前へ次へ
26/262

第25話 キスは上書きセーブできるらしい


 ログアウトして食パンを平らげたあと、MAOに戻ってきて、ブランクたちにキルマ村に戻ることを話した。

 ブランクたちは、まだしばらくこの旅館に滞在するつもりらしい。

 曰く、


「温泉旅館に長逗留って、なんか作家っぽい!」


「わかりますよ先生っ!」


 ということらしかった。

 女将である六衣も喜んでいたので、口を挟むまい。

 しかし、クエストの終了を見届けたいということで、キルマ村には同行するようだった。

 そのあと、自分たちだけで旅館に帰るつもりみたいだ。

 エリアボスも倒されて、道中の安全度は上がったので、俺たちの護衛も必要ないだろう。


「それじゃ、六衣さん。ありがとうございました」


 旅館を出る前に、六衣に別れを告げた。

 俺たちはそのままフロンティアシティに帰るのだ。


「うん。いや、わたしのほうこそありがとう。フェンコールを倒してくれたおかげで、安心して旅館をやっていけそうだし」


「いい旦那さんが見つかるといいですね」


「え? ……ああ、うんうん、そう! お客さんがいっぱい来たら出会いがね、そう、いっぱいだから! そうそうそう!」


 いま思い出したみたいに言ってるけど大丈夫か。

 狐耳の巨乳妖怪女将は、なぜかもじもじと手を擦り合わせた。


「でも、……あの、そのう……」


 チラチラとこっちを見る。

 なに?

 不審に思った瞬間、


「んっ!」


 六衣に腕を引っ張られて、頬に柔らかい感触が当たった。

 六衣の顔が、俺の頬から離れていく。

 赤い顔が間近から俺を見て、小さな声で囁いた。


「……たまには、泊まりに来てね……? 今度は部屋二つ用意するから! ちゃんと! ねっ!」


「お、おう……」


 俺は目を白黒させるしかない。


「わーお。貴様、なかなかやるな六衣よ」


「ひゃあーっ。積極的ですーっ」


 六衣はぎゅっと握っていた俺の手をパッと放すと、顔を手で覆ってぴゃーっと逃げていった。

 ……なに?

 何がフラグだったの?

 ほんと、AIが実装されたNPCは何するかわからな―――


「先輩」


「あ?」


 いきなり、横から腕を引っ張られた。

 身体が傾いた瞬間に。

 さっきと同じ場所に柔らかな感触が当たって、一瞬で離れていく。

 ……なっ……。


「なああっ!?」


 俺は頬を触りながら横を見る。

 ほのかに顔を赤らめたチェリーがいた。


「はっ! あはははっ! う、上書きしてやりましたっ! ざまあみろですっ!! あっはははははっ!!」


 俺を指差しながら高笑いするチェリー。

 おまっ……こいっ……おまーっ!!

 恥ずかしいやら何やら色んな気持ちが渦巻いてオーバーフローを起こしたところで、ブランクがぶくぶくぶくーっと泡を吹いて倒れた。


「せっ、先生ーっ!?」


「こ、濃すぎる……。あまりに、リア充濃度が……! 人類には早すぎたんだ……!!」


「お、お二人とも……!! 多少は、多少は手加減してくれないと、先生が死んじゃいますーっ!!」


 手加減ってなんだよ!

 どうやるんだよそれ!

 誰か教えてください!


