第3話 変な奴に絡まれる
ナイン山脈の入口に位置する《ナインの村》は本当に簡素な場所だ。
襲撃イベントに備えて壁だけはしっかり巡らせてあるものの、村の中にあるのは最低限の施設だけだ。
補給のためのNPCショップ。
死に戻り時のリスタート地点である教会。
それに回復施設とログアウト地点を兼ねる宿屋くらい。
資材を補給するには周囲に生息する強力なモンスターから直接集めるか、いちいち汽車で後ろの街に戻るしかないので、生産職プレイヤーもここに店を構えることは少ない。
当然、フロンティア・シティにあるような食べ物屋などあるはずもない。
そのうえ、村を守る壁も急ごしらえで防衛力に不安があり、たびたび施設が破壊される。
宿屋からログアウトしている間にその宿屋が破壊されたら、問答無用で死亡扱いだ。
その際のデスペナルティも重めで、倉庫に預けたアイテムの中から幾つかがランダムにロストしてしまう。
たまーに手持ちのアイテム(装備品も!)が消えたりもするらしいので、大抵の奴は壊されるかもしれない宿屋からはログアウトしない。
そんなわけで、ここに長期間逗留するのは、リスクを取ってでもレベリングに時間を注ぎ込みたい廃プレイヤーくらいだった。
寂れた雰囲気の無人駅を出ると、俺たちはそのまま村の北に向かった。
しばらくすると、険峻な谷が見えてくる。
谷の入口には、バリケードめいた不格好な扉が、細い谷間を塞いでいた。
ムラームデウス島を背骨のように貫く巨大エリア、《ナイン山脈》の入口である。
山脈と言っても、その地形は比較的なだらかで、最高峰でも1000メートルを少し超える程度だ。
しかし、とにかく南北に伸びまくっているので、未だ完全突破には至っていない。
迂回して先へ進もうとした連中もいたが、結論から言うとできなかった。
エリアを区切る透明な壁が海まで広がっていて、一分の隙もなかったのだ。
この山脈を中央突破しろ、という運営側のメッセージだった。
エリアボスが倒されていないため、山脈の内部は人類圏外。
PKの可否を始めとした《法律》は一切通用しない。
モンスターの数も人類圏とは比べものにならず、デスペナルティも所持金の消滅だけでは済まなくなる。
まさに魔境なのだ。
――が、俺たちも慣れたもので、ひょいっと不格好な扉を抜けた。
そもそも、常に最前線の攻略に関わってきた俺たちは、むしろ人類圏で戦った経験のほうが少ない。
今更、人類圏外に出るくらいのことで、緊張するはずもなかった。
「――あ」
「どうしました?」
唐突に口を開けた俺を、チェリーが不思議そうに見やる。
「《魔物払い》着けとくの忘れた」
「えっ」
直後だった。
左右の崖の上から、きぃぃいいい!! という甲高い鳴き声が聞こえた。
視線を上げれば、崖の上にそれぞれ2匹ずつ異形の影。
マウンテンゴブリン。
通常のゴブリンの2倍はあるだろう体格。
筋骨隆々の腕と足。
長く伸びたカギ爪。
山岳での生活に応じて進化したゴブリンだ。
それが合計4匹、原っぱで遊んででもいるかのように険峻な崖を滑り降りてくる。
別に合図はいらなかった。
俺たちはそれぞれ勝手に愛用の武器を取る。
背中の鞘に納まった《魔剣フレードリク+8》の柄を握りながら、俺はチラッと考えた。
えーと。
今、スキル何着けてたっけ。
《剣術》と《受け流し》と《縮地》と《魔力吸収》と……。
あ、《居合い》着けてたな。
「きぃぃいいいっ!!」
飛びかかってくるマウンテンゴブリンを見上げ。
俺は、鞘から剣を抜く。
マウンテンゴブリンの首が宙を舞った。
パッシブスキル《居合い》。
ソード系武器を鞘から抜いた瞬間、0.2秒だけ与ダメージと攻撃速度が飛躍的にアップする。
熟練度上げようと思って着けといたんだった。
俺はゴブリンの首が飛んだのを見て、もう一体のほうに視線を移した。
注視してロックオン。
今は攻撃直後だ。
普通ならここから防御するのは不可能。
いわんや反撃なんて。
でも。
「第三ショートカット発動」
早口でコマンドを唱えるや、ピキン、と音を鳴らしながら、俺のアバターが一瞬発光した。
慣性で流れていた剣が停止する。
だけではなく、迫る2匹目をめがけて跳ね上がった。
股下から顎へ、赤い光のダメージエフェクトが走ると同時、それを追うようにして紅蓮の炎が咲いた。
剣技魔法《焔昇斬》。
体技系の魔法は、直前の行動をキャンセルして発動できる。
2匹目のマウンテンゴブリンも、クリティカル判定が出て即死した。
さて、チェリーのほうはどうなってるかな。
振り返ってみると、黒こげになった2匹の大型ゴブリンが砕け散るところだった。
