第28話 タイムアタックは和製英語
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精霊バレンタイン――
それは、毎年2月14日にムラームデウス島を訪れる幸福の象徴。
人々はその訪れに感謝し、思い思いのプレゼントを贈り合う。
あるいは日頃の感謝を。
あるいは、普段は口にできない想いを込めて――
そんな年に1度の特別な日が迫ったムラームデウス島。
人々は例年通り、プレゼントの用意に勤しんでいた。
けれど、一部ではトラブルが起こっているようで……?
果たして、今年のバレンタインは幸福のまま終われるのか!?
※バレンタインイベント開催!
2月14日17時より、バレンタインイベントを開催します!
期間中は100以上の限定クエストが各地に発生!
クリアするとイベント限定アイテムがもらえます!
その他、それら限定クエストとは異なる特別なクエストが、《教都エムル》のどこかで発生します。
事前に贈り物を用意してこのクエストをクリアし、レアアイテムをゲットしましょう!
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「そっちだめっ……。こっちです、こっち……」
「あ、そうか。悪い……」
「焦らないでください。ゆっくりですよ、ゆっくり……そう……んっ!」
「大丈夫か?」
「だ……だいじょうぶ、ですっ……もうちょっと、で……とどく……ぅぅうっ……!!」
「くっ……!」
「――届いたっ!!」
肩車したチェリーの手がカカオの実を掴んだ瞬間、俺はついにバランスを崩した。
「きゃっ!?」
「んぎゅっ!?」
ジャングルの地面にうつ伏せに倒れた俺は、背中に落ちてきたチェリーのお尻に潰された。
「……重い……」
「重くないですっ!」
「いだっ」
頭をシバかれた。
背中に乗られているから無抵抗だ。
「失礼な先輩です。恩を仇で返されました」
「恩ってなんだよ」
「大サービスで私の太腿の感触を味わわせてあげたのに」
「人を脚立扱いしたのを都合よく言い換えてんじゃねえ!」
何でもかんでも恩に変換してきやがる。
恩の錬金術師だ。
……顔のすぐ横にある太腿を意識しなかったかと言えば嘘になるが。
「ふんっ!」
「きゃあっ!?」
腕立て伏せの要領で無理やり身を起こした。
背中にいたチェリーは地面に転がる。
「いたた……。先輩、ひどい! 優しくない!」
「ふはは! 俺に少しでも優しくしてから言うんだな!」
振り返ると、一条の光が視界に飛び込んだ。
尻餅を突いたチェリーの赤いスカートの中を、見事に覆い隠していた。
チェリーはハッと気付いて、スカートを直しながら足を閉じる。
「み……見ました?」
少し顔を赤くしながらの恨みがましげな上目遣い。
俺は顔を逸らした。
「……見えなかった。規制で」
「見ようとしてるじゃないですかっ!」
「あんな不自然な光があったら反射的に見ちまうだろ!」
トラップ! これはトラップだ!
「もう……油断も隙もないんですから」
「ぶつくさ言うなよ。ほら」
「ん……」
俺は手を差し伸べて、チェリーを立ち上がらせた。
チェリーは赤いスカートを片手でぱんぱんとはたく。
仮想空間だからそんなに汚れないが、癖みたいなものだろう。
もう片方の手には、緑色の大きな実があった。
カカオだ。
樹に生っていたのを、肩車してもぎとったのだ。
「ようやく手に入れたな。それだろ?」
「そうです! これですよ! 最高級カカオ!」
チェリーはカカオを掲げ持って、ぶつくさ言っていたのが嘘のように目を輝かせた。
「ジャングルを何時間もさまよった甲斐がありました……」
「ほんとそれな」
俺たちがいるのは、ムラームデウス島の最南に広がる鬱蒼としたジャングルだった。
木々の葉が屋根のように頭上を覆って、謎の光以外の光はほとんど射さない。
地面は歩きにくいし暗いし謎の獣の鳴き声が聞こえてくるし、できればあまり訪れたくない場所だった。
救いは、このゲームにはリアルな昆虫系モンスターがいないことか。
VRゲームに虫を出すと大抵ユーザーが離れるので、それメインのゲームでもない限りは出さないかデフォルメするのだ。
「砂糖、ミルク、そしてカカオ……これで材料は集まりました。最高級のチョコが用意できますよ!」
「それをNPCにあげれば、特別クエストに繋がるアイテムがもらえるんだよな?」
「運営のヒントによれば。これがないと他の人がクエストを見つけるまで待たなきゃいけなくなるところでしたよ」
「ギリギリだったな……」
本日、2月13日。
バレンタインイベントは明日に迫っていた。
「ですが、このくらいはあの媚び媚び姫も用意してくるでしょう。勝負は明日からです」
「ああ。俺も協力する」
「ふふふ。そんなに私と離れたくありませんか?」
「いっ……いや、そういうことじゃねえし。あのお姫様のものになるとか、ろくなことにならないのが目に見えてるだけだし」
「はいはい」
にやにや笑うチェリー。
ああもう、そんな風に言われたら協力しにくくなるだろうが!
