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第33話 機嫌を損ねた彼女を宥める卑怯な方法

【MAO‐チェリーVSミミ解説実況会場】

【1,105人がsetsunaを視聴中】



 セツナが駆けつけたとき、ちょうどアベニウス邸の門が赤い鎧の巨人によって蹴倒されるところだった。


〈うっわ〉

〈すげー〉

〈あんなん喰らったらショック死するわ〉


「上半身吹っ飛びそう。ほら、アレ、キレた悟飯に殴られたセルジュニアみたいに」


〈例えがおっさんw〉

〈唐突なDBに草〉


「えー? 子供の頃、朝にやってなかった?」


 そんなことを喋りながら、門の中に入っていく巨人騎士を追いかける。

 UO姫が、騎士が担いだ神輿の上で揺られていた。


 巨人騎士は、門に続いて玄関扉も蹴り破る。

 倒れ込んだ扉を乗り越えて、大きな背中がエントランスへ入っていった。

 担いだ神輿が戸口に当たらないよう、ほとんど這うような姿勢だ。


「一応僕も行ってみます!」


〈入れんの?〉

〈インスタンスマップじゃない?〉


 邸内はクエストを進行しているパーティしか入れないマップの可能性が高い。

 が、それでも別に構わない。

『やる』か『やらない』かの選択肢が現れたとき、基本的に『やらない』のは許されないのが実況者のサガである。


 巨人騎士・火紹に続いて、セツナは蹴り破られた扉を通り抜けた。


「うわあ……荒れ果ててるな」


〈ヒエッ〉

〈強盗にでも入られたみたい〉

〈あの巨人がやったの?〉

〈インスタンスマップじゃないんだ〉


「あのでかい人がやった……んじゃないと思うけど。

 ――うん、インスタンスマップじゃなかったのは意外だね。ここでは特に何もイベントは起こらないってことなのかな」


 クエスト関係のイベントがここで起こるとすると、同じクエストを進行している人間が来たときにおかしなことになる。

 同じストーリーを多人数が平行世界的に進行している以上、イベントが起こる場所ではプレイヤー同士が鉢合わせにならないようになっているはずだ。


「とはいえ、こんな状態になってて何もないってことはないだろうね」


 アベニウス邸のエントランスは、まるで盗賊にでも襲われたかのような有様だ。

 絨毯は引き裂かれ、壁に傷が走り、調度品の壷が欠片となって散乱している。


〈なんか隅っこにアイコン出てない?〉


 そんなコメントが目に入り、セツナはエントランスに目を走らせた。


「あっ、本当だ。見えるかな? 隅のほう」


 他のリスナーにもわかるよう、エントランスの隅に小さく浮かんだ『!』アイコンを指さす。


「調べてみる」


 セツナはアイコンが浮かんだ場所に近付いた。

 そこには、赤絨毯の切れ端が落ちていた。

 ただそれだけで、特に不審な点は――いや。


「ちょっと黒ずんでない?」


〈黒ずんでる〉

〈血痕?〉


 セツナは赤絨毯の切れ端から浮かんでいるアイコンをタップした。

 すると、こんな文章が記されたウインドウがポップアップする。


【絨毯の切れ端だ。血が付いているが、完全に乾いている。少なくとも半日は前のものだろう】


 ウインドウの文章を背後に浮かべた《ジュゲム》にも見せて、セツナは私見を述べる。


「半日は前……ってことは、アベニウスさんがサンエリス広場でプレゼント交換会をやったときにはすでに、この屋敷はこの状態だったことだよね」


〈昨日、俺がエロゲーやってる間に何が……〉

〈屋敷がこんなになってるのにプレゼント交換会とかやってたの?〉