初級雷撃魔法2連撃から、なにがしかの中級攻撃魔法へのコンボってところか。
などと分析していると、チェリーが振り返った。
「もう先輩! 何してるんですか!」
「いや、悪い。最近いろいろスキル上げてるからさ、重いのは外してたんだよな」
俺はスキル構成メニューを開けた。
これとこれと……これも外して……。
空いたスペースに《魔物払い》を着けておく。
スキルはプレイヤーステータスの一つである《スキルキャパシティ》の許す限り装備することができる。
スキルごとにコストが設定されていて、その総計がスキルキャパシティの上限内に収まるようにしなくちゃいけないわけだ。
スキルコストは熟練度が上がれば上がるほど重くなる。
弱い魔物を寄せつけないパッシブスキル《魔物払い》は、使用機会が多い分、コストも相応になっていた。
ちなみに、スキルと魔法の違いは至極単純だ。
MPを消費するのが魔法。
MPを消費しないのがスキル。
その他はだいたい同じだ。
その1、使用するごとに熟練度が上がって効果が強くなる。
その2、所属する《流派》によって使用・装備の可不可が変わる。
その3、職業の決定に関係する。
《スペルブック》に記されているかどうかという違いもあるが、これはひとまず割愛。
《流派》ってのは、まあ、ジョブみたいなもんっていうか……。
全プレイヤーは必ず何らかの《魔法流派》に所属していて、その《流派》において認められている魔法やスキルしか使えないのだ。
最初はたいていNPCが師範を務める《基本流派》に属することになるが、それが免許皆伝になると、他のNPCやプレイヤーの《流派》に入門できたり、自分だけの《我流》を作れるようになったりする。
ちなみに、俺とチェリーはどっちも《我流》だ。
「いま気付いてよかったですよ。マウンテンゴブリンだから簡単に片付きましたけど、これが《シビレハリネズミ》とかだったら――」
「めんどくせー。麻痺に手間取ってる間にうじゃうじゃ集まるからな」
「――可愛くて倒せないじゃないですか!」
「知るか!!」
確かにそこらのマスコットキャラより可愛いけども。
「あいつら可愛い見た目して結構怖いんだぞ。麻痺って完全に動けなくなった奴が巣穴までお持ち帰りされて晩ご飯になりかけたって話まであるくらいだからな」
「男子からの告白はことごとくはねのけてきた私ですけど、あの愛くるしさならお持ち帰りもやむなし……」
「やむなしじゃねえよ。助けに行くほうのこと考えろ」
「えっ? 助けに来てくれるんです?」
「……………………」
「そこで黙らないでくださいよ! 『お前は俺が守る』くらいのことパッと言えないんですかパッと!」
「やかましい誰が言うか!!」
んなこと素面で言えるのはイケメンか中二病だけだ。
俺はイケメンならざる顔を背ける(自分のアバターをガチイケメンにするのってなんかむなしくない?)。
すると、
「あれ。……なんだこれ」
マウンテンゴブリンの死体があった地面に、何かアイテムが落ちていた。
これって……。
ノート?
「なんだこの世界観ガン無視の大学ノート……」
「マウンテンゴブリンのドロップ品にそんなのありましたっけ?」
拾ってみる。
名前は書かれていなかったが、タイトルはあった。
『フラグメント』。
ただそう書かれている。
不思議に思って開いてみた。
中にはびっしりと文字が書いてある。
どうやら箇条書きになっているようだが……。
「いくつか見出しがありますね」
「『決して儲けない武器商人』……『デバッグルームに辿り着いたNPC』……『アグナポットに舞い降りた天才少年』……」
どうもMAOであった出来事を纏めたものであるように思える。
どれも噂や都市伝説レベルだが、一見してその情報量は凄まじい。
「あ、先輩。そういえば、ゴブリン系列って《窃盗》を使ってきますよね?」
「ん? ああ。成功率がレベル依存だからほとんど喰らったことねえけど。……あ、このノートもしかして」
このノートは明らかにプレイヤーの持ち物だ。
それを盗んだマウンテンゴブリンを、たまたま俺たちが倒した?
「ないとは言えない……けど、こんな最前線まで来るような奴が、ゴブリンにアイテムをパクられるなんて初心者みたいなミスするか?」
「ですよねえ……」
二人して首を捻る。
ちょうどそのときだった。
「――あっ……あ~っ!! ありましたっ。ありましたよせんせー!!」
ちょっと舌足らずな甲高い声が、谷の奥のほうから聞こえてきたのだ。
見てみると、色素の薄い髪の女の子が、俺たちのほうを指さしていた。
体格からすると、たぶん、小学生くらい?
