第14話 浴衣姿を褒める
夕飯を食べ、風呂に入り、忘れずにトイレにも行って、布団を被る。
そのまま寝てしまっても何の問題もない状態で、再びバーチャルギアをドックに接続した。
VRとはいえ、せっかく温泉旅館に泊まるのだから、普通にログアウトして普通に寝るのではつまらないという話になったのだ。
きっちり寝るまでログインしっぱなしにしよう、ということになっていた。
ログイン中に寝てしまったとき、自動ログアウトするか、ログインしっぱなしにするのかは設定することができる。
寝る間を惜しんで廃人プレイをしているときにちょっとした居眠りでログアウトさせられてはたまらない、という常軌を逸した意見に運営が耳を傾けた結果の機能である。
もちろん、フルダイブ中の睡眠にも通常の睡眠と変わらない効果がある。
むしろ普通よりも安眠できるとする『VR安眠法』なんて風説まで流れているくらいだ。
安眠するためだけのVRソフトなんて商品も、今時珍しくない。
『美少女に膝枕してもらえるVR安眠ソフト』とか。
『美幼女を抱き枕にできるVR安眠ソフト』とか。
『高級ホテルで美女を腕枕できるVR安眠ソフト』とか。
『耳元で子守唄を歌ってもらえるVR安眠ソフト』とか。
特にアニメの関連グッズとして、そういうのが増えていた。
……俺は買ったことないけどね?
まあ、とにかく、その機能を使えば、実際に旅館に泊まっているのと変わらない感覚になるということだ。
旅館で寝て、旅館で起きるわけだしな。
幸い、明日は学校が休みなので、そのままキルマ村に戻ろうという算段だった。
バーチャルギアの眼鏡としてのレンズがディスプレイモードに切り替わり、様々なアイコンが泡のように浮かんだ真っ白な部屋を映す。
まだリアルの肉体感覚を遮断していない、ハーフダイブ空間だ。
パソコンで言うところのデスクトップ画面。
模様替えもできるが、俺は面倒くさいので初期設定のままにしていた。
視線カーソルを操り、『MAO』と書かれた泡アイコンに合わせる。
瞬き2回でダブルクリックした。
〈Magick Age Onlineにログインします。よろしいですか?〉
俺は「イエス」と答えた。
泡のように浮かんだアイコンが、プチプチと音を立てて次々に消える。
真っ白な部屋の輪郭が滲むように消えたかと思うと、今度は黒く暗転していった。
そして――
俺は、ぱちりと瞼を開ける。
いつの間にか、石の祭壇のようなものに横たわっていた。
周囲は薄暗い石室。
壁や天井に緑のツタが這っていて、長らく放置された遺跡の一室といった風情だった。
姿勢を合致させるための初期ダイブ空間だ。
ダイブの前後で姿勢が異なる――つまり、寝ている状態でログインしたのにアバターは直立してる、みたいなことになると脳が混乱するので、それを回避するためのスペースだ。
祭壇が降りると、両脇には姿見がある。
映っているのは、慣れ親しんだMAOのアバターだ。
現実のそれから少しだけいじった顔。
黒と緑を基調とした軽鎧と服。
背中の魔剣フレードリクはまだ実体化していない。
それを確認すると、俺は前に進んだ。
狭い石室の奥には、扉がある。
表面には、こんな文字が刻まれていた。
〈Magick Age Online〉
〈ログイン地点:ナイン山脈エリア・恋狐亭〉
〈ようこそ、時代の礎となる者よ〉
あの旅館、恋狐亭って名前になったのか――
などと思いつつ。
俺はノブを握り、MAO――ムラームデウス島への扉を開けた。
◆◆◆―――――――◆◆◆―――――――◆◆◆
「……ん。お帰りなさい、先輩」
「おう」
畳敷きの和室だった。
広さは12畳くらいで、二人でも手狭には感じない。
さらに、敷居を越えた奥には寝室があり、そのさらに奥には椅子が二つ置かれた広縁がある。
広縁の窓からはナイン山脈を一望できた。
が、今は夜なので、見えるのは地平線まで続く星空くらいだ。
チェリーは行儀よく正座してお茶を飲んでいた。
……様になるなあ、こいつ。
俺は机を挟んでその向かい側の座布団に胡坐をかく。
屋内だから、ブーツと剣は自動的に非実体化していた。
「……うーん」
俺はさっき初期ダイブ空間でも確認した自分の姿を見回す。
「どうしました? こっちの先輩の格好はそこまでダサくないですよ」
「現実のはダサいみたいな言い方やめろ」
「いやダサいですから。前に遊びに行ったときに見た格好、さすがにヤバかったですよ。なんですか、あの『ぬののふく』って書かれた謎Tシャツ」
「えー。気に入ってるんだけどなあ……」
たまたまネットで見つけて衝動買いしたのだ。
以来、夏はそれを何種類か着回している。
「そうじゃなくてだな。旅館の和室で思いっきり戦闘服ってのも、なんか落ち着かねえなあと思って」
「そうですか?」
「お前は和風デザインだからだろ」
チェリーの装備は、赤と白を基調とした、どこか巫女服を思わせるものだ。
上に白い掛け襟、下に赤いスカートを履いて、それらの上から肩出しの白いローブみたいなものを羽織っている。
