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第9話 製作者涙目


 勝手に開いた101号室の戸口を前に、俺たちはほとんど抱き合うような形になって絶望していた。


「……入れってことかよ……。歓迎モードかよ……」


「いやですいやです歓迎いりませんお構いなく!」


 戸口の奥には短い廊下があり、そのさらに奥には襖が見える。

 その襖の奥で今まさにサプライズパーティの準備中ってわけですか?


「帰りたい……ああ帰りたい……」


「だ、だめですいやですギブアップは不許可です……っ!」


「お前のその根性どっから出てくんの……?」


 涙目のくせに。

 尊敬するわ……。


 チェリーは俺の服で涙を拭って(やめろ)、勝手に開いた戸口の奥を睨んだ。


「い……行きますよ」


「マジでか……」


 俺の腕をぐいぐいと引っ張って、チェリーは戸口へと歩いていく。

 戸口の手前でいったん立ち止まり、


「私……さっき、休憩室に入るとき、どうしてあんなに平気だったんでしょう……」


「あのときの俺の気持ちがようやくわかったか」


 時に無知は最強の武器となるのだ……。


 恐る恐る、風呂の温度を確かめるかのように、そろりと戸口を抜ける。

 三和土には下駄が一足、転がっていた。

 ……一人はいるってことなんだよなあ……。


 俺もチェリーも、この期に及んでは無駄口を叩く余裕がない。

 土足のまま廊下に進んで、カンテラの光を頼りにゆっくりと歩いていく。

 光が照らす範囲に、おかしなところはない。

 荒れた様子も、休憩室にあったような血痕も。

 せいぜい埃が積もっているくらいで……。


 襖の手前までたどり着いた。

 向こう側からは何の気配もしない。

 俺の腕にしがみついているチェリーの吐息だけが聞こえていた。


「こ……今度こそ、一緒にですよ」


「わかってるよ……」


 二人で襖のつまみに指を引っかける。

 さすがに二度同じ手は使ってこないだろう。

 ……と、思いたいが、あえてということもある。

 ぐおお、疑心暗鬼だ……。


「――……せーのっ!」


 チェリーの合図と同時。

 スパンッ! と襖を開けた。

 今度こそ俺たちの手によるものだ。


 が、襖を開けると同時に、俺たちは二人とも一歩後ろに逃げていた。


「なに逃げてんだよ!」


「おっ、お互い様じゃないですか!」


 男女で怖い状況に追い込まれると恋愛感情が云々、という話があるがアレは嘘だ。

 本当に怖いと相手を生け贄にすることしか考えない。


 開けた襖から少しだけ距離を取って、俺は恐る恐る部屋の中にカンテラを向けた。

 畳の敷かれた和室だ……。

 今のところ、何か出てくるような感じはない……。


「……気を付けろよ。何か手がかりを見つけたときとか、そういうタイミングで来るからな、大体」


「やめてくださいわかってますからわかってますから!」


 最初が嘘のような怯えっぷりだ。

 今更だけど、なんか新鮮。

 動画に収めておきたいくらいだったが、どうせ怖くて見返せないと思うのでやめておいた。


 気を引き締めて、二人で和室に入る。

 改めて見ると、この部屋は荒れていた。

 畳は何枚かめくれているし、床の間の掛け軸は破れて落ちている。

 まるで強盗が入ったような有り様だ……。


「ど……動物が入り込んで荒らしたんだろうなー。放置されて長そうだからなあここ!」


「現実逃避しないでください……。そこの畳、明らかに血で黒ずんでます」


「見ないようにしてたのに言うなよ……。やっぱりさっきの日記の奴が……」


「うーん」


 なぜかチェリーは首を捻った。


「日記を見るに、襲われたのはキルマの炭坑夫の人たちですよね。NPCの話だと、温泉へは日帰りで、宿泊はしてなかったんじゃ?」


「……そういえばそうだな。じゃあここには誰が泊まってたんだ?」


「……………………」


「……………………」


「黙らないでくださいよ!」


「お前が黙ったからだろ!」


 なぜかはわからんが怖くなってきた。


「……とにかく何かないか探しましょう」


「そうだ、いいこと考えた。背中合わせでいれば背後から不意打ちされなくなる」


「天才!」


 俺たちは背中合わせになる。

 チェリーは俺の腕を掴んだままだ。


 大抵のお化けは背後から襲うもの。

 これでもう襲えまい!

 フハハハハハハハハハ!!


 荒れた部屋をざっと見回した。

 ふむ。


「タンスが怪しい」


「任せます」


「ずるい!」


「そっち側にあるんですから先輩担当です!」


 背中合わせの弊害が……!


