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組織AFOW


AT6「組織」


「よう、ゼン。遅くなって悪かったな」

 レイが投げたナイフをよけたカイは、続けて俺の投げたフォークもよけた。

「遅ええ!!」

「うるせえ」

 今、実に八時四十三分。カイは約十七時間四十分も、俺のことをほったらかしにしてやがった。

 俺とレイは朝食中。レイが作ったベーコンエッグと茹でたソーセージを食っているとき、やっとカイが戻ってきた。

「しょうがねえだろ。てめえはやたら特殊なんだから、手配に手間取ってよ」

 カイは面倒くさそうに俺の隣に座って、俺のコーヒーを飲んだ。

 「ぐ・・・・・て、お前・・・!これは甘すぎだろ・・・・・・!!」

 ミルク二杯と砂糖五杯を突っ込んだ茶色いコーヒーに、カイは顔をしかめてカップをつき返してきた。

「人のコーヒー飲むからだろ」

 カイがつき返してきたコーヒーをすすって、程よい甘さに舌鼓を打った。

 俺の女並みの甘党は昔からだ。

「・・・・で?俺の手間取った手配はついたのか?」

「ああ。ボスのほうにも話は通したし、部屋も用意できた。あとタトゥーを彫れば、お前は正式なAFOWの一員だ。おめでとう」

「タトゥー?」

「・・・・・ああ。そういえばこの話はしてなかったか」

 そう言うとカイは、自分の右頬のタトゥーを指した。

 例の、墨がのた打ち回っているような百鬼夜行のタトゥー。

「このタトゥーはな、『オロドジウム』っていう未知の物質を混ぜた墨で彫られてる」

「・・・・・・・・・・・・うん??オロド・・・・・なんだって?」

 一発で理解できない俺の頭が憎い。

 いやでもこれだけ訳のわからない話をされて、一発で理解できないのが普通なんだろうが。

「オロドジウム。AFOW発足・・・・・まあ二十年ほど前に発見された、世間には未公開の物質だ。俺らの『力』と同じで、AFOWが世間に隠している」

「何で隠してんだ?そんなにやばい物質なのか?」

「・・・・・・いや。これは何の変哲もない、鉄なんかと一緒だ。これを隠しているのはAFOWの勝手だ」

 カイは不意に白衣の内ポケットから煙草を取り出して、一本とって火を点けた。

「AFOWの構成員は、入るとき必ずオロドジウムを混ぜた墨でタトゥーを彫る。何故ならそれが、この地下アジトに入るときのパスになるからだ」

 うまそうに煙を吸って、吐く。

 煙草をそんなにうまそうに吸える神経がわからなかった。

「ここの唯一の入り口にはオロドジウムを感知するゲートがある。AFOWの構成員ならタトゥーに含まれてるから通れるが、外の世界に当然オロドジウムはないからな。侵入者があればすぐにわかる。・・・・・・なかなか便利な仕掛けだろう」

 なるほど。それなら「力」同様外にもらすわけにはいかない。

「・・・・・・まあとりあえず今日はボスに会って、タトゥー彫って、部屋の整理だな」

 指を折々言うと、カイはレイのコーヒーを取って飲んだ。

「ふう。やっぱりコーヒーはブラックだな」

 カップをテーブルの上に戻して、カイは立ち上がった。

「とりあえず俺は部屋に戻る。お前それ食い終わったら俺の部屋・・・・ああ、А−5に来い。入室パスは『takehiro』だ。それからここを案内してやる」

 カイは煙草を首から下げた携帯灰皿に押し付けて、バタバタと部屋を出て行った。

「・・・・・・・・・・・・とりあえず」

 俺はカイを見送って、レイに振り返った。

「A−5ってどこだ?」

「案内してあげるよ」

 レイはくすっと笑って、その唇にベーコンを運んだ。


「ここは知ってると思うけど地下一階二階に分かれててね、地下一階がA、二階がBって分けられてる」

 朝食と後片付けを終えて、俺とレイはどこまで行っても同じ景色の白い廊下を歩いていた。

「一階ごとに二十ぐらい部屋があって、一階の半分は大体武器庫になってるの。部屋数は発足当時から変わってないけど、今は構成員の部屋と武器庫等でほとんど埋まって、空き部屋はほとんど無い」

