第52話 二人乗りという概念が持つ無限の可能性のうちの二通り
「せんぱーい。圏外いきましょー」
ノックに応えて扉を開けると、準備を万端整えたチェリーがいた。
「時間がもったいないですよ、先輩。日が暮れると厄介なんですから」
「おう。わかった。行こうぜ」
と言いつつ、俺は周りを見回す。
板張りの廊下があるだけで、他に人影はない。
「……? どうしました?」
「いや……その、他の連中は?」
「ろねりあさんたちなら先に行っちゃいました。もう一人の匿名フードの方も」
……どうやら、まだ気付いてないみたいだな。
その匿名フードの奴がUO姫だってことに。
さっきUO姫のことについて、主催者であるセツナとこんなやりとりがあった。
『お前……あいつのこと知ってんの?』
『あいつって……ああ、ミミさんのこと? 知ってるよ。お忍びで来てるってさ』
『だったらお前、チェリーと同じ部屋はマズいだろ。バレたらどうなるか……』
『相部屋って言っても実際に寝泊まりするかは自由だし、案外バレないと思うよ? それに、ミミさん自身が言ったんだ。チェリーさんと相部屋でもいいって』
……あいつ、いったい何を企んでるんだろう。
何か企んでるっぽく見せかけて、実は特に何も企んでないってこともあるのがあいつの厄介なところだ。
この前のバレンタインのときみたいにな。
とりあえず謎めいて見せてるほうが可愛いと思ってるフシがある。
「んー……あ、そういえば」
「なんですか?」
「出る前に六衣に訊いておこう。ブランクたちのこと」
「ああ、そうですね。今のところ見かけてませんけど」
果たしてあの作家は、まだこの旅館に泊まってるのかどうか。
俺は部屋の中に向かって言った。
「じゃあ、俺らもう行くから!」
「うん! 夜10時くらいにミーティング予定だから、来られそうなら来て!」
「わかった!」
俺は廊下に出る。
チェリーと連れ立って、板張りの廊下を歩いた。
「ブランクさん、もしまだここに泊まってるなら、ショーコさんに会わせてみたいですね」
「ああ。ファンみたいだったしな。まあ幻滅するかもしれんけど」
「ふふっ」
余計なことはしても役に立つことはしない。
それがブランクという女だった。
ロビーに出たところで、フロントの中に六衣の姿を見つける。
「六衣さん、六衣さん。訊きたいことがあるんですが」
「うん? なにー?」
「ブランクさんとウェルダちゃんって、まだここに泊まってます?」
「あー……」
六衣はなぜか視線をよそへやって間を置いた。
「まあ、うん、泊まってるわよ。いちおう……」
「……いちおう?」
「それが、そのー……」
ははは、と六衣は誤魔化し笑いをする。
「……圏外を見てくるって言って出てったっきり、帰ってこないのよね。もう一週間くらい」
「「えっ?」」
帰ってこない?
一週間も?
「まだ泊まってる、ってことは、別のとこに宿を移したわけじゃないよな?」
「ええ。そのはずなんだけどねえ……。どこで何してるのかしら?」
本当に何やってんだ、あの作家……。
「ここから先の人類圏外は、あの二人のレベルじゃとても生き残れませんよ。普通に考えれば、一日と経たず死に戻りしてるはずですけど……」
「一週間ってことは、バレンタインイベントの直後くらいからか?」
「そうそう。バレンタインの日にエムルまで行って帰ってきて、その次の日くらいかな。出ていったのは」
あいつもあの日、エムルにいたのか。
まあ年に一度のイベントだし、欠片作家としては取材しない手はないんだろうが。
「あなたたち《渡来人》はどうせ死んでも生き返るし、心配はしてないんだけど……」
と言いつつも、六衣の声には心配が滲んでいる。
「もし見つけたら連れて帰ってきてほしいわ。ただでさえ忙しいのに、仕事が手につかないんだから」
「わかりました。もし見つけたら殺してでも連れ帰ります」
「六衣……お前、温泉に入っただけで人殺してた奴とは思えねえな」
「改心ってやつ? したのよっ!」
えへん、とたわわなお胸を張ってみせる六衣。
相変わらず立派なものをお持ちで……。
「……あ、そーだ。ね、ケージ?」
六衣はカウンターに身を乗り出した。
たわわなそれがむぎゅっと押し上げられて、着物の掛け襟から深い谷間が目に飛び込んでくる。
「夜にね、もし時間あったら――」
「ずびし!」
「あぎゃーっ!! 目がぁーっ!!」
チェリーに唐突に目潰しをかまされ、六衣は床の上を転がった。
「発情期には早いですよ、この喪狐が」
「ううっ……いいじゃん、少しくらい……わたしにもイチャイチャさせてよぅ……」
「何か言いました?」
「言ってませんーっ!!」
ひーん、と半泣きになって、六衣は奥の控え室に逃げていった。
ふんっ、とチェリーは鼻を鳴らす。
「……あのー。なんか今日のお前、怖くない?」
「怖くないですよ~?」
UO姫みたいに甘ったるい声を作って、にこーっと笑顔になるチェリー。
「リアルじゃ一顧だにされないくせに、どぉ~してゲームの中じゃこんなにモテるんだろうこの人は、なぁんて、まぁ~ったく思ってませんよ~?」
「こわいこわいこわい!!」
満面の笑みが一番怖いんだよ!!
