第37話 消えている燭台にはとりあえず火を点ける
【MAO‐チェリーVSミミ解説実況会場】
【1,807人がsetsunaを視聴中】
〈チェリー組、3つ目の部屋突破〉
〈はえええええええ〉
〈あいつらこの配信見てんじゃないの?〉
〈いや、見てないぞ〉
〈ゴリラの配信に映ったときはウインドウ開いてなかった〉
〈素でこの速度かよw〉
「えっ!? もう3つ目!?」
コメントを見るなり、セツナは声をあげた。
彼とろねりあ組は今、8つ目の謎解きに取りかかっているところだ。
連動して回転する4つの石像の正面を、何とかしてうまいこと一定の方向に向かせなければならないのだが、ああでもないこうでもないとやっているうちに5分以上が経過している。
「あれを動かすとこうなるから、先にあっちを……」
「もーめんどくさい! とりあえず動かそーよ!」
「あっ、ちょっ、だめっ……!」
こんな調子で、ろねりあ含むJK4人組と共に7つの謎解きをクリアしてきたが、一つにつき最低でも3分はかかってしまっている。
対して、ケージとチェリーは――
「……逆算したら、1つ30秒もかかってなくない?」
ネタバレを見ているとしか思えない速度だ。
けれど、まだ仕掛けの細かい解き方まではSNSに出回っていない。
この配信を見ているのだとしたら納得もいくが、セツナにはあの二人が謎解き要素をネタバレして済ますとは思えなかった。
たとえ勝負だとしても、ゲームの楽しみを損なうようなことはしない。
それがセツナの中での、あの二人のイメージだった。
ということは、つまり、ケージとチェリーは本当に自力で、数々の謎解きを秒殺しているのだ。
仮にこの後、自分たちが追い抜かれてしまって、先の仕掛けに関する情報がゼロになったとしても、その速度が落ちることはない――
「……これ、本当に追いつくぞ……!?」
セツナたちは先ほど、少しだけだがミミたちの背中を目撃していた。
5人もいる分、謎解きの速度はこちらのほうが速かったようだ。
今頃は9つ目の謎解きに着手しているはず――
「謎解き部屋っていくつあるんだっけ!?」
〈10〉
〈10個らしい〉
〈あと7つか〉
〈マジで追いつけるじゃん!〉
ケージとチェリーが1部屋解くのに30秒かけるとして。
今3つ目が終わったところだから、10部屋解くのにあと3分半。
わずか3分半だ。
ところが、ミミたちの謎解き速度はセツナたちよりも遅い。
速めに見積もっても、残り2部屋解くのに6分はかかる。
進行度には3倍近い差があるのに、2分半も余裕がある……!
「あっ!」
ろねりあたちのほうから声がした。
顔を上げると、奥の扉が開いていた。
解けたようだ。
「『あっ!』って……解けたの絶対たまたまでしょ」
「へへへー」
ろねりあの仲間の一人、ツインテールの女戦士が、『お恥ずかしい』という様子で後頭部を掻いた。
実のところ、これまでの謎解きの半分くらいは、こういう偶然で解いている。
「まあいいや。ケージ君とチェリーさんがすごい勢いで迫ってます。僕らも急ぎましょう!」
「はい!」
「はーい!」
ろねりあたちと共に扉を通り抜ける。
それとほぼ同時にコメントが流れた。
〈チェリー組、4つ目突破!〉
この調子で行けば、10部屋目、もしくはその先のボス部屋で、チェリー組とミミ組が並ぶかもしれない。
――これはおいしいことになりそうだなあ。
セツナは配信者として、反射的にそんなことを思った。
◆◆◆―――――――◆◆◆―――――――◆◆◆
【ケージ&チェリー】
「『羊が巡りて星を灯す』?」
「十二星座だろ。壁に描いてある点が星座を表してるから、おひつじ座のとこから順番に燭台に火を――」
「……4文字のパスワードですか。しかもひらがなって、組み合わせ多すぎ――」
「たぶん床の柄が答えだろ。……ああ、やっぱり。チェック柄に見せかけて点字になってるな」
「…………一度ずつしか踏めないひび割れた床が――」
「ここからこう行ってああ行ってあそこで曲がって――」
「……………………」
「……あの、チェリーさん? だんだん不機嫌になってません?」