 近く増設することになるかもね。と笑い、レイは部屋の・・・・・じゃなくてエレベーターの扉を開いた。

「・・・で、カイの部屋はA−5だから、地下一階の、エレベーターを出て右に四部屋目」

「B1」のボタンを押して、エレベーターが動き出す。

「・・・・・・・・・タトゥーって、レイも彫ってんのか?」

 聞かされたタトゥーの話が気になって、俺はレイにそう聞いてみた。

「ん?私のタトゥー?見たい?」

 黙ってうなずくと、レイは黒のパンツの裾をまくった。

 白い太ももの横。黒い梵字のタトゥーが、縦に一列くるぶしあたりまで彫ってあった。

「・・・・・・梵字か?楽しい趣味だな」

「何よ楽しいって」

 エレベーターが地下一階に着いて、俺とレイは白い廊下に出た。

 確かエレベーターを出て右に四番目・・・・・・。

 そうしてA−5の部屋に着く。カイの部屋だからといって他のと全く変わることの無い白い扉。

「パス、takehiroだっけ」

 レイは扉脇の、パスワードでも入れるようなところ・・・・パソコンのキーボードを小さくしたようなそれに、慣れた手つきでパスワードを打った。

 俺の家にはパソコンなんて無かったから、レイのようにキーボードを速く打つことはできない。

 パスワードを感知した扉が自動で開き、一応俺はナイフが飛んできてもよけられるように軽く身構えた。

 だがナイフなどが飛んでくることも無く、扉は全て開き切る。

 その先はレイの部屋と同じように、道場のような白い遊び場が広がっていた。レイのように戦闘の跡が目立っているようでもない。

「じゃ、私はここでお邪魔するね。・・・・・・・・いろいろ、がんばってね」

「待てその間はなんだ」

 若干哀れむような表情を見せて間をおいたレイに詰め寄るが、レイはおほほほほと不自然な笑い声を残して去っていってしまった。

 俺、ここでの扱い最悪じゃねえか・・・・・・・・?

 ふとそう思うが・・・・・気のせいだ!と無理やり思い直して気を奮い立たせた。

 どうせここに入る決心したときから自棄なのは変わらない。

 俺は遊び場の中に入って、奥の扉をノックした。一応また警戒心を強め腰のナイフに触れた。

 すぐに扉が開き、やっぱりナイフは飛んでこなかった。

 考えて見ればカイは医療班なのだから、武器等を持ってないのかもしれない。

「カイ?」

 扉が開いた先の居間に、カイの姿は無かった。

 部屋の広さや右奥のコンロ等はレイの部屋と変わらないが、レイがカーペットを敷いてテーブルだったのに対して、ここは畳にちゃぶ台だった。

 床一面に敷いてある畳に足を踏み入れて、部屋を見回す。寝室などに続く廊下への扉も、レイの部屋と同じ位置にあった。

 テレビと、冬の名残のような石油ストーブ。それ以外には目立ったものが無い、殺風景で地味な部屋だった。

 ・・・・まあ、カイらしいといえばカイらしいんだろうが。

 逆に派手だったりしたら絶対引くだろうし。

「おーい?カイ?」

「おう。来たか」

 廊下に続く扉が開いて、風呂上りだと一発でわかるカイが入ってきた。

「・・・・・・・・・・・おい・・・・・・・・・・」

「なんだ?」

 カイは腰にタオルを巻き肩にもう一枚引っ掛けただけの格好で、冷蔵庫から缶ビールを一本取った。

「客がいるのにその格好はねえだろ」

「なんだお前。自分が客みたいな贅沢な扱いされると思ってんのか?」

 やっぱり俺の扱いって最悪なのか・・・・・・?

「昨日忙しすぎてな。寝たは寝たんだが、風呂には入れなかったんだよ」

 カイはその格好のままコンロに背を預けると、ビールのプルタブを開けて一口飲んだ。

「まあとりあえず座れ。折々話してやるから」

 そう言われて、俺はとりあえずちゃぶ台の横に座った。

「お前はこれから、俺たちのボスに会う。まあこれはただの挨拶だな。それが済んだらタトゥーを彫る。今のうちどんなタトゥーを彫るか考えとけよ」

 どんなタトゥーと言われても、今まで俺はタトゥーなんて見たことが無かった。

 昨日今日でカイやレイやハクユのタトゥーを見た限りだ。

「・・・・・・今まで、構成員はどんなタトゥーを彫ってんだ?」

「あ?例がほしいのか?・・・・・・そうだな。カズは背中いっぱいに死神のタトゥーしてるが」

「・・・・・・・・。死神?」

「・・・ん?ああ、そうだが」

 危うく爆笑しそうになった。

 第一印象とどこまで一致してんだあいつ。

「あとはそうだな・・・・ラクトは指にバラ彫ってる。それが一番小さいタトゥーかな」

 バラ?指に彫ってあったのか。あの時は気付かなかった。

「そんなもんだ。タトゥー彫ったらあとは部屋に案内してやる。そしたら俺の仕事は終わりだ。部屋の整理はてめえでやれ。食料はそろえてあるから」

 部屋の形は恐らくみんな一緒なのだろう。だが俺の部屋は洋風と和風のどっちだろう。もしかしてはじめは何も無いとかそんなんじゃないだろうな、と不安になる。

 カイはビールを全て飲み干すと、今度はまた煙草を取り出して火を点けた。

「ちょっと待ってろ。着替えてくる」

 そして奥の扉に消えていった。

 一人残された俺は、なんかずいぶんと久しぶりにため息をついた。

 ボスに会う・・・・・・か。

 どんなやつだろう。

 全身傷だらけでサングラスとかかけて葉巻なんて銜えてて、「裏」世界の帝王みたいな感じなんだろうか。

 いやまさかそこまで定番じゃないだろう。

 じゃどんな感じだ?