「……わかったけど、お前は見張りしとけよ。幽霊が出てくるかもしれない暗闇を監視し続けろよ」


「えっ、いやです!」


「そのための背中合わせ作戦だろうが!」


「うううう……」と唸りながら、俺の腕をさらに強く掴むチェリー。

 絶対に離れるなということだろう。

 動きにくいが、このくらいは仕方がない。


 背中合わせのままタンスの前に移動する。

 引き出しがいくつか抜け落ちていたり割れて中が見えていたりするが、無事なものも3つほどある。


「は……早くしてくださいね……?」


「わかってる」


 こっちだって怖いんだよ。

 引き出しに生首とか入ってたら即ログアウトするからな俺。


 無事な引き出しは3つ。

 そのうち1つ目を、ゆっくりと開けた。

 カンテラの光が中を照らし出して――


 ない。

 何もない。

 空っぽか……。


 2つ目。

 もうどんどん行こう。

 今度は一息に引き出した。


 ……何もなし。

 二重底も疑ってみたが、そんなこともなさそうだ。


 じゃあ、3つ目……。

 普通の速度で開け――


「うおっ」


「ひゃえっ!?」


 背後のチェリーがびくんと跳ねた。


「な、なんですか!? 何があったんですか!?」


「いや、ごめん。ただの紙切れ。無意味にビビった」


「もおー! 驚かせないでくださいよー!」


「ごめんって」


 俺は引き出しの中の紙切れをつまみ上げる。

 何か書いてあった。




『ふたりきた』




 二人……来た?

 二人って、誰と誰だよ。

 ………………。

 俺たちのことじゃないよな?


「ひッ!?」


 後ろのチェリーがいきなりそんな声を上げたので、思わず肩が跳ねた。


「なんだよ! びっくりさせんな!」


「今……今……足音が……」


「は? そんなの―――」


 ――ギッ……。


 ……聞こえましたね。

 完全に聞こえました。

 和室の外の、廊下のほうからですねコレ。


 姿は見えない。

 襲ってくるのかと身構えた俺だったが、


 ――ギッ…………。


「……遠ざかってないか?」


「です……ね」


 遠ざかってるってことは……入り口のほうに行ってる?

 まるで逃げてるみたいだ。

 俺は首を傾げる。


 手に持ちっぱなしだった紙切れが、視界の端に入った。

 瞬間、ぞっとする。

 文章が変わっていた。


『これででられる』


 これで……出られる?

 ……おい。

 待て。

 もしかして。


 この紙切れの文章は、足音しか聞こえない『そいつ』の台詞で。

『そいつ』は今の今まで、ここに閉じ込められていて。

 俺たちが来たから出られるようになる――

 つまり。

 俺たちが代わりに閉じ込められる?


「――ッ出るぞ!!」


「えっ!?」


「部屋から! 閉じ込められる!」


 ――ギッ、ギッ、ギッ……!

 足音が早くなった!


 俺たちはそれを追いかけて和室を出る。

 でもダメだ。

 いくらなんでも出遅れすぎた。

 開けっ放しにしていた引き戸が、ガラッと動く。

 閉められる――!!


「こッ……のおッ!!」


 と思った瞬間。

 チェリーが自分の武器である紅白色の杖をぶん投げた。


 閉まろうとする戸の隙間に、見事に杖が挟まる。

 まるでセールスマンの靴のごとく、戸が完全に閉まるのを防いだ。

 続いて俺たちが飛びついて引き戸を開けた。


 廊下にまろび出る。

 ギッギッギッ、という足音が、廊下の奥へと逃げていった。


「はあっ……はあっ……どうですか! あははは!!」


 チェリーが杖――《聖杖エンマ》を拾いながら、なぜか勝ち誇った。


「おまっ……その杖、オープンベータ限定の、しかもユニークウエポンだろ! なんつー使い方すんだ!!」


「いいんですよ。どうせモンスターの攻撃以外じゃ耐久値減らないんですから」


「エンマの奴がそれ聞いたら泣くぞ……」


 チェリーの紅白色の杖は、オープンベータのときにエンマという重要NPCから譲り受けたものなのだ。

 なので、MAOに二つと存在しない超貴重品である。


「ともあれ、これで正規ルートから外れましたよ、絶対!! 本来はここで閉じ込められるんだったんでしょうからね!! このままショートカットして終わらせてやります!!」


「もはやホラーのテンションじゃねえコイツ」


「さっきのお化けを追いかけましょう! きっとそっちに何かがあります!!」


「まあいいけど……あ」


 さっきの紙切れを持ちっぱなしだったのに気付いた。

 幽霊の台詞だか心の声だかが記してあったやつだ。

 俺はそれを何の気なしに確認した。




『たすけ』




 ……………………。


「よし、帰ろ――」


「行きますよ先輩!!」


「ぬわ――――――っっっ!!!!」


 俺は変なテンションになったチェリーに引きずられていった。


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