「べっつに? 『ちょっとくらい私に解かせてくれてもいいのに』とか思ってませんし」
「さっきはメリットとか言ってたくせに……めんどくせえ奴だな……。んじゃあ口出すのやめればいいんだな?」
「先輩ににやにや見守られながら悩むなんて屈辱です!」
「ますますもってめんどくせえ」
なんて言ってるうちに、9部屋目まで来た。
そこには一組のパーティがいた。
これまでも何組かパーティを追い抜いてきたが、ここまで来てついに顔見知りとの遭遇だ。
ろねりあたちJK4人組にセツナを加えた5人組がいた。
「うわっ、イケメンがハーレム作ってる」
「ちょっとケージ君! そういうの炎上の元だから!」
「いやー、お恥ずかしいですなー」
「は、はーれむ……」
「真に受けないで!? お願いだから!」
思わず正直な感想を呟いたら、セツナが素早く突っ込んできた。
その素早さが逆に怪しいぞ。
「皆さんがいるってことは、どうやら相当追い上げてるみたいですね」
チェリーが言った。
黒髪ロングのろねりあが頷く。
「はい。ミミさんたちは今頃10部屋目に向かっているはずです」
「ってことは、ここを瞬殺すれば、ちょうど並ぶことになりますね――」
チェリーは部屋を見渡した。
部屋に入ってすぐのところで、水の抜けたプールみたいに床が低くなっている。
扉は対岸にあるが、そこまで上がるための階段がない。
なんというか……元々あった橋がなくなっている感じだ。
下の床には、マス目のような模様がある。
9×9……だな。
合計81マスのおよそ半数に、赤だの青だの緑だのといった光が点っていた。
マス目の外部にも一つ金色の光が、まるで仲間外れにされたように輝いている。
「んん?」
俺は首を捻る。
なんだこれ?
「……透明な橋が架かってるのか?」
「えっ。なんでわかったの?」
「なんとなく」
セツナが目を丸くした。
『なんだこいつ』って様子だ。
なんとなくなんだから仕方ないだろ。
「でも、解き方がわからん。なんだ、あの床の模様と光」
「それなんだよね。橋が架かってる位置については、ついさっきネットにも上がったんだ。ミミさんたちはそれで突破したんだと思うけど、それ、どうもローラー作戦で調べたみたいで……」
「正しい解き方がわからないのが気持ち悪くて、お二人を待っていたんです」
「そう。君たちなら解けるんじゃないかと思ってさ」
「んー……」
俺は床のマス目と光を俯瞰した。
これって……。
「……いや……俺、たぶんこれ解けねえ」
「えっ?」
「どうしてですか?」
「9×9のマス目だろ? 十中八九将棋盤だろ、これ」
「「あっ!」」
セツナとろねりあが揃って声をあげた。
そこも気付いてなかったのか。
「9×9なら将棋盤。8×8ならチェス盤。こういうマス目が出てきたときは真っ先に疑う可能性だな」
「そっか。言われてみれば……」
「そこまでは俺にもわかるけど、俺、将棋ってあんま得意じゃないんだよな……。深く考えずに勘でやっちゃうタイプだから」
なもんで、これは俺には解けそうにない。
っていうか、この謎解きはおそらく、MAOでたまに出現する集合知前提の問題だ。
一人だけでは解けなくとも、ネットを通じて問題を拡散すれば、専門知識を持ってる奴が現れて解いてくれるってタイプのやつ。
ってわけで、
「チェリー、お前――」
「……うーん……」
チェリーは首を傾げていた。
というか、直角に曲がっていた。
上半身を横向けにして、90度回転させた形で床のマス目模様を見下ろしている。
「……何してんの、お前?」
「いえ……たぶんこれ、盤を横から見た図だと思うので」
「なんでわかんの?」
「どこかで見たことあるような気がするんですよ……たぶんですけど、古めの詰め将棋で……」
「チェリーさん、将棋わかるんですか?」
ろねりあが眉を上げて訊いた。
チェリーは将棋盤を模した模様を見下ろしたまま、
「まあ、ちょっと、昔取った杵柄ってやつで」
と、気のない声で答えて、ぶつぶつ呟き始める。
「光の色が駒の種類ですよね……だとすると、この形……頭の隅っこに引っかかってるんですけど……う~、気持ち悪いっ!
