<< 前へ次へ >>  更新
30/262

第29話 学校帰りに個室で二人


 2月14日。

 最後の授業が終わるや、俺は一つ伸びをしたのち、教科書を鞄の中に放り込んで教室を出た。


 そういや、なんだか今日は朝から教室がざわついていた気がするなあ。

 俺がすっかり失念している行事でもあるんじゃないかと焦ったけど、結局なんにもなかったし……。

 MAOでは、今日はバレンタインイベントの日なんだが。


「……あっ、バレンタインデーか」


 昇降口で靴を履き替えた辺りで思い出した。

 マジで忘れてた。

 そっか、バレンタインデーか。

 それで女子が何か渡し合ってたり、それを男子が言葉少なに見守っていたりしたんだな。


 バレンタインイベントのおかげで、今年は早めに思い出せた。

 いつもは家に帰ってから、妹に義理チョコをもらって5秒くらいした後にようやく思い出す。

 俺にとっては、そのくらい存在感のないイベントなのだ。

 具体的にはドラクエ5のジャミじゃないほうくらいの存在感。


 バーチャルギア(眼鏡モード)のスイッチを入れながら校門を出る。

 ARモードになったレンズが、位置情報ゲームを立ち上げた。

 近くにあったお地蔵さんに重なるようにして、半透明の塔のようなものが屹立する。

 そこから自動的にアイテムが回収された。


 さて、どこで待ち合わせだっけ?

 確か……。


 考えながら曲がり角を通り過ぎようとしたとき。


「うおっ!?」


 曲がり角の陰から伸びた手が、俺の腕を掴んで引き寄せた。

 すわ人攫いか、と焦った俺だったが、


「こんにちは。せーんぱい♪」


「……なんだ、お前か」


 何のことはなかった。

 チェリーこと真理峰サクラだ。

 制服の上に茶色いコートを着て、首には白いマフラーを巻いている。

 寒さのせいか、頬が赤らんでいた。


「なんだとは失礼ですねー。せーっかく可愛い後輩が茶目っ気のある悪戯をしてあげたのに」


「ありとあらゆる行動が恩着せがましいなお前は。なんでこんなところにいんの? 待ち合わせ場所は別だろ?」


「ホームルームが早めに終わったので、先輩を驚かせようかなって」


「それだけかよ……。『学校の人に見られると恥なので離れた場所で待ち合わせましょう』とか言っといて……」


「先輩のためにリスクを冒した私を誉めてくれてもいいんですよ?」


「驚かせることを俺のためだと言ってる辺りに、お前と一緒にいることのリスクを感じるな」


 3人組の女子が通りがかったので、俺たちは口を閉じた。

 俺の背中に遮られて、真理峰の姿は見えなかったはずだ。


「……さっさと学校を離れましょうか」


「おう。もたもたしてたらイベント始まっちまうしな」


 そういうわけで、俺たちは移動する。

 目指すのは《冒険者会館》だ。

 MAOの運営企業《NANO》による施設で、簡単に言えば、ゲーム内のショップをリアルに引っ張りだしてきたものである。


 ゲーム内と同じような感覚でNPCショップが使用できる他、喫茶店としての面もあり、MAOプレイヤーの溜まり場となっている。

 MAO専用の常設オフ会会場とも言おうか。


 さらに、冒険者会館にはバーチャルギアの《ドック》が用意された個室も用意されている。

 要するにネットカフェみたいなものだ。

 オフ会で交遊を深めた仲間と、そのままMAOにログインして遊ぶ、というようなことが可能になっているのだ。


 今日はそこからログインする予定だった。

 UO姫とのRTA勝負に備えてのことである。

 消費アイテムの補給なんかは、ゲーム内のショップに行くより、ログアウトして会館のリアルNPCショップに走ったほうが早かったりするのだ。

 実際、微妙な差だが、念には念を入れてな。


個室(ブース)の予約は取ってあるんだよな?」


「バッチリですよ」


「……なあ。マジでペアブース取ったの?」


「取りましたけど? ……あれ~? なんですか~? もしかして先輩、私と密室で二人きりだと意識しちゃうとか~?」


「は、はッ! 混浴までしておいて何を今さら!」


現実(こっち)の身体は、いろいろ見えちゃいますし触れちゃいますけどね~」


 でゅふふ、と手の甲まで隠したコートの袖で、真理峰は口元を隠す。

 ……なんなの?

 どうしてほしいの?

 やっちゃってもいいわけ?

 会館を出禁になるようなことを?


 ……MAO内で噂が広がりまくって、末代までの恥になるな。

 やめよう。


 真理峰と取り留めのないことを話しながら歩く。

 冬の京都は寒い。

 そのくせ夏はクソ暑い。

 誇れるのは任天堂があることくらいだ。

 寺社仏閣は全然行ったことないからよく知らない……。

(京都人以外は知らないかもしれんが、俺たち京都人は修学旅行で京都に行ったことがないのだ!)


