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第50話 そのうち本当に書きます


 神造炭成獣フェンコールの討伐によって解放されたナイン山脈南側のエリアは、シンプルに《ナインサウス》と名付けられていた。

 エリアの核であるワープポータルがあるのは、フェンコールとの決戦の地である巨大な縦穴――その名も《フェンコール・ホール》。

 ポータルの外に出た俺は、ぐーっと視線を上げていった。


「どんなところにも作れるもんなんだな、街って……」


 縦穴の壁のそこかしこに、建物らしき扉や門が散見される。

 どうも壁をくり抜いてできたスペースに家を建てているらしい。

 家と家を繋ぐのは、キャットウォークみたいに狭い崖道だ。

 多くのプレイヤーが、時に道を譲り合いながら行き交っている。


「よくやりますよねー、こんなやりにくそうなところで」


 そう言うチェリーは真上を見上げていた。

 まっすぐ頭上を仰げば、縦穴の出口、丸く区切られた空が、さらに十字に区切られている。

 反対側の壁へ近道するための即席空中通路が、縦横に張り巡っているのだ。

 こちらは『キャットウォークみたいな』ではなく、マジモンのキャットウォークである。


「じゃあ、六衣温泉まで移動しまーす!」


「おーう!」

「うぇーい!」


 まるっきりツアーガイドのようになっているセツナについていく俺たち。

 溶岩の川に架かった橋を渡って、壁のほうへと移動していく。


 壁の各所にある横穴から、滾々と溢れ落ちる溶岩の滝。

 それが作り出した川が、地面をぐるりと囲っているのだ。

 俺たちがフェンコール攻略時に作ったものだが……。


「この溶岩、埋めるなりしなかったのか? 危ないだろ」


「景観としてあえて残したらしいですよ」


「クッパキャッスルみたいでカッコいいよねー!」


 俺の独り言に、ろねりあと双剣くらげが答えた。

 まあわからんでもない。

 マインクラフトみたいに、溶岩で泳いだりしようもんなら容赦なく手持ちアイテム全ロスト、って仕様だったらさすがに安全性を重視しただろうけど、MAOのデスペナはそこまでじゃないしな。


