第24話 朝起きたら隣で女の子が寝ていた
「ただいまぁー……」
「ただいまですー……」
六衣に跨り、旅館に戻ってきた頃には、俺もチェリーもふらふらになっていた。
エントランスで待っていたらしい白衣少女ブランクと、小学生騎士ウェルダが、俺たちを見るなり駆け寄ってくる。
「やあ! 見ていたぞ君たち! 大活躍だったな!」
「ウェルダも! ウェルダも見てましたっ! こんな時間なのに、全然眠くならないですーっ!」
「おお……」
「ありがとうございまひゅ……」
「なんだ君たち、超眠そうだな」
「なんか疲れて……」
「気が抜けたっていうか……」
「うむ。今日は休むといい。わたしたちももう休もう」
「うーっ。興奮して寝付けませんーっ」
「はっはっは。大丈夫大丈夫。わたしが学生の頃に書いたクソつまらん小説を読み聞かせてやるからな!」
「それなら眠れそうですっ!」
ヴぁーだのうぁーだの言語化不可能な返事をして、俺たちは2階に上がった。
どうにか自分たちの部屋を探し当てて、中に入る。
奥の部屋には二組の布団がぴったりとくっついて敷かれたままだ。
俺はそれに吸い寄せられていき、ぱたんっと倒れ込んだ。
「はあー……」
「先輩……寝る前にちゃんと着替えないと」
「うえー? めんどくせー……」
「ウインドウ操作するだけですから……」
あ、そうだった。
現実じゃないんだった。
のろのろと手を動かし、装備画面を開いて、浴衣に変更する。
きらきらっと身体が光ったかと思うと、地味な色合いの浴衣に早変わりした。
あー……楽……。
「邪魔です先輩」
げしっと蹴り転がされた。
桜色の浴衣に着替えたチェリーだった。
俺をどけたチェリーは、布団の中にもぞもぞと入り込む。
「はふー……」
あまりにも安心した声を出すので、俺も隣の布団に潜り込んだ。
はふー……。
落ち着く……。
「予想外にいろいろあった一日でしたねー……」
「ああ……」
温泉クエストをやりに来たのに、なぜかお化け屋敷めいた廃旅館を探検することになり、六衣と戦って、チェリーと温泉に入って、エリアボスと戦うことにもなって……。
そういえば温泉クエストはまだクリアしてなくね?
「ふふっ……」
いきなりチェリーが笑い声を零して、それがいやに近く聞こえたので隣を見たら、こっちを見て笑っていた。
布団の中からちょこんと出した手で、口を覆っている。
「なんだ?」
「『来いよワン公』」
「まだそれで笑ってたのか……」
「でもね……先輩」
不意にタメ語を零したチェリーの声は、眠気で半分溶けていた。
「あのとき……庇いに来てくれたとき……私、私ね……先輩のこと……」
声が尻すぼみに消えていき、チェリーの大きな目が瞼で塞がっていく。
結局、言葉はついぞ続かず。
そのまま、静かな寝息を立て始めた。
……まったく……。
「真理峰……お前さ……」
思わず本名で呼んで、俺はこっそり囁いた。
「……ちょっと、可愛すぎるぞ……」
「――ふふっ。やっと気付きました?」
ぱちりとチェリーの目が開いた。
…………………………。
こ・い・つ……っ!!
「そうですよ……私、とっても可愛いんです。だから…………」
かすかに微笑みながら、チェリーは布団の中でもぞりと手を動かして、俺の手を握った。
「…………ぜったい、ぜったい、離さないでくださいね、先輩」
「ん……おう……」
限界だった。
睡魔に負けて、瞼を閉じる。
すべすべしたチェリーの手を感じながら――
俺は、眠りに落ちた。
◆◆◆―――――――◆◆◆―――――――◆◆◆
チュン、チュン、チュン。
小鳥の声がする。
ん……朝か……。
……?
なんか、ベッドの感じが違う……。
いや……ああ、そっか……。
今日は、MAOの中で寝たんだ……。
フェンコールを倒して……ジャンケン大会をやって……。
それから……。
「……すう……すう……」
健やかな寝息が聞こえた。
すぐ耳元から。
そういえば、なんか、あったかい。
あったかい何かを、抱き締めている。
そのうえ柔らかくて……。
なんだこれ、すげえ気持ちいい……。
「……んっ、あふ……」
甘い匂いがする。
これ……何の匂いだろう。
不思議と、ずっと嗅いでいたいような……。
「んにゃっ……んふふー……」
あと、この妙に幸せそうな寝息は……?