 寺町通りのアーケード商店街に入ると、どっと人通りが増えた。

 どこもかしこもバレンタインフェアをやっているせいか、雰囲気が少し浮き足立っている気がする。


「今日こんなところを二人で歩いてたら、カップルだと思われちゃうかもですね、先輩?」


「それはもう正直慣れたからどうとも思わんわ」


「ちぇー」


 真理峰はつまらなそうに唇を尖らせた。

 俺も成長するんだぞ。

 どっちかと言うとただ麻痺してるだけだが。


 寺町三条は、京都中のオタクが集うエリアである。

 同人誌ショップやTCG・アナログゲーム関連の店など、オタク御用達の店がここらに集中しているからだ。

 だからなのか、冒険者会館京都支部は、このエリアに存在した。


 寺町通りから細い路地に入ると、中世ヨーロッパの酒場めいた看板が右手の壁にぶら下がっている。

『冒険者会館 京都支部』。

 その下には、地下に続く狭い階段があった。

 まるでライブハウスだ(行ったことねえけど)。


 結構急な階段を、真理峰、俺の順で下っていく。

 この一人しか通れない狭い階段で地下に潜っていく感じが、なんとなく秘密基地っぽくて、俺は気に入っていた。

 まあ初めて来たときはすげえ怖かったけどな。


 階段を一番下まで降りると、左手に扉がある。

 真理峰がそれを押し開けると、カランコロン、とベルが鳴った。


「こんにちはー」


「いらっしゃい。……ああ、なんだ、あなたたち?」


 カウンターの奥から気だるげな声を放ってきたのは、着物をだらしなく着崩した女性だった。

 年の頃は、たぶん20代後半くらい。

 長い黒髪を舞妓さんみたいに結い上げ、白いうなじを見せているが、何せ結い方が雑なので風呂上がりか何かにしか見えない。


 そして、口にはなぜかチョコ菓子をくわえていた。

 そう、最後までチョコたっぷりのアレ。

 それを口先で上下に揺らしている。


「『ああ、なんだ』って……相変わらずの接客態度ですね、タマさん」


「いーのよ、本業じゃないんだから……」


「本業じゃなくても仕事であることに変わりはないんじゃ?」


「いーのいーの」


 このやる気のなさが留まるところを知らない和服の女性は《タマ》。

 当然ながらハンドルネームだ。

 この冒険者会館京都支部の管理人で、酒場のマスターも務める。

 一方で、MAOの中ではGMの一人だ。

 タマというのはGMとしての名前である。


 つまり、運営の中の人。

 NANOの社員だった。


「あたしの本業はGMとしてクソユーザーに説教かましてやることなんだから、あなたたち優良ユーザーがここで何やろうが、大抵は見逃すわよ。殴り合いの喧嘩をしようが、奥のブースで若さを爆発させようが」


「ばくっ……しませんよっ!」


「そーなの? ラブホより安いのに……」


 タマさんは咥えていたチョコ菓子をぽりぽりと食べて、新しい1本を口に咥えた。

 前に聞いた話では、ここは禁煙だからタバコの代わりらしい。


「まあ実のところ、前にマジでヤってやがったバカがいたときは、半ケツ蹴り飛ばして追い出してやったんだけどね。あん時は声がこっちにまで聞こえてくるわブースん中はすげー匂いだわで酷いもんだったから、気を付けて使ってちょーだい。はい鍵」


