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第44話 『先輩』


 青々しい草に覆われた丘に、俺たちは立っていた。

 ここは……。

 北の丘?

 ベンジャミンを探して、俺たちが初めに訪れた場所……。


「な……なんだったんでしょうね、あのセリフは? 大方、男女のパーティだったら自動的に言うようにでもなってるんでしょうけど? だとしたら、NANOもずいぶんな恋愛脳っていうか? まあボット台詞にいちいち浮き足立つような子供ではありませんけど! ね、先輩!?」


「お、おう……。お前なんで怒ってんの」


「べ、別に怒っては―――あっ」


 チェリーの視線が、横に逸らされたまま停止した。

 そっちには、大きな樹がある。

 剣による傷があり、誰かが襲われたことを物語っていた大樹。

 ベンジャミンとアンネが、親に黙って逢引きしていた場所だ。


 その傍に――

 二人分の人影があった。


 見覚えのあるシルエットだった。

 一人は聖伐軍の拠点・ピース神殿から。

 一人は街中駆けずり回って見つけ出した秘密拠点の一つから。

 それぞれ俺たちが助け出した男女だった。


 シルエットは手を取り合って寄り添い――


「おっ」

「あっ」


 ――唇と唇を触れ合わせる。


 その直後に、それは起こった。


 二人が寄り添う大樹の遥か上空。

 星々輝く夜空の中を、一人の魔法少女が、天の川のような光を散らしながら飛んだ。

 光は雪のように降ってきて、大樹の頂点に触れると―――


「……あっ……」


 隣のチェリーが、かすかに感嘆の息を漏らした。

 俺もまた、静かに息を呑む。

 目の中を貫いて、頭の奥に突き刺さったその光景は――

 UO姫との勝負を吹き飛ばすほどに、鮮烈だった。


 大樹が、光を着飾ったのだ。

 夜の闇にあって、むしろ眩く。

 寄り添い合う二人を、祝福するかのように―――


 空を舞う少女は――精霊バレンタインは、天の川のような軌跡をなおも引きながら、街のほうへと飛んだ。

 宝石のように煌めく教都エムルの空が、精霊が散りばめる光に彩られていく。

 それに応えるようにして、エムルが放つ光もまた、より一層に輝いた。


 精霊が光を与え、人もまた光を返す。

 年に一度、毎年欠かさず行われるというその儀式は、これまで連綿と続いてきた人の営みの歴史を、否応なく思わせた。

 プログラムで作られた仮想世界とわかっていても、なお。


「あっ! 先輩!」


 チェリーが大樹のほうを指差した。

 光り輝く大樹から、一つ、光の球が出てきて、俺たちのほうにゆっくり飛んでくる。

 近付くにつれ、詳しく見て取れるようになったそれは、果実だった。

 黄金色に輝く、ハート型の果実だ。

 形はアホみたいだが、ハロー効果ってやつか、ああも光っていると神々しく見える。


 ゆっくりと降ってきたそれを、チェリーがそっと受け止めた。

 自動的に説明書きのウインドウがポップアップする。


【バレンタイン・フルーツ】

【年に一度、2月14日にだけ、エムル北にある大樹に実る果実。食べるとHP・MPが全回復し、以後30秒間、一切減らなくなる。

 エムルでは、この果実を婚約者への贈り物とする風習がある】


「HPとMPが全快して、30秒間無敵化……ふーん」


 まあ、限定イベントの報酬アイテムなら、こんなもんか?

