を聞きつけた方々が集まられてますよ」


 見れば、湖のほとりにはさらに3パーティほど集まっていた。

 中には、宿で同室のゼタニート、ストルキン、ジャックの姿もある。


「耳が早えーな」


「セツナさんの配信を観てる方は多いですからね」


 ともあれ、人数が多いに越したことはない。

 前にここに来たとき、湖上を覆う霧の中に見えた巨大な影を思い出す。

 もし、アレが生き物だったとしたら――


「船用意しましょう、先輩」


「おう」


 周辺の木々を切り倒して木材を調達し、《加工》スキルで小舟を作った。

 それを湖に浮かべた頃には、他の連中も準備を完了している。


 俺がまず小舟に乗った。

 舟の揺れが収まり、安定してから、ほとりに立つチェリーに手を差し伸べる。


「ほれ」


「はい」


 俺の手を取ったチェリーは、ぴょんっと舟に飛び乗る。

 舟がぐらぐらと揺れて、チェリーは俺の身体を支えにしてそれに耐えた。


「……(ひそひそ)……」

「……(ひそひそ)……」

「……(ひそひそ)……」


「なんか!」

「ひそひそ!」

「聞こえ!」

「るんですけど!!」


 今の流れは何もおかしくないよなあ!?

 なのになんで『ケッ! イチャつきやがって』みたいな視線が集中してるわけ!?


 納得いかなげにしつつも、チェリーはストレージから《白い笛》を取りだし、頭上で振って場の全員に示してみせた。


「行きますよ! 準備はいいですかー!?」


「「「「「おー!!」」」」」


 威勢のいい返事が返ってきたところで、6艘の舟が一斉に発進した。

 目指すは湖の中央。

 深い霧に包まれた領域だ。


 当然のようにオールを押しつけられた俺は、舟の後部でギコギコ漕ぎまくる。

 霧の中に突っ込むのには、10秒とかからなかった。


「うわ、何にも見えませんね」


「ああ……どっちに進んでるのかわからなくなるな」


 視界は一面真っ白。

 乗っている舟くらいは視認できるから、チェリーの姿を見失うことはない。

 だが、他の舟の位置については、水をかき分ける音や舟が軋む音くらいでしか確認できなかった。


「下手したらぶつかるぞ。他の舟が近付いたと思ったら教えてくれ」


「了解です」


 ぶつかりそうになったら停止できるように、少し速度を落とす。

 真っ白な闇の中を突き進むのは、本能的な恐怖があった。

 別に仕様で追い返されなくたって、自分から引き返したくなるような……。


 ちゃんと元の場所に帰れるのか?


 前も後ろも見えないこの白い闇は、取り返しの付かないことをしているかのような錯覚を起こさせる……。


「あっ」


 チェリーが短く声をあげた。

 理由は明白だ。

 聞こえてきたのだ。

 あの唸り声が。


 ―――ォオォオオオオオオオオォォ―――


 そして、『あれ』が現れる。

 3メートル先も見えない霧の中に映る、巨大な影。

 正確な輪郭は掴めない。

 ビルで言えば5階建てくらいの巨大さだけで、その影は俺たちを威圧する。


 話によれば、これの出現と同時に霧の外へと追い返される。

 使うとすればここだ!


「チェリー! 笛!」


「わかってます!」


 チェリーが《白い笛》を唇につけ――

 優美な音色を、霧の中に響かせた。


 月並みな表現だが、チェリーの指は白魚みたいに細く、しなやかだ。

 それが白い笛の上を滑らかに踊り、どこか荘厳さを感じさせる調べを生み出していた。


 うまくね?

 吹けたの、フルート?


 驚くほど様になっているチェリーの姿に、不覚ながら見惚れてしまう。

 しかし、調べは長くは続かなかった。

 ほんの10秒程度で旋律は終わりを告げ――

 続いて表れた変化に、俺は現実に引き戻される。


 ―――ォオオオオオォオォォォォォ―――


 さっきとは違う調子の唸り声が、霧の中に響きわたった。

 と共に、高く伸びた黒い巨影が、下へと引っ込んでいく。


 笛の音を嫌がったのか?


「きゃっ」


 湖面が強く波打った

 舟が激しく揺れて、チェリーがバランスを崩す。

 俺はその肩をさっと支えつつ、影がそびえていた場所を見据えていた。


 水中に引っ込んだ?

 今のはその余波か?


「あ! 霧が……!」


 俺に肩を抱かれたままのチェリーが声を漏らした。

 視界を埋め尽くしていた霧が晴れていく。

 あれほど深かった霧が、一片残らず消え去るまで、10秒とかからなかった。


 湖の全貌が露わになる。

 周囲、20メートルも離れていない範囲に、他の5艘の舟が集まっていた。

 しかし、俺たちが真っ先に目を惹かれたのは、仲間たちの舟じゃない。


 前方。

 湖のちょうど中心。

 小さな島があった。

 そしてその上に、コケやツタに覆われた古城がそびえ立っていたのだ。


 てっぺんのとんがり屋根に、半ば朽ちた旗が揚がっている。

 それにはあの二重丸が描かれていた。


「国旗だったのか……」


 あのマークは霧の天気記号であり、あの古城の国のシンボルでもあったのだ……。

 ならば、神殿の先に続く扉を開く鍵は、あの古城の中にある可能性が高い。

 上陸しよう、と視線を下ろした――


 ――瞬間。

 俺の背筋に寒気が走った。


「全員ッ!! 下見ろ!!」


 古城に見惚れていた最前線プレイヤーたちは、俺の声に鋭く反応して視線を下げる。


「ひあっ!?」


 誰からともなく悲鳴があがった。

 無理もない。

 驚かないほうがおかしい。


 俺たちの舟の下。

 湖の表面に。


 クジラのように巨大な影が、浮かび上がっていたのだから……!!


「せっ、先輩!」


「おう……!」


 俺は全力でオールを漕ぎ、巨影の上から脱出しようとする。

 他の奴らも慌てて舟を走らせ、古城が建つ小島を目指した。


 だが、巨影もまた動く。

 その余波で、またも湖面が強く波打ち、オールを漕ぐどころじゃあなくなった。

 巨影は俺たちの行く手に先回りするように小島へと向かう。


 いや、ように、じゃない。

 はっきりと、俺たちの行く手を阻む形で。

 その背中を、水面の上に覗かせた。


 背びれがあった。

 鱗でびっしりと覆われていた。

 蛇みたいな、長大な身体だった。


 いや……いや!

 あれは蛇じゃない。

 あれは……!!


「―――ォオォオオオォォォォォォオオオオ―――!!」


 強烈な唸り声で、湖面がびりびりと震える。

 水中から、ついに顔が姿を現した。


 流線型の頭部。

 鼻の下から、触覚のような髭が2本、優雅に伸びている。

 天へと向かって長大な蛇身を持ち上げると、そいつは鎌首をもたげて俺たちを睥睨した。

 サファイアのように青く輝く双眸は威厳さえ感じさせる。

 その視線に射抜かれること自体が、もはや取り返し得ない致命傷であるようにすら錯覚した。


 2本の角が伸びる頭部の上に、キャラネームが表示される。

 その名は――



 ――《呪転霧棲竜ダ・ミストラーク Lv115》。



 森の中に放置された瓦礫。

 水底で砂に埋もれていた像。

 神殿に鎮座していた巨像。


 今日見てきたものが一瞬で脳裏を駆け巡り、俺は呻いた。


「……ドラゴン(・・・・)……ッ!!」


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