第26話 兄と友達の関係を妹はまだ知らない
「さむ~……」
2月だった。
何でもない土曜日、俺はリビングのコタツで背中を丸めて、古い携帯ゲームをポチポチしていた。
はあー……リーリエかわいい。
「おにーちゃーん。ここからいなくなってー」
「……妹よ。いきなり兄をニフラムしようとするな」
キッチンのほうでガチャガチャ何かやってた妹のレナが、こっちに来るなり暴言を吐いてきた。
「じゃなくてさー、これから友達が来るから、お兄ちゃん居づらくなっちゃうよって話」
「それにしたって、俺が女子の集まりに気圧されるという前提で喋るのをやめろ。っていうか遊ぶなら部屋行けばいいだろ?」
「キッチンが必要なんだよね」
「ホワイ?」
「もうすぐ2月14日だから」
「んん?」
「バレンタインデー」
「ああ!」
あったな、そんなイベント!
「相変わらずチョコとは無縁だねえ、お兄ちゃん」
「毎年、家帰ってきてからグーグルのロゴ見て気付くわ」
「あれ? 去年はなんかのゲームのバレンタインイベントでガチャ回して死んだ魚みたいな顔してなかったっけ?」
「ぐっ……! 封印されていた記憶が……!」
でも、そっか、バレンタインイベントか。
それならMAOでもやるはずだ。
バレンタインイベントのことは覚えててもバレンタインデーのことは忘れてるんだよな、いつも。
「とにかくね、ここでこれから手作りチョコ教室開くから。10代女子への幻想を打ち砕かれたいならこのままゲームしててもいいけど」
「ええ? どんなサバトが繰り広げられんの……」
「ぎゃーだのうわーだのうぎゃーだの、可憐さの欠片もないよ、きっと」
「全部悲鳴じゃねえか」
やっぱりサバトだ。
「っていうかお前、チョコ作れんの?」
「もちろん! 恋する乙女に作り方を教えるために覚えたから!」
「自分で贈るためじゃないのか……」
ブレないなこのカップリング厨。
「ってことは、その友達には好きな奴がいるんだな」
「と、あたしは思ってる!」
「妄想じゃねえかよ!」
「妄想じゃないよー。あたしの恋愛センサーは優秀なんだから! あたしの見立てでは、年上の男の人と友達みたいに仲がいいけど最後の一線を踏み出せない状況が長く続いてるはず!」
そのむやみに詳細な見立てが妄想であることの証左だと思うが、もはや何も言うまい。
兄は妹を静かに見守るのみだ。
面倒くさいとも言う。
「だからチョコを使って背中をドーンと――」
ピンポーン。
インターホンが鳴った。
「あっ、来たみたい。はいはーい!」
レナはぱたぱたとリビングを出ていく。
俺も部屋に引っ込むか。
コタツは惜しいが、友達の兄が居座っていてはチョコも作りにくかろう。
ゲームの中で草むらを突っ切りながら、レナに続いてリビングを出る。
……またヤングースか。お前はもういい。
「いらっしゃーい! もう準備できてるよー!」
「お邪魔します」
んん?
聞き覚えのある声がして、俺は思わず玄関を見た。
3人の女子が、レナに出迎えられている。
その先頭にいる1人。
ダッフルコートを着て、黒い髪をツーサイドアップにした―――
チェリーだった。
いや。
いつもはピンクの髪が、今は黒。
いつもは巫女服めいた和風の装備が、今は茶色いダッフルコート。
姿形自体は本当にMAOのアバターと変わらないから、一瞬混乱してしまった。
まあ……それはつまり、ゲームから飛び出してきたかのような整った容姿をお持ちだということなんだが。
チェリー――真理峰は、他の二人の女子と一緒に、玄関に上がってくる。
口元を覆っていたマフラーを取った。
寒さからか、少し頬が赤くなっている。
後ろの二人は、よく見るレナの友達だ。
片方は小さく、片方は大きかった。
名前は……覚えてない。
クラスメイトの名前すらさっぱり覚えていない俺である。
便宜的に、友達(小)と友達(大)としよう。
「ま……真理峰さんっ」
友達(小)が真理峰の腕に抱きついた。
真理峰も若干小柄なほうだが、友達(小)はそれよりも小さい。
140センチ半ばくらいか?
「わたしっ、とびっきりおいしいチョコ、作りますからね! 真理峰さんのために!」
「はいはい」
「ああっ冷たい!」
ずいぶんと懐かれてんなあ。
以前MAOで出会った女子小学生プレイヤー、ウェルダのことを思い出した。
あの二人は今頃何をやってるんだろう。
「ほれほれ、百合はそこまでにしとき」
真理峰に抱きついた友達(小)を、友達(大)がひっぺがした。
おお、まるで大人と子供。
あの子、女子にしてはほんとにデカいな。
170余裕で超えてるんじゃないか?
