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第51話 女の戦いは男の死角で繰り広げられる


 アーチを潜り抜けて、俺たちは温泉街に入る。

 辺りを見回して、俺は信じられない気持ちになっていた。


 俺の記憶が正しければ。

 この辺りは、深い森になっていたはずだ。

 それがない。

 風景を彩るためか、ほんの一部だけ残して、綺麗さっぱり消滅している。


 かつてここにあった森は、道案内がなければとても抜けられないくらい、深くて複雑なものだった。

 それをまるっと伐採したらしい。

 とんでもねえ……。


 緩やかな登り坂に、おそらく人工だろう川が流れている。

 その両脇に、武器屋、防具屋、アイテムショップ、鍛冶屋、饅頭屋、揚げ物屋、甘味屋、土産物屋、喫茶店などなどが、所狭しと軒を連ねていた。


「よくもまあこの短期間でこんだけ……」


「案の定、ワイドショーで紹介されましたもんね、ここ……」


 そういえばそんなこともあったな。

 現実とほぼ同じ感覚で入れるVR温泉、というのは実のところ、この六衣温泉が初めてだったのだ。

 だから、ここの存在が知られるやネットニュースになり、ネットニュースになり、またまたネットニュースになり、最終的には昼のワイドショーの取材まで来た。

 全国ネットでばっちりくっきり、あの美人狐耳巨乳女将の姿も放送された。

 結果、MAO内外からわんさか人が来るようになったらしい。


 それも無理からぬことだ。

 何せ、本物の温泉と違って、この六衣温泉はバーチャルギアさえあれば家の中から直接訪れることができる。

 リアル温泉よりもずっと多くの人が来るのは自然の成り行きだし、こいつはでかいシノギの匂いがするぜと商売人が集まってくるのも当たり前のことなのだ。


 よく見てみれば、石畳の坂を行き交う浴衣姿の中には、レベル1のプレイヤーが結構な頻度で混じっている。

 ここに来るためにアカウントを作ったんだろう。

 MAOの接続料は初回1ヶ月無料なので、ハードルは極限に低かったはずだ。


「ここぞとばかりにリアルマネー支払いのお店が多いですねー」


「ここ来るためにアカウント作った人は、ゲーム内通貨(セルク)なんて持ってないからな」


 MAOは公式RMTを実装しない方針である。

 だから課金武器なんかは存在しないし、リアルマネーをセルクに両替することもできない。

 もちろん、リアルマネー支払いに対応しているのは、ゲーム内容に直接の関係がなく、また財産として残ることのない食べ物の店ばかりだ。


「ほっほう! いいですなー! 温泉街って感じするー!」


「スクショで見た以上の完成度だなあ。本当に素人が作ったのかな、これ」


「音頭を取ったのは《MAOクラフターズ》の皆さんらしいですよ」


「ああ! スターターシティの外れに1/1秋葉原作った人たちか!」


「おっ! 足湯だ~!」


 本能のままに走り出そうとした双剣くらげのツインテを、ろねりあが容赦なくひっつかんだ。


「ひぎゃー!!」


「宿に荷物を置いてからです、くらげさん」


 そんな感じでそれぞれ感動しながら、すずやかにせせらぐ川に沿って坂を登っていく。


 ……その一団の中に、依然としてそいつは紛れ込んでいた。

 頭まですっぽりフードを被った、小柄な背中。

 UO姫……。

 供も連れずにやってきて、何するつもりなんだ、あいつは。


 後ろから見つめていると、不意にUO姫が振り向いて、フードの中でくすっと微笑んだ。

 な……なんじゃー!!

 むやみにミステリアス感を演出しやがって!!

 そんなんに俺が引っかかると思ったら……思ったらっ……!!


 何度かUO姫の背中をちらちら見ているうちに、坂を登りきった。

 真正面に現れたその建物に、一同は『おーっ!!』と歓声をあげる。

 俺とチェリーは、また少し違う意味で「「おー」」と声をあげた。


「ここは変わってないんだな」


「老舗って感じしますねー。できて何ヶ月も経ってないのに」


《恋狐亭》。

 この温泉街の核である温泉旅館。

 その正体は、《六尾の金狐》という妖怪である女将《六衣》が、その能力によって生み出した《迷い家》なんだが、いろいろあって普通の温泉旅館として経営されることになったのだ。


 前に来たときは、旅館の周囲は殺風景なもんだったが、今は松やらの木々が入口の周囲に添えられて、『江戸時代くらいからやってます』という雰囲気がぷんぷん香る、立派な門構えになっていた。


