第19話 クロニクル・クエスト
それから2時間。
ナイン坑道での戦いは続いていた。
合流したセツナとろねりあのパーティが、マウンテンゴブリンの軍勢と戦っている。
配信を同時に開いていると、戦闘を二つの視点から観られて面白い。
他の配信では、一回り大きい敵――《マウンテンゴブリン・リーダー》との激闘が繰り広げられていた。
ナイン坑道の各地で多数の取り巻きと共に待ち構えているこの中ボスは、通常のマウンテンゴブリンの1.5倍ほどもある体格に、岩すら砕けそうな巨大な手斧を持っている。
取り巻きをうまく引き剥がしつつ、一撃で半分以上もHPを持っていかれる手斧を掻い潜って、2本もあるHPバーを削り切らなければならないのだ。
難敵だが、こいつを一定数倒さなければイベントは進まない。
さらに他の配信では、初心者の街《スターターシティ》中央広場の様子が映されていた。
城門の手前に設置されたホログラム・モニターに、ナイン坑道で戦うプレイヤーたちの配信が、監視カメラ映像みたいに小分けになって幾つも並んでいる。
モニターの周囲には数多くの観客が集まっていた。
彼らは一様に画面を見上げて、一斉に悲鳴を上げたり歓声を上げたり、一喜一憂に忙しい。
それらの映像を旅館エントランスの談話スペースに浮かべて、俺たちは眺めている。
この事態に気付いて間もなく、同じく気付いたブランクが部屋に飛び込んできたので、エントランスに降りて4人全員で観ることになったのだ。
「わっ! 弾きましたっ! あんなおっきい斧……」
「いやヤバい! 取り巻き来てるぞ!」
「セツナさんたち、最後の補給から何分経ちました? もうポーションないですよ!」
「待て、補給部隊の態勢が整ってきたようだ。ギリギリだな……!」
配信のほうからも、プレイヤーたちの声が絡まり合って響いてくる。
『補給部隊到着!』
『すいません! いったん撤退します!』
『A1抜けた! 注意!』
『カバーします!』
『あ゛あ゛っ!! ごめん、そっち行った!!』
ナイン坑道を巡る冒険者とゴブリンたちの戦いは、もはやRTSの様相を呈し始めていた。
ナイン坑道に集まったプレイヤーたちは決して一枚岩ではない。
配信者はたいてい自分でクランを作っているし、実況者ばかりに活躍させまいとする攻略クランもいくつも参戦している。
誰もがボス討伐の栄誉を得ようと機会を狙っていた。
しかし、目の前の困難をクリアするための効率的な手段として、彼らは協力することを選んだのだ。
競争にして共闘。
決して馴れ合うわけじゃないが、無意味にいがみ合うわけでもない。
そして、それを観て熱狂する観客たち。
そこには、男も女も、子供も大人も、初心者も上級者も、ライトもヘビーもありはしない。
各配信にコメントを投じる視聴者たちのように、MAOのアカウントを持っているかどうかすらも無関係だった。
今、この瞬間。
この戦いを知るすべての人間が、このゲームに――
このムラームデウス島で織り成される『時代』に、参加している。
多人数同時参加型。
MMORPGの名を体現するこの状況こそが、MAO最大の特徴にして真骨頂だった。
すなわち―――《クロニクル・クエスト》。
MAOのメインストーリーに当たるもの。
全プレイヤーによって共有されるこのクエストは、誰か一人でもクリアすれば二度と復活せず、クリア報酬はアカウントを持つ全員に与えられる。
その内容は貢献度に応じて豪華になって、上位10人ともなれば、二度と手に入らない超貴重品が手に入ることも珍しくない。
さらには、その活躍が公式ノベライズ《クロニクル》に記されて、MAO世界の歴史に名を残すことになるのだ。
ミソなのは、戦闘に参加することばかりが貢献度を上げる手段じゃないってことだ。
例えば、クリア者の武器をメンテした。
例えば、補給部隊としてポーションを運んだ。
例えば、クリアに必要なクエストを発見した。
一見些細にも思える行動のすべてが、貢献ポイントと呼ばれる内部ステータスとして計算されて、最終的な貢献度を決定する。
過去には、戦闘に一切参加せず、ただ線路を敷設していただけの《鉄連》メンバーが上位10人に入ったこともあった。
今回だって、俺やチェリーは戦闘には参加していないものの、重要クエストを偶然クリアしたから、上位50人には入るはずだ。
攻略に直接関わっていないが、ブランクとウェルダもパーティメンバーだったから、トップ100にはおそらく入る。
これが何を意味するか?
