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第12話 カップルの人間離れ


「なっ……なんですかっ、今のーっ!!」


 消滅していく巨大狐を眺めていると、ウェルダが興奮した声で叫んだ。


「ぴょんっ、ぴょーんって! そんでギューンって! なんですか今のっ! どうやったんですかーっ!?」


 擬音が多すぎてわからん。

 何のこと?


「いや……いや、いや、わたしも驚いた。なんだあのスーパープレイは」


 白衣の作家ブランクも、なぜか半笑いでそう言った。

 俺とチェリーはきょとんと首を傾げる。


「見当違いの高さを飛んでいったシビレハリネズミを、咄嗟にボスを足場にして追いかけたかと思えば……それに合わせて風魔法《エアーギ》――

 しかもめちゃくちゃカーブしたぞ。こう、飛び立つ戦闘機のようにギュイーンと!」


 腕でジェットコースターの登るところのようなジェスチャーをしながら、ブランクは興奮気味に語った。


「なんなんだあのカーブは! どうやったんだ!?」


「そうですっ。《エアーギ》って普通まっすぐ飛んでっちゃいますよねっ!?」


「えっ?」


 チェリーは小首を傾げた。

 そして簡単そうに言う。


「マニュアルで撃ってから、エイム設定をロックオン方式に変えただけですけど」


「「えっ?」」


 今度はブランクとウェルダが目を丸くする番だった。

 ……説明しよう。

 MAOの魔法の照準(エイム)方法には2種類ある。

 ロックオンとマニュアルだ。


 人間やモンスター、アイテムなどを注目(フォーカス)するとロックオン状態になって、キャラネームがポップアップしたりする。

 そうしてロックオンしているものに向かって魔法が自動的に飛んでいくのがロックオン設定で、自分で照準を合わせるのがマニュアル設定だ。


 マニュアル設定だと魔法を射出する位置(手のひらとか杖の先とか)の他に、どういう角度で射出するかまで自分で設定しなければならない。

 代わりに、ロックオンではできない偏差射撃なんかができるようになる。

 要するに上級者向けの設定である。


 このロックオン/マニュアル設定は魔法ごとに決めることができて、スペルブックから簡単に変更できる。

 そして、これは上級者でさえあんまり知らない仕様なんだが、マニュアル設定で撃ったあと、特定のタイミングでロックオン設定に変えると、すでに射撃された魔法は軌道を変えてロックオン対象に向かっていく。

 チェリーはこの仕様を使って、風属性攻撃魔法《エアーギ》を急激にカーブさせたのだ。

 理由は、角度的にそうしないと俺を真下から押すことはできなかったからだろう。


「いや、そうか……ちょっとだが聞いたことがあるぞその仕様……しかし、実戦で使うようなものなのか? 少なくともわたしは初めて見たぞ」


「えー? 結構使いますよ。ねえ先輩?」


「いやお前だけだから。設定変更の猶予時間どんだけ短いと思ってんだ。0.05秒でもタイミングがズレたらただの無駄撃ちになるんだぞ? 5回に1回くらいしか成功しねえっつの!」


「5回に1回も成功するのか……」


「い、異次元の会話です……」


 いや、5回に1回くらいならいけるだろ、普通に。

 チェリーみたいに実戦の中で咄嗟に、となると話は変わってくるが。

 しかもコイツの場合、『初級魔法である《エアーギ》なら俺は傷一つ付かないからロックオンして撃っても大丈夫』ってとこまで咄嗟に計算してからやってるからな。


「あーきも。これだから廃人は」


「いやケージ君もおかしいからな!?」


「普通の人はボスを足場にしたりできませんよっ!」


 え?


「……そうなの?」


「そうですね」


 チェリーは頷いた。

 そうなのか。

 じゃあ高い位置にある弱点をごり押しで攻撃するときとか、みんなどうしてんの?


