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第46話 ワールド・イズ・ゼアーズ


 広場に設けられたステージには、すでに大勢の人間が詰めかけていた。


「うわっ、ステージ全然見えないんですけど」


「抱っこしてやろうか?」


「にやにやしながら言わないでください! いらないですっ!」


 チェリーは辺りを見渡した。


「あっ。屋根の上から見てる人もいるじゃないですか。あそこ連れてってくださいよ」


「結局抱っこするんじゃん」


「おんぶでいいでしょー!?」


 広場の周囲にある建物の上に《縮地》を使って上る。

 三角屋根の頂点に、チェリーと並んで腰掛けた。

 リアルじゃこんなとこ危なくて仕方がないが、VRならそんなことはない。


「おー、見える見える」


「ちょっと遠めですけど、あの人垣の後ろにいるよりはずっといいですね」


「見ろ、人がゴミのようだ!」


「絶対言うと思いました」


 呆れ気味に言われた。

 文句は長年に渡りこの台詞を国民に刷り込み続けている金曜ロードショーに言え。


「でも実際、こうして大量の人の頭を見下ろしていると、何とも言えない優越感がありますよね」


「ええ……」


「あっ!? いま引きましたね!? 引いたでしょう、今!」


「引いてない引いてない」


「嘘ですっ! ――あっ?」


 俺を叩こうと身を乗り出した瞬間、チェリーがバランスを崩した。


「おっと」


 三角屋根を転がり落ちる前に、俺が腰に腕を回して支える。


「気ぃ付けろよ。落ちても死にゃあしねえけど、VRでの落下事故でひどい高所恐怖症になった奴とかいるらしいからな」 


「は、はい……。ありがとうございます」


 チェリーがしっかり座り直したところで、俺は腕を離そうとした。

 が。

 それを留めるように、チェリーの手が俺の服の袖をきゅっと掴む。


「え、えっと……」


 チェリーの目はこっちを見なかった。


「ま、また落ちそうになるかもしれませんし……ちゃんと、()()()()()()()ください」


 ――だったら、俺が永遠に捕まえておくだけだ。


 衝動のままに言い放った恥ずかしい言葉が脳裏をよぎる。

 ……ああ言った手前、拒絶はできない……よな。


「わ、わかった」


 背中側から腕を回して、恐る恐る、チェリーの腰を抱き寄せる。

 俺が込めた力はほんのちょっとだったが、それに合わせるように、チェリーもわずかにだけ身を寄せてきた。


 ああ、まずい。

 心臓が痛い。

 脳味噌さえも鼓動しているかのようで、何も考えられない。


 MAOも真冬のはずなのに、今はなぜだか暑かった。

 チェリーの腰に回した手がにわかに汗ばんできた……ような気がする。

 アバターって汗かくんだっけ?