あまり現実と違う体格にするとアバターの操作感に違和感が出てしまうので、現実と同じくらいの体格にするプレイヤーは多い。
ならあの子もリアル小学生なのかと言えば微妙なところで、世界にはロリorショタになりたいという欲求を抱いている人間もいるため、一概には断言できない。
性別はリアルのそれしか選べないので、女性であることは確かだが。
……ここからは余談だが。
この辺り、トランスジェンダーに配慮して選択可能にするべきだという議論も持ち上がっていて、結構ややこしい。
現実問題、心の性別を科学的に判定するのは難しいし、よしんばできたとしても、意識の深層という究極のプライベートスペースにいち民間企業が踏み込むことになってしまう。
ならばと性別選択を完全自由にしてしまうと、ネナベ・ネカマによるVR美人局だのVR結婚詐欺だの面倒くさい問題が起こりまくるリスクがある。
要するにめちゃくちゃ面倒くさいので、運営企業《NANO》は判断を保留しているようだった。
ちなみに、同性同士でも結婚できるなんてのは今時のゲームでは当たり前である。
話が脱線した。
とにかく、小学生っぽい女の子が俺たちを指さしていたのだ。
女の子の向こうには、もう一つ人影があった。
彼女はそのもう一人に「せんせー、はやくはやく!」と呼びかけている。
それは――
一言でいえば、変な女だった。
背中に長く伸びるのは、白と黒が入り混じった奇妙な髪。
ただの白髪交じりじゃない。
シマウマみたいな色合いなのだ。
足下まである長い白衣が、風に翻っている。
医者か研究者か――いずれにせよ、武器らしきものも防具らしきものも見当たらないのはおかしな話だ。
街の中ならともかく、ここは人類圏外。
いつ強力なモンスターが襲ってくるかわからない場所なのだ。
その少女は、白衣のポケットに手を突っ込んだまま、せき立てる女の子の声など聞こえていないかのように、悠々と谷の真ん中を歩いてくる。
そして俺たちの前で立ち止まると、不意に腕を組み、眉間にしわを寄せた。
「さて……第一声はどんな台詞がいいか。『やあ、こんにちは』? ダメだな。これで個性が出るのはCV石田彰だけだ。そもそも台詞から始めるというのが誤りか? キャラクターとは台詞のみならず仕草や行動を含めたすべてで構成されるのだから――言い換えればシチュエーションに対する反応なのだから。まずは印象的なシチュエーションを設定しなければ」
いきなりぶつぶつと呟き始めた白衣の少女に呆気に取られていると、彼女は後ろを指さしてこう言った。
「ちょっと向こうで着替えをしておくから、不慮の事故を装って覗きに来てくれないか。しかる後に決闘を申し込むから」
「「いやあんた誰ですか」」
さすがに突っ込んだ。
ステレオで突っ込んだ。
あと、この短い間でわかったけど、あんた絶対その出会い方が似合うキャラじゃねえから。
「先生っ、先生っ」
女の子がぴょこぴょこと跳ねて、白衣の変人少女の注意を惹いた。
「取材ノートですよっ。この人たちが取り返してくれたんですっ。お礼を言いましょうっ」
「うんうん。わかっているとも、ウェルダ。ちょうどいま言おうとしたところだ。……ちなみに、君はどんな風にお礼を言うのがいいと思う?」
「えっ? ……『ありがとうございます』じゃ、ダメなんですか?」
「ダメだな。キャラが弱い。お手本を見せよう」
謎の少女は(無駄に)白衣を翻し、俺たちを見た。
「わたしがそのノートの盗られ主だ。不覚にもゴブリンめにやられてしまってね。ま、盗られたのが貞操じゃなくてよかったかな! ガハハ!!」
……初対面でいきなり下ネタをぶっこんできた……!?
あまりのことに愕然としていたら、豪快にふんぞり返ったままの状態で、白衣の少女は停止した。
だらだらと顔に脂汗が流れ始める。
「(……台詞の選択を間違えたんでしょうか?)」
「(ああ……俺はピンときたぞ)」
「(何がですか?)」
「(この人、間違いない……よく喋るタイプのコミュ障だ!)」
「(……この世で最も厄介な人種の一つですね)」
小学生風の女の子がぴょこぴょこ跳ねる。
「どっ、どうしたんですか先生っ! またぽんぽんいたいですか!?」
「ちょ……ちょっと痛いかな……? ほんとにちょっとだから気にしないでくれたまえ……」
ああ……。
喋れないタイプのコミュ障の俺としては見ていられない、いろいろと。
助け船を出したかったが、自力で挽回しないと立ち直れなさそうだったので傍観した。
「んッ、んんッ!!」
わざとらしく咳払いする白衣の少女。
それから、
「ノート、取り返してくれてありがとうございます。本当に助かりました」
にっこりと微笑んでそう言った。
なかったことにしやがった……。
しかもめちゃくちゃ普通。
キャラ弱っ。
一連の一人相撲を静観していた俺とチェリーは、ここに来てようやく口を開く。
「いえ、たまたまだったので」
「あの、ごめん。ちょっと中見ちゃったんだけど……」
「いやいや、別に構わないよ。口外さえしないでくれるなら。一応、『これ』がわたしの飯の種でね」
すっかり元の調子に戻って、白衣の少女は俺からノートを受け取る。
立ち直り早いな。
「飯の種? って……見たところ何も武器を持ってませんけど、クラスはなんですか? よければでいいんですが」
「クラスか……そうだな、そういえばまだ名乗っていなかった」
謎の少女は、バサッ! と白衣を(無駄に)翻し――
名乗った。
「わたしのことは、《カケラを集めし者》――《フラグメント・マイスター》とでも呼んでくれたまえ」
次は12時ごろです。