あれ?
俺、何を抱き締めてるんだ?
寝起きの頭が、ようやく覚醒してくる。
瞼をゆっくりと開けた。
視界の下のほうに、何かピンク色のものがあった。
髪だ。
つむじだ。
頭だ。
視線を下に向けるまでもない。
俺は、なぜかチェリーを胸に抱き締めていた。
「……………………」
あ、あれー?
こんな寝方したっけー?
眠る直前の記憶が、徐々に復活してくる。
なんか……すげー恥ずかしいやり取りをしていた気がするが……。
とにかく、その記憶が確かなら、俺たちはただ、手を握り合っていただけのはずで……。
じゃあ、なにこれ。
寝相?
無意識?
身を離そうとしたが、背中に回ったチェリーの腕に、きゅっと捕えられてしまっていた。
布団の中で、浴衣からこぼれた素足が絡まり合っている。
すべすべした感触が、太腿の内側とふくらはぎに。
……ああー。
……あっあー。
現実じゃなくてよかったー!
VRのアバターでよかったー!
現実で、朝で、この状況だったら……ほら、その……絶対大変なことになってた。
俺はどうにか、ほんの少しだけ身を離した。
チェリーの健やかな寝顔を見下ろす。
そのさらに下には、少し乱れた浴衣の襟元。
なだらかな双丘が垣間見える。
致命的な部分が見えていないから規制もなかった。
やばい。
思ったよりある。
なんていうか。
手のひらに収まるくらい?
顔はほぼリアル準拠だけど、身体もそうなのかな?
ごくりと唾を飲む。
……よし。
とりあえずスクショを撮ろう。
メニューを開いてスクショ機能を呼び出す。
レンズ代わりの四角いウインドウを覗き込み、アングルを決める。
寝顔と胸元がどっちも映る感じで。
よしよし。
これは画像フォルダの奥のほうに仕舞おう。
そう思いながらシャッターを切った。
――カシャッ!
あああああ!
思ったより音がでかかったー!!
「……ん……?」
もぞりとチェリーが動いて、薄く瞼が開いた。
全身に嫌な汗がだらだらと流れる。
「んん……? なに、今の音……。……ふぁ? せんぱい……?」
「お、おはよう」
ぼんやりとした目でこちらを見上げてきたので、挨拶をした。
挨拶は大事だからな。
「え……? っと……? あっ、そっか、MAOの中で……。あれ……? だったら、さっきの……カシャッ、……って…………」
寝ぼけ眼が徐々に知性の輝きを取り戻していく。
俺の顔を見上げ。
自分の胸元を見下ろし。
カーッと、チェリーの顔が赤くなっていった。
「い……い……今の……お、音……す、スクショ……?」
ほんとコイツ頭いいな!
チェリーはバッと慌てて浴衣の襟元を閉じて、俺の顔を睨み上げた。
涙目。
そして顔真っ赤。
「と……撮ったんですね……?
わ、私の寝顔と……た、谷間、撮ったんですね……!?」
「いやー……谷間というか窪みというか……」
「すぐにけせすぐにけせすぐにけせすぐにけせすぐにけせすぐにけせすぐにけせすぐにけせすぐにけせすぐにけせすぐにけせすぐにけせすぐにけせすぐにけせすぐにけせすぐにけせすぐにけせすぐにけせすぐにけせすぐにけせすぐにけせすぐにけせすぐにけせすぐにけせすぐにけせすぐにけせ」
「こわい!!!」
チェリーは俺の首を両手で掴んで、ぐわんぐわんと揺さぶってくる。
「ダメですっ!! ダメですよ先輩!! この世に一度でも存在した画像は滅多なことじゃ消滅しないんですから!!」
「いやいや大丈夫だからネットに流したりしないから!!」
「個人的に楽しむだけですか!?」
「個人的に楽しむだけです!」
「楽しっ……!? わっ、私の画像で何する気なんですかっ!!」
「何もしなっ……しないし! ちょっと混乱してるぞお前!」
朝からそういう話題はちょっとカロリーが高いです!!