 わかんねえ。

 知ってるはずだけど、その情報が即座に出てこない。


 ああ、くそ。

 現実なのか錯覚なのか知らんが、手汗拭いたい。

 でも今は、チェリーの腰から手を離す気にはなれなかった。

 もっと抱き寄せたいという欲望と、このままでいるべきだという願望とがせめぎ合って、腰に回した手が石化したようになっている。


 この均衡はたぶん、チェリーが何か一言でも発したら崩れたに違いない。

 でもチェリーは、何も言わなかった。


 冬空の下。

 屋根の上。

 互いに身を寄せ合って、無言のまま。


 広場のステージが、目映いライトに照らされた。




◆◆◆―――――――◆◆◆―――――――◆◆◆




Welcome(ウェルカム) to(トゥ) Magick(マギック) World(ワールド)ッ!!』


 どこからともなくそんな声が響き渡った。

 直後、ぷしゅーっと立ちこめたスモークが、ステージ全体を覆い隠す。

 赤や緑、様々に彩られたその煙に、真っ黒な人影が映っていた。


 長く伸ばされた髪と、頭の片側にだけちょこんと飛び出たサイドテール。

 すらりとした輪郭は、海外のモデルを思わせた。


 観客たちがわっと歓声をあげる。

 と同時に、闇に沈んでいた広場が、光の海に変わった。

 色とりどりのサイリウムが灯るのを待っていたかのように、音楽が始まる。


 夜の教都エムル。

 剣と魔法のファンタジー世界に響き渡るギターの音色。

 駆け抜けるようなリズムが、心を下から押し上げてくる。


 跳ねろ、跳ねろ。

 浮き足立て。

 今はそれが許される時だ――と。


 スモークが晴れた。

 ギターにドラムとキーボードの音色が加わった。

 ステージの真ん中に少女が立っていた。


『♪――冒険を始めよう!――♪』


 そして、歓声が弾ける。

 歌が溢れ出す。

 勇壮ながらも無邪気。

 まだ見ぬすべてに憧れを宿した、冒険心を奏でる歌が。


 激しく揺れる長い銀髪。

 ヘソを露わにしたパンキッシュな格好。

 剣の一本も持っていない彼女が、俺には勇猛な冒険者に見えた。


 音宮マオ。

 MAO(おれたち)そのものを体現した少女は、マイクだけを手に、迷宮を巡りドラゴンを倒す。

 歌声だけを武器に、冒険という道を駆け抜けていく。


 難敵に遭遇し、難問に阻まれても、決して笑顔が曇ることはない。


 むしろ待っていた。

 もっと来い。

 もっと来い!

 もっともっと、まだ見ぬ何かを!


 歌詞には一文字だって含まれていない言葉が、聞こえてくるかのよう。


 幾多の苦難を踏みつけていく彼女に引き連れられるように、サイリウムが一定のリズムで揺れる。

 声と熱気とで、空間の密度が何倍にもなったかのようだった。


 やがて、冒険は終わる。

 少しの名残惜しさを残して、アウトロが静寂に溶ける。


 刹那、寂寥感にも似た空気が漂い――

 直後。

 少女の明るい声がそれをぶち破った。


『ハッピー・バレンタイィ――――――ンっ!!!』


 マイク越しに弾けた声に、大歓声が応えた。


『いやー、ね! バレンタインだよ、皆さん! みんなはチョコ、いくつもらえたー?』


「ぜろー!!」

「ぜろぉー!!」


『あははは! 男性諸氏から怒りの声が挙がってるね! ま、もらうような人は今頃デートに忙しくて、あたしのライブになんか来ないかな?』


「そんなことないよー!!」

「彼女よりマオ!」


『おー、ありがとー! でも彼女さんは大事にしたほうがいいと思うよ?』


 笑い声がさざめいた。


『あたしもさ、街ゆくカップルを眺めては「いいなー、羨ましいなー」って寂しく思ってたんだけどね、みんなの顔見たら吹っ飛んじゃった!

 みんなー! 今日はあたしとデートだからねー! 歌っていうチョコをあげちゃうよーっ!!』


 また歓声が沸き起こって、サイリウムの海が揺れる。

 治まらない歓声に手を振って応えてから、音宮マオはマイクを口に近付けた。


『それじゃあ2曲目―――んっ?』


 しかし、彼女の視線は唐突に横へ向いた。

 観客などいない、見当違いの方角。

 俺たちも釣られて、同じ方角を見る。


 光に彩られた夜の街。

 その真ん中を――


 ――ズンッ――

 ――ズンッ――


 ――かすかな震動と共に、巨人の影が歩いていた。

 でけえ。

 俺たちが座っている建物の倍以上はある。

 天を衝くような身長のそれが、ゆっくりとこちらに近付いていた。


『わあっ! たいへん!』


 ステージ上の音宮マオが、ちょっと楽しそうに言った。


『このままじゃライブ会場がめちゃくちゃになっちゃう! みんな、お願い! あの怪物をやっつけて! あたしも歌で応援するから!』


 誰も戸惑いはしなかった。

 大歓声が轟き、サイリウムが剣や槍に入れ替わる。

 巨人の足音が刻一刻と近付く中で、バックバンドの演奏が始まった。


「あはは! やっぱり今回もやるんですね、これ」


「誰なんだろうな。最初に『ライブの演出でレイドボス出そうぜ!』とか言い始めた奴」


 雪崩を打って動き出した観客たちを見下ろしながら、俺は笑った。

 恒例のことでみんな慣れてやがる。


 正直、倒したところで報酬は知れている。

 あのボスが特別強いわけでもない。

 でも、アイドルの生歌を背に聞きながらデカいボスと戦うのは、アニメの挿入歌がかかるシーンみたいでとにかく気分がいいのだった。


「――あっれぇ~? こんな暗いところに男の人とイチャついてるビッチさんがいるよぉ~?」


 傍観者モードに入りかけていた俺の耳に、聞き覚えのある甘ったるい声が侵入してきた。

 ズン! と、俺たちが座っている屋根が震動する。


 どこからか飛び移ってきたのは、赤い鎧を着た大男だった。

 そして彼が担ぐ御輿の上では、装いをピンクのロリータに変えたUO姫が、俺たちを見下ろしていた。


 チェリーが弾かれたように立ち上がる。


「あ、あなた……! さっき別れたばかりなのに性懲りもなく!」


「知らないも~ん。ミミが通る場所にたまたまチェリーちゃんがいただけだも~ん」


 絶対ウソじゃん。

 俺が思うに、さっきちょっといい感じの雰囲気で別れたときにはすでに、もう一度会いに来る気満々だったに違いない。

 とにかくチェリーの嫌がることをやりたがる。

 UO姫とはそういう女である。


「そろそろミミたちもクロニクル・クエストの攻略に戻ろうかと思ってぇ、この機会に集団戦の勘を取り戻そうかなって。練習感覚で挑めるレイドボスなんてそういないもんね~」