 もんもんといろんな「ボス」を考えていると、そのうちカイが戻ってきた。適当な服に白衣を引っ掛けてきた感がある。

 紐に結んだ携帯灰皿も、ちゃんと首から下げている。

「じゃ、行くか」

 カイはさっさと部屋を出て行って、俺はあわててその後を追った。


 カイは地下二階に降りた。

 ボスって俺たちと同じところに住んでんだ。

 少し意外だった。

 こう、もっと違うところというかみんなが使っているわけじゃない一階とかに住んでるのかと思ってた。

 大体降りたエレベーターの反対側に来たところで、カイは一つの扉の前で立ち止まった。

 ここか?

 だが俺はその扉が開いたとき、既視感を感じることになった。

 そこはさっき降りてきたのと変わらない、白いエレベーターだった。

「ボスの部屋に行くエレベーターだ」

 びっくりしている俺に気付いたのか、カイは短く説明してくれた。

「ここが行くのは地下三階。この下にあるのはボス楚月とその秘書リカの部屋だ」

 カイが言った通り、このエレベーターのボタンは「B2」と「B3」しかなかった。

 そしてエレベーターは、地下三階に着く。

 扉が開いた先にあったのは、まずは厳重なゲートだった。

 カイはゲートのキーボードとしばらく格闘し、その後ゲートが開いた。

「ちょっと待ってろ」

 そのゲートをカイは一人でくぐり、そして今度は向こう側のキーボードをカタカタやり始めた。

 そしてしばらくするとゲートがピーと鳴いて、「もういいぞ」とカイが手招きした。

 俺が通るとなんかあんのかな・・・・と思いつつ通ると、ゲートはうんともすんとも言わず、俺は無事にゲートを抜けることができた。

 多分さっきのカイの格闘のおかげだろう。

「何やってたんだ?」

 さっさと歩き出したカイの後を追ってそう尋ねてみた。

「お前はまだオロドジウム持ってないだろうが」

 あ。

 そういやそうだった。

 とするとあれはオロドジウムを持ってない俺を特別に通すためだったのか。

「ホントにお前は面倒だよな」

「あ?」

 不意に言われた愚痴に、思わず不良相手の口調になってしまった。

「お前の手配のせいで昨日はまともに寝れなかったし、ゲート通るのにも一苦労だ。・・・・それにしても何で俺が・・・・・・」

 ぶつぶつと愚痴ってるカイと俺はやがて、一つの扉にたどり着いた。

 それは今までの白いものと全く違う、黒一色の扉だった。

 だが形は全く同じだ。形は同じでも色が正反対だと奇妙な感じがした。そしてどこか不気味な感じもした。

 カイはまたパスワードを入れて、今までのそれには無かったチャイムのようなものを押した。インターホンみたいだ。

「カイだ。ゼンをつれてきた」

「わかりました。今開けます」

 カイが声をかけると、すぐに知らない女の声が返ってきた。

 インターホンみたいだ、という俺の予想は当たっていたわけだ。

 直後黒い扉が自動的に開き、俺はまた無意識に警戒してしまった。

 なんか癖になりそうだ。

「ようこそ、我がマフィアへ」

 その先に立っていたのは、賢そうで物静かそうで黒髪を肩ほどまで伸ばした眼鏡の女性だった。キャリアウーマンのような黒スーツに身を包んでいて、その女性のイメージとは少し外れて若干胸元がはだけていた。谷間が見えるぎりぎりだった。