〈これ死んでるんじゃねアベニウス〉


「アベニウスさんが死んでる……っていうのはありそう。その場合、さっき広場に現れたのは……」


〈なんか怖くなってきたんだけどw〉


「っふふ。バレンタインにとんでもないクエスト突っ込んでくるよね。普通もっと牧歌的なものにするでしょ」


 笑い混じりに返しながら、セツナはエントランスから伸びるいくつかの廊下に目を向ける。


「ミミさんたちはどこに行ったのかな」


〈見失った?〉

〈奥行ったか〉

〈足音聞こえない?〉


「足音?」


 セツナは耳を澄ます。

 すると確かに、ズン、ズン、という音が確かに聞こえた。


「耳いいね。確かに聞こえる。たぶん2階かな。行ってみるよ」


 踊り場で直角に曲がる階段を上って、2階へ。

 ズン、ズン、という重々しい足音を追いかけていく。


「気付けば結構はっきり聞こえるね、足音。これ、もしかして《巨人》クラスのデメリットなのかな」


〈あー、なるほど〉

〈デメリットか〉

〈あの大きさで隠密までできたらチートだしな〉

〈対人で使えるのかな、巨人って〉


「対人ではどうだろうね。野良デュエルでなら使えるだろうけど……闘技場ではレギュレーション次第なのかな」


 対人戦は当人同士が了承すればどこででも行うことができる。

 だがこの場合、大抵は『何でもあり』になるのが慣例だ。

 レベル、流派、スキル、クラス、すべて制限なしのフリールールである。


 一方、闘技場という施設では、様々に存在するレギュレーションに基づいた対戦がメインになっている。


 例えば、互いのレベルを平等にする。

 例えば、使えるスキルに制限がかかる。


 そういったルールを設けて、対戦ゲームとしてのバランスを維持しているのだ。

 このルール設定機能により、MAOは対戦ゲームとしても高い評価を獲得していた。


「あっ、ドア開いてる。あそこかな」


 2階の廊下の途中に、扉が開いた部屋があった。

 セツナはそこに足を運ぶ。


 そこは執務室のようだった。

 床いっぱいに資料や本が散乱している。

 まるで家捜しの後だ。


「何か探してたのかな……」


 しゃがみ込んで、床に落ちた本の一つに触れる。

 動かない。


「移動不能オブジェクトだ」


〈動かせない?〉

〈なんでだろ〉

〈好き勝手動かしたら手がかりがわからなくなるから〉


「うん。たぶんそうだろうね。インスタンスマップじゃないし」


 赤い鎧の巨人は、窓際に立っていた。

 神輿から降り、執務机にそっと手を触れているUO姫を、じっと見守っている。


「……? 何してるんだろ?」


 呟いた瞬間、「ふうっ」とUO姫が息をついた。

 彼女は自分の行る場所を確認するように周囲を見回したあと、


「んー……そっかぁ。やっぱりね~」


 甘ったるい声で、そんな風に呟いた。


「何かわかったのかい?」


 思わず、セツナは話しかける。

 UO姫は初めてセツナに目を留めて、


「え~!? セツナ君だぁ~! ミミ、ビックリしちゃったよぉ~!」


〈相変わらず腹立つ〉

〈かわいい〉

〈誰にでも媚びるなこの女〉

〈可愛いので許す〉


 セツナは苦笑した。

 彼女を漢字一文字で表現するとすれば『媚』だ。

 そうとわかっていても引っかかってしまう人が大勢いるんだから怖い。


「でも、ちょうどよかったよぉ! 協力してほしいことがあったの~!」


「いや、僕は審判だから協力は――」


「ちょっと確認したいだけ! リスナーさんでもいいよ?

