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第32話 どういうことだ、説明しろチェリー!

【MAO‐チェリーVSミミ解説実況会場】

【1,204人がsetsunaを視聴中】



「うわっ! 屋根の上!? どっち行った!?」


〈パルクールかよw〉

〈UO姫、いま鍛冶屋から出てきた〉

〈観測班から! 北のほう行ってる!〉


「北か! ああもう、めちゃくちゃするなケージ君は……!」


 常識外れな行動に面食らいながら、セツナはケージたちの後を追う。

 苦労して通行人の間を抜け、北へと舵を切った辺りで、


〈落ちたwwwwwwwwwwww〉


 高台から街全体を見渡している観測班の一人が、そんなコメントを流してきた。


〈は?〉

〈落ちた?〉


「どういうこと?」


〈屋根の上から路地に落ちた。バランス崩して〉


「ええ!?」


〈LUL〉

〈タイムロスじゃんw〉

〈これUO姫追いつけるんじゃね?〉


「とにかく追いかけるよ!」


 何があったのかは知らないが、追いつくチャンスだ。

 配信者としては、基本的には先んじているほうを中心に追いかける方針だった。


〈あっ、また出てきた〉


「また屋根の上か――あっ!」


 視線を上げた瞬間、屋根の上をまるで忍者のように走る影を捉えた。

 ケージだ。

 さっきは脇に抱えていたチェリーを、今はおんぶしている。


「見つけたっ! 追いかける! 観測班、誘導お願いします!」


〈了解です!〉


 高台から見張っている観測班の誘導に従って走り、二人をカメラに捉え続ける。

 屋根の上を突っ切っている二人とは違って、セツナは街の中を走らなければならないので、瞬時に最短ルートを考える必要があった。

 身体と頭の両方をフル回転させる配信者をしり目に、リスナーたちはコメント欄でのんきに話し始める。


〈たらい回しにされる系のクエストなんかな〉

〈逆転できるポイントあんのか?〉

〈戦闘イベントがあればあの巨人の無双状態だよな〉

〈戦闘あってもケージがいるぞ〉

〈緋剣乱舞〉

〈システムブレイカー〉

〈アプデを呼ぶ男〉

〈最終兵器リア充〉

〈異名多すぎw〉

〈あ〉

〈『生まれる世界を間違えた男』もあるぞ〉

〈こうして見ると褒められてるのかディスられてるのか微妙な異名ばっかだな〉

〈UO姫、北行かないかも〉


「え?」


 セツナは視界の端に流れたコメントに目を留めた。


「北行かないって?」


 同じリスナーによるコメントがさらに流れてくる。


〈UO姫、チェリーたちとは逆方向に移動してる〉




◆◆◆―――――――◆◆◆―――――――◆◆◆




【ケージ&チェリー】


 月の中みたいな場所だった。

 ……いや、さすがにこの例えは不親切すぎるか。


 緑色のなだらかな丘に、ぽつんと一本、大きな木が生えていた。

 夕焼けの中ならさぞロマンチックな場所だっただろうが、今の空はほとんど夜のそれだ。


 郊外にあるこの丘にまでは、バレンタインの気配は及んでいない。

 人っ子一人いなかった。


「こんなところで何してたんでしょうね?」


「さあな……。まあ、何かしら人目に付いたらマズいことだったんだろうが」


 俺たちは丘の上に聳える大樹の根本まで近付いた。

 枝が傘みたいに広がって、星の光を遮っている。

 チェリーは大樹の周囲をざっと眺めて首を傾げた。


「うーん……? 特に何もありませんね……?」


「んー……もうちょっと探してみよう」


 いろんなところに目をやりながら、大樹の幹をゆっくりと回り込んでいく。

 暗くて見えにくいが、やっぱり特に変なものは――


「「あ」」


 幹の裏側に、一本の傷があった。

 鋭利なもので斜めに引っかいたような傷だ。


「これは……」


 幹についた傷からは『!』マークのアイコンがポップアップしている。

 俺はそれを指でタップした。


【剣によって付けられた傷だろう。比較的新しい】


 そんな文章のウインドウが現れる。


「先輩、ここ」


 その傷から2歩分ほど離れた場所の地面を、チェリーが指さした。

 そこにも『!』アイコンが浮かんでいる。

 よく見てみると、アイコンの下の草が黒ずんでいた。

 チェリーが『!』アイコンをタップする。


【血痕だ。完全に乾いている】


「剣の傷と、血痕……?」


「ここで誰かが斬られたってことでしょうね。木を背にした状態で斬りかかられて、なんとか避けたけど少しだけ掠ってしまったって感じでしょうか」