簡単だ。
部外者などいない、ということだ。
このゲームで――この島で紡がれる歴史には、初心者も上級者も、戦闘職も生産職も関係なく、全員が関わっているのだ。
――ようこそ、時代の礎となる者よ。
MAOにログインするときに通る扉に刻まれた、そんなメッセージ。
あれはただの演出じゃない。
このゲームで起こることを的確に表現した、いわば説明書なのだ――
『A3制圧! どっち!? どっち!?』
『M3制圧っ! ……ぐああ! 負けた!』
『順番関係ないでしょ!』
『これで全部!?』
『NPCの台詞変わりました! 配信に乗せます!』
『やったぜ! 奴ら、袋小路に逃げていきやがる! 行け! 扉はもう開くはずだ!』
『っしゃあ! 行くぞお前らあああッ!!』
ボス部屋への道が開けると同時に、SNSのトレンドをMAO関連が席巻する。
ライブビューイングに集まった観客が一斉に歓声を上げて、身体がびりびりと震えた。
ただの映像。
ただの画面。
ただの文字。
俺が実際に見ているのはそれだけのものだ。
でも、そこには熱があった。
炎のような熱が、渦のようにうねっていた。
今、ナイン坑道の集まっている連中は、外野の様子なんていちいち確認していないはずだ。
それでも。
薄暗い坑道をひた走る、異種様々な装備の冒険者たちは、渦巻く熱に背中を押されているように見えた。
勢いのまま。
大きな扉が開かれて、総勢30名にもなるプレイヤーたちがボス部屋へとなだれ込む。
それを俺たちは、4人の配信者の背後から、4つの視点で見守った。
袋小路だった。
出口はなく、円形の空間が広がっているだけでしかない。
その最奥に、1体のマウンテンゴブリン・リーダーがいた。
おそらく、最後の1体だ。
あいつを倒せば、ナイン坑道はクリアになるのか?
……いや、違う。
クロニクル・クエストは、そんなに甘いもんじゃない。
最後のゴブリンは、こちらに背を向けていた。
その顔が向く先。
最奥の壁には、黒光りする石がはめ込まれている。
……黒曜石?
確かこの坑道って、炭坑じゃなかったっけ。
と、思った瞬間。
『ギァァアア――――――ッッ!!!!』
ゴブリンリーダーは雄叫びを上げて、その手に持つ斧を、壁にはめ込まれた黒曜石に叩きつけた。
ガキンッ!
と音を立てて、黒曜石が砕け散る。
……静寂が漂った。
『なんだ?』
プレイヤーの誰かが、そんな風に呟いた。
直後、
『ギッギッギッギ……ギッギギギギギギギギ―――ッ!!』
最後のゴブリンが、軋むように笑う。
それはどこか、まともとは思えない笑い声だった。
例えば……そう。
教義に殉じる狂信者のような――
『――ズズンッ……!!』
4つの配信画面が、揃って縦に揺れた。
『注意!!』
誰かの声が鋭く飛んだ瞬間。
バコリ。
と。
ゴブリンの奥の壁が崩れる。
目が、合った。
崩れた壁の奥から、巨大な目が現れたのだ。
おそらく、材質はダイヤモンド。
真っ白な輝きを放つ目玉が、ゴゴリと動いて、目の前のゴブリンを見た。
『でかっ……!』
『これヤバくね?』
ゴブリンは笑い続ける。
笑い続ける。
笑い続ける。
その笑い声をかき消すように――
『――ズズウンンッ……!!!』
さっきよりずっと強く、空間が揺れた。
今度はすぐに治まらない。
揺れ続け、震え続け、壁と天井に亀裂が走る……!
『やっ……ヤバいヤバいヤバい!!』
『逃げるよみんなっ!!』
天井が崩落する。
配信画面を、瓦礫と粉塵が埋め尽くしていく。
その寸前。
ほんの一瞬だけ。
崩れた壁の向こうで、巨大な獣が首を持ち上げるのを、カメラが捉えた。
――ズズウウウンンッッ……!!!!
「うおっ!?」
「きゃっ!?」
「ゆ、揺れましたっ!」
「はははははっ!!」
不意に、地面が揺れた。
配信画面じゃない。
今、俺たちがいる、この旅館が、だ。
ナイン坑道だけじゃない。
その周囲、ナイン山脈そのものが震撼した……!?