 そんなこんなありつつ。

 チェリーを我に返らせ、ブランクを蘇生してから、俺たちは旅館を後にした。


 また折を見て遊びに来よう。

 これからはナイン坑道の先が最前線になるわけだから、ここを拠点にして攻略に臨むのもアリかもしれない。


 以前は子ザルの霊に案内された獣道を抜ける。

 道中、周囲の森で何匹ものサルがウキャウキャと鳴いていた。

 サルの言葉なんてわからないが、俺には感謝しているように聞こえた。

 きっと以前のように、エサの果物さえ用意すれば、彼らが旅館まで案内してくれるんだろう。

 そして今度は、六衣も来訪者を歓迎してくれる。

 あの温泉に、多くの人々が浸かるのだ。


 チェリーと二人で入った湯の感触を、頭上に広がった星空を、思い出す。

 ……ちょっと惜しいなあ。

 なんて思ってしまったのは、独占欲なのか。

 よくわからないから、考えるのをやめた。


 整備された山道に出て、道なりに戻り、短い洞窟を抜ける。

 するとキルマの村だ。

 掘っ立て小屋ばかりの寂しい村だったはずだが、今日は人が多く見受けられた。

 プレイヤーで賑わっているのだ。


 きっとここらが人類圏になったことで、NPCショップができたからだろう。

 今までこの村はクエストNPCが数人いるだけの場所として、あまり重要視はされてこなかった。

 しかし、NPCショップがあれば話は変わる。

 攻略後も狩場として重用されるはずのナイン坑道に挑むプレイヤーたちにとっては、重要な補給拠点となるだろう。


 ひときわ立派な門構えの建物へと赴く。

 村長の家だ。

 玄関のベルを鳴らすと、扉が開き、NPCの少女が現れた。

 温泉クエストの依頼者である、村長の娘だった。

 栗色の髪を大きな三つ編みにした少女だ。

 何度見てもキャラデザが結構好み。


「……先輩?」


「ぐえっ」


「すごいな君ら。昨日とまったく同じやり取りだぞ」


 4人で中に迎え入れられる。

 瓶に入った温泉を差し出すと、少女は手を叩いて喜んだ。


「ありがとうございます! これできっと父も元気になります!」


 少女はベッドに臥せっていた村長のもとに赴き、瓶の温泉を飲ませた。

 今更だけど、濁り湯って飲んでもいいのかな?


 効果は劇的だった。

 臥せっていた村長は唐突に跳ね起きて、ベッドの上で筋骨隆々の肉体をもりっと盛り上がらせた。


「ふははは!! 漲る! 漲るぞおお!!」


 ……あの温泉、ヤバいやつなんじゃない?

 俺ら、入っちゃったけど大丈夫?


「本当にありがとうございました! おかげで父も元気になりました! これ、お約束の品です」


 ウインドウが現れ、クエストクリアの文字と共に報酬品が列挙されていた。

 事前に聞いた通りの武器強化素材と、もう一つ――


「……《写真立てのレシピ》?」


 家具や小物を生成するのに必要なレシピだ。

 こんな報酬があるとは聞いていなかったが……。

 っていうか、そもそも写真なんて概念、この世界にあるのか?

 村長の娘はにこにこと笑って、


「お二人なら活用していただけると思いまして」


「お二人……?」


 俺は後ろを振り返った。

 そこにはブランクとウェルダがいる。

 俺たちは4人パーティなんだが。

 クエストを受注したときも4人だったはずだ。

 首を傾げる俺とチェリーに、村長の娘はにこにこと言う。


「ぜひ、お二人の思い出を飾っていただきたいと思ったのです。ささやかですが、どうか私にも祝福させてください」


「へ? 俺たち?」


「祝福ってなんのことですか……?」


「ゆうべの星は綺麗でしたね」


 村長の娘は繋がっているような繋がっていないような台詞を述べた。

 星?

 ゆうべ?

 昨夜、星を見たのなんて、温泉に入ったときくらい――


「「あっ」」


 チェリーと声が揃った。

 思い至ったのだ。


 これ……もしかして。

 男女で混浴したときにだけもらえる条件付き報酬アイテム……?


 バターン!