 そして、目。

 深緑とオレンジ色の目が、まっすぐに俺を見ていた。

「私たちの新しい仲間、・・・・・・ゼン」

 女性はすっと笑い、俺に手を差し出してきた。

 女性の手を握ると、その手は水にでも触れたように冷たかった。

「私はボス楚月の秘書、リカです。AFOWへ、ようこそ」

 女性――リカはまた、すっと笑った。


 黒い扉の向こうは、上の階と全く変わらない白い部屋だった。形も同じだ。

「私の部屋です」

 へえ。リカは戦闘系では無さそうに見えるのに、変わらず遊び場があった。

 リカはまたしてもパスワード付の厳重な金庫から鍵を一つ取り出して、他の部屋には無い、またしてもパスワード付の扉を開けた。

「・・・・・・・・なんでパスワードに鍵なんだよ・・・・・・・・・・」

「パスワードは鍵穴を空けるための鍵なんだよ」

 俺の小さなつぶやきを目ざとく聞きつけて、カイもポツリとつぶやいた。

 二重ロックの扉の先には、エレベーターが一つあった。

「・・・・・・・・また降りるのかよ・・・・・・・・」

「対襲撃者用に作ってあるからな」

 最初のオロドジウムを感知するゲートで十分だろ。と思ったが、これが「裏」世界じゃ常識なんだろう。

 相手は「表」世界では想像もできないくらい、強大で恐ろしいのかもしれない。

 リカとカイと俺はエレベーターに乗り、「B4」へ向かう。

「・・・・・ボスってどんな奴なんだ?」

 エレベーターの中の沈黙に耐えられなくなって、思わず言ってみた。

 どうしてだろう。カイもリカも、どこかしゃべり難い雰囲気をかもしているように思える。

「女ったらしです」

「あ!?」

 意外にも真っ先に口を出したのはリカだった。口調にどこかいらだちのようなものを感じるのは、気のせいだろうか。

「何人もの女と寝て、その度にその女の目を使って眼球手術をするんです。そうやってボスは、最強の『力』を手に入れました」

 一瞬、耳を疑った。

「さ・・・・・最・・・・強・・・・・!?」

「何を驚いているんですか?ここは私たち能力者を集めたマフィアAFOW。そのボスが、最強でないなんてそんなことあると思っているんですか?」

 リカにそんなつもりは無いのだろうが、どこか馬鹿にしたように聞こえた言葉にむっとする。

 だが怒っても仕方が無いので何も言わなかった。

 馬鹿にする気は無かったのだろうし。

「だからあなたは、ボスに次ぐ二人目の最強。このマフィアにとって、あなたを獲得できたことはこの上ない功績なんです」

 獲得・・・・・!?

 今度は怒る以前に半ば呆れた。

 人のことなんだと思ってんだ。

 そしてエレベーターは、地下四階に着いた。

 エレベーターの扉の向こうは、例のゲート付の、厳重な黒い扉だった。

「こりゃまた重装備だなおい・・・・・」

「何を言ってるんですか。一マフィアのボスたる者、このくらいは当然です」

 さも当たり前のように言うリカに呆れつつ、オロドジウムを持たない俺を特別に通す、ゲートとの格闘が終わるのを待つ。

 今度はカイじゃなくリカがやったせいか、待ち時間がやたら短かった。

 そうして俺は無事ゲートを抜け、カイがパスワードを入れた黒い扉の前に立つ。

「開くぞ」

 その声と同時に、黒い扉が開いた。

 つまりそれは、俺とボス楚月を隔てる壁の消失だった。

「というわけでゼン」

 ん?

「幸運を祈る」

 俺が振り返ると同時にカイの足がげしと俺の腰に入り、俺は開いた扉の向こうに蹴り飛ばされた。

「俺ボス苦手なんだよ」

「因みに私も」

 閉じていく扉の向こうで、カイとリカが二人して呑気に手を振っている。

「・・・・・おっ・・・・・・・」

 今から扉に飛び掛っても、その前に扉は閉じてしまう。

 だから俺は大声で叫んだ。

「覚えてろよおおおおおおおおお!!!」

 俺の咆哮は届いたかどうか。

 扉はぴしゃんと閉じ俺は一人残された。

 やっぱり、俺扱い最悪だ。

 蹴られた反動でまだ完治してないわき腹の傷がまた痛み出していた。

 絶対殴ろう。顔合わせた一瞬後に殴ろう。

 そう固く決心して、傷を庇いつつ立ち上がる。

 暗い部屋だ。照明がおぼろげな光を放っているだけで、部屋の隅などは闇がうずくまっている。 

 そして壁も床も、黒い。

 それが部屋の暗さをよりいっそう際立てていた。

 レイの遊び場の二倍近く広くて黒いが、それでもここには何も無い。 

 ここはきっと遊び場なのだろう。

「・・・・・・・・ボス・楚月・・・・・・・・・・・・」

 そして誰もいない。

 俺はなんとなく、そう口に出していた。

 俺はボスに会わなければならないのに、どうしてボスがいないのだろう。

「・・・・・・・いないのか・・・・・・・?」

「・・・・・ああ。君が噂の新人か」

 声は背後から届いていた。

 俺は息を呑んだ。体に緊張が走り産毛が逆立つ感じがした。

 唐突に背後を取られるなんて、そんなことあるのか?