先輩、何か気付くことありませんか?」
「ああん? そうだなあ……」
床に描かれた盤面については、俺がどれだけ見てもわからない。
ここはゲームで培われた観察眼を発揮するべきだろう。
壁や天井に視線を走らせる。
こういうのは大体、どっかにヒントが仕込んであるもんだが……。
「あっ」
見つけた。
「壁だ。左の壁。壁のタイルの色が一部だけ違う」
赤や青、緑……色とりどりのタイルが縦に並んでいる。
ダルマ落としのよう、と言うべきか、ロックマンのHPゲージのよう、と言うべきか。
それが8列。
ただし、8列目は他の列の半分くらいの長さだ。
「1、2、3……10枚が7列と、その半分が1列。75枚のタイルだけ、オモチャみたいな明るい色になってるな。……あの色、床のマス目の光と同じじゃないか?」
「……もしかしたら、動かす駒を意味してるのかも……。ということは、75手詰め? そんな長編……――あっ!」
チェリーは急に声を上げて、ネットブラウザのウインドウを展開した。
慌てた手つきで何か検索し始める。
「確か64年の――あった! ありました! これです!」
弾んだ声でそう言って、チェリーはブラウザウインドウを俺に見せてきた。
ブラウザには、詰め将棋の図がでかでかと映っている。
書かれている駒の数が多すぎて、素人としては『すごい難しそう』という感想しか抱けない。
「これ――」
これどういう風に解くの? と訊こうとした俺を、チェリーは待たなかった。
まったく躊躇いのない足取りで、何もない空中に足を踏み出す。
だが、落下することはなかった。
目に見えない橋に乗ったのだ。
「えーと……こうなってこうなってこうなって……うん」
下のマス目を確認しながら呟いて、チェリーは走るような速度で透明な橋を渡っていく。
向こう岸にたどり着くまで、10秒とかからなかった。
向こう岸からチェリーが手を振ってくるので、俺やセツナ、ろねりあたちも、透明な橋を渡る。
俺がかろうじてチェリーが歩いた位置を覚えていたので、他の面々がその後をついてくる形だ。
恐る恐る橋を渡りきった俺たちを、チェリーは得意げな笑顔で出迎えた。
「玉が動いた場所が橋になってたんですよ」
「は?」
いきなりの解説に、俺の頭は追いつかなかった。
「この詰め将棋は最終的に、相手の玉が1筋から9筋まで動くんです。その軌跡が橋になってたってわけです。だから横向きだったんですねー」
「お、おう」
うきうき説明してるところ悪いが、いまいちピンときてません。
とりあえずわかるのは、
「75手詰め……って言ってたっけ? それって、駒が75回動く詰め将棋ってことだよな?」
「まあそうですね」
「それを解いたのか? あんな一瞬で?」
「解いたっていうか、覚えてましたね。前に見たことあったので」
覚えてたって……。
もう一度言うが、75手詰めだよな?
「カッコいいですよねー。順列七種合ですもんねー。全部使うんですよ! しかも順番に!」
珍しく子供みたいに無邪気に語っているが、残念ながら俺を含めて全員よくわかっていなかった。
スイッチが入ってしまったようだ。
こうなったら止まらない。
とりあえず相槌打っとこう。
「……ねえ、ケージ君」
セツナがこそっと俺に声をかけた。
「チェリーさん、実は将棋オタクだったの?」
「まあ、オタクっちゃオタクだろうけど……元プロ棋士候補生だから。こいつ」
「ええっ!?」
「そうだったんですか!?」
傍で聞いていたろねりあも驚きの声をあげた。
プロ棋士の候補生ってのが、いわゆる天才の集まりであることは、素人だって知っている。
そんな奴がこんな身近にいるとは思わなかったんだろう。
「いやー」
チェリーは少しばつ悪げに苦笑した。
「ドロップアウトした人間なので、そんな風に驚かれると居心地が悪いっていうか……一応、女流にはなれそうだったんですけど……」
「どうしてやめちゃったんですか? ……って、あ、訊いてもよかったんでしょうか……?」
「別にいいですよ。ただ単に、向いてないことに気付いただけですし」
……向いてない、ねえ。
素人の俺には、その言葉の正確な意味はわからなかった。
「今は趣味の一つです。最近はあんまり指す機会がありませんけどね。先輩はヘッポコですし」
「将棋は最強羽生将棋で諦めた」
「なんですかその心惹かれるタイトル。ゲーム?」
「ニンテンドウ64のローンチタイトル。マリオ64と同時発売」
「またまたご冗談を」
「いやマジだから!」
新ハードの発売と同時に将棋ゲームが出たんだよ!
30年くらい前に!
「ともあれだな」
俺は話題を戻しにかかった。
「UO姫はこの謎解きができなくて、結局ネタバレが出るまで待ったんだろ? ってことは、かなり差が詰まったはずだ。将棋トークができる人間がいなくて寂しいのはわかるが、このチャンスに追いつくぞ!」
「べっ、別に寂しくありませんし!」
「はいはい」
「信じてませんね!?」
「はいはい」
チェリーの抗議をことごとく『はいはい』でいなしながら、俺たちは9つ目の部屋を出た。
残るは1部屋。
そこでUO姫たちに追いつけるはずだ……!