 一応、溶岩の川の周囲には柵が巡らせてあった。

 落下防止用だろう。

 ……なんか、ところどころにこれ見よがしに花束が置いてあるんだけど。

 ドジって落ちた奴をおちょくってるだろ、アレ。


 崖道を少し登ったところに、大きなトンネルが二つあった。

 それぞれの入口に立て看板がある。


【ナイン坑道→】


【←キルマ村方面直通】


 ナイン坑道はすでに攻略されたダンジョンだが、モンスターは相変わらず出るので、今は狩場として使われているのだ。

《マウンテンゴブリン》《マウンテンゴブリン・リーダー》、それに《フェンコール・ピース》なんかが出現するらしい。


 俺たちは【←キルマ村方面直通】の立て看板があるトンネルへ入った。

 トンネルの中には頻繁な間隔で篝火が焚かれていて、かなり明るい。


 道の真ん中には線路が2本敷設されていた。

 物資運搬用のトロッコだろう。

 俺たちもトロッコに乗れば一瞬でトンネルを抜けられるはずだが、人数が人数だ。

 順番待ちをしている時間で歩いたほうが早いし、あまり長い間線路を占拠したら、普段から使っている建築職プレイヤーの邪魔になってしまう。


 超スピードで通り過ぎていくトロッコを幾度となく見送りながら、歩き続けること数分。

 外に出た。


 申し訳程度に整備された固い地面の道がトンネルから伸び、少し先で左右に分かれている。


【←六衣温泉 】

【 キルマ村→】


 分かれ道の真ん中には、そんな立て看板があった。

 当然、俺たちが進むのは左の道だ。

 峠道を、ぺちゃくちゃ喋りながら登っていく。


「温泉って、話には聞いていましたが、来るのは初めてです。チェリーさんたちは来られたことがあるんですよね?」


「ええ、まあ。というか、あの温泉旅館を解放したの、私たちですし」


「ひひひ! ケージ君と二人で来たんだよね~? ひひひひ!」


「ふふん」


 下世話に笑う双剣くらげに、なぜかチェリーは得意げに鼻を鳴らした。


「残念でしたね。そのときは二人じゃなかったんですよ。ね、先輩?」


「あー、そうだったな。……お前なんで得意げなの?」


 あの温泉クエストをやったときは、俺とチェリーの他に二人、連れ合いがいた。

 白衣の作家ブランクと、その弟子兼助手兼護衛の少女騎士ウェルダだ。

 連れ合いと言っても、クエストは結局俺たち二人でほとんどやっちまったから、あの二人は特に何にもしてないんだが。


 あいつらとはクエストクリア後に別れて以来、大した連絡も取っていない。

《恋狐亭》に長逗留するって言ってたけど、まだいるのかな?


「ほんと変な人だったんですよ。欠片小説を書いてるらしくて――」


「えっ? 欠片作家さんだったんですか!?」


 不意に大声を出したのは、ろねりあでも双剣くらげでもなかった。

 彼女らの仲間の一人――ショートボブの髪型と小柄な体格、それとツバの広い魔女帽子が特徴的な女の子だ。

 名前は確か……《ショーコ》だっけ?


 ショーコは自分に視線が集まったのに気付くと、


「あっ……あぅぅ……す、すみません……突然、大きな声……」


 魔女帽子のツバを引っ張って、顔を隠してしまった。

 普段もあまり喋らないし、大人しい子なんだろう。


「いえ、大丈夫ですよ。欠片小説、好きなんですか?」


 チェリーが安心させるように微笑んで言う。

 その優しい顔、なんで俺にはできないわけ?


「え、ええと……はい……」


 魔女帽子の下で目を泳がせながら、ショーコはこくりと頷いた。


 欠片小説っていうのは、非公式のMAO二次創作小説のことで、正式名称は《マギックエイジ・オンライン・フラグメント》と言う。

 基本的には、実際にMAO内で起こったことをモデルに書く半リプレイ小説だ。

 そうした二次創作を運営のNANOは公式に許可していて、特に人気のものは書籍化されることもある。


「ショーコはねー、文学少女なんだよーっ!」


「きゃっ!?」


 ショーコの小さな肩を、双剣くらげが唐突に抱き締めた。


「休み時間とか、いっつも本読んでるんだよー。現代文の成績も超いいしー!」


「そ、そんな……私は、別に……ただのオタク、だから……」


「あとおっぱいが意外とでかい! リアルUO姫!」


 えっ?

 俺の視線が反射的にショーコの胸部に向く。

 だぼだぼのローブを着てるからよくわからん。


「……先輩?」


「いだいいだいいだい!」


 低い声がして、耳を思いっきり引っ張られた。

 痛くないけど痛い!


「~~~~~~~~~っ!!!」


 ショーコは耳まで真っ赤にして俯いている。

 そうされるとすごく悪いことをしたような気がしてきた。

 ただの反射なんです!

 ごめんなさい!