「聞きたくないですよ、そんな話……」


 真理峰は恨みがましげなジト目でタマさんを睨みながら、ブースの鍵を受け取った。

 その顔はちょっと赤い。

 さっきは自分で同じようなことを言ってたくせに、人に言われるのは嫌がるんだよなあ……。


 真理峰は受け取った鍵をしばらく見つめたあと、俺のほうをチラッと見て、「うう~」と小さく唸った。

 まあ、確かに、今の話の直後にペアブースへは行きづらいわな。

 幸い、イベント開始の5時まではまだ幾許か時間があるが……。

 レンズにAR表示されたデジタル時計を見ながら考えていると、


「チェリーさん、ケージさん」


 後ろからキャラネームで呼ばれた。

 振り返れば、純和風の黒髪ロングを背中に伸ばした、理知的な顔つきの女子が立っている。

 顔見知りだった。


「ああ、ろねりあさん。いらしてたんですね」


「はい。みんなと一緒に」


 見れば、奥のテーブルに3人の女子がいて、こっちに手を振っていた。

 ろねりあの配信にいつも出ているメンバーだ。


「もうブースのほうに行ってしまわれましたけど、セツナさんもいらっしゃってますよ」


「そうなんですか? ああ、じゃあ挨拶できたらよかったんですけど……。ろねりあさん共々、今日はお世話になりますから」


「いえいえ。好きでやってることなので」


 今日のUO姫とのRTA対決。

 セツナとろねりあには、ある役割を担当してもらうことになっていた。


 チェリーが設定した第4のルール。

 お互いがルールを守っているかどうかを他のMAOプレイヤーに監視させる、というもの。

 当然、何でもかんでも自由に違反報告できるようじゃ話にならないので、ルール違反の指摘には証拠動画を添えることになった。

 その証拠動画を検証する係が、セツナとろねりあなのだ。


「私たちが直接配信できれば手っ取り早かったんですけど……」


「ミミさんに配信ページなんて与えたら勝負になりませんものね」


 くすくすと上品に笑うろねりあ。

「遺憾ながら」と、真理峰は苦み走った声で同意する。

 配信なんかやらせて、視聴者の中にクランメンバーをしれっと混ぜられたりしたら、クランを使うなと条件を付けた意味がない。


「それより、お二人とも。勝負の後はどうされるご予定ですか?」


「後ですか? 特に予定はありませんけど……」


「だったら、私たちの打ち上げに参加されませんか? 晩御飯がてらパーティをして、その後はどこか狩りにでも行こうかって話してたんです」


「へえ! いいですね!」


「セツナさんもご招待したので来られますよ。他にも何人か声をかけました」


「楽しそうじゃないですか。参加します! 私も先輩も!」


「いや待ておい」


 勝手に俺まで入れるな。

 真理峰はこちらを見上げて、


「なんですか? 参加しないんですか? 予定でもあるんですか? バレンタインの夜に?」


「いや、まあ、その……」


「ほら! どうせそうやってまごつくだけなんだから私が決めてあげたんです! はい参加! 決定!」


「強引な……」


「先輩がぐだぐだ言うときはOKのときなんですよ。その気がないときは即答するじゃないですか。『行けたら行く』とか『都合が合えば』とか」


 まあそうだけどさ。

 言い当てられてばつが悪くなっていると、ろねりあが「ふふっ」と微笑んだ。


「よくご存じなんですね、ケージさんのこと」


「えっ」


 真理峰は一瞬目を丸くして、


「……ま、まあ……」


 その目を横に泳がせた。

 ろねりあはくすくすと上品に笑う。


「飲食代は割り勘の予定ですので、そこだけご了承くださいね」


「あ、はい」


 ろねりあは折り目正しく頭を下げて、仲間のところに戻っていった。

 ほんっと育ち良さそうな娘だよなあ。


 ……しかし、割り勘か。

 何千円も払うことにはならないと思うし、大丈夫だと思うが。


「打ち上げをするとなると、家に連絡を入れとかないとですね。帰り遅くなりますし、晩御飯もいらないことになりますし」


「ああー、そうか、それがあった。くっそ……バレンタインの夜に帰りが遅いとか、絶対レナに勘繰られるぞ……」


「ご愁傷さまでーす。今回、私は関係ないのでー♪」


「こいつ……」


 家に連絡を入れるべく端末を取り出して、


「っと。もう4時半か」


「あと30分ですね。ブース行きましょう」


 メッセージアプリに文面を打ち込みながら、喫茶エリアの奥にある通路に足を向けた。

 ブースエリアの雰囲気は、ほとんどネットカフェだ。

 狭い通路に、トイレの個室みたいな扉がいくつも並んでいる。

 ただ、内装がファンタジー世界の宿屋をイメージしたものになっていて、床や壁は木目調である。


「それにしても、集まったもんですよね」


「あん? 何がだ?」


「ろねりあさんたちにセツナさん、そして私たち。よくもまあ京都にばっかり最前線組が集まったなあ、と」


「たまたまだろ。京都出身の推理作家が多い気がするのと同じで」


「大学生だったらわかりますけどね。大学、たくさんありますから。でもみんな高校生じゃないですか」


「大学生の最前線組も多いけどな」


「それに――」