 チェリーは傷の傍に立ち、そこから血痕に向かって、ぴょんっ、ぴょんっ、と歩幅で距離を測る。


「斬られた衝撃で地面を転がって、ここに血が付いたんだとすれば……怪我をしたのは肩で、性別は男の人ですかね。肩幅から考えて」


「すげえ肩幅の広い女かもしれんぞ」


「そんな人だったら返り討ちにしてそうですけど」


「それは肩幅関係ないだろ。お前だって返り討ちにしそ――ごふッ!?」


「こういう風にですか?」


「こういう風にだよ……!」


 躊躇なく腹パンしやがった女は、しれっと木の傷に視線を移した。


「まあ、私みたいに華奢で可憐な体格ではない女性の可能性もありますけど、襲われたのは十中八九ベンジャミンさんでしょうね」


「体格と人格が必ずしも一致するとは限らないんだよなあ……」


「ですよね。私とは違って」


「こいつ回避力たけえ」


 常時みかわしきゃくだよ。


「気になるのは、血痕がこの程度で済んでるってところですね。地面に転がすところまで行ってるのに、トドメを刺さなかったんでしょうか?」


「ああ、言われてみりゃそうだな。隙だらけだったはずなのに……」


「殺すつもりがなかったってことはないでしょうし。ここまでがっつり木に傷を付けてるんですから」


「ベンジャミンが地面を転がったところで、殺すのを思い留まった……?」


「何か起こったんでしょうね」


「何かって?」


「例えば――誰かが庇いに入ったとか」


 庇いに……。


「もう一人、ここに誰かがいたってことか?」


「それも、剣を持った人間に対して、身を挺して守ろうとするくらいベンジャミンさんを大切に思っている人です」


「そんなもん、お前……」


「私にとっての先輩みたいな?」


 くすくす、と悪戯っぽくチェリーは笑う。

 俺は溜め息をついて、


「ああそうだな。俺なら庇いに入るかもな」


「つまりこの場には、ベンジャミンさんの下僕がいたってことですね」


「お前の中での俺の扱い!」


 うすうす勘付いてたけど!


「冗談ですよ。家族か、あるいは恋人ってところじゃないですか?」


 言いながら、チェリーはにやっと意地の悪い笑みを浮かべた。


「先輩も庇ってくれるんですよね~? じゃあどっちですか? 家族ですか? それとも~……」


「あーもうやかましい! さっさと話進めないと追いつかれるぞ!」


「はいはい」


「なんで俺が『仕方ないなあもう』みたいな態度されてるんだ……」


 その態度になりたいのは俺のほうだ。


「たぶん、ここで恋人と逢引きでもしてたんじゃないですかね? それも、あんまり周囲に歓迎されない相手と」


 チェリーはようやく結論を言った。

 異論はない。

『会わせたい人がいると言っていた』という鍛冶屋のおっさんの証言とも合致する。


「周囲に歓迎されないって言うと……」


「身分違いの相手っていうのが王道ですね」


「貴族か」


「貴族です」


「貴族の娘と付き合ってて、逢引きしているときに何者かに襲われて、恋人に庇われて……襲撃者が剣を止める」


 なら、襲撃者の役回りには誰が入る?

 俺の想像はすぐに答えを出した。


「……その恋人の父親とかか?」


 直前まで殺すつもり満々だったのに、恋人が庇いに入った途端に剣を止めた。

 つまり、襲撃者はベンジャミンの恋人の縁者である可能性が高い。


「そんで、貴族か。……一人しか思いつかねえんだけど」


「私も同じ考えです。どうしてベンジャミンさんのブレスレットをあの人が持ってたのかってことにも説明が付きます。

 おそらく、名前が刻まれていることに気付かないまま、奪ったものをプレゼントとして使ってしまったってところじゃないですか?」


「なーるほどなー。んじゃ、さっさと――」


「――おーい! おおおおおおおい!!」


 不意に、街の方角から、数人の男女が手を振りながら丘を駆け上ってきた。

 見知らぬ面子だったが、今はMAOプレイヤーの多くがチェリー派ミミ派に分かれている状況だ。

 誰が敵かもわからないが、誰が味方かもわからない。


「どうかされましたか?」


 チェリーが落ち着いた声で尋ねた。

 すると、先頭の男が街のほうを指さし、上擦った声で言う。


「ゆ、UO姫が! アベニウスの屋敷に……!!」


「なっ……!?」


 アベニウス。

 サンエリス広場でプレゼント交換会をしていた貴族。

 なぜかベンジャミンのブレスレットを持っていた男だ!