 背後でブランクが倒れる音がした。


「グワーッ!! 完全カップル向け報酬の存在で生じたリア充・リアリティ・ショックによりしめやかに爆発四散!!」


「せんせーっ!!」


 もう取り合う気にもならなかった。




◆◆◆―――――――◆◆◆―――――――◆◆◆




 無事クエストをクリアできた俺たちは、村長の家を出た。

 ここで解散だ。

 俺たちは汽車に乗ってフロンティアシティに戻り、ブランクたちは六衣の旅館に戻る。

 俺たちも旅館には遊びに行くだろうし、二度と会えないということはないだろう。

 だが、ムラームデウス島は広い。

 数十万人というアクティブプレイヤーの中で、誰かが誰かと出会うというのは、それだけで極小の確率なのだ。


 だからってわけじゃないが、フレンド登録をした。

 これでいつでも連絡が取れる。

 今回みたいに一緒に遊ぶことだって、いつでもできるだろう。

 いや、っていうか、この二人と一緒に戦闘したこと、結局1回もなかったけど。


「なんだかんだで楽しかったです。ありがとうございました」


「ああ。わたしもだよ。君たちと一緒にいるのはとても愉快だった」


 チェリー、俺と順番に、ブランクと握手を交わす。

 ウェルダがぴょんぴょん跳ねたので、同じように握手をした。


「今回のことも小説にするのか?」


「するかもしれんな。そのときは連絡させてもらおう」


「……勝手なこと書かないでくださいよね」


「ふふふ。さて、どうだろうなあ。勝手なことを書くのが作家の本分だからして」


 アマチュアのくせに本分とか言ってんじゃねえよ。

 少女作家ブランクは、白衣の裾を翻して背を向ける。


「この世界に脇役はいない。誰もが主人公であり、誰もが物語(カケラ)を持っている。このMAO(セカイ)を構成するカケラをな」


 なんかモノローグり始めた。

 白と黒が入り混じった長髪を揺らし、ブランクは肩越しに不敵な笑みを見せる。


「わたしはフラグメント・マイスター。カケラを拾い集める者。いわば観測者であり、物語には決して干渉しない。

 ―――さらばだ、主人公たちよ。

 君たちのカケラが、良き形にならんことを」


 ウェルダを引き連れ、白と黒の後ろ姿は、旅館があるほうへと消えていった。

 それを最後まで見送って、チェリーがぽつりと言う。


「謎めいた人……で、いいんですかね?」


「ただのわけわかんねえ奴ってだけの気もするが」


 でも、確かにそうだ。

 この世界に脇役はいない。

 誰もが主人公だ。

 初心者も、上級者も、NPCでさえ。

 自分だけの物語を生きている。

 それらが集まり、組み合わさって。

 MAOという巨大な世界を作るのだ―――


「帰りましょうか、先輩」


「おう」


 俺たちは駅に向かって歩き出す。


 仮想世界に集まって。

 未知のクエストに挑戦して。

 くだらないことを言い合って。

 笑って。

 怒って。

 ドキドキすることもあったりして―――


 ―――そんな刺激ある日常が、俺たちの物語だ。




◆◆◆―――――――◆◆◆―――――――◆◆◆




「ただいまー」

「ただいまですー!」


 誰が待っているわけでもないのに、マイホームに戻ってくるなり二人揃ってそう言った。

 本当に住んでいるわけでもない、倉庫のために作った家だが。

 帰ってきてみると、なんだかんだで安心するもんだ。

 たった一泊だったのにな。


 ぼふっと、チェリーがソファーに倒れ込む。


「はー。やっぱりこのソファーが落ち着きます……」


「すっげー高かったからな、それ……」


 商人プレイヤーから買い取った品なのだ。

 スキル熟練度も低かったし、レシピも持ってなかったしで、誰かから買うしかなかった。


「ほれ、ちょっと詰めろ」


「うえー?」


 ソファーを占有していたチェリーを押しやって、空いたスペースに座る。

 ふう。

 人心地ついた、って感じ。

 身体が疲れてるわけじゃないんだが。


「今日はこのまま解散か?」


「ですねー。今日は休みですけど、私、予定入ってるんです」


「予定?」


「遊びに行くんですよー。レナさんとかとー」


「あいつとか」


 あいつ、友達といるとき何喋ってるんだろうな。

 カップリング語りしてる図しか想像できないんだが。


「……じゃ、俺はリアルの冒険者会館覗いてくるかな。エリアボス倒したからなんか変わってるかもしれん」


「うへー。現実でも仮想でもMAO漬けですねー」


「やかましい。道中は位置情報ゲーやっとるわ」


「うへえー」


 冒険者会館ってのは、その名の通りプレイヤーの集会場なんだが、MAOだけではなく現実にも存在する。

 武器や防具、回復薬なんかの買い物が現実にいながらできて、あとたまにゲーム内には売ってないものが売ってたりする。

 当然、店内にはMAOプレイヤーしかいないから、まあ、常設されたオフ会会場ってところか。


「……あ、そうだ。よっと」


「うおい」


 チェリーが俺の肩に掴まって身を起こした。

 ぽすんと隣に座って、ウインドウを開く。


「あれです。写真立て。せっかくなんで作ってみましょうよ」


「素材あんの?」


「余ってるやつで充分ですね。……はい、できました」


 ぼんっと小さく煙が出て、チェリーの手のひらに写真立てが現れた。

 茶色い木組みのそれを、チェリーは色んな角度から眺める。


「へー。結構いいですね。かわいい」


「かわいい……?」


 女子のかわいいの定義はちょっとよくわからない。


「ちょうどいいじゃないですか。あのスクショ、これに入れて飾っておきましょうよ」


「え? スクショ……って、どっちの?」


「ばっ……二人で撮ったほうに決まってるじゃないですかっ!」


「いだっ!」


 結構強めに肩を叩かれた。

 いや、まあ、そうだわな。

 自分の寝顔&胸元写真を家に飾る奴はいない。


 あんまり使った記憶がないが、撮ったスクショを写真にしてオブジェクト化する機能があったはずだ。

 えーと、どれだ?