 真理峰は何か言いかけたが、結局何も言わなかった。

 だが、俺にはわかった。

 UO姫だ。

 実はあいつも京都人である。


「あ。あったあった」


 目的のブースに辿り着いて、真理峰は鍵を使った。

 ブースの中は、ちょっとしたカラオケボックスくらいの広さがあった。

 置かれているのは、ソファベッドが二つと、ローテーブルが一つ。

 フルダイブに必要なバーチャルギアのドックは、奥の壁際に置かれていた。


「ちゃんと鍵閉めてくださいね」


「おう」


 きっちり内側から鍵を閉める。

 俺たちのログイン中にこの扉が開かれたりしたら、仮想世界のほうで警報が鳴って即ログアウトになる仕組みだ。


「先輩。鞄」


「ああ、悪い」


 俺の荷物を受け取った真理峰は、自分の荷物とまとめて奥の荷物置き場に置いた。

 それからコートを脱ぐ。

 隠されていた制服が露わになった。

 紺色のブレザーに黒いスカート――何の変哲もない制服だけど、俺にはむしろ新鮮に見えた。


「暖房、何度にしますかー?」


 エアコンのリモコンを取りながら、真理峰はローファーを脱ぎ捨て、黒いタイツに覆われた足で体育座りをした。

 靴から解放された感覚を楽しんでいるのか、足の指先を閉じたり開いたりしている。


「……先輩? 何度にしますかって訊いてるんですけど」


「お、おう。23度くらいでいいんじゃねえか?」


 アバターの白ニーソもいいけど黒タイツもいいなあなんて思ってないですよ、決して。


「23度……まあそれくらいなら大丈夫かな? 床に近いし」


 真理峰がそんな風なことを呟いた気がしたが、俺は彼女のスカートの状態が気になってしょうがなかった。

 タイツを履いているとはいえ、ソファベッドの上で体育座りって、さすがに無防備すぎない?

 と思ったが、きっちりスカートの裾を持ち上げて、パンツが見えないようにしていた。

 ……まあいいけど。


 俺も制服の上に着ていたコートを脱ぐ。


「……あ、そうだ。俺、ギアのアタッチメント鞄の中だわ」


 唐突に思い出した。

 今、俺が眼鏡として掛けているバーチャルギアの《グラス》と、黒い箱状の《ドック》を繋いでVRデバイスにするには、アタッチメントを《グラス》に取りつけなければならないのだ。

 そういうわけで荷物置き場のほうに行こうとしたら、


「あ、あー。私も鞄の中です。一緒に出しといてあげますよ。代わりにこれ、ハンガーに掛けておいてくれます?」


「ん? おう」


 真理峰にコートを押しつけられた。

 んー?

 ……まあいいか。


 自分のと真理峰のコートをハンガーに掛けているうちに、二つの眼鏡ケースがローテーブルの上に出されていた。

 ギアのアタッチメントだ。

 普段は眼鏡ケース型で、グラスに取りつけるときだけ変形させる。

 真理峰がグラスを取り出して、手慣れた仕草でケースを変形させていった。


「お前、あんまりグラス使わねえよな」


「先輩ほどどっぷりデジタルに浸かってませんから。私の眼鏡っ娘モードが見れなくて残念ですか?」


「ふっ」


 鼻で笑ってやりながら真理峰の対面に座ると、


「えいっ」


「あっ!?」


 唐突に伸びてきた手に、俺の眼鏡が奪われた。

 ぼやけた視界の中で、真理峰が俺から奪った眼鏡を掛ける。


「うわっ、ぐにゃぐにゃする」


「目悪くなるぞ」


「そしたら私も晴れて眼鏡っ娘ですね。どうです? 似合いますか?」


 少しだけ目を細めてその顔を見て。

 俺は目を逸らす。


「………………まあ……」


「ん~? 聞こえませんね~?」


「やっ……やかましい! 返せ!」


 闇雲に手を伸ばしたが、やはり視力の問題か、簡単に逃げられた。


「可愛いって言ってくれたら返しますよ?」


「ぐぐ……! …………か、」


「か?」


「……か、わ…………い、い」


「ふふ~!」


 嬉しそうに笑うと、真理峰は眼鏡を外して、俺に掛けさせる。

 視力が戻って、真理峰のにやついた顔がくっきりと見えた。


「ほら。これで可愛い後輩がもっとよく見えますね?」


 うぐぐ、こいつ……!

 悔しくなった俺は顔を逸らして、


「…………ど、どうだろうなあ~? 眼鏡かけて見たらやっぱりそんなでもなかったかもなあ!」


「あーっ! ひどい! それはひどいです先輩!」


「よく考えたらそもそも可愛いとか言ってなかったかもなあ!」


「言・い・ま・し・た~! ちゃんと聞きましたもん私!」


 それから始まった言った言ってないの押し問答は、ブースの扉を叩くノックの音で終結した。


「お二人さん。こっちまで聞こえてるわよ」


 タマさんの声だった。

 耳を澄ましてみれば、遠くから「キャ~っ!!」という女子高生どもの歓声が聞こえてくるような気もする。


 瞬間的に顔が熱くなる。

 真理峰の顔も羞恥で紅潮した。


「気を付けるよーに」と言い置いて離れていくタマさんの足音を聞きながら、俺たちはチラチラと視線を交わし合って、この空気の落としどころを探る。


「……え~と」


「おう」


「…………ログイン、しましょうか?」


「……おう」


 あんまり落ちてなかったけど、まあいいことにしよう。




<< 前へ次へ >>目次  更新