 ――ブレスレット、持ってる?」


「ブレスレット? って……」


 セツナはアイテムストレージから《名前の刻まれたブレスレット》をオブジェクト化した。


「これのこと? 一応もらっておいたけど、クエストは進めてないよ」


「いいよいいよ! それに文字が刻まれてるよね?」


「え、うん。『BENJAMIN』って……」


「あ~、そうじゃなくてぇ」


 困ったように小首を傾げて、チョコレート色の姫は言う。


その前に(・・・・)、もう1文字刻んであると思うんだけどぉ」


「前……?」


 セツナはブレスレットの内側を今一度よく観察した。


「……あ、本当だ。『BENJAMIN』の前に小文字の『m』が書いてある。気付かなかった」


〈マジだ〉

〈書いてあるわ〉


「他にも何か書いてあったのか……掠れて読めないけど。『m』……なんて書いてあったんだろう……?」


「そ・れ・は・ね~」


 ふふふ、とUO姫は勿体ぶるように笑い、ストレージから自分のブレスレットを取りだした。

 それを顔の横まで持ち上げて――

 笑顔のままに、彼女は告げる。


「――たぶん、『from BENJAMIN』だと思うよ?」




◆◆◆―――――――◆◆◆―――――――◆◆◆




【ケージ&チェリー】


「あははははっ! 走れ走れーっ!!」


「人を馬車馬のように扱うな!」


「感触ないらしいので惜しげもなく胸を押し当てられます。ほら、ぎゅーっ」


「ちょっ、おまっ……!」


「うっそでーす」


「ぶごっ!」


「……っていうのが嘘かもしれませんよ?」


「どっちだよ!」


「感触ないからわからないでしょー。なので今、私の胸が先輩の背中に当たっている可能性と当たっていない可能性が同時に存在するわけです。シュレディンガーのおっぱい」


「頭良さげにアホなことを……」


「どうですか先輩? 私の存在確率50%のおっぱいは?」


「……お前、しまいには今すぐログアウトしてリアルのお前の胸揉みに行くぞ」


「きゃーっ! やめてください!」


「わかったら大人しくおぶられとけ!」


「……なーんて、私、先輩になら、触られても――」


「っ!?」


「――いいわけないので、もしほんとにやったら出るとこ出ましょうね?」


「あ゛ーっ!!」


「あはははは!」


 という感じで喋りながら、俺は再びチェリーを背負って屋根の上を駆けていた。

 目指すのは《ピース神殿》。

 教都エムルの北東部に建つ白亜の建物だ。

 そここそが、ジェラン教――ひいては《ジェラン聖伐軍》の本拠地だった。


「バージョン1で私たちと《エリス》さんが《魔王バラグトス》を倒したあと、バージョン2への移行と同時に《コーラム王国》は3つの派閥に分かれての内乱に突入したわけですけど……先輩、その3派閥のこと覚えてます?」