「あ、ちなみに」


 ショーコに抱きついたままの双剣くらげが言う。


「アバターはあえて貧乳にしてるから、おっきいのはリアルのほうね!」


「そこまで言わなくていいよおっ!!」


 ついにショーコが抗議して、双剣くらげを振り払った。

 双剣くらげは「にはははは!」と反省のはの字も見せないが、ショーコは「う~っ」と唸りながら顔を覆ってしまった。


「なんか、ほんと……ごめんなさい」


「うひひひ! へーきへーき! ショーコって実は結構ムッツ――」


「はいストップ。そこまでです、くらげさん」


「もごががが!!」


 際限なく暴走する双剣くらげを、ついにろねりあが止めた。

 後ろから羽交い締めにしつつ口を塞いでいる。


「お耳汚し失礼しました。この子はわたしのほうで管理しておきますので、引き続きご歓談をお楽しみください」


「もごががが! もがーもがー!!」


 口を塞がれてもなお何事か訴えている。

 喋っていないと死んでしまうタイプの生き物なのかもしれない。


「えーと……何の話でしたっけ?」


「……なんだっけ?」


 俺も忘れたわ。


「欠片小説の話だよ」


 と、優しい調子で言ったのは、ポニーテールの女戦士だ。

 ろねりあの仲間の一人――名前は《ポニータ》だったか。

 姫騎士めいた鎧を着て、腰に剣を、背中に盾を携えている。


「ショーコが欠片小説を好きなのかって話。ね、ショーコ?」


「あ……う、うん……」


 耳触りのいい落ち着いた声で言われて、ショーコもようやく顔をあげた。

 彼女に微笑みかけるポニータは、頼りがいのある親戚のお姉さんといった風情だった。

 スポーティな印象だし、運動部か何かで後輩の面倒を見ていたことがあるのかもしれない。


「ああ、そうでしたそうでした。欠片小説。結構読むんですか?」


「まあ……その……少し、だけ……」


「じゃあ知ってるかもですね、あの人のこと。ブランクって名乗ってたんですけど……」


「……ブランク……」


 その名前を口の中で転がして、ショーコは顎に指を当てた。


「そういう作家さんは、聞いたことない、です……。欠片作家さんは、ペンネームとキャラネーム、違うことが多いらしい、ので……」


「へえ。そうなんですか?」


「文章とか……どんな話を書いてるのか、とか……そういうのを聞けばわかる……かも」


「あー。書いてる小説は見たことないんですよね」


「いや、でもあれだ、あれは何回か見たぞ。ノート」


「ああ。あのネタ帳ですか」


「……ネタ帳……?」


「おう。あいつ、大事なネタ帳をゴブリンにパクられてて、それをたまたま俺たちが取り返したんだ」


 それがあの変な作家との出会いだった。


「あのとき、中身がチラッと見えたんだよな。なんて書いてあったんだっけ……」


「えーと、確か……『デバッグル――」


「――《デバッグルームに辿り着いたNPC》ですか!?」


 唐突にショーコが身を乗り出して叫んだ。

 チェリーが驚いて仰け反りながら、


「は、はい。確かにノートのメモにそんな風な言葉が……」


「すっ、すごい! すごいですっ! あの作品の作者さんだったんですか!?」


「そうかもしれない、ってだけですけど……すごいんですか、あの人?」


「もう何作も書籍化されてる方ですっ! 欠片小説の読者で知らない人もいません!! 《デバッグルームに辿り着いたNPC》は、何でもない村人だった主人公が、偶然バグでデバッグルームに迷い込んで、レベル上限を大幅に超えた最強の力を手にする話なんです! でも同時に、自分の生きる世界がゲームであり、自分自身もNPCに過ぎなかったことを知ってしまう。それでもなお故郷と幼なじみを守るために、彼はまさに神と運命に反逆する戦いを――――」


 ハッ、とショーコは固まった。

 口を押さえて、カーッと顔を赤くしていく。


「……す……すみません……」


 さっきまでの立て板に水な口振りとは正反対な、か細い声だった。

 好きなことになると見境がなくなるタイプかあ。

 オタクだなあ。

 わかるわかる。


「わたし……その……熱くなっちゃって……ううぅ……」


 どんどん小さくなっていくショーコ。

 放っておいたらそのまま消えてしまいそうだった。


「うーん……意外とすごい人だったんですね、ブランクさん」


 特に引いた風もなく、チェリーは感慨深げに呟いた。

 俺はうなずく。


「見た感じ話した感じは、ただのモテない女だったんだけどな」


「えっ? ……女の人、だったんですか……?」


 小さくなっていたショーコが、意外そうな顔をした。

 俺たちは首を傾げる。


「そうだけど。さすがにあのアバターで男ってことはないだろ」


「肉体性別と同じアバターしか作れないはずですしね」


「えっ……そうだったんだ……女の人だったんだ……」


「男性だと思ってたんですか?」


「は、はい……。だって、その……ペンネームが、男の人の名前だから……」


 へー。

 どんな名前なんだろう。


 訊いてみようとしたが、ちょうどそのとき、視界の彼方に変化があった。


「……ま、直接訊けばいいか」


 あそこにまだブランクがいればの話だが。


『六衣温泉』と大書されたアーチの向こうに、幽玄な佇まいの温泉街が広がっていた。


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