そして、足には白いニーソックス。
絶対領域完備。
うん。
「……先輩。何かエロいこと考えてません?」
「考えてません」
「二人部屋だからって変なこと考えちゃダメですからね?」
「ははは。マイホームも一緒なのに何を今さら」
「その割には、私が今日はこっちで寝ようって言ったとき、目が泳いでましたけど?」
にやにや笑いながらチェリーが言うので、俺はさりげなく目を逸らした。
……そう。
結局、二人部屋を受け入れることになったのだ。
これがリアルだったらもう一部屋用意してもらうところだったが、これはMAO、ゲームである。
ひとたびチェックインすると、キャンセルが利かなかった。
融通が利かないところはとことん利かないのがデジタルゲームなのだ。
原因がNPCの勘違いっていうのがイマイチ納得いかないが。
最新型の超高性能AIを実装しているのが仇となったか。
そういうわけで、不可抗力。
不可抗力で、チェリーと相部屋になったのだった。
「あ、そうだ。服が落ち着かないなら、さっきちょうどいいのを見つけたんですよ」
「んん?」
おもむろに立ち上がったかと思うと、チェリーはウインドウを操作する仕草をした。
直後。
光がその身体を纏い、一瞬にしてまったく違う服装に変わっていた。
「じゃーん」
袖を掴んで、両腕を広げてみせるチェリー。
浴衣だった。
淡い桜色の浴衣の上に、紺色の羽織を纏っていた。
「アイテムウインドウを開いたら別タブに置いてあったんですよ。
どうですか? 似合ってます?」
「……………………」
めっちゃくちゃ似合う。
かわいい。
やばい。
なんでピンク髪で浴衣が似合うとかいう奇跡が起こるの?
浴衣の色合いのおかげ?
「……にゅふふ」
唐突に、チェリーは羽織の袖で口元を隠した。
「ありがとうございます、先輩」
「な、なにが?」
「顔におっきく書いてありますよ? 『超似合ってる』って」
口元は隠されているが、によによ笑っているのが目元だけでわかる。
「恥ずかしがらずに、口に出してくれてもいいんですよー?」
「……んぐぐ」
『そんなこと思ってない』とは口が裂けても言えないレベルで似合っていたし可愛いしマジヤバいので、口籠もるしかなかった。
「ほらほら! どうですか? 思いの丈を言葉にしてみてくださいよ! か・わ・い・い。たった四文字でいいんですよ? 簡単なお仕事じゃないですか! かっわいい! そーれかっわいい!」
…………だんだんウザくなってきた。
「――いやいや全っ然似合ってないな! 似合ってなさすぎてビックリした。やっぱピンク髪に浴衣はないわー。まだ紫髪のほうが似合うレベル」
目を逸らしつつ、我ながら意味不明な貶し方をする。
こんなんじゃ嘘だって速攻バレるじゃねえか。
恐る恐る、視線をチェリーのほうに戻すと――
固まっていた。
アバターがバグったのかと思うくらい、俺を煽っていたときのままの表情で静止していた。
かと思うと、ぽすん、と座布団の上に座り込む。
「…………そうですか。似合ってないですか」
暗い声。
背筋がひやっとするくらいの。
もしかして……落ち込んだ?
と思ったら、
「わかりました元に戻します似合ってないんですもんねお目汚し失礼しましたっ!」
早口!
ヤバい、これ怒ってる!
危険を感じた俺は、服を戻すべくウインドウを操作しようとしたチェリーの手を咄嗟に掴んだ。
「悪い今の冗談! 可愛すぎてムカついただけだから!」
思わず口を滑らせた、その瞬間。
チェリーは目を丸くして、俺の顔を見た。
だがすぐに顔を逸らしてしまう。
さらに、こちらに手のひらを向けた手で隠しまでする。
「なっ……なんですか、『可愛すぎてムカついた』って……」
手だけじゃ、顔のすべては隠しきれない。
グラフィックがバグっているのでなければ、チェリーの顔は真っ赤になっているように見えた。
「そ、そんな台詞で喜ぶと、思ってるんですか? こっ、これだからギャルゲーでしか女性経験のない人は……」
「お、おう……」
絶好のからかいチャンスではあったんだが、なんとなく茶化すのは憚られた。
俺は赤くなっているチェリーの顔を見ることしかできない。
「一言余計なんですよっ、一言! だ、だから――」
口元は手で隠したまま。
目が、再び俺のほうを見た。
「――もっとちゃんと、褒めてください」
動悸が強くなって死にそうになる。
頭の中がこんがらがって、まともに働きそうになかった。
それでも俺は、言うべき言葉をなんとか探し出す。
「かわいい」
「ん」
「超似合ってる」
「はい」
「えーと、それから……」
「それから?」
「……ヤバい」
俺の語彙力がヤバいわ。
と、言ってから思ったが、
「えへ」
チェリーは顔を隠すのをやめて、嬉しそうにはにかんだ。
あ。
ごめん。
浴衣姿よりそっちのがかわいい。
「……? どうかしました?」
「いや……」
今度は俺のほうが顔を逸らす。
さすがに、そこまでは口にできなかった。
混浴まであと2話