 あんまり便利すぎるアイテムを配るのもアレだしな。

 形に残らない消費アイテムなのも、万が一価値が高騰してRMTを助長したりでもしたら面倒臭いっていう配慮だろう。

 この効果なら、誰がもらったって使い道がないってことはないし。


 そんな現実的な考えを巡らせていると、目の前にメッセージウインドウが現れた。

 それにはこんな風に書かれている。


【イベントクエスト:バレンタインの知られざる英雄】

【おめでとうございます! あなたは人知れず街を救いました! しかし、バレンタインデーはまだまだ終わりません。年に一度の愛と幸せの日を、存分に楽しんでください!】


 さらに下に報酬の経験値が続いていて、それはなかなかの量だった。

 100レベル以降、冗談のように跳ね上がった必要経験値量に苦しめられている俺としては、まさに天の恵みだ。

 ありがとう……たまには優しいこともできるんだな運営……。


「終わり……です、よね?」


 目の前に現れたメッセージウインドウを見ながら、チェリーは呟いた。

 俺はその肩に手を置いて、


「ああ、終わりだよ。クエストクリアだ」


「あの女は!?」


 ちょうどその瞬間だった。

 すぐ傍に閃光が渦巻いて、中から一人の少女が姿を現した。


 各部にリボンをあしらった、チョコレート色のロリータドレスをまとった少女。

 UO姫。


 彼女は右手に小さな弓を持ち、肩を上下させていた。

 可憐さの欠片もなく、計算の片鱗もなく、ただただ荒く、息をしていた。


 彼女の両目が、俺たちを見る。

 それで、察した。

 UO姫も、チェリーも。


「…………よっっっっっ――――」


 チェリーが上げかけた快哉は、結局、言葉にならない。

 ただ全力で、ガッツポーズをした。

 声もないそれが、俺にはむしろ、チェリーの喜びを表しているように見えた。


 対して、UO姫は―――


「…………はああああああ~~~~~~~っ」


 深々と溜め息をついて、その場にしゃがみ込む。

 俯いて、地面を見て。

 ややあってから、大樹を見上げる。


 彼女の視界でも、エンディングイベントが始まったんだろう。

 ついさっき俺たちが見た光景が、UO姫の視覚でも上映されているんだ。

 大樹の下で男女が寄り添い、唇を交わして――


 UO姫は、小さな口をへの字に曲げた。


「…………何よ、見せつけて」


 不貞腐れたような、その声は。

 いつもみたいに甘ったるくも、舌足らずでもなかった。


 輝く大樹から《バレンタイン・フルーツ》が分離する。

 それは俺の視覚にも見えた。

 UO姫は立ち上がって、黄金に輝くハート形の果実を受け止める。

 説明書きを読み、クエストクリアの表示を見た。

 そして。


 ――がぶっ。


「「あっ!?」」


 俺たちは思わず声を出す。

 UO姫が唐突に、バレンタイン・フルーツにかじりついたのだ。

 そのまま恥じらいも何もなくがじがじと食べ尽くして、最後に残ったヘタをぽいっと地面に捨てた。

 口元にくっついた欠片を指で掬い、ぺろっと舌で舐める。


「あー、ちょうどよかった! ちょっとお腹空いてたんだよね~♪」


 いつも通りの笑顔、いつも通りの声で、UO姫はあっけらかんと言ってみせた。

 俺は呆然とするしかない。

 ひとつっきりのレアアイテムだぞ?

 そこまで重要なものではないとはいえ、こんな風に、無駄に……。


「なっ、何やってるんですか!? そんな貴重品を!」


「知らないよぉ~。このくらいのアイテムなら、お城の倉庫にいっぱいあるも~ん」


 小憎たらしいその態度を見て、俺には察するものがあった。


「もしかして、お前……悔しいの?」


「……………………」


 UO姫は笑顔のまま、俺の顔を一瞥した。


「……べっつにぃ? こんなのただのお遊びだもん。ちょっとチェリーちゃんにちょっかいかけたかっただ・け♪ 本気で勝とうとなんて思ってないし~」


「そんな、今更……!!」


 いきり立って踏み出したチェリーの肩を、俺は掴んだ。


「やめとけ」


「先輩……! なんで止めるんですか! こいつは侮辱したんですよ!? 今日、私たちがやったことを!」


「わかってるよ。……でも、許してやれよ、それくらい」


「何をですか!」


()()()()()()()()()()()()()()()()()()


 ぽかんとしたチェリーの顔の向こう側で、UO姫が淡く微笑んだ。

 憐れむような。

 慈しむような。

 言葉にならない色んな感情が滲んだ、微笑みだった。


「ケージ君。やっぱりキミは、()と同じほうの人間だね」


「……そうかもな」


「そいつにはわからないよ、私たちのことは。それしかない人間の『それ』を踏み躙るとどんなに傷付くか、そいつは理解できない。

 だって、何でもできるんだもん。頭が良くて、運動ができて、容姿が可愛くて、ゲームもうまい。何もかも揃ってるでしょう?

 わかるよね?

 ()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 その女には――私たちみたいに、たった一つしか取り柄がない人間のことが、理解できない」


「そうとは限らないぞ」


「そうかな? ケージ君とだって、今は仲良くしてるけど、きっと代わりはいくらでもいるよ。もしこれから先、キミと離れ離れになることがあったとしたって、その女にはいくらでも後釜が湧いてくる。そういう星の元に生まれてるんだから。たとえキミにとってはかけがえのない存在だったとしても、そいつにとっては―――」


「だとしたら、俺が永遠に捕まえておくだけだ」


 衝動のままに、俺は告げた。

 UO姫は目を丸くする。

 それから、ぷっと噴き出した。


「あはは、ははははははは―――――!!」


 打算も計算もない、純粋な笑い声が、輝く夜空に響き渡る。

 な……何がそんなにおかしかったの?

 俺が戸惑っていると、UO姫は目尻に涙を浮かべながら、俺の隣を指差した。


「見てみなよ、ケージ君! なかなか見物だよ!」


「は?」


 UO姫の指の先には、チェリーがいた。

 顔をサクランボみたいに真っ赤にしたチェリーが。


「え……えい……えいえん……えいえんに……」


 譫言のように、さっき俺が言ったことを呟いている。

 あ……あれ?