「どうせチョコ作るんやったらクラスの男子にも配ったりいな。めっちゃ喜ぶんちゃう?」
「イヤ! 男子になんて!」
「もったいないなあ。
「何よデカ
「そうだよ、ツバキちゃん! 百合カプもイケるよ、あたしは!」
我が妹が謎の宣言をした。
「古霧坂さん、百合なんて言わないで! わたしはれっきとしたレズなんだから!!」
「長い付き合いやし、別に偏見なんてせえへんけど、人の家ん中で叫ぶことやあらへんと思うで?」
そうだぞ、ここで部外者が聞いているぞ。
イチゴと呼ばれた友達(小)と、ツバキと呼ばれた友達(大)は、4人の中でも特別気安い関係に見えた。
あの二人だけ下の名前(おそらく)で呼び合ってるし。
「はいはい。チョコは期待してるから、とりあえずキッチン行こうね」
「ああう! 真理峰さんの対応がおざなり!」
あの4人組は初見ではなかったと思うが、こうして改めて見ると発見があった。
あの真理峰が――あのチェリーが、このグループの中だと没個性!
いや、飛び抜けて整った容姿という個性はあるのだが、性格面においては落ち着いているほうにカテゴリされている。
っていうか、我が妹とさっきレズCOしたイチゴちゃんのパワーがすごい。
真理峰の立ち位置は、あの二人が生み出す混沌をいなして、話を先に進めるまとめ役といったところか。
俺とゲームするときもそうしろよ。
4人が玄関からこちらに歩いてくる。
しまった。
つい立ち止まって観察してしまった。
さっさと2階の自分の部屋に上がろうとしたとき、
「お邪魔します、お兄さん」
他人行儀な声がした。
真理峰だった。
社交的な笑顔を俺に向けている。
「……おう」
俺はそれだけ返事をして、階段を上がる。
2階に上がったところで、階下から声が聞こえた。
「愛想のない人ですよね。せっかく真理峰さんが挨拶してくださったのに!」
「まあねー。お兄ちゃんは二次元にしか興味ないから」
「えっ……なんて寂しい……」
「愛の形は人それぞれなんちゃうん?」
「いいよイチゴさん。私は別にどうとも思ってないから。それよりチョコ作る時間なくなっちゃうよ?」
「ああっ! そうでした!」
……レナお前、あとでシメるからな。
◆◆◆―――――――◆◆◆―――――――◆◆◆
「……ああ……リーリエ……」
やっていたゲームをクリアした。
俺はどっちかと言うと妖怪のほうの世代なんだが、さすが30年続いているコンテンツは違う。
どうしてくれようか、胸にぽっかりと空いたこの空白……。
時計を見ると、17時を回っていた。
外はすでに暗くなり始めている。
水でも飲むか。
それからクリア後の要素に触ることにしよう。
1階に降りると、何か甘い匂いが充満していた。
……チョコ?
「あ、そうか」
レナが友達とバレンタインのチョコを作ってるんだった。
リビングには入りにくいし、水は我慢して出直すか……。
と、踵を返そうとしたところで、リビングの扉が開いた。
「ふふふ……最高傑作ができました。これなら真理峰さんも喜んでくれるはず!」
「うん。さっき味見したけど美味しかった」
「はうあ! らぶらぶキッチン作戦が裏目に……!」
「大丈夫だよイチゴちゃん! 当日の告白プランを一緒に考えよう!」
「古霧坂さん……!」
「あはは! さすがにバレンタインに告る男子なんておらへんやろうし、モテモテのサクラちゃんに告るなら穴場かもしれへんなあ!」
帰り支度をした4人の女子が、かしましく喋りながら出てくる。
あまりにもいいタイミングだったから、逃げる暇がなかった。
レナが俺に気付く。
「あ、お兄ちゃん」
「レナちゃんのお兄さん、お邪魔しましたー!」
「オジャマシマシター」
元気よく挨拶した高身長のツバキに対して、レズCOしたイチゴちゃん(完全にそういう印象である)は、いかにも礼儀として一応言ってますという感じの、平淡な声音だった。
まあ、妹の友達にそんなに愛想良くされても、どうすればいいかわかんないけどさ。
そして最後の一人。
真理峰はと言うと。
「お邪魔しました、お兄さん」
愛想のいい声で言って。
さりげなく、こめかみの辺りを指さした。
「
……ああ。
すぐにピンと来る。
真理峰が指さしたのは、こめかみじゃなくて、俺が掛けている眼鏡だ。
つまり、ARグラス形態のバーチャルギア。
「……ああ、
真理峰はニコッと愛想良く笑って、レナたちと一緒に玄関へ向かった。
俺は入れ替わりにリビングに入る。
きちんと片づけていったようで、キッチンは綺麗なものだった。
コップに水道水を注ぎ、ごくごく飲みながら考える。
予定変更だな。
今日はどのクエストをやるのがいいだろう?