◆◆◆―――――――◆◆◆―――――――◆◆◆
「人間失格の主人公がですね、終盤で言うんですよ。『女のいない場所に行きたい』って。というわけで行きましょう」
「俺が人間失格だって言いたいんですかね……?」
どちらかと言えば失格だと思うけどさあ。
温泉街を出て、来た道を戻っていく。
道中、
「出会った頃は『ゲーム以外はどうでもいい。女の子とか興味ない』みたいな顔してたのに、見る見る色気付いちゃってもう!」
みたいな愚痴を延々と聞かされた。
……もし俺が色気付いてるとしたら、100パーセント完全無欠にお前のせいなんだけどなあ……。
トロッコの線路が走るトンネルまで戻ってくる。
入口の立て看板には【←フェンコール・ホール】と書いてあった。
「今度はトロッコ乗りましょうよ」
「いいけど」
前回は人数が多かったんで遠慮したが、今は二人だから大丈夫だろう。
この長いトンネルも、トロッコに乗っていけばあっという間だ。
ええと、行きのトロッコは……右のほうか。
「先乗れよ。俺が押すから」
「じゃ、お先にー♪」
チェリーが軽やかにトロッコに乗り込む。
俺はトロッコの後ろを掴んで、
「行くぞー」
「ゴーゴー!」
ぐっと力を込めてトロッコを押す。
そのまま押しながら走っていき、トンネルに入ったくらいのところでスピードが乗ったのを感じた。
置き去りにされる前に、俺もチェリーの後ろに乗り込む。
「おー! 速い速い!」
子供みたいにはしゃぐチェリーのピンク色の髪が、風に靡いて俺の頬をくすぐった。
何やら甘いいい匂いがする。
女子の匂いってシャンプーの匂いだと思ってたけど、アバターの場合はどうなんだろう。
急に気になってきた。
――ガタンッ!
「きゃっ!?」
地面に凹凸があったのか、いきなりトロッコが揺れた。
チェリーがバランスを崩し、後ろにいる俺のほうに倒れてくる。
俺はチェリーの小柄な身体を胸で受け止めた。
「あ……ありがとうございます、先輩」
顔のすぐ下にあるピンク色の頭から、ふわっと甘い香りがする。
うーむ。
女性アバターにはすべからく、『髪から女子っぽい甘い香りがする』とでも設定されてるんだろうか。
一度気になったら止まらない。
すんすん。
「……あ、あれ……? 先輩?」
「んー?」
「も、もしかして……私の髪の匂い、嗅いでません?」
「いやー?」
ピンク色のつむじに鼻を近付ける。
すんすん。
「かっ、嗅いでますよね!? つむじに風を感じるんですけど!」
「トロッコだからね。風くらいはね」
「風っていうか鼻息だと思うんですけど!」
「気のせい気のせい」
「ちょっ! もう完全に顔うずめてますよね!? 干したての布団みたいにしてますよね!? だっ、ダメですったらあっ! せ、せめてお風呂にっ……!!」
ばたばた暴れるチェリーを押さえているうちに、トロッコはワープポータルがある《フェンコール・ホール》に到着した。
トロッコから降りる。
チェリーは目を合わせてくれなかった。
「……先輩のばか」
「いや、うん、ごめん」
「へんたい。匂いフェチ」
「何の匂いなんだろうなーって気になって……」
「せめてお風呂に入ってからって言ったじゃないですか!」
「風呂入ったあとだったら嗅いでもいいの?」
「いいわけないでしょ!!」
チェリーは顔を真っ赤にして、俺のレバーに重めのブローをぶち込んだ。
うん、その、今回は俺が悪い。
痛みはないものの、衝撃から反射的にくの字になったとき。
流れるように、チェリーが俺の首に腕を回す。
そしてそのまま、俺の首筋に顔をうずめてきた。
「くんくん」
「……!? おまっ――」
「くさいです」
ええっ!?
