第53話 小悪魔式ジャンケン必勝法
MAOバージョン3《ムラームデウスの息吹》。
そのメインストーリーであるクロニクル・クエストは、大抵の場合、大まかな目的しか教えてくれない。
今クエストログに表示されているのも、【ナイン山脈を攻略しよう!】という雑な一文だけだ。
フェンコールの討伐によって、ナイン山脈南側のエリアが解放された。
ナイン山脈全体を攻略しきるのには、あといくつエリアを解放すればいいのか、それすらもわからない。
とはいえ、やることは明確だ。
北へ。
とにかく北へ進み続けて、邪魔するものは全部倒す。
バージョン3のMAOは、そんなわかりやすいゲームだった。
一頭の馬に二人乗りした俺とチェリーは、ピクニックでもできそうなのどかな高原を抜けて、森林に入っていく。
キルマの村のNPC曰く、《限りの森》と呼ばれているらしい。
「ふーん……」
俺は馬を歩かせながら、頭上で折り重なる梢を見上げた。
木漏れ日が燦々と降り注いでいて、森林と言えども明るい雰囲気だ。
でも……。
「この森の先には、誰も行ったことないんだよな」
「NPC曰く、ですけど」
俺の足の間に収まったチェリーが言う。
バージョン3が始まった時点において、人類の領土は今で言う《神聖コーラム》だけだった。
それ以外の土地は魔族によって纂奪されていて、今の俺たちはそれを取り返して回っているところなのである。
つまり、魔族に土地を奪われる前は、このムラームデウス島全域を、人間が支配していた。
キルマの村やナイン坑道も、そのときの名残みたいなものだ。
しかし。
その時代においても、ナイン山脈の奥地は未開の領域だったらしい。
人類が足を踏み入れたのはこの森まで。
だから《限りの森》。
「わざわざ山脈なんかに足を踏み入れる意味はないってのはわかるんだけど、なんか腑に落ちねえんだよな」
「何がですか?」
「この山脈って、すげえなだらかだからさ。最高でも富士山以下だろ? 人類の侵入を拒んでる感がないっつーか」
エベレストみたいなのがドーンと聳えてたらわかりやすいんだけどな。
「まあ、言わんとすることはわかります。実際、この森だってとっくに突破されちゃってますしね」
馬を進めていくと、分かれ道に来た。
三方向に、代わり映えのない道が伸びている。
本来ならここでどこに行けばいいか悩むところだったが、右の道に立て看板があった。
【正解の道→】
俺は手綱を操り、馬を右の道に進ませる。
「何の変哲もない迷いの森だよな」
「迷いの森の時点で変哲はあると思いますけど」
この森は間違った道に進むと入口に戻される仕様だ。
あの立て看板がある今となっては、森の入口にワープしたいときくらいしか出番がない仕様だが。
「どこまでがナインサウス・エリアなんだっけ?」
「この森の出口辺りまでですね。その辺に前線キャンプがあるみたいです」
似たような分かれ道を何度か抜ける。
すると森が開けて、原っぱのような場所に出た。
テントがいくつも並んでいて、その間を幾人ものプレイヤーが頻りに行き来している。
前線キャンプだ。
ダンジョンの近くとかに作る、即席の拠点である。
テント内の簡易プレイヤーショップを使えば消費アイテムを補給したりできるが、今はその必要がない。
素通りするつもりだったが、キャンプの中心にあるものが俺の目に留まった。
「これって……」
馬を寄せてみる。
原っぱの中央に、瓦礫が積み上がっていた。
どうも家屋の残骸のように見える。
「……この森以降は、人が住んでないんじゃありませんでしたっけ?」
チェリーも同様に、瓦礫の山を馬上から見下ろして呟いた。
気になるので、俺たちはいったん馬から降りる。
「プレイヤー製じゃありませんよね……?」
「プレイヤー製の建物は壊れたら素材アイテムに戻るだけで、瓦礫なんて残らないはずだ」
「ですよね」
つまり、この瓦礫は、最初から景観として用意されたものということになるが……。
「やあ。あんたたちもそれが気になるかい?」
瓦礫の傍で首を傾げていると、野太い声が気さくに話しかけてきた。
筋骨隆々の男戦士だ。
「その瓦礫、どうやら最初っからあったみてぇだぜ。ここに一番乗りした連中によればな」
「最初からですか……。何か情報はなかったんですか?」
「気になった奴がいろいろ調べ回ったようだが、この瓦礫に関係しそうな情報は、今のところ見つかってねえらしい。
ただ、この瓦礫を見つけてからキルマ村のNPCに話しかけたら、台詞が変わったそうだ。『限りの森の瓦礫? すみませんが、心当たりはありません』ってな」
「ふむ……」
チェリーはおとがいに指を添えて考え込む。
NPCの台詞が変わったってことは、ゲームにまったく関係ないわけではなさそうだが……。