「誰に言ってんだ。《聖旗教団》と《グリンドン自治圏》……そんで《ジェラン聖伐軍》だろ」


「正解です。座ってよし!」


「走ってるし! どっちかというと座ってんのお前だし!」


《聖旗教団》は魔王バラグトスとの戦いの中で生まれた新興宗教の組織だ。

 旧来の宗教である《ジェラン教》と同じ神話、同じ物語を共有しつつ、魔王を倒す鍵となった《聖女エリス》を救世主として奉じている。

 ユダヤ教とキリスト教みたいな関係だと思えばいい。


 結果的にエリスと聖旗教は魔王との戦いで重要な役割を果たし、コーラム王国内での存在感を強くした。

 民たちも多くが聖旗教を信仰するようになって、国の実権を聖旗教が握るような形になった。


 それを快く思わなかったのがジェラン教だ。

 聖旗教を異端として排除すべしと主張し、軍事勢力を台頭させた。

 これが《ジェラン聖伐軍》。


 このどちらにも馴染めなかった人々が集まって、3つ目の派閥《グリンドン自治圏》を形作り、コーラム王国は三つ巴の内乱状態になった。


 これがMAOバージョン2《トリア・フィデース・モノマキア》のストーリーだ。

 ゲームとしては、RvR――集団戦のシステムが初めて実装された。

 俺たちプレイヤーは3つの派閥のどれかに所属して相争い、結果としては聖旗教団の勝利に終わったんだが――


「いるんですよね、残党が。負けた2つの派閥にも」


「ああ。もともと穏健派のグリンドンはともかく、聖伐軍の残党は大抵ろくなことをしない」


 ジェラン聖伐軍の残党はバージョン3になってもクエストにちょくちょく顔を出していた。

 当然、悪役としてだ。


「ベンジャミンさんは聖伐軍の残党に連れ去られた可能性が高いです。たぶん聞いてはならないことを聞いてしまったとか、そんなところじゃないでしょうか」


「それならそれで、どうして殺さなかったのかが不思議だけどな」


「行けばわかることです。急ぎますよ!」


「絶賛急いでるの俺!」


 人の背中の上で偉そうに言ってんじゃねえ!


 屋根の上を通って一直線に進めば、ジェラン教の本拠地・ピース神殿まではすぐだった。

 神殿の正門の向かい側にある家の屋根で立ち上がり、様子を伺う。


「どこから行くか……。とりあえず裏口とかを探して――」


「そんな時間はありません。先輩で神殿にダイレクトアタック!」


「人をモンスター扱いするな!」


「先輩が守備表示の神殿に攻撃したとき、攻撃力が守備力を上回った分だけダメージを与えます!」


「人に貫通効果を持たせるな!」


 っていうかダイレクトアタックじゃねえじゃねえか!


「仕方ないですねー」


 やれやれとばかりに言いながら、チェリーはスペルブックを呼び出した。


「は? お前なにを――」


「《天下に這い出せ 群成す雷》―――!!」


 呪文詠唱!?