 俺はゆっくりと振り返った。誰もいなかったはずなのに、声が聞こえた背後に。

「・・・・・・櫻井粋然。最強の力を持つ、新しい俺たちの仲間」

 一人の男が立っていた。

 歳は、三十を越えたかどうか。短くさらさらした黒髪に、すらりとした長身。右頬には、蔓がのた打ち回っているようなタトゥーがあった。

 でも、そんな外見なんかどうでもいい。

 この男が、ここにいるべき人物であること。この男が何者であるかということ。

 それら全てを証明し、怪しい光を抱いている、双眸。

 それは俺と同じ、白と黒の色彩だった。

 それは俺と同じ最強の「力」を持つ、ボス・楚月の証明だった。

「楚月・・・・・・・・・」

「ああ。俺の名だ」

 男――楚月は、ふっと表情を緩めた。

 笑った――――。

 失礼なことにそんなことを思った。

「櫻井粋然。新しい、君の名は?」

 一瞬、何を言ってるんだ?と思った。

 名前ならさっき、自分で言っただろう。

 だが「新しい」という言葉で、ああ、と納得した。

「・・・・・ゼン、ゼンだ。俺の新しい名は、ゼン・・・・・・」

「そうか、ゼン。俺たちは、君を歓迎する」

 楚月はリカと同じように手を差し出してきた。

 白く細くそれでも力強い手だった。握るとそれが強く感じられた。

「ゼン。君の能力は?」

「・・・あ・・・・・・・?」

 言われて、初めて気がついた。

 俺の、能力。

 最強だと、はやしたてられていたというのに、俺はその最強に力がなんなのか、疑問に思うことさえなかった。

 なんか、とんでもない恥に思えた。

「・・・・・・まだ覚醒していないのか」

 手を離して、なぜか楚月はその手を黒い壁に当てた。

「覚醒していないなら再生能力も多少鈍るが・・・・・・・・まあ、手加減はしてやろう」

 楚月の体に、影がかかった。

 初めはそう見えた。体に闇がまとわりついた、そんな感じ。

 だがそれは全くの勘違いだった。

 楚月がとん、と床を蹴って壁の影に飛び込むまで、俺はそれに気付けなかった。

「・・・・・・っ・・・・!!?」

 消えた!?

 俺の頭は瞬時に理解できなかった。

 とんでもない混乱で頭がいっぱいになる。

 ただ黒い部屋を包む殺気だけは、ちゃんと理解してくれた。

 弱いとはいえ殺気なら常日頃向けられているから、感じなれていた。

 絡んでくる不良たちに感謝する日が来るなんて、夢にも思わなかった。

「・・・・くそ・・・・・っ!っんとに殺す気かよ・・・・!!」

 本物の殺気に汗が噴出し、情けないことに足がすくみそうになる。でも手はなんとか腰のナイフに伸びてくれた。それに触れて、少しだけ思考する余裕が戻る。

「力」・・・・・か!?

 混乱する意識の中で、何とかそれだけ理解する。

 人一人が唐突に消えるなんて、つい先日知った「力」でもなきゃ有り得ない。

 いきなり消えたってことは、どこからいきなり現れてもおかしくない。そうなれば何をされるかわかったもんじゃない。

「汗をかいてるな」

 ひた、と頬に硬く冷たいものが当たった。

 それは鉄の冷たさ。それも鋭く強く研ぎ澄まされた、凶器としての冷たさ。

「・・・・・・っうあ・・・!!!」

 レイとは比べ物にもならない殺気に、わけもわからないまま冷たさから逃げた。

 その時軽く背を押された感触があって、それだけで俺はバランスを崩した。

 楚月・・・・・・!!!

 俺は倒れる過程で、その姿を見た。

 俺と同じ黒と銀の双眸をらんらんと光らせ、その手に収めた巨大な槍を俺に向け、黒い闇をまとっている。

 感じるのは強い、純質な殺気。

 全てが一瞬だった。

 楚月の槍が俺の左肩をかすめシャツを壁に縫い付けて、俺の体を壁に叩き付ける。

 背に受けた衝撃に肺でもやられたのか、俺ののどからはヒューヒューとおかしな音がもれた。

 頬を一筋の汗が伝った。

 今思えばとんでもなく強い一撃だったのではないか。

 槍の矛先は俺のシャツを貫いただけなのに、俺の体を跳ね回るこの痛みはなんだ!?