俺がショックを受けているうちに、チェリーはすっと離れた。
まだ赤味が差したままの顔が、いたずらっぽく笑う。
「ふふふ。仕返しです。私がどういう気持ちだったかわかりましたか?」
俺はチェリーに嗅がれた部分を右手で触り、視線をあらぬ方向へ逃がした。
「……よーくわかったよ……」
簡潔に表現すれば――
今にも顔が爆発しそうだ。
◆◆◆―――――――◆◆◆―――――――◆◆◆
壁に設置された梯子をたったか登り、フェンコール・ホールの上を目指す。
「スカートの中見ないでくださいよ!」
「見えねえよ謎の光で!」
「見てるじゃないですかっ!」
「そんなに嫌なら後から登ればよかっただろ!」
「ほっ……他の人に見られちゃうかもしれないじゃないですかあっ!」
というやり取りがありつつ、巨大な縦穴から地上へと出る。
かつて最前線組が無数のフェンコール・ピースと死闘を繰り広げた岩場には、高い壁がぐるりと建っていて、まるで刑務所みたいだった。
こうしておかないと、定期的に起こる襲撃イベントで、モンスターが上から上からフェンコール・ホールに雪崩れ込んできて面倒臭いんだろう。
北側へ向かう。
そこには堅牢そうな門があった。
巨大で分厚い鈍色の鉄扉だ。
ますます刑務所めいているが、刑務所とは違って、この扉は内側からなら簡単に開く。
「あ、先輩。馬の貸し出しありますよ」
門の横に、【馬貸します】と看板が出た小屋があった。
この辺は地形が面倒で、《鉄連》の連中もどうやって汽車を走らせるか悪戦苦闘の最中らしいから、それが終わるまでの代わりってことだろう。
チェリーと一緒に小屋に近付く。
屋台のようなカウンターの奥で、NPCのおっさんがぼーっとしていた。
「すみません。あと何頭ありますか?」
おっさんはちらりとこっちを見て、
「……三頭だよ」
馬も無限にいるわけじゃない。
この貸し馬屋を設置した奴が設定した数しか、同時に借りることはできないのだ。
「残り少ないな。一頭だけ借りて、二人乗りするか」
俺が当然の提案をすると、チェリーはじとーっとした半眼で俺を見やる。
「……また嗅ぐつもりですか?」
「嗅がねえよ!!」
一頭分のお金をおっさんに払うと、小屋の側面から馬が出てきた。
どう考えてもこの小屋に馬が三頭も入るはずがないが、そこはゲーム的なご都合主義だ。
「おー。葦毛ですね」
ところどころに黒い部分がある白馬だった。
まず俺が鞍に跨り、馬上からチェリーに手を差し伸べる。
「ほら」
「はい」
俺の手を取ったチェリーを、一気に馬の上に引き上げた。
そして、俺の身体の前、足と足の間に座らせる。
「……この乗り方、なんだか子供みたいで微妙に腑に落ちないんですけど」
「(後ろのほうが揺れるんだから仕方ないだろ? 俺の背中の剣も邪魔だろうし)」
「ひゃっ!?」
距離が近いんで遠慮して声のボリュームを抑えめにしたら、なぜかチェリーがビクッと背筋を伸ばした。
「ん? どした?」
「みっ、耳元で囁くのは、ちょっと……」
「ほほう?」
それはいいことを聞いた。
耳元で囁かれるのに弱いとな?
「(チェリー)」
「ひいいーっ!」
左耳の近くでそっと名前を囁くと、チェリーは逃げるように身体を右に傾ける。
だが残念なことに、手綱を握るため、俺の腕がチェリーを捕まえるようにして前に回されているので、逃げ場がほとんどない。
「(おいおい。暴れんなよ)」
「ぞっ、ぞわぞわしますっ! ……ひあっ!? 息吹きかけたでしょう、今!」
「ふっふっふ。お前に逃げ場はな――ごぶっ!?」
頭突きを喰らった。
リアルだったら鼻の骨が折れてそうな強烈なやつを。
「逃げ場がないのはお互い様ですからね!」
チェリーは赤い顔で俺を見上げてくる。
……よそう。
争いは何も生まない。
というか、落馬しそうで危ない。
馬を鉄扉のほうに進ませると、ウインドウが出た。
【開く】をタップする。
ズゴゴゴゴ……とボス部屋みたいな重々しさで、扉が開いていく。
「先輩。《魔物払い》着けました?」
「あっ」
「また忘れてたんですか!」
「いやー危ない危ない」
俺はスキルカスタマイズ画面を開きながら、
「でも、効くのか? こっから先のモンスターにも」
「どうでしょうね。私たちのレベルもほとんど上がってませんし……」
「まあ、行ってみればわかるか」
扉の向こうには、広大な高原が広がっている。
硬く踏み固められた道を目で辿っていけば、その先には、青々と茂った森林が口を開けていた。