 お前それ、奥義級の魔法にだけ必要な――


「―――《ボルトスォーム》ッ!!」


 ピース神殿に紫電が降り注いだ。

 まさに晴天の霹靂。

 曇り一つない星空から現れた雷が、神殿の壁を一部、破壊した。

 突如として炸裂した轟音に、神殿を警備する僧兵たちが驚いて跳ね上がっている。

 外からでもわかるほど神殿の中が騒然とし始めた。


 下手人たるチェリーは平然とマナポーションを飲み干し、


「一小節ならこんなもんでしょう。今のうちですよ、先輩」


「めっちゃくちゃするなお前!」


 こうなったら仕方がない。

 俺は屋根の上から飛び降りると、浮き足だった僧兵たちの隙を突いて正門に近付いた。


「っ!? なんだきさ――」


 ま、と言い切られる前に、俺はジャンプと《焔昇斬》による上方移動を併用して閉め切られた正門を飛び越えた。

 神殿の敷地内に降り立った俺は、チェリーを背中から降ろす。


「お前が撒いた種だからな。邪魔が入ったらどうにかしろよ!」


「はいはい。不殺縛りですよね?」


「ちゃんと復活するかわからんしな。経験則から言うと、HP半分切ったら撤退するはずだ!」


 最低限の打ち合わせだけして、俺たちは神殿の中へと突っ込んだ。

 等間隔に並ぶ篝火に照らされた神殿の中は、一面に刻まれた壁画も相まって不気味な雰囲気だ。

 もちろん、どこからともなく湧いてくる僧兵の集団がいなければ、の話だが。


「敵襲! 敵襲だ!」

「なんだ貴様たち! 何が目て――」


 僧兵たちは台詞を言い切らせてもらえない。

 その前にチェリーが《聖杖エンマ》の先端から紫電を迸らせて、昏倒させてしまうからだ。


 死屍累々となった大理石の床を、チェリーは悠々と走り抜けていく。

 俺はその後ろを、剣すら抜かずについていくだけだった。


「どこ行くんだ!?」


「地下です地下! 牢屋があるのは地下と相場が決まってます!」


 無粋極まるメタ読みだったが、悲しいことに異存がなかった。

 壁画に囲まれた廊下を走り抜け、地下へと向かう階段を発見する。

 それを警戒もクソもなく、飛び降りるようにして駆け下った。


 一番下まで降りると、本当に牢屋だった。

 篝火がわずか二つしかない薄暗い空間だ。

 牢屋が三つ並んでいて、手前の二つには誰もいない。

 だが、一番奥の牢屋の前に、偉そうなマントを羽織った騎士がいた。


「……侵入者とはお前たちか」


 30そこそこに見える騎士は、兜の奥から鋭い眼光を放ってくる。


「神をも恐れぬ迷い子たちよ。我が名は――」


「《天下に這い出せ 群成す雷》―――!!」


「は!?」


 ちょっと待てちょっと待てちょっと待て!!

 騎士の名乗りも聞かずに詠唱を始めたチェリーから、俺は大急ぎで離れた。

 アホかこいつ!

 ここ地下だぞ!?


「―――《ボルトスォーム》ッ!!」


 本日2度目の奥義級雷撃魔法《ボルトスォーム》。

 無数に迸った紫電の帯が、蛇のごとくマントの騎士に殺到した。

 ついでに余波が俺にまで牙を剥いて、HPが4分の1くらい削れた。

《ボルトスォーム》はフレンドリーファイアするタイプの魔法だぞ馬鹿!!


「ぐおおおおおおおおおおおおおおおおおおっ!!!」


 轟音で聞き取れなかったがおそらくは台詞を言い終えた直後、マントの騎士は全身を紫電に貫かれてその場に膝を突いた。

 お?

 終わった?

 HPさえ見れなかったんだけど……。


「温泉のときのリベンジ成功です。ちょうどイベントが終わった直後にぶち込んでやりました!」


「周りのことを考えろ! っていうか自分のことも考えろ!」


 当然ながら、チェリー自身のHPも半分くらい削れていた。

 本来こんな狭い場所で使える魔法じゃねえんだよ!

 チェリーはポーションを飲み干しつつ、


「これはRTA勝負ですよ? アイテムを温存してたりしたら負けちゃいます」


「そうだけどさ……! 他にちょうどいい魔法あっただろ!」


「これが一番威力高いんですもん」


 そんな言い争いをしている間に、マントの騎士が片膝を突いた格好で何やら喋っていた。


「くっ……! なかなかの強さだ……」


「瞬殺されたくせに上から目線ですよこの人」


「言わせてやれよそのくらい……」


「しかし、この程度で我々は止まらぬ……。大いなる精霊の加護は、我らにこそありッ!!」


 鋭く言い放ち、マント騎士は懐から何か丸いものを取りだした

 ……石?

 魔石か?


「今宵、聖なるバレンタインの御許にて、我らがエムルは浄化されることだろう! せいぜい悔やむことだ。自分たちの迷いをなッ!!」


 マント騎士は、魔石を握った手を頭上に振り上げた。

 瞬間、


「あっ!? 先輩!?」


 思わず、俺は逃げた。

 背中を向けて、脱兎のごとく。

 二度も自爆攻撃の煽りを喰ってたまるか!


 しかし果たして、床に叩きつけられた魔石から迸ったのは、爆炎ではなく閃光だった。

 ただの目くらましだ。


 立ち止まって視界が戻るのを待つと、マントの騎士はすでにどこにもいなかった。

 あー……。

 ただの退場演出でしたか……。


「なんだよ、脅かしやがって……」


 なんて言ってばつの悪さを誤魔化しながら、俺はチェリーの傍まで戻ってくる。

 チェリーはジト目で俺を睨んでいた。


「……逃げましたね。一人で。私を置いて」


「いやー、まあ、自爆でもされるのかと思って……」


「逃げました! 一人だけで! 私をほっぽって!」


「なんか、その、あの……ごめんなさい」


 チェリーはぷくーっと頬を膨らませる……のではなく、少しだけ唇を尖らせてそっぽを向いている。

 結構ガチめに怒っているときの仕草だ。

 だっていうのに、俺は一瞬だけ『あ、かわいい』と思ってしまった。


 普段、ふざけてあざとい態度をしてみせることで、『これは冗談ですよ。素でやってるんじゃないですよ』というポーズを取っているチェリーだが、たまにこうして『天然のやつ』が出る。