 悟った楚月の本気に、全身が震えた。

 カチンと音がした。それが最初、俺は何の音だかわからなかった。

 どこか遠くで聞こえたようなそれは、それでも近くで鳴ったものだということは何とか悟った。

 カチカチカチと今度は連続して鳴る。

 その時になって俺は何とか理解した。

 それは俺の歯が震えて鳴っている音だった。

 信じられなかった。いやそれよりも、理解できなかったという方が正しいかもしれない。

 自分のとんでもなく情けない姿を晒していることに、理解が届いてくることはなかった。

 歯を鳴らし体を震わせて、まるで獅子に追い詰められ恐怖に怯えている兎のような自分の姿を、まるで他人事のように感じていた。

 打ちのめされるっていうのはこんなことを言うのだろう。

 情けない。

 この世界でも生きていけるという自信が、木っ端微塵に砕かれた。

 なんて、情けない。

 誰にも屈さなくて誰にも従わなくてただ一人孤独を愛して、そうやってずっと美化し続けてきた自分が、今たった一人の人間に負けて打ちのめされて泣きそうになっている。

 本当に、なんて情けないんだろう。

 今こうやって情けないと思っている自分さえも、情けなくてくだらなくてどうしようもなく滑稽だった。

「泣いているのか?」

 誰が泣くか、この野郎。

 せめて、せめて泣かないでいることだけが、俺の自信を保つ手段だった。

「泣いていないのなら、上出来だ」

 ずっ・・・・と槍が抜ける。つまり俺は自由になったわけだが、唐突に殺気が消えた反動か体がまともに動かなかった。

 全く、情けない。

「いきなり襲って悪かったな。やはり君はいい人材だ」

 立てないでいる俺に、楚月は手を差し出してきた。手を貸そうというのか。

 ・・・・・・・・・・。

 俺は震えそうになってる足を叱咤して、楚月の手を借りずに一人で立ち上がった。

 理由はなんかむかついたからに決まってる。

 楚月は大して気にしていないようにふっと笑い、手を引いた。

「ゼン。これからの活躍を期待してるぞ」

 全然そんなこと思ってなさそうな顔で、楚月はそう言った。

 でも、期待しているのか・・・・・と頭の隅で思った。


「無事だったか。ゼン」

「どの口がそれを言うかこのくそ野郎」

 楚月にこてんぱんにやられたあと。楚月はさっさと闇に紛れて消えてしまって、俺はいつまでもそこに突っ立てるわけにもいかず黒い部屋を出た。今冷静になって考えてみると楚月の「力」は闇を操るというか闇に紛れることなのだろう。当たってなくても全く違うということはないはずだ。

 外に出るとそこには煙草をふかしたカイが待っていた。帰ったのか、リカはいなくなっていた。

「でも怪我してんな。やっぱりボスに襲われたか」

 カイは俺の左肩を見て言った。楚月の槍にやられた傷だ。シャツが派手に裂かれてはいるが、大して痛くないかすり傷だ。

 ふとカイが、俺の左肩を凝視していることに気づく。何故か驚愕の色がそこにある。

「カイ?」

「・・・・・・ん?ああ」

 声をかけるとその表情は嘘だったかのように名残もなく消え失せた。こっちが見間違いだったかと疑うぐらいに。

「その程度の傷なら手当てすることもねえな。行くぞ。次はタトゥーだ」

 カイはさっさと背を向けて歩き出し、俺は問い質すタイミングを逃がした。なんだったんだ。結局。

 俺はカイのあとを追って歩き出し、ボス・楚月の部屋をあとにした。


「タトゥーって、どこで彫るんだ?」

 計三回エレベーターに乗って、俺とカイはやっと地下一階に着いた。

「ここだ」

「ここ?」

「オロドジウムを墨に混ぜて彫るんだぞ。外で彫ってどうする」

 ああ。そう言えばそうか。

「じゃあ彫り師は?」

「もう呼んである」

 やっぱり、組織の秘密をばらしてる彫り師がいるのか。

 そんなことを考えているとすぐに、前を歩いていたカイが立ち止まった。

「ここだ」

 それだけ言ったカイが扉の前に立つと、扉は自動的に開いた。個人の部屋と違ってパスワード式のロックはないらしい。

「いらっしゃい」

 ふと開いた扉の向こうから、女の声が聞こえた。

 この声・・・・・・?どこかで・・・・・・・。

「ゼンを連れてきた。後は頼んだぞ」

 俺も部屋の中に入って、カイがそう話しかけ、はいと返事した相手を見た。

「ハ・・・・・・・」

 そこにいるのは彫り師だとばかり思っていた俺は、意外な人物に声を上げた。

「ハクユ!!?」

「・・・・こんにちは、ゼン」

 寝台の横に座ったハクユは、驚き声を上げる俺を見て口元に笑みを浮かべた。

「ま・・・・・まさか彫り師って・・・・・・・」

「この状況からすればハクユに決まってんだろうが」

「何で言わねえんだよ!?」

「面倒臭えからに決まってんだろ阿呆」

「・・・・・・・・」

「じゃあ、ハクユ。頼んだぞ」

「はい」

 絶句する俺を横に、カイはハクユに俺を任せてさっさと部屋を出て行った。

 じゃあ、始めますか。と言われて、俺はハクユに向き直る。

「タトゥー、・・・・何にするか決めた?」

 レイの部屋で会ったときと同じ、控えめな印象。

 タトゥーを彫るのに使う針などの道具を傍らに並べて、小柄なせいでいすにちょこんと座っている感じ。

 なんか彫り師には見えなかった。女だし、熟練したイメージもないし。

「・・・・・・狼」

 でも俺は、ポツリと伝えた。

「狼?」

「銀色で、抽象的に。・・・・・強く見えるように」

 ずっと、漠然とだけど考えていた。輝く銀色の体で一人孤独に生きる銀狼の姿を。真っ白な満月を背景にして、誰よりも気高く何よりも孤高に、咆哮をあげる銀狼。

 それはなんというか、俺の根深いところに強いイメージとして残っている。なぜなのかわからない。ただ自分を美化し続けてきた俺は、自分は銀狼だと思っていた。孤独を愛し群れから逃れ一人ぼっちで気高く生きる孤高の銀狼。髪も青銀色だし、ちょうどいい。

 だからこの体に一生刻むとしたら、そんな銀狼の姿がよかった。

「銀色の狼・・・・・・・・・か」

 ハクユはそれだけつぶやくと、なにやらスケッチブックのようなものを取り出してページのひとつにさらさらと鉛筆を走らせた。待っていた時間はほとんどと言っていい程無く、ほんの十秒と少しで鉛筆を止めてそのページを俺に見せた。