「それじゃ、帰って情報収集と作戦会議をしましょうか。先輩が私と引き離されて寂しい思いをしないように」
「もう何とでも言え!」
ふふふー、と嬉しそうににやにや笑うチェリーから顔を逸らす。
そうしながら、先日チェリーとUO姫が取り決めた『勝負』の内容を思い出した――
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「勝負……? って、何で勝負するんですか?」
サント・ミミ城、謁見の間。
問いかけたチェリーに、UO姫はにこにこ笑って答えた。
「もちろん、バレンタインイベントで♪」
「イベントで? どうやって?」
「単純だよ。RTAで勝負しよ」
「RTA……って」
「リアルタイムアタックか?」
リアルタイムアタック。
これは和製英語で、英語圏ではスピードランと呼ぶ。
あるゲームをどれだけ早くクリアできるかを競う、ゲームのプレイスタイルの一つだ。
単なるタイムアタックとの違いは、ゲームごとに微妙に定義が違って説明が難しいんだが……。
RTAという単語ができた頃、タイムアタックと言うと、セーブポイントごとにリセットを繰り返して一番速いプレイができたときだけ先に進む、といったものも含まれていた。
つまり『より短いプレイ時間でクリアされたセーブデータを作る競技』のことも、タイムアタックと呼ばれていたのだ。
リアルタイムアタックという単語は、セーブポイントでのリセットを使わない、ないしはリセットしたとしても計測タイマーを止めない――
すなわち、スタートからクリアまで休みなくプレイし続けるルールの競技を、セーブ&リセットや途中休憩を可とするルールの『タイムアタック』と区別して言い表すために生まれたもの――
――と、説明されることがある。
何せ誰か研究者が調査して論文にまとめたわけじゃあないから、絶対の定義は存在しない。
前述の通り、RTAと一口に言ってもゲームごとに定義が違ったりするので、詳しいことは各自調べてください。
ちなみに、さっき『英語ではスピードランと呼ぶ』と言ったが、スピードランは厳密には『タイムアタック』の英語訳だ。
リアルタイムアタックに当たる英語があるとしたら、たぶん『シングル・セグメント・スピードラン』が一番近いのかなーと個人的に思う。
飽くまで個人的な考えなので鵜呑みにしないように。
「イベント中、『特別なクエスト』がどこかで起こるって話だよね~?」
UO姫が楽しげに語る。
「そのクエストをどっちが早くクリアできるか! どう? 簡単でしょ?」
簡単……のようにも思えるが。
「……RTAってことは、クリアした時刻の早さで競うってことか? クエストにかけた時間じゃなくて」
「さっすがケージ君っ❤ そうだよ~。例えば、17時から20時まで3時間かけてクリアした人と、19時から21時まで2時間かけてクリア人となら、3時間かけてクリアした人のほうが勝ち。『クリアした時刻』が1時間早いからね☆」
だとしたら……。
「……イベントの開始時間は17時でしたね」
チェリーが、かすかに闘志を滲ませた声で尋ねた。
「それなら、お互いに公平ってわけですか」
「そうそう! 昼間は学校あるもんね~」
UO姫はにこにこと笑って、腹の底を窺わせない。
いつもそうだ。
こいつは決して、自分の本音を表に出さない。
「おいチェリー。これ怪しいぞ。うまく言えねえけど……」
「わかってます。わかってますよ」
そう言いながら、チェリーの目はUO姫の手にあるチョコに向いていた。
メッセージを入れられるチョコ、だっけ?
そんなに重要なものなのか?
「……わかりました。その勝負、受けます」
「ほんとっ!? やたっ❤」
「ただし! ……条件があります」
「条件?」
チェリーはフリルまみれの姫に指を突きつける。
「一つ。そちら側の参加者はあなた含めて二人まで。期間中、それ以外のクランメンバーとは会ったり連絡を取り合ったりしてはいけません。あなたのクランに人海戦術なんて使われたら話になりませんから」
「当然だよ~。こっちはミミともう一人だけね。わかったっ!」
「二つ。GM含む運営側から情報を引き出すのはナシです」
「え~、そんなことできないけどなぁ~。まあ、わかったよ」
「三つ。ルール違反が見つかれば即不戦敗」
「ん~。それってぇ、どうやって判断するのかな? 審判さんを決めておくの?」
「それが四つ目です。……これらルールと勝負の内容を、ネットを通じて公開します」
「えっ?」
「はっ!?」
UO姫だけではなく、俺までもが思わず声を漏らした。
ネットで公開?
俺のことをどうこう言ってる勝負の内容を?
いや、やめて!?
「お前何言ってんの!? 俺が一番恥ずかしいんだけど!?」
「賞品についてはぼかしますよ! とにかく、私とこの女が勝負してるってことを明かして、MAOプレイヤー全員を審判にしないと成立しないんです!!」
そこまでやる!?
チョコ1個だぞ!?
「――あはっ」
不意に、UO姫が笑った。
天使みたいに。
騎士たちが「ぐうっ!」と呻いて胸を押さえた。
「いいよ。四つ目のルール。公開しよっか、全部! ミミたちが『大事なモノ』を賭けて勝負してるってことで、ねっ♪」
と言いながら、UO姫は俺にウインクを飛ばした。
ううっ!?
本当にウインクが似合う人間、初めて見た……。
「勝負成立ですね」
と言いながら、チェリーは俺の手を握ってぐいっと引っ張る。
まるで所有権を主張するみたいに。
ウインクに吹っ飛ばされかけた意識が急速に戻ってきた。
「私が勝てば、そのチョコを返してもらいます」
「ミミが勝てば、ケージ君をもらうね。具体的にはミミのクランに入ってもらうよ~」
俺の意思は尊重されなさそうだったので、黙って様子を見守った。
「私が勝った場合は、もう一つ賞品をつけてもらいます」
「え~? 欲張りさんだなぁ~」
「私からパクったものを返すだけじゃ、あなたは痛くも痒くもないじゃないですか! 私が勝ったら今後一切、先輩には近づかないでください!!」
えっ。
チェリーさん?
唐突な独占宣言に俺が戸惑っていると、UO姫がことりと小首を傾げた。
いつも貼りつけている笑顔を、ふっと消して。
「へんなの」
「何がですか」
「付き合ってもいないくせに」
チェリーは何か言い返そうと口を開け――
――結局、一言も発さなかった。