 こいつは天然モノ(・・・・)なのだ。


 UO姫が計算に計算を重ねて演じている完全養殖なのに対して、こいつは完全なる天然モノ――天然の姫気質。

 男をクラッとさせる仕草を、何の計算もなく無意識にやってしまう。


 割と頻繁に俺を誘惑してみせるのは、そうした自分の性質を『冗談』というオブラートで包んでしまうためなのだ。

 わざわざそんなことをするのは……まあ、自分のそういうところに、何かしら思うところがあるからなんだろうが……。


 ……こいつ、実は結構な闇を抱えてるからなあ。


「あー……」


 俺は意味もなく声を出し、ぽりぽりと頭を掻いた。

 こういうときは……。

 ……あー。

 うー。

 すっげえ恥ずかしいけど、時間もねえし……。

 くそっ、仕方ねえな!

 ままよ!


 俺は腹を決めて――

 チェリーの肩を掴んで引き寄せ、そのままぎゅっと抱き締めた。


「ふぇっ?」


 胸の中で、チェリーが呆けた声を出す。

 その耳元で、俺は押し寄せる羞恥をねじ伏せながら囁いた。


「ごめんって。俺が悪かったから。もう逃げないから。……な?」


 台詞はスカしているが、顔がめちゃくちゃ熱くなっているので全然キマっていない。

 だが、見られなければセーフだ!

 強く抱き締めることで、顔を見られないようにした。


「……う~。うー、うー、うー!」


 チェリーはそう唸りながら、俺の背中をバシバシ叩いた。

 そのうーうー言うのをやめなさい!

 いや、やっぱり叩くほうをやめてください!

 結構な衝撃だから!


「ず……ずるいです! ずるいずるいずるい! ずるい男の人がやることです! 先輩がこんな風に成長してたなんて! 見損ないましたっ!」


「はっはっは」


 なんとでも言うがいい。

 何度も言うように(言ってないけど)、俺は女慣れはしてないがお前慣れはしているのだ。


 だから。

 こういうときは、お前が誤魔化してくれると知っている。


「……ところで、先輩」


「あん?」


「先輩の身体、ちょっと加齢臭しますよ」


「はっ!?」


 俺は慌ててチェリーの身体を放し、距離を取った。

 手首を鼻に近付けようとしたところで、


「……いや、アバターなんだから臭うわけねえだろ!」


「あはははは!!」


 チェリーは俺を指さしてケラケラ笑っていた。

 いい性格してやがるこの女。


「私のことを抱き締めれば機嫌が直るチョロい女と見くびった罰です!」


「はいはいスイマセンデシタ」


「まあ、チキンな先輩にしては頑張ったほうだと認めましょう。その勇気に免じて、私を放って逃げようとしたことは水に流してあげます」


「上から目線をやめる気がねえ、この後輩」


 やれやれ。

 面倒くさい後輩を持つと苦労するな。


「さあ、さっさとベンジャミンさんを助けましょう。ボスっぽいマントの人を瞬殺したのが無駄になっちゃいます」


「このタイムロスは主にお前のせいなんだが……」


 責任の所在を探してもさらに時間がかかるだけだ。

 俺たちは三つある牢屋のうち、一番奥の牢屋に向かう。

 ここにベンジャミンがいるはずだ。

 これでQuest2がクリアに――


「――え?」

「――あ?」


 鉄格子の中を見た瞬間、俺たちは固まった。

 そこに捕まっていたのは――


 女の人だった。

 ベンジャミンではなかった。



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