 向かって左手は依然として断崖絶壁だが、落下防止用の柵が取り付けられて、観光客が見渡す限りの絶景を楽しんでいる。


 こうして見ると、運営のNANOがここに旅館を置いた理由がわかろうというものだ。

 森さえどければ温泉街を形成できて、夕日に映える山々を見下ろせる絶景ポイントがすぐ近くにある。

 プレイヤーの頑張りによって、もう少しだけ交通の便がよくなれば、完璧な観光名所の完成だ。


 本来はどうにもできない自然条件すら胸先三寸で決めてしまえるんだから、リアル温泉旅館からすれば『ずるい!』の一言だろう。


 10人以上でわらわらと、旅館の中へ入る。

 と、着物姿の女性が、上がりかまちに正座して俺たちを出迎えた。


「ようこそお出でくださいました。当旅館の女将、六衣でございます」


 しずしずと下げられた頭には、大きな狐の耳がある。

 それを見て、『おー!』と歓声が上がった。


「本物だ!」

「狐耳!」

「動画で見るより綺麗!」

「狐耳! 狐耳!」

「おっぱいでけー!」

「狐耳! 狐耳! 狐耳!」


 約1名、狐耳に異常な執着を見せている奴がいるが、とりあえずスルーする。

 チェリーが六衣に向かって軽く手を挙げた。


「お久しぶりです、六衣さん。約束通りまた来ましたよ」


「あっ、チェリー! それとケージも!」


「よう」


 六衣は女将モードをすっかり脱ぎ捨てて、下駄を足に引っかけながら俺たちに駆け寄った。


「もう! ずっと待ってたのよ!? いつまで経っても来ないんだから!」


「そんなに経ってないだろ? せいぜい1ヶ月かそこら……」


「わたしにとっては……だって……」


 ふいに俺から目を逸らしたかと思うと、六衣はやけにもじもじし始める。

 ちらちらとこっちを見ている辺り、俺に何がしか察してほしそうな感じだったが、いまいち心当たりがない。


「……ふ~ん」


 背後から妙に冷たい響きの声がした。

 UO姫の声だった。


「六衣さん?」


 要領を得ない様子の六衣に、チェリーがにっこりと微笑みかける。


「再会を祝したいのは山々なんですが、先にお部屋へ案内してくれますか? 他の皆さんもいるので」


「あっ! そうだったわ! どうぞお上がりください!」


 がやがやと靴を脱いでストレージに仕舞い、スリッパにはきかえていく俺たち。

 その最中――

 チェリーが、ぽん、と六衣の肩に手を置いているのが見えた。


「――――――」


「――――っ!?」


 チェリーが六衣の耳元に口を近付けたかと思うと、びくーん! と六衣の背筋が伸びる。

 直立不動になった六衣を置いて、チェリーは俺のほうにやってきた。


「六衣になんか言ったの?」


「いえ、別に?」


「でも、あいつ、なんか涙目なんだけど……」


「べ・つ・に?」


 チェリーは笑顔を崩さない。

 な、なに?

 なんか怖いんだけど。


 俺がチェリーの笑顔に怯えている間に――

 フードを被った小柄な影が、硬直した六衣の背後に忍び寄っていた。


 ぽん、と肩に手を置き。

 やはり、耳元に口を寄せる。


「――――――」


「~~~~~~っっっ!?」


 瞬間、六衣がへなへなとその場にヘたり込んだ。

 そのまま何事もなかったように、UO姫は下駄箱へ向かう。


 ……あのう。

 なんかわかんないんですけど、怖いことするのやめてくれませんかね……。




◆◆◆―――――――◆◆◆―――――――◆◆◆




 当然ながら、今回はチェリーとの二人部屋ではない。

 男女に分かれて、それぞれ5~6人くらいで大部屋に泊まる形である。

 女子はチェリーとろねりあたち4人、それとUO姫の6人しかいないから、全員で1部屋。

 俺たち男は数が多いから、2部屋に分かれている。


 俺と同部屋になったのは、セツナと他3人の5名だった。


「おおう! 久しぶりじゃのう、こんな修学旅行みたいなのは!」


 部屋に入るなり、大柄な男戦士がだみ声で言った。

 セツナがきょとんとした顔でしれっと尋ねる。


「《ゼタニート》さん、修学旅行は行ってたんですか?」


「応とも! 学校には数えるほどしかいかなんだが、修学旅行には欠かさず参加してくれたわ! 同級生の『え? お前来るの?』みたいな顔は見物じゃったぞ!」


「すごい不登校もいたもんですね……」


 セツナの微妙な苦笑を見て、ゼタニートは「がはは!」と豪快に笑った。


 彼はその名の通り、泣く子も黙る廃人ニートである。

 とにかく日がな一日ログインしていて、MAO界の長老みたいな扱いを受けている。


 学校もまともに行っていなければ定職にも就いていないようだが、どうやって暮らしているのかは謎だ。

 親のスネをかじっているにしては羽振りがいいし、『宝くじでも当てたんじゃないか』とか『どこかの金持ちのボンボンなんじゃないか』といった説が、MAOプレイヤーの中でまことしやかに噂されている。