 えーっと……。

 もしかして、俺……めっちゃ恥ずかしいこと言わなかった?


「あははははは!! ケージ君って、たまーにすごいカッコつけだよね~! 傍から見ると正直サムいけど、本人的にはキュンと来ちゃうわけかー! あはは! 吐き気がするねっ♪」


 明るい笑顔で辛辣なことを言って、UO姫は空を見上げた。

 夜空に、バレンタインの光が散りばめられている。


「はあ~」


 UO姫は、もう一度溜め息をついた。

 愛と幸せの精霊が残した光を、大きな瞳に映しながら。


「ほんと……付き合ってもいないくせに、へんなの」


 その声には、言葉ほどに疑問は籠もっていない。

 むしろそれは、俺の勘違いじゃなければ――

 羨んでいる。

 ……ような。


「ね、ケージ君」


 視線を戻したUO姫が、何でもないことのように告げる。


「ミミの彼氏になって?」


「なっ!?」


 俺よりもチェリーのほうが、反応するのが早かった。


「何を言い出すんですか、いきなり! ダメです! 絶対ダメ!」


「え~? なんでチェリーちゃんの許可がいるの~? チェリーちゃん、別にケージ君の彼女じゃないんだよね~?」


「う、ぐぐ……!」


 押し黙らされたチェリーの頭を、俺はぽんぽんと叩く。


「んにゃっ!? にゃにするんですか先輩っ!?」


「いや、落ち着かせようと思ったんだが……」


 逆効果だった。


「そいつの冗談を真に受けんなよ。いつもはお前が言ってることだろ」


「え? ……冗談?」


「当たり前だ」


 UO姫に視線を送り、俺は呆れ混じりに確認する。


「ミミは『みんな』のミミなんだろ?」


 UO姫は意味深に微笑を滲ませた。


「キミだけのミミになってもいいって言ったら?」


「無意味な仮定だ。お前はそんなこと言わない」


 くすくす……と。

 UO姫は、チェリーとそっくりの笑い方をする。


「ごめんね~! 今のはちょっとしたじょーだん☆ 許してね、チェリーちゃん?」


「こ・の・お・ん・な……!」


 チェリーが拳を震わせたところで、どやどやという喧騒が近付いてきた。

 見ればそれは、プレイヤーたちの集団だ。

 何の騒ぎだ?


 時を同じくして、すぐ傍に光の渦が起こり、5人のプレイヤーが転移してきた。

 セツナとろねりあたちだ。

 今し方あのボスを倒してきたんだろう。


「うわっ、二人とももういる!」


「速いですね……。どちらが勝たれたんですか?」


「おっ、みんなもう来てるじゃーん!」

「あいつら《くらげ》が呼んだの?」

「もう少しで決着つくよーって、ちょちょいと拡散をね」

「うわっ……すごいひと……」


 えっ……あの集団、俺らを見に来た野次馬なの?

 ああ、でもそうか、セツナ配信、視聴者数2000人とかだもんな……。

 数字だけだと実感が湧かないが、こうして見ると圧倒される。


「潮時かなあ。はいこれ」


 UO姫が不意に何かを投げてきた。

 チェリーが慌てて受け取る。

 それは、ラッピングされた箱だった。

 チョコだ。

 チェリーがUO姫に奪われたチョコ。

 確かメッセージを入れられるチョコなんだっけ?


「賞品、確かに渡したからね~! ばいば~い!」


 気付いたときには、UO姫は背を向けていた。

 夜空に輝くバレンタインの光を拒むように日傘を差して。

 すたすたと歩き去っていく小さな背中を、チェリーは一歩だけ追いかけた。


 そして。

 その背中に言う(・・・・・・・)


「――先輩(・・)!」


 UO姫は立ち止まって、振り返った。

 再び見えた顔にあったのは、苦笑だった。


 仕方ないなあ、この子は――とでも言うかのような。

 呆れたような、諦めたような。

 そんな苦笑だった。


今の先輩(・・・・)は、そっちでしょ?」


 と言いながら。

 彼女は、俺を指差す。


 それは、言外の糾弾であり。

 同時に、言外の忠告でもあった。


 ――次を作るなよ。


 UO姫は再び背を向け、今度こそ去っていく。

 そうして。

 かつてチェリーと同じ中学に在籍し、同じ同好会にも所属した少女は、バレンタインデーの夜に消えていった……。




 ――そして、入れ替わりに、大勢の野次馬たちがやってくる。

 俺たちの勝負の行く末を見届けに来た彼らに対して、やるべきことが残っていた。

 俺は、チェリーの背中をそっと押す。

 チェリーはこくりと頷いて――

 野次馬たちに見えるように、バレンタイン・フルーツを頭上に掲げた。


 無言にして声高なる勝利宣言。

 誤らず理解した野次馬たちが、割れんばかりの歓声を轟かせた―――




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