 屋根から下を覗き込むと、《聖ミミ騎士団》の騎士たちが整然と行軍していた。


「チェリーちゃんも来る? なんなら勝負しよっか? あのボスのラストアタックを取れるかどうか」


「な、なんでそんなこと……!」


「来ないなら別にいーよ? ミミが代わりに言っといてあげるから。『チェリーちゃんは男の人と乳繰り合うのに忙しいから来ませ~ん』って!」


「はあ!? ちょっ――」


「それじゃあね~!!」


 UO姫を担いだ赤い鎧の大男・火紹が、巨体に見合わない跳躍力で、屋根の上を次々に飛び移っていく。

 その大きな背中はあっという間に夜闇に霞み、巨人のほうへと消えていった。


「あいつ、RTAの負け分を取り返す気満々だな……。どうする?」


 チェリーは唸りながらUO姫の消えた方角を睨み、


「……行きますよ。行けばいいんでしょう!?」


 右手に《聖杖エンマ》を実体化させる。

 俺もかすかに笑って、背中から《魔剣フレードリク+9》を抜き放った。


 UO姫たちのように屋根の上を乗り継いで、街中を進む巨人に向かっていく。


 見下ろせば人の波。

 見回せば幾多の影。

 うねるようにして巨人へ集まっていくお祭り騒ぎに、アイドルの歌が乗った。


『行っくよ、みんなぁーっ!!

 今日の2曲目――《ネームレス・リンク》!!』




◆◆◆―――――――◆◆◆―――――――◆◆◆




 ――そうして音宮マオのライブが終わった頃には、ろねりあたちとリアルでパーティをする時間になっていた。


「いやー、盛り上がりましたねー」


「もう途中から、ライブだけじゃなくて街全体の騒ぎになってたじゃん」


「それに、また精霊のバレンタインが出てくるとは思いませんでしたよね」


「あの魔法少女やっぱりポンコツじゃねえか? また気絶させられてたんだが」


 ログアウト前にアイテムを整理しながら、ほんの束の間、感想を語り合う。

 ピークは明らかにさっきの巨人戦だったが、バレンタインイベントはまだ終わっていない。

 夜の空は、精霊バレンタインが残した光に彩られていた。


「……あ」


「どうした?」


 チェリーがウインドウを操作する手を不意に止めた。

 そしてなぜか、そわそわと目を泳がせ始める。


「えーっと……そのー……今のうちに渡しておきたいものがある、んです、け、ど……」


「あん? なに?」


 それからさらに10秒ほど逡巡して、チェリーはウインドウをタップした。

 その手にハート型の箱が現れる。


「それ……」


 RTA対決を経てUO姫から取り返したチョコだった。

 チェリーはそれを、俺の顔を見ないまま、突きつけるように差し出してくる。


「え? 俺に?」


 思わず訊くと、チェリーは無言で頷いた。


「でも、お前、確か、これ、NPCにあげる用だって……」


「じょ、冗談だったんですよっ! それを言おうとしたところであの女に盗られたんですっ!」


「ああ……」


 なんか、腑に落ちた。

 もしこいつが俺用のチョコレートを用意していた場合、渡す前に『まったく用意してません残念でした』って嘘こきそうな気がビシバシする。


「じゃあ、まあ、ありがたく」


「……なんか、チョコ受け取るの慣れてません?」


「妹がいるからな」


「義理チョコじゃないですか」


「……? これもそうだろ?」


 首を傾げると、チェリーはハッとして目を逸らした。


「そ、そうでした。義理チョコです。それは」


「でも……」


 俺は手の中のチョコを見ながら、今までの人生を思い返す。


「……母親と妹以外にチョコもらったの、人生で初めてかもな」


 くすっ、とチェリーが笑みを漏らした。


「そうだと思いました」


「オイコラどういう意味だ」


「私のが人生で初めての非家族チョコですよ。ありがたく思ってくださいね?」


「……おう」


 実際、こいつに会うまでは考えもしなかった。

 俺が、義理とはいえバレンタインチョコをもらうなんて――


 ……義理?