「先を越されたのか!? なんで!?」


「わ、わかんない……。鍛冶屋を出てから、まっすぐそっちに行ったらしい……」


「……当て推量で動きやがりましたね」


 チェリーの声音は、呆れと苦みが半々だった。


「クエストの内容が『ベンジャミンを見つけろ』っていうざっくりした内容だったのを見て、過程を省略できると踏んだんですよ。アベニウス家が関わってることは想像が付いたでしょうから」


「はあ!? それでクエストが進まなかったらどうするつもりだ!?」


「勝負に出たのか……あるいは、何か良からぬことを考えているかですね」


 どっちにしろダメじゃねえか。


「早く追いかけようぜ。もし本当にショートカットできたら、もう追いつけなくなる」


「せっかちですね先輩は。私に嫌われますよ?」


「それが忠告になると思ってるお前の価値観に驚きだよ!」


「どうせ今から行っても後塵を拝するだけです。ここで何かしらアドバンテージを得ない限り、私たちに勝ち筋はありません。焦って追いかけることには何の意味もありませんよ」


 ……そりゃそうかもしれんが。

 こいつ、よく焦らないでいられるな。


「何かあるはずです。ここに誘導したのは、さっきの推理をさせることが目的だとはとても思えない……」


 呟きながら、チェリーは大樹の周囲を歩き回り始めた。

 まるで事件現場を検分する探偵だ。


 任せっきりじゃいられない。

 俺も手がかりを見つけるべく、大樹の周囲に目を凝らす。

 怪しいのはやっぱり、幹に付いた傷の周辺だが……。


「……ん?」


 傷がある場所の真下。

 大樹の根本に茂る下生えに、違和感を持った。

 しゃがみ込み、ためつすがめつ観察する。


「草が……潰れてる?」


 まるで、この場所に誰かが長い間座り込んでいたような……。

 潰れた草にそっと触れた。

 瞬間。

 目の前にメッセージウインドウが現れた。


【《名前の刻まれたブレスレット》を使用しますか?】

【Yes/No】


 使用だって?

 ブレスレットを?

 俺は戸惑いのまま、【Yes】をタップした。


「―――っ!」


 直後、視界が目映い光に染まる。

 それが晴れたとき、俺の視点は別人のものになっていた。


 さっきまでより、空がずっと暗い。

 星々が輝いているのが見える。

 視点が低い。

 地面に座り込んでいた。

 背中には木の冷たくて硬い感触。


 これは――

 五感再現ムービー?


 フルダイブ技術の応用で、他人、あるいは架空の人間の経験を、五感ごと追体験できるものだ。

 こっちはただのムービーだから、身体を動かすことはできない。

 感覚としては、夢を見ているときのそれに近かった。


 荒い息が聞こえた。

 自分のものだ。

 それを押さえるように、右手で自分の口を塞いでいる。

 その手首に、あのブレスレットが見えた。


 左の肩に、じんじんとした違和感があった。

 怪我をしているのか?


 五感再現ムービーは、思考までは再生しない。

 だから、この視点の本来の持ち主――おそらくはベンジャミンが、いったい何を思って、どういうことをしているシーンなのかはわからない。

 だが、その身体の強ばりから、相当の恐怖と緊張の只中にあることがわかった。


『―――るのか、アベニウス』

『貴様たちにはもうついていけん!』


 後ろのほうから、声が聞こえた。

 怒鳴り声だ。

 それから、争うような音。

 金属と金属がぶつかり合うような音が聞こえる。


『――――ぅぐっ!』


 うめき声が、かすかに聞こえた。

 それを最後に、めっきり静かになる。

 再び、自分の荒い息だけが耳の中を満たす。


 ――サクッ。

 ――サクッ、サクッ、サクッ。


 足音だ。

 草を踏みしめる足音が、近づいてくる。

 視界がゆっくりと動いた。

 いかにも恐る恐るといった調子で――

 右へ。


 ――サクッ、サクッ、サクッ。


 足音が、さらに近付いてくる。

 大樹の陰から、ぬうっと、人影が現れた。

 暗くて、風体はよくわからない。

 いや……でも……。

 胸の辺りに、返り血が付いている?