 そこには俺がイメージした通りの銀狼がいた。

 いかにも十秒で書いたような線が重なり、こちらを凛とした目で見つめる銀狼を形作っている。何本かの線で書かれた体毛は風になびいたように曲線を描き、その後ろには俺の心を読んだかのような満月がひとつ浮かんでいた。

「こんな感じになるけど。もっとこうして欲しいってところがあれば言って」

「・・・・・・いや・・・・・」

 ホントに心の中を読まれたみたいだ。そんな風に思うくらい、俺の心の中のイメージを完璧に写し取った絵だった。

 文句のつけようがない。

「・・・・・完璧だ。これでいい」

「そう?じゃあ清書するから、もう少し待って」

 ハクユはまた絵を自分のほうに向けて鉛筆を走らせ始めた。今度はペンも使っていた。待つといっても思ったよりずっと早い時間で、ハクユは清書を終わらせた。一分も経ってないだろう。

 ハクユはさっきより具体的になった銀狼を見せてくれた。

 力強い一本の線で描かれてさっきよりもずっと存在感を放つ銀狼が、俺をにらみつける。

 その絵には魔力でもあるような感じだった。その銀狼が紙の上で生きているように見えて、俺はその鋭い視線に魅了されて目を離すこともできなくなった。

「これをそのまま肌に彫ることになるけど、いいかな?」

「いい。これ、気に入った」

 そう言ってスケッチブックに上の銀狼をなぞると、ハクユは控えめに、それでも嬉しそうに笑った。少しだけど、可愛いなあと思う。

「それじゃあ早速彫ろうか。絵柄が早く決まってよかったよ」

 どこに彫る?と言われて、それは全く考えてなかったことに気づく。でも少し考えて俺は「ここだ」とシャツの上から心臓を指した。銀狼を俺に重ねるなら、もってこいの場所だ。我ながら名案だと思う。

「わかった。シャツ脱いで、そこの寝台に仰向けに寝て。一時間ぐらいでできるから」

 ハクユは俺がシャツを脱ぐのを手伝い、そのシャツを脇の台に畳んで置いた。そして気合を入れるためか服の袖をまくってピンで留め、長い前髪もピンで留める。ずらりと並ぶ道具の中から一本の針を取り、上半身裸の俺が仰向けになっている寝台の横に立った。

「始めるよ」

 その声と共に、俺はそっと目を閉じた。

 心臓の上に身を刻まれる痛みを感じながら俺は、嗚呼、もう戻れないんだなと思った。

 戻れないことはもう、ここに入った時点で変わりない。でもオロドジウムを混ぜた墨でタトゥーを彫ることは、この組織の一員である証を刻むことは、また一歩「表」の世界から遠ざかることだ。

 それはとても怖いことだ。でも、戻れはしない。

 ならば腹を括ろう。覚悟を決めよう。このタトゥーと共に刻むのは恐怖ではなく覚悟にしよう。

 どんなことがあっても俺は、この世界を生き抜いていこう。

 もう、決めた。

 情けないけれども、恐怖はいつだって付きまとってくる。だから、決めた。

 戻れないのなら、怖くても進もう。

 ただ胸を張って、さも強く気高く見えるように、進んでいよう。

 俺という存在に、誇りを持って。

 そんなことを考えながら、俺はいつの間にか眠りの世界に沈んでいた。

 ほんの少しだけ、俺に似た銀狼の姿が脳裏を掠めた。


「・・・・・・・ゼン。ゼン!起きて!ゼン!」

 肩を揺すられる感覚に目を覚ました。薄く目を開けると、その狭い視界にはハクユがいた。

「終わったよ。鏡で見てごらん」

 そう言われるのとほぼ同時に、意識が完璧に覚醒した。

 体を起こし左胸を見てみた。上からじゃちゃんとした形は見えない。でもそれは確かにあの銀狼だった。紙の上から俺を睨みつけ、俺を魅了した銀狼。

 銀狼がいるところがひりひりと痛んだ。たいした痛みではないが、なんというか同時にかゆみも覚えてどこか不快な痛みだった。

 俺は寝台から降りて、ハクユが押してきた鏡の前に立った。

 銀狼がいた。俺の肌の上に胸の中に、ちゃんといた。

 ハクユが見せてくれたスケッチブックのそれと全く同じ、満月を従え風にたてがみをなびかせた孤高の銀狼。それはやはり存在感と威圧感を放ち、俺の肌の上で生きているように見え、俺を睨みつけそして強く魅了する。

 俺は彫り師としてのハクユの腕を認めざるを得なかった。

「気に入ってくれたかな?」

 ハクユは俺のシャツを片手にそっと近づいてきた。ハクユはもう、前髪のピンもまくった袖を留めるピンも外していた。

「ああ。すごく気に入った。ハクユは天才だな」

 ハクユはそれにくすりと笑い「ありがとう」と言っただけだった。玄人の余裕か大して喜ぶような態度を見せず、ハクユは俺にシャツを渡してすぐに道具の片付けに向かってしまった。