揺れが治まると、俺たちは誰ともなく立ち上がり、玄関から旅館の外に飛び出した。
右手に、夜闇に沈んだナイン山脈が広がっている。
その彼方。
山を一つ越えた辺りで、大量の粉塵が立ち上っているのが見えた。
いいや……粉塵だけじゃない。
夜闇の中に、かすかに、影が映っている。
狼のような形をした、黒い影。
山と見比べても遜色ないサイズの偉容。
稜線の上に見切れた頭が、大きく口を開けたように見えた。
それから、数秒の間隔を開けて。
強烈な咆哮が耳をつんざいた。
まるで遠雷だ。
咆哮が山を越えてくるなんて……!
「ははははは!! でっかー!! はははははは!!」
ブランクがさっきから笑い転げていた。
確かに、笑うしかない。
デカすぎるだろ!
こんな遠くからでも見えるってどういうことだよ!?
俺はアイテムウインドウを開いて、望遠鏡を取りだした。
それを右目で覗いて、山向こうに見える巨大狼の顔をフォーカスする。
キャラネームがポップアップした。
それを、俺は半信半疑のまま読み上げる。
「《神造炭成獣フェンコール Lv127》……エリアボスだ」
「127ぁ!? 今のレベル上限寸前じゃないですか! 120超えてる人だって数えるほどしかいませんよ!」
「はっはっは!! これまた本格的に潰しに来たな運営! 開発が間に合ってないのかあ!?」
「あ……あんなのに攻撃されたら、一発でペチャンコですっ……」
開きっぱなしにしていた配信から悲鳴が聞こえてきた。
見れば、粉塵に包まれていた映像が復活して、巨大な狼――フェンコールを見上げているところだった。
『レベル127ってなんだよ!』
『調整ミスってんぞ運営!』
プレイヤーたちは無事、坑道の崩落を逃れていた。
脱落者なし。
だが、30人ぽっちであの化け物を倒せるか?
いや……足りない。
総力戦で挑むべきだ。
一人でも多く、戦力を増やす必要がある。
「……先輩」
「ああ」
「さっきは他の皆さんに任せるって言いましたけど」
「わかってる」
俺たちはウインドウを開いた。
装備変更。
浴衣から、戦闘用の装備へ。
俺は黒を基調とした服に緑色の軽鎧をまとい、背中に《魔剣フレードリク+8》を背負った。
チェリーは紅白色の和風装備に身を包み、右手に《聖杖エンマ》を握った。
俺たちは互いの姿を確かめて、頷きを交わす。
「どうやって行くつもりかね?」
浴衣に白衣のブランクが言う。
「あそこまでは遠いぞ。かなり時間がかかってしまうと思うが」
「そこは……まあ、なんとかしますよ」
「ナイン坑道が崩れたからな。たぶんフェンコールのとこまでショートカットできる道が、どっかにできてるんじゃないか?」
「ですね。まずはそれを探して――」
「――なに~? 何の音~?」
旅館の中から六衣が出てきた。
眠そうな顔だ。
着物のまんまだが、寝てたのか?
「すごい揺れたんだけど~。何? 地震~?」
「あれですっ。見てくださいっ、あれっ!」
「ん~?」
ウェルダの指に導かれて、六衣は山向こうに聳えるフェンコールを見た。
「……あ~。フェンコールの奴、起きちゃったのね。ついにゴブリンどもがやらかしたかあ」
「あいつのこと知ってるのか?」
「まあね。ここらに長く住んでる奴はみんな知ってるわ。ず~っと昔に……えっと、ニンゲンはなんて呼んでたっけ?
……ああ、そうそう。《魔神》が《神子》との戦いのために作った、神造兵器ってやつ?」
「《魔神》と来ましたか……」
《魔神》ってのは、ムラームデウス島の神話に出てくる言葉だ。
神話では、この島は大昔の大戦争で死んだ《旧き存在》の死体ってことになっている。
その《旧き存在》の転生体が《魔神》で、別の《旧き存在》の転生体である《神子》と長きに渡って戦いを繰り広げた。
で、ゲーム内時間で約500年前――双月歴元年にその戦いが終わって、敗北した《魔神》は夜空に放逐されて《子月》になった。
つまり、そのときからこの世界の月は二つになった。
だから《双月歴》なのだ。
モンスターのほとんどは、設定的には、魔神が神子と戦っていたときに生み出した眷属の末裔ってことになっている。
だが、あのフェンコールは末裔じゃなくてそのものらしい。
つまりヤバい。
異世界ファンタジーは基本、出自が古ければ古いほどヤバいのだ。
「なんかゴブリンどもが崇め始めて、いつか起こしちゃうんじゃないかなこれ、って思ってたけど……予感が的中しちゃったわね。
ま、しばらく暴れたら疲れて寝ちゃうでしょ。放っておけばいいんじゃない?」
「しばらく暴れたらって……それ、どのくらいですか?」
「えーっと……前に起きたときは20年くらいかかったかしら?」
時間間隔が違いすぎる!