「……やれやれ。オレの仕事はこの人の手綱握りか」


 ニートがむやみやたらに騒いでいる横で、長身の男性が「はあ」と息をついた。


 すらりとした細身のウィザードだ。

 アバターなのにわざわざ眼鏡をかけていて、知的な印象をまとっている。


「すみません、《ストルキン》さん。僕一人じゃこの人を制御するのは無理かなって……」


「いえ、わかってますよ、セツナさん。オレの皮肉は口癖みたいなものです。どうぞお聞き流しください」


 ストルキンは見た目通り頭脳派の男で、最前線組が組織だって動くときは、作戦を立案したり陣頭指揮を取ったりすることが多い。

 それ以上によく請け負っている仕事が、最前線エリアの仮領主だ。

 このナインサウス・エリアの領主も、今はストルキンである。

 飽くまで仮なので、いずれ他の奴に譲ることになるが、その譲渡先もストルキンが決めることが多い。

 オープンベータからの古株だから、文句も出にくいのだ。


「おうおう! 相変わらず辛気くさいのう、ストルキン! 人生笑ったもんの勝ちじゃぞ! がはは!!」


「それは何より。まったくもって羨ましい限りですよ、ニート殿」


「誉めるな誉めるな! ぐわははは!」


 ストルキンは露骨に嫌そうな顔をした。

 ゼタニートのメンタルはオリハルコン級だからな……。

 皮肉というものが通じないのだ。

 ストルキンにとっては、この世で一番やりにくいタイプだろう。


「セツナさん」


 ゼタニートとストルキンのやり取りを苦笑して傍観していたセツナを、幼い声が呼んだ。


「この後って、もう自由行動でいいんですかね? それとも圏外まで団体行動ですか?」


「ああ、《ジャック》さん。もう自由行動で大丈夫ですよ。夜に1回集まって情報共有するつもりですけど、それも自由参加です。何か用でもあるんですか?」


「まあ、ちょっと……妹に土産をせがまれてまして。あと彼女にも」


 困ったように笑う彼は、どこか大人っぽい、落ち着いた雰囲気を持っていたが、実のところその姿は、わずか10歳程度の少年だった。

 ジャックという何の変哲もないHNと同様に、言動もまた常識人そのものなんだが、それがゆえに、容姿とのギャップが際立っている。


 なんつーか、こう……。

 前世の記憶を引き継いで人生やり直しました、みたいな……。

 そんな雰囲気がするのだ。


 まあ、アバターが10歳なだけで、本人は大学生らしいから、そう感じるのは当たり前なんだが。


「彼女さんですか。独り身としては肩身が狭いですね」


 セツナがおどけるように言うと、ジャックさんはくつくつと笑って俺を一瞥した。


「同じ部屋にもう一人いますからね、彼女持ちが」


「……えっ? お、俺?」


 聞き捨てならん。


「お……俺とチェリーは別に、付き合ってない……んですけど」


「ふふっ。チェリーさんのことだとは言ってないよ、ケージ君」


「あ゛っ」


 セツナに指摘されて口を開けると、セツナとジャックさんは声を揃えて笑う。

 引っかかった……。

 こんな初歩的なやつに……。


「まあ、尻に敷かれないよう注意しておくことですよ、今のうちに。本格的に付き合い始めてからじゃ遅いんで」


「実体験ですか?」


「ご想像にお任せします」


 ジャックさんは微笑んでセツナの質問をいなすと、「じゃ、俺はこれで」と一人で部屋を出ていった。


「うーん……」


「どうしたの、ケージ君」


「子供の見た目で誤魔化されてるけど……あの人、めっちゃモテそうじゃね?」


「わかる」


 深くうなずくセツナ。


「なんかさ、思い詰めた女の人に監禁とかされちゃいそうだよね」


「いや、それはねえわ……」


「えっ!?」


「どうやったら出てくんのそんな発想」


「だって、世の中には髪の毛とか送りつけてくる人もいるわけだしさ」


「普通いねえよそんな奴……」


「ええっ!?」


 イケメン人気配信者の恋愛遍歴に言い知れない不安を覚える俺だった。


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