「すうっ……はああああ……」
チェリーは深呼吸をした。
俺の首を掴んだまま。
それから、落ち着いた様子で、静かに言う。
「……見せてください。撮った画像」
「は、はい……」
俺は蛇口を捻るようにしてウインドウを裏返し、他人にも見えるモードにした。
さっき撮った画像を出してチェリーに差し出す。
チェリーは俺の首から手を放し、自分の寝顔とはだけた胸元が映った画像を、難しい顔をして検分した。
ズームなどもしているのか、指で何か操作している。
そして、しばらくの沈黙ののち。
「…………いいです。別に」
「は?」
ぼそりと、聞き取りづらい声で言われたので、俺は反射的に訊き返した。
「だから、別にいいです! このくらいなら! 消さなくても!」
「え? ……ま、マジで?」
チェリーは赤い顔をふいっと横に逸らす。
桜色の髪が翻り、甘い匂いがした。
「……ネットに上げちゃダメですよ。他の誰にも見せないでくださいよ。先輩だけがたまに見て、ニヤニヤするだけにしてくださいよ」
「ニヤニヤなんてするか」
と。
反射的に言い返したが。
するかもしれない。
正直な話。
「代わりに」
チェリーは、少し朱の引いた顔で、再び俺の目を見た。
「もう一枚撮りましょう、スクショ。せっかくですし。記念ですし。その……今度は、二人で」
「お……おう!」
俺たちは布団から抜け出した。
現実と同じで、ムラームデウス島も季節は冬だ。
冷気が浴衣だけの身体を刺した。
羽織を上に着てから、窓際に行く。
窓からは、ナイン山脈の雄大な光景が広がっていた。
右手のほうに目をやれば、昨夜、フェンコールと激闘を繰り広げた方角だ。
山に遮られて直接は見えないが。
あの戦いを勝利で終えたことで、ここら一帯は新たな人類圏となった。
「おっ?」
「どうしました?」
「見ろよあそこ。もう線路の敷設が始まってる」
「あっ、ほんとですね。昨日の今日なのに仕事が早い……」
人類圏になり、モンスターの攻撃性が弱まったり、《月の影獣》が現れなくなったりしたことで、安心して線路を敷けるようになったのだ。
いつものこととはいえ、《鉄連》の連中の勤勉さには舌を巻く。
「そういえば、この辺の領主は誰になるんでしょうね?」
「一度はラスアタ取った俺が権利もらったけど、ゆうべセツナに預けたからな。最前線組の誰かがいいようにやるだろ。仕切りたがりのストルキンとか」
「まあ、妥当な線ですかねー」
こうして、このゲームは連綿と発展していく。
そうして、キャッチコピーに謳われる『時代』が作られていく。
少なくとも、北の果て――《精霊郷》に辿り着くまでは。
「ここでいいでしょう。窓際に立ってください」
「おう」
「はい先輩、ピース!」
「いや、いいよ……。なんかハシャいでる大学生みたい……」
「お情けで撮ってもらったぼっちみたいになるよりはマシですよ」
「お前ひどいこと言うな!」
「じゃあ撮りますよ! 3、2、1――」
「うあっ!?」
ぐいっと腕を抱き寄せられた瞬間、カシャッとシャッター音がした。
スクショウインドウを見て、「ふふふ」とチェリーは満足げに笑う。
「この驚いた顔。見事な間抜け面です」
「お前なあ……!」
「先輩だって私の恥ずかしい写真撮ったんですから、おあいこでしょう?」
それを言われると言い返せない。
「ほら、先輩にも送ります。いい写真が撮れてよかったですね?」
「はいはい、ありがとうございます」
送られてきた写真を見る。
チェリーが俺の左腕を抱き寄せながら笑っていて、俺は驚いて間抜け面を晒していた。
背後にはナイン山脈の雄大な自然。
……まあ、いい写真なんじゃねえの、そこそこ。
「お腹空きましたね。いったんログアウトします?」
「そうだな……。そのあとキルマ村に温泉届けに行くか」
「ブランクさんとウェルダちゃんにも声かけないとですね。起きてるといいんですけど」
チェリーは窓際から寝室に歩いていく。
寝乱れた布団を素足で踏み越えていって、
「あ、そうだ、先輩」
ちょうど布団を間に挟む形になったところで、こちらに振り返った。
悪戯っぽく笑いながら、後輩は言う。
「このアバター、顔だけじゃなくて身体もリアル準拠ですからね?」
否応なく、なだらかな白い谷間と、それを収めた画像の存在が思い出された。
あ、やばい。
耳が熱い。
くすくすくす、と笑い声がした。
「可愛いですねー、先輩は!」
桜色の髪を翻らせ、チェリーは再び背を向ける。
が。
その瞬間、髪から覗いた彼女の耳が赤くなっていたのを、俺は見逃さなかった。
……自爆戦法やめろよな、馬鹿。