「これ、クロニクル・クエストですよ……。何があっても取り返しが付かないって言うのに……」
そう。
クロニクル・クエストは、このムラームデウス島の歴史そのものだ。
だから、NPCがどれだけ死んでも、村がどれだけ燃えても、地形がどれだけ崩れても、再生してハイ元通りとはならない。
たとえゲームであっても、起こったことは決して取り返しが付かないのだ。
「早いところ行きましょう、先輩! 皆さんが全滅する前に……!」
「ああ……! たった二人でもいないよりマシだろ!」
「――ちょっと待って。もしかして、あいつを倒しに行くの?」
六衣が言った。
俺たちは頷いて、
「ああ。倒したら戻ってくるから、鍵閉めるなよ」
「そっか。……う~ん」
狐耳の女将は、難しい顔をして首を捻った。
「確かに、考えてみれば、あいつが暴れてたらお客さんも来ないだろうし…………うん、よし、わかった!」
ぱん!
と、六衣が手を叩いた直後。
その身体の輪郭が、瞬時に変貌した。
着物を着た女性の姿から、六本の尾を持つ大きな狐の姿へ。
「乗って!」
エコーがかかった声で、六尾の金狐は告げた。
「連れてってあげる! あいつのところまでひとっとびよ!」
俺とチェリーは顔を見合わせた。
これも運営の用意したシナリオなのか?
それとも、六衣のAIが自ら選択した行動なのか?
わからない。
わからないが、迷う理由はない!
「よっしゃナイスっ!」
「ありがとうございますっ!」
伏せた大狐の背中に、俺とチェリーは飛び乗った。
六衣が立ち上がると、視点が急激に高くなった。
たっか!
こっわ!
「ケージ君! チェリーちゃん!」
下からブランクが呼びかけてくる。
白と黒が入り混じった長髪と、白衣の長い裾とが、夜風に靡いていた。
「一つ、取材させてくれ! 君たちはなぜ行く!? デスペナルティを喰らうだけかもしれない。得になることは何もないかもしれない。なのになぜ戦場へと赴く!?」
はあ?
俺は一瞬、困惑した。
だって――
「そんなの!」
「決まってます!」
得にはならないかもしれない。
益にはならないかもしれない。
役には立たないかもしれない。
でも。
「楽しそう」「だからですよ!!」
これは、ゲームなのだから。
名誉がなくても。
勝利がなくても。
自慢にならなくても。
楽しければ、それでいい―――!!
「……そうか」
ブランクは、嬉しそうに微笑んだ。
「ならば行ってこい、主人公ども。
存分に楽しめ、この物語を!」
六衣が地面を蹴った。
身体がぐんと後ろに引っ張られて、慌てて金色の体毛を掴む。
後ろに乗ったチェリーが、腰に腕を回してきた。
六衣が走る先は、崖だった。
地面は遥か数十メートル下。
夜闇しかない虚空に向かって――
大狐が、その巨躯を躍らせる。
「うおあああああっ!?」
「きゃあああああっ!!」
俺は本気で悲鳴を上げたが、チェリーのそれは楽しそうだった。
夜気が肌に吹きつける。
腰に回された腕の力がぎゅっと強くなる。
背中にいろいろ当たっている気がしたが、意識の外に弾き出した。
見るのは、前。
星々が煌めく夜空の、遥か彼方。
山すら越えた向こう側に見える、フェンコールの巨影。
すなわち――
今現在。
このゲームで!
一番楽しそうな場所だ!!
金色の狐が、満天の星空を流星のように貫いた―――
「あっやばい無理無理無理忘れてた俺高所恐怖症だからあああああああああああああ!!」
「遅いですよ! 勇ましく飛び出す前に言ってください!!」