 いや、義理だよな。

 疑いもしなかったけど。

 本人もそう言ってるし。

 ……でも……。


 UO姫との対決が決まったときを思い出す。

 あいつはこのチョコを、メッセージを刻みつけられる機能を持った特別なものだと言っていた。

 作るのに苦労する割には大しておいしいわけでもない、と。


 それに――

 ――『コレ』を作るのにはその場の勢いってものが必要で、二度と同じものは作れない……なんてことも……。


 普通のチョコにはないメッセージ機能。

 その場の勢いが必要っていうのは、たぶんその内容のことか。


 ……ってことは……。

 このチョコには、冷静な状態では書けないようなメッセージが刻まれているってことで……。


 まさか、と思った。

 ないない有り得ない、と否定しても、またすぐに、まさか、と思う。


 このチョコ――

 もしかして――


 ――義理じゃ、ない?


「……な、なあ」


 声がちょっと震えている。

 急に緊張してきた。


「これ……今、開けてもいいか?」


「えっ」


 チェリーは少しだけ驚いた顔をして、


「……いい、ですけど」


 さっと目を逸らしながら、頬をほんのり赤く染める。


 えっ。

 これマジ?

 マジなのでは?


 にわかに緊張しまくって、頭の中がこんがらがってきた。


 えっ、どうする?

 どうするって?

 マジだったら、答えは――

 いや、決まってるし。

 選択肢は一つしかない。

 でもさ。

 でもも何もない。

 っていうか、今?

 今なの?

 そりゃバレンタインだし。

 あ、そっか。


 今日って、バレンタインデーか。


 俺は――

 からからに乾いた喉を、自分の唾で潤した。

 それから、ゆっくりと、ハート型の箱の表面をタップする。


 小さなウインドウが現れた。

【箱を開きますか? Yes/No】

 俺は、Yesをタップする。


 しゅるしゅると独りでにリボンがほどけた。

 ラッピングがカサカサと音を立てて剥がれていって、後には白い箱だけが残る。

 俺の心の準備を待つことなく、その蓋がパカっと開かれた。


 茶色いハート型のチョコ。

 バレンタインチョコとしては何の変哲もないそれの真ん中に。

 ホワイトチョコで――




【いつもありがとうございます byチェリー】




「…………ん?」


 それだけだった。

 ホワイトチョコで記されていたメッセージは、そんな感謝の言葉だけだった。


 チェリーが顔を真っ赤にして言う。


「い、一応、ここではお世話になってますから……。一応! 礼儀として! 私にも感謝の気持ちがあるって……伝えといたほうがいいのか、なーって……」


「……………………」


 うん。

 義理・オブ・義理だね。


「…………お前さあ」


「は、はい?」


「ここまでしないと素直にお礼も言えないわけ?」


「なっ……!? が、頑張ったんですよ!? それ作るの!」


「うん、それはわかる。すげえわかる。だからこそっていうか……」


 当たり前のこと言うのに勇気を要しすぎだろ。


「……不満ですか……?」


 チェリーがぽつりと言った。

 俯き気味になって、揺れる瞳でこっちを見る。


 あ、マズい。

 こいつ、ガチでヘコんでる。


「いや、別に不満じゃないって! ただ俺が勝手に期待しただけで――」


「期待?」


「じゃなくてだな!! あーもう、なんつーかそのー……」


 わけがわからなくなりながら、俺はチェリーから顔を背けた。


「…………俺も……感謝、してるから…………」


 ようやく言葉を絞り出す。

 ……ああ、本当だ。

 これ、思ったより勇気いる。


「……ふふ」


 ちらっと目を戻すと、チェリーは合わせた両手で口を隠し、かすかにはにかんでいた。


「先輩」


「……なに?」


「せーんーぱいっ」


「だからなに?」


「食べてみてください。チョコ。ログアウトする前に」


「……おう」


 ぶっきらぼうに言って、俺はハート型のチョコを手に取った。

 端っこのほうをかじる。


「…………あまい」


「当たり前ですよ」


「うまい」


「システムが作った味ですからね」


「どうせえと!」


「あははっ」


 明るい声で笑って。

 たんったん、と。

 チェリーはステップを踏むように、俺に近づいた。


「三倍返しですからね?」


 上目遣いで下から顔を覗き込んでくるあざとい姿勢で、チェリーは言う。

 俺はその顔をぐいっと手で押した。


「あうっ」


「二倍にまけろ」


「ケチですっ」


「三倍要求するほうがケチだろ!」


「でも、なんだかんだで倍返しにはしてくれるんですね?」


「……まあ、それは」


 もらった分に俺の分を乗せて返すんだから、二倍が妥当だろ。


「『まあ、それは』――なんですか?」


「がぶがぶがぶ!」


「あっ! もっと味わって食べてくださいよ! 苦労したんですから!」


 もらったチョコを早食いすることで誤魔化した。


 ……あー。

 甘い。



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