「せ、先生……この人たち怖いですっ……」


「天才は凡人の思考が理解できないのだ。覚えておきたまえウェルダ」


 何はともあれ、ボスは倒した。

 あとは温泉を汲んでキルマに戻ればクエストクリアということになる。


 夕日はほとんど地平線に沈んでいた。

 夜の帳が空を覆おうとしている。

 大きな《母月》と、その右下に泣き黒子のようにくっついた小さな《子月》――

 MAO特有の双月が、東の空に現れていた。


 俺はウインドウを開いて時間を確認する。

 もう6時か。

 日の出・日没のタイミングは、人類圏外だと日本のそれに従うから、この時期にしてはまだ明るいくらいだな。

 まあMAOの夜は現実ほど暗くないんだが(じゃないと夜は暗すぎて遊べなくなる)。


「――うっ……うっ……」


 そろそろ夕飯に呼ばれるかもなー、などと考えていたら、どこからか啜り泣きが聞こえてきた。

 廃旅館の中でだったら腰抜かすほどビビっただろうが、こんな開空間じゃビビろうと思ってもビビれない。


 温泉の傍で、白い浴衣を着た女性がぺたんと座り込んでいた。

 頭には狐の耳、お尻にはふさふさした尻尾。

 変身前の《六尾》だ。

 裸じゃない!


「行ってみよう」


「先輩はダメです」


「ホワイ!?」


「なんとなくです! ダメ!」


「まあまあ。チェリーちゃん、束縛の強い女の子は嫌われるよ?」


「……そういうんじゃないですし。束縛強くもないですし。私は物分かりいいほうですし」


「いや、断言するけど、君、絶対重いタイプだから。メールが一日帰ってこないだけで病み始めるタイプだから」


「そんなこと! ……ない、と、思い、ます」


 目を逸らすチェリー。

 あー……確たる根拠はないけど、なんか腑に落ちるわ……。

 たまにすげーメンドクサイこと言い出すもんな……。


「っていうかなんで出会って2時間も経ってないのにそんなことわかるんですか!」


「そこは、ほら、人間観察スキルで。リアルのね」


「うさんくさ……」


 結局、俺も交えてすすり泣く狐っ娘に近付いた。

 狐っ娘は顔を伏せたまま、誰にともなく呟き始める。


「わたしは……わたしはただ、温泉が好きだっただけなのに……悪いこと何にもしてないのに……」


 ええー……。

 いや、あなた何人か殺っちゃってますよね?


「……無視してもいいのか?」


「ここで永遠にすすり泣かせておくっていうのはどうかと……」


「かわいそーですっ」


「それ言ったらたぶんコイツに殺られただろう炭鉱夫の人はもっと可哀想だけどな」


「――だって」


 俺の言葉に反応してか、狐っ娘が顔を上げた。

 ついでに胸が揺れた。


「男の人なんて汚いわ。気持ち悪いわ。お湯が汚れちゃうもの」


「……じゃあ女の子なら?」


「女の子なら大丈夫」


 あからさまな男女差別!


「いや、男だろうと女だろうと綺麗さはあんま変わんないだろ……。人間なら誰しも垢は出るわけで……」


「でも……でも……だって……」


 ぐすぐすと泣きながら、狐っ娘は言う。


「男の人が入ったお湯になんて、わたし……無理よ、絶対無理!

 だって、だって……て、手も握ったことないのに……! いきなり老廃物からだなんて! こ、高度だわ。わたしには高度すぎるわっ!」


 ………………えーと。

 何を仰っておられるのだろう。

 額面通りに受け取ると、ただ男に慣れてませんという感じなのだが。


 首を傾げる俺、チェリー、ウェルダをよそに、ブランクだけが「うんうん」と頷いていた。


「わかるわかる。あまりに男と接点がないと、何でもないことが全部エロい行為のように思えてくるんだよなー」


「……ブランクさん、おいくつですか?」


「17歳でーす☆」


 その発言は少なくとも17歳という年齢に価値を感じる歳ではあるということを暴露してしまっているぞフラグメント・マイスター。


「まあここはわたしに任せてくれ。何せこじらせた処女というのは厄介だ。男は言うに及ばず、卒業相手が内定している若い女の言うことなどすべて逆の意味に捉えてしまう」


「ないてっ……!? し、してませんよっ!」


「そういう甘酸っぱい反応も毒なのだ。大人しくしていてもらおう」


 うううう、と不満そうに唸りながらもチェリーは押し黙った。

 ブランクが白衣を靡かせ、すすり泣く狐っ娘の前に跪く。

 そして、その肩に優しく手を置いた。


「君の気持ちはわかる。とてもよくわかる。男が入った後の湯になど浸かったら、『これは実質抱かれたと言ってもいいのでは?』と思ってしまうのは当然のことだ」


「や、やっぱり!?」


 突っ込みたい気持ちをぐっと堪えた。


「だが、話の文脈から察すると、君はどうやらその男たちを殺してしまったようだな。それはいけない。せっかくの嫁ぎ口が」


「ああっ……! い、いや、でも! ダメよ、あんな野卑な人たち! わたし、尻尾が6本もあるのよ!? 偉いのよ!? 高貴なんだから!