 あ、あった。


「よし、できた。ほれ」


「……………………」


「いや、そんなに確認しなくても二人で撮ったほうだから」


 手渡された写真を、チェリーは写真立てに収めた。

 ジャストサイズだ。

 部屋を見回して、インテリアとして壁際に置いた棚に目を留める。

 ソファーから移動して、その上にことりと置いた。


「おー。いいじゃないですか。家っぽいです」


「家っぽい、っていうか……」


 旅館で浴衣のツーショット写真が飾ってあるって、ただの家じゃなくて、新婚夫婦とか同棲カップルの家っぽいんじゃ――


 ――と思ったが、口には出さなかった。

 誰か他人を家に上げたら超速で誤解されるだろうが、そのときは倒して隠せばいいわけだし。


 写真の中の俺とチェリーは、自分で言うのもなんだが、楽しそうだった。

 それを見ながら、俺はしみじみと言う。


「いい旅だったな」


「ですね。またどこか行きましょうか?」


「いいな。同じような感じで旅館が隠れてるかもしれねえし」


「ついでに誰も手を付けてない端のほうのエリア制圧しちゃいましょうよ。《神聖コーラム》からずーっと東に行ったところとか、地味にモンスター強いらしいですよ」


「いいじゃん! でもその前にナイン山脈の新エリア見ときたいよなー」


 一つ終えたばかりなのに、もう次の話に花が咲く。

 友達だの仲間だのカップルだの、言い方はいろいろあるが。

 それ以前に、やっぱり俺たちはゲーマーだった。




1st Quest‐最強カップルのVR温泉旅行

おわり





















◆◆◆―――――――◆◆◆―――――――◆◆◆




 その部屋は、ピンク一色に染まっていた。

 ピンクの壁紙。

 ピンクの家具。

 ピンクの天蓋付きベッド。

 ピンクのシーツにピンクのクッション。

 ピンクじゃないのは、ベッドに所狭しと並んだ子供っぽいぬいぐるみくらいか。


 そのぬいぐるみに埋もれるようにして、小さな少女が座っていた。

 ふりふりのロリータをまとった、人形のような少女だ。

 童女のように小柄でありながら、体型は大人顔負けのグラマラス。

 巨乳の谷間をロリータの胸元から惜しげもなく晒していた。


 まるで『蠱惑』という言葉が形を取ったかのような少女。

 彼女は胸に抱いたクマのぬいぐるみの腕を、拍手させるように動かしながら、ある動画を眺めていた。


「……ふう~ん。また大活躍だったんだね、チェリーちゃんってばぁ」


 声も胸焼けがするほど甘く、舌ったらず。

 言動のすべてがあざとさの塊になっている少女は、ベッドの脇に立った執事のような男を見た。


「あっ、文句があるわけじゃないよぉ? すごいな~って思っただけ! ミミ、ゲームうまい人好き~❤」


 おお、と執事のような男が感嘆の声を漏らした。

 少女が不意に見せた笑顔が、芸術的な領域に達していたからだ。


「……でもね」


 しかし。

 芸術的なその笑顔も、すぐに薄れて消えてしまう。


「いつまでもいつまでも、付き合ってもいない男の人にべったりして、彼女ヅラしてるのはどうなのかな~……って……思ったりして?」


 ぷしゅっ、と。

 少女が触っているぬいぐるみの腕が、潰される。


「そういうのって、なんて言うんだっけぇ? あっあっ、言わないでね? 自分で思い出すから! え~っとぉ……」


 ことり、と可愛らしく小首を傾げる。

 カチューシャを付けた黒い髪が、さらりと零れた。


「……あっ、思い出したぁ! 『びっち』って、言うんだよね~!」


 パチパチパチ!

 男が拍手をする。


「ありがと~♪ ミミ、ビッチさんって、あんまりよくないと思うな~。だからぁ……」


 少女は熊のぬいぐるみを抱き寄せて、その頭で口元を隠す。

 だから。

 その唇が嗜虐的に歪んだのは、執事のような男には見えなかった。


「……そろそろ、渡してくれないとね? 私の(・・)ケージ君を……❤」


 少女の名は《ミミ》。

 この城、そしてこの国、《プリンセスランド》の女王。


 彼女こそ。

 MAO最大級派閥《聖ミミ騎士団》の『女王』にして。

 有史以来、最大規模のオタサーを作り上げてみせた、MAO究極の『姫』。


 人呼んで《UO姫》。

《アルティメット・オタサー・プリンセス》と呼ばれる少女である―――



前へ次へ目次