◆◆◆―――――――◆◆◆―――――――◆◆◆
夕食後にログインしてマイホームに降り立つと、チェリーはすでにソファーに寝そべっていた。
現れた俺を見て、チェリーはにやっといたずらっぽく笑う。
「こんばんは、お兄さん?」
「はいはいこんばんは。えーっと……真理峰さんだっけ?」
「あはは!」
おかしそうに笑いながら、チェリーは上体を起こす。
俺は空いたスペースに一人分くらいの間を空けて座った。
チェリーは両膝の横に手をついて自分を支えながら、俺を下から覗き込むようにする。
顔はまだにやにや笑ったままだ。
「エラいですよ、先輩。今日も我慢できましたね」
「訊きたくねえけど寛大な心で訊くわ。我慢って何をだよ」
「ホントは私とすっごく仲いいんだぞーってアピールするのを」
「するか! 何のメリットがあるんだよ!」
「まあ私にはデメリットしかありませんね」
「俺との交友関係をハンデ扱いするな」
「ハンデと言ってもそれほどじゃありませんよ。将棋で言うと飛車角桂香金銀玉を落とした程度です」
「歩しかいない!」
ただの落ち武者集団じゃねえか。
チェリーはくすくすと笑い、
「でもまあ実際、私たちが知り合いだって知られると、周りがうるさいですからね、きっと。特にレナさん」
「マジであいつには気をつけろよ……。我が妹ながら心底鬱陶しいからな」
「よく知ってます。今回もチョコ作りたいから教えてくださいって言ったら、誰にあげるの誰にあげるのってもうしつこいったら……」
「ふーん……」
と言いながら、俺は視線を横に逃がした。
「先輩?」
チェリーがにやあっと笑みを深くする。
「もしかして、気になりました? 私が誰にチョコあげるのか」
「……別に? 友チョコだろ、どうせ」
「まあ、それもありますけどー……」
チェリーは思わせぶりに間を取った。
「実は、男の人用のも作ってあるんですよねー」
「…………父親にあげるやつだろ」
「おっと、引っかかりませんね」
「引っかかるか。今更そんなのに」
「あーつまんないなー。先輩もすっかり女慣れしてしまって。つまんないからチョコあげません」
「もともと用意してねえくせに……」
あと、これは女慣れじゃなくてお前慣れだよ馬鹿。
「で? 今日はどうすんの?」
俺は多少強引に話題を変えた。
たまにこうして駄弁ってるだけで日付が変わってたりすることがあるのだ。
「こっちでもバレンタインの準備か? 確か事前にチョコ用意しないといけないんじゃなかったっけか」
「ふふ~ん。実はですね~……」
チェリーがウインドウをいじったかと思うと、
「じゃーん!」
その手に、赤いリボンでパッケージングされたハート型の箱が現れた。
「それって……チョコか?」
「その通りです! それもMAOで作れる中でも上から2番目くらいの上等なやつですよ! いや~苦労しました。素材がなかなかのレアものばっかりで」
「上等なチョコを用意するともらえるアイテムが豪華になるんだったっけ?」
「ですよ。イベントNPCにあげるんです」
「……へー」
「ふふふふ。すねないすねない。NPCにすらあげるのに自分はもらえないからって」
「すねてねえし!」
「でも、まあ、そうですねえ。チョコを作る料理スキルは先輩のおかげで育てられたわけですし、どうしてもって言うなら―――」
と。
チェリーが恩着せがましく言おうとしたときだった。
――ガシャンッ!!
テラスに面した窓が、急に割れた。
「え?」
と思った瞬間には、チェリーの手にあるチョコレートに、何かが刺さっていた。
……矢?
の、ように見える。
先端が鏃ではなく吸盤であることを除けば。
矢の後ろには、糸のようなものが伸びていた。
それに引っ張られて、矢は割れた窓の向こうへ戻っていく。
先端にチェリーのチョコをくっつけたまま。
「…………あーっ!?」
だいぶ遅れて反応したチェリーは、慌てて立ち上がるや、割れた窓から外に出た。
俺も追いかけて、ウッドデッキのテラスに出る。
丘の上に建っているこの家からは、フロンティアシティの統一感のない街並みを見渡すことができた。
その、どこかから。
2本目の矢が飛来して、ウッドデッキに突き刺さった。
「な……」
「や……矢文?」
キューピッドの矢みたいに矢羽がハートになっているそれには、紙が括りつけられていた。
このアホみたいなデザインの矢……。
まさか……。
チェリーはウッドデッキに刺さった矢をへし折って、括りつけられた紙を開いた。
そして、その内容を読み、わなわなと震え始める。
俺も後ろからその手紙を覗き込んだ。
『親愛なるケージ君と淫乱ピンクへ❤
チョコを返してほしかったら、ミミのお城まで来てね❤
みんなのミミちゃんより❤』
ぐしゃぐしゃぐしゃ!
と、チェリーが手紙を丸めた。
ウッドデッキに叩きつけた。
足でガシガシ踏みつけた。
《ファラゾーガ》で消し炭にした。
そこまでしなくても……。
「……はあ……はあ……」
一通り手紙に怒りを叩きつけたチェリーは、暗殺者みたいな顔でこっちを見る。
「今日の予定を発表します」
「お、おう」
「頭の沸いた女狩りです」
2nd Quest - 最強カップルとバレンタイン・プリンセス