 もっと、こう、ゴツくないけど筋肉質で、優しいけど頼もしくて、年収1000万以上あるけど偉ぶらない人じゃないと……!」


「うむ。良い理想だ。理想は高く持つべきだ。いずれ理想通りの男が現れるに違いない。画面の中からひょっこり出てきてくれるに違いない。外見に惑わされず、内面を純粋に愛してくれて、でも外見も褒めてくれるに違いない!」


 現実逃避の極みを見た。


「だが! ……だがだぞ、狐君」


「は、はい」


「それにも確率というものがある。いずれ君を幸せにしてくれる彼が現れるに違いないが、その確率は決して高いとは言えない。

 可能性は高めるべきだ。高められるのなら、できうる限りの手段で」


「そ……それって……?」


「出会いを増やすのだよ」


 にい、とブランクは悪役めいた笑みを浮かべた。


「あの旅館は君が作っていたのだろう? それを本当に経営するのだ。人が集まれば出会いが増える。その中に君の運命の男性がいるかもしれない。あとはわたしを無料でいくらでも泊めさせてくれさえすれば完璧だ」


 おい最後私欲。


「そ……それって、たくさんの人を湯に入れるってこと……? そんなの、わたし……!」


「大丈夫だ。男湯と女湯に分ければいい!」


「あっ!!」


 おい!

 それだけで解決したじゃねえか!

 さっきまでの話、お前に宿泊フリーパスを与える以外の効果生んでないぞ!


「話はまとまったな。名を聞こうではないか、同志よ」


「《六衣(むえ)》です!」


「では六衣よ! 旅館を再生するのだ! 今度は綺麗に、清楚に、しとやかに、イケメンが来そうな感じに!」


「はいっ!」


 というわけで、旅館が再生した。

 今度は廃墟じゃない。

 現実の温泉地にあってもおかしくないほどの、堂々たる木造建築。


 それに伴って、半透明の何かが天へと昇っていった。

 よく見ると、それは人のように見えた。

 ウキャッ、と声がしたかと思うと、あの子ザルも一緒に天へと昇っていく。


 これはあとで狐っ娘――六衣から聞いた話だが。

 元々、この温泉は動物しか場所を知らない秘湯だった。

 あるとき、とあるサルと仲良くなった炭鉱夫が招待されて、以降、果物を対価に、温泉まで案内してもらえるようになった。


 そこでキレたのが六衣。

 炭鉱夫たちを呪い殺して、妖力で作った迷い家にその魂を監禁した。

 案内していたサルも同罪で殺されたが、旧知の仲だったために魂だけは見逃された。

 で、炭鉱夫たちを哀れに思ったサルが俺たちに助けを求めた――って筋書きだったようだ。


 たぶん、廃旅館の中をもっと探索してれば、その辺りのことも事前にわかったんだろうけど。

 まあ、どだい無理な話だな。

 俺もチェリーも、どうやらVRホラーはダメらしい。

 こういう系のクエストは金輪際ごめんだ―――


「そういえば、あなたたち、どうしてわたしが炭鉱夫を殺してしまったって知ってたの?」


 六衣に訊かれたので、チェリーが答えた。


「休憩所に日記があったんですよ。あなたの」


「ああ、そんなところにあったの!? 恥ずかしい……」


「あはは、なに言ってるんですか。あなたが持っていったじゃないですか」


 と。

 チェリーが冗談交じりに突っ込むと。

 六衣は、きょとんと首を傾げた。




「あなたたちに会ったのはお風呂場が初めてよ?」




「……………………」

「……………………」


 ……そういうオチ、マジでいらねえから!!!!



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