「直接的な情報は見つかってねえが、一応、推測ならあるみたいだぜ。そら、そこを見てみな」
男戦士はぶっとい指で、瓦礫の山のてっぺんを指さした。
「瓦礫の一部が焦げてるのがわかるか?」
「んー……あっ、ほんとですね。火事……だったら、もっとひどいことになってそうですけど。ってことは……」
チェリーは視線を上向けて数秒考え、
「炎で炙られたあと、べちゃっと踏み潰された?」
「察しがいいな」
男戦士は顔を歪ませて笑う。
「要するに――この辺りにドラゴンがいるんじゃねえかって話さ」
――ドラゴン。
硬い鱗、鋭い爪、巨大な体躯、炎の息吹。
ファンタジーには鉄板で登場する最強生物。
MAOにおいてドラゴンは、まさに『最強生物』として位置づけられている。
オープンベータからこっち、登場したことは数えるほどしかなく、しかも例外なく半端じゃない強さだった。
俺たちプレイヤーが束になってかかっても押さえきれず、村を三つも焼き払われた苦い思い出がある。
モンスター含む魔族は魔神の眷属の末裔という設定になっているが、どうやらドラゴンだけは別で、どちらかといえば精霊に近い存在らしい。
精霊ってのは、日本で言う八百万の神様みたいなものだ。
つまり神。
ゴッド。
ドラゴン・イズ・ゴッド。
そりゃ強いわけである。
でもその分、ドラゴンがドロップする素材アイテムはどれも超一級品だ。
武器を作れば最強。
盾を作っても最強。
現状では不可能に近いが、全身ドラゴン装備にすればもはやチート。
たかが素材アイテム一つに、日本円換算にして10万以上出す奴だって珍しくない。
「今はまだこの辺にいる奴しか知らねえが、じきに噂が広がっていくだろう。そうしたらごった返すぜ、ドラゴン狙いのハイエナどもでな」
シニカルに口の端を上げる男戦士。
やけに芝居がかったおっさんだな。
「情報ありがとうございます。もしドラゴンを見つけたらお教えしますよ」
「ハハハ!! いいってことよ! その代わり、そこのテントで露店を出してるから、贔屓にしてくれると嬉しいぜ!」
商人かよ。
ここを通りかかった奴全員に同じこと言ってやがるな。
ムキムキの商人を見送ると、俺たちは謎の瓦礫から視線を外す。
「さて……」
前線キャンプからは、さらに二本の道が伸びていた。
一方の道の立て看板には【洞窟→】。
もう一方の立て看板には【←湖畔】とある。
「どっち行く?」
「まだどっちが先に続いてるかはわかってないんですよね」
「ああ」
エリアの解放から結構経ったが、バレンタインイベントなんかが挟まった関係で、探索はさほど進んでいないみたいだった。
だからこそ、この攻略合宿が企画されたんだけどな。
「『先に続いてそう』感があるのは洞窟じゃね?」
「えー。暗いしじめじめしてるしめんどくさいですよー」
「俺としては水辺のほうが気が滅入るけどな」
ゲームの水系ステージは大抵めんどくさい。
「じゃあジャンケンで決めましょう。私が勝ったら湖畔で」
「いいぞ」
「私はチョキを出します」
「心理戦……!」
上等だ。
何にも考えず純然たる反射神経だけで勝負してやる!
心理戦じゃ勝てないからね!
「行きますよ。ジャン、ケン―――」
「…………!!」
「あっ、虫が」
チェリーが和風装備の掛け襟をチラッと引っ張った。
「!?」
「隙あり! ポン!!」
視線を奪われた瞬間に、チェリーがすかさず手を出した。
俺も慌てて手を出す。
チェリーの手はパーで、俺の手はグー。
相手の手を見てなかったんだから反射神経もクソもなく、咄嗟に事前予告された手に勝てる手を出してしまったのだった。
「うごおおおおお……!!」
「ふっふっふ! 愉快に踊ってくれますねえ、先輩は!」
悔しさに悶絶する俺と勝ち誇るチェリー。
「MAOに虫なんているわけないじゃないですか。私の胸チラ、そんなに見たかったんですかぁ~? 一縷の希望に賭けちゃったんですかぁ~? ふくくく!」
おのれぇ……!
辞書に載せたいくらい見事に調子に乗りおって……!!
調子ライダーとなったチェリーは、馬上のときの仕返しなのか、俺の耳元に口を寄せてそっと囁いてくる。
「(もう一回ジャンケンして勝てたら、本当に見せてあげちゃうかもですよ?)」
「……っ! いや、どうせ謎の光で見えねえだろ!!」
「バレましたか。あはは!」
チェリーはさっと離れて、明るい笑い声をあげた。
トロッコに馬と俺の攻勢が続いていたから、久しぶりに俺をからかえて溜飲が下がったんだろう。
「じゃ、行き先は湖畔でいいですよね?」
「ああ、いいよ。洞窟は他の連中が調べてそうだしな」
「それじゃあ行きましょう! ほら馬乗って」
再び貸し馬屋から借りた馬に二人乗りになり、
「ふうー」
「ひああ!?」
やられっぱなしはムカつくので、耳に息を吹きかけておいた。
当然、逆襲の頭突きが来たんだが。