 人影の手が、こちらに伸ばされてくる。

 真っ黒なそれが、視界のすべてを覆って――


「――――はあっ!」


 視界が元に戻った。

 身体を動かせる。

 右の手首を見ても、ブレスレットはない。

 元の俺の――ケージのアバターだ。


 木の根本の、誰かが座り込んだ跡を見ながら、俺は考える。


 今のは……ここに座っていた奴の記憶……。

《残留思念》だ。

 あのブレスレットを着けていたということは、ベンジャミンか。

 最後に出てきた人影は誰だったんだ?

 そして――

 この記憶の後、ベンジャミンはどうなった……?


「おい! ちょっと来てくれ!」


 一人で考えても仕方がない。

 俺はチェリーを呼んだ。


「どうしました? 何か見つけました?」


「ああ。このブレスレットを持って、この辺りの草に触ってみてくれ」


 駆け寄ってきたチェリーにブレスレットを渡した。

 チェリーは首を傾げつつも言う通りにする。

 と、例のウインドウが出てきたんだろう、虚空をタッチした。


 数秒。

 チェリーは、そのままの姿勢で硬直する。


「――――はあっ!」


 大きく息を吐いて、チェリーは左右を見回したり、手をグーパーしたりした。

 こんなに短かったのか。

 体感じゃ、この10倍くらいはあった気がしたんだが。


「今のは……残留思念ですか」


「ああ。久しぶりだよな、この仕掛け」


 五感再現ムービーを使った演出は《残留思念》と呼ばれていて、今までにもちょくちょく使われていた。

 何度やっても結構ビビる。


「……アベニウスって聞こえましたね」


「ああ。その情報をもとにアベニウスを訪ねる流れなんだろうな」


「その後に呻き声が聞こえました。返り血を見るに、やられてしまったんでしょうけど……あの呻き声、どちらのものだったかわかりました?」


「いや……。さすがにそこまではわからなかった」


 アベニウスのものだったのか、アベニウスと話していた誰かのものだったのか。


「だけど、アベニウスはついさっきサンエリス広場に姿を見せただろ。ってことは、やられたのは話してた何者かのほうで、最後に出てきた人影がアベニウスだろ?」


「話の雰囲気は逆っぽかったんですよね……」


 確かに、アベニウスと話していた誰かのほうが、声が落ち着いていた。

 すぐにやられてしまう奴の雰囲気じゃなかったな……。


 チェリーは首を捻りつつ、大樹の表側に回った。

 俺もついていく。

 あの争う音や怒鳴り声は、こっちのほうから聞こえていた――


「あっ?」


 大樹の表側に回るなり、俺はおかしなことに気付いた。


「気付きましたか、先輩」


「ああ……」


 人影には返り血が付いていた。

 あれほど返り血が付くってことは、結構派手に血が撒き散ったはずだ。


 だって言うのに――

 今、この場所には、血痕らしきものが見当たらない。


「どういうことだ?」


「処理した……ってことでしょうね、何らかの方法で」


「その方法について突っ込むのは野暮か?」


「剣と魔法の世界ですからねー」


 だよな。

 方法はいくらでもあるだろう。


「問題は『なぜ』のほうですよ」


「って言うと?」


「こっちの血痕は処分したのに、どうして大樹の裏のほうの血痕は処分しなかったのか」


「……見逃したから?」


「そういうことでしょうね。要するに、そこに血痕があることを知らなかった。

 ――最初に肩に怪我をさせた人間と、あの返り血の付いた人影は別人ってことです」


「……ベンジャミンに怪我をさせたのがアベニウスだとすると……」


 返り血の人影は、それとは別人なわけだから……。


「やられてしまったのはアベニウス卿のほうですね――広場に姿を現したのは偽物ということになります」


 つくづくこいつの地頭の良さには舌を巻く。

 俺は細かい理由については『なんとなく』で済ませてしまうタチだが、こいつはとことん理詰めで考えるタイプなのだ。

 だからなのか、カードゲームなんかじゃ新しいデッキを作り出すのが得意である。


「あとは、あの人影の正体さえわかれば……」


 呟きながら、チェリーは大樹からゆっくり離れていった。

 視線を地面に走らせている。


「あっ!」


 不意に声をあげ、腰を曲げて地面から何かを拾った。


「証拠発見です!」


 チェリーが嬉しそうに見せてきたのは――


「記章……って言えばいいのか? そういうの。バッジみたいなやつ」


「身分や所属を証明するものですね」


「じゃあ、それ――」


 その記章は。

 二重になった五芒星を――

 ――《ジェラン教》のシンボルを、模っていた。


「ショートカット合戦です」


 チェリーは不敵に笑う。


「追い抜きますよ、先輩」



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