 天才とか、上手いとか、言われ慣れてんのかな。

 そう思いつつシャツを着ようとした俺は、それに気づき思わず目を見開いた。

 シャツに、大量の血が染み付いていた。白いシャツに血の紅はよく目立つ。しかも半端な量じゃない。鋭利な刃物で斬られたような出血量だった。これだけの血に、どうして気づかなかったのだろう。

 染み付いてるのは、左肩だった。そこの生地が派手に裂けて、そこを中心に背や胸へと血が広がっている。

 これは・・・・・・・・。

 楚月に、やられた傷だ。大して痛くなくてかすり傷だと思ってたから、全く気にしないで見もしなかった。

 思わず左肩に触れる。触れた手に血なんてつかない。肩に痛みなんてない。傷なんて、どこにもない。

 じゃあこの血は何だ?

 他人の血だとは思えない。これは明らかに楚月にやられた傷から出血した俺の血だ。だがこの血の量なら全治二週間はかかる傷だったはずだ。それがどうして、今きれいさっぱり治り、消えているんだ。

 ふと、さっきカイが俺の肩を見て驚愕していたのはこれのせいだったのかと思いつく。だったらなぜ治療しようとしなかった?医療班の癖に。

 もしくはもう傷が治っているということに気づいていた?

 それにハクユだって、シャツを脱がせるときに気づいていたはずなのに何も言わなかった。

 二人とも、なんで何も言わないんだ?

 俺はいまだ片付けを続けるハクユに振り返った。聞いてみた方がいいだろう。一人で考えていたって答えは出ない。

「ハクユ・・・・・・」

「何?」

 ハクユは片付けを中断して振り向く。琥珀色の髪が揺れて人魚の鱗のようなタトゥーが見え隠れする。このタトゥーほどハクユに似合うものはないなと、ほんの少しだけ思った。

「この血、気づいてたんだろ?」

 血まみれのシャツを見せる。

「何で言わなかったんだ?こんだけの血なら大怪我してるって思うじゃねえか」

 ふっと、ハクユの口元から笑みが消えた。まずいこと聞いたかな、と少し後悔する。

「ゼンは最強だから」

「え?」

 意外な言葉に思わず聞き返してしまう。

「何も聞いてないのね。でも最強だからしょうがないのか」

 ハクユは、寝台に腰掛けて俺を見上げた。

「誰も話してくれないだろうから、私が話してあげるね。とは言ってもほんの少しだけど」

 どうして、最強の話は誰も話してくれないのだろう。「最強」だから?もしくはみんなカイみたいに面倒くさがるから?

「ゼンの眼は黒と白の現在確認されている中で『最強』と称されている無敵の眼。でもどうしてそれが最強と呼ばれるかわかる?」

「力が・・・・・・強いからじゃないのか?」

「うん。それもあるよ。でも人によってみんな能力が違うのに、どっちが強いかなんて容易には決められない。力が強いことのほかに、『最強』にはみんなとは決定的に違う点があるの」

 決定的に違う点?思わず体を見下ろす。違うところなんてどこにもない、生まれたときからずっと他人と同じ健康な体だ。

 ハクユはそんな俺を見て、クス、と笑った。

「体が違うわけじゃないのよ?それは外見に出るわけじゃない。『最強』は無限の再生能力を持つの。『最強』はどんな傷を負っても常人とは比べ物にならない再生能力で治癒してしまう。ゼンの肩の傷も、その力ですぐ治っちゃったんだよ」

 その言葉は、衝撃だった。

 再生能力という、漫画や小説でしか見たことがないような力。それが俺の中にある。

信じられない。こんなの本当に、人間じゃない。怪我をしてもすぐに治ってしまうなんて、そんなの人に見られたりもすれば間違いなく化け物扱いされるだろうに。

「・・・・・・でも、待てよ俺、まだ力が覚醒してない」

「力が覚醒してなくても、再生能力は生まれたときからゼンの中にある。力を知ることで一気にそれが覚醒したんだと思う。知る、っていうことは人が思っているよりすごい力を持ってるものだよ。ゼンは人より治りが早いって言われたことなかった?」

 そういうことを言われた覚えはない。でも俺はよく人に絡まれてほとんど毎日怪我させられていたから、面倒くさくて親にも言わないで手当てもまともにしないでよく放っておいたっけ。そういう傷は、やたら治りが早かった気がする。よほどの怪我じゃなければ、次の日には治っていた。

 でもそれは、こんなに強い再生能力ではなかった。誰にも見せなくて誰にも気づかれなかったけれど、自分でその治癒の早さを気味悪く思うほどじゃなかった。

 それなのにどうして、どうしてこんな唐突にこんなことに気付かされるのだろう。ただでさえ「力」の存在もまだ納得し切れてないのに。

「はい。お話はこれで終わり。私が教えられるのはこのくらいしかない」

 困惑する俺を余所に、ハクユは寝台から腰を上げて「さてと」と引っ張り出した箱から何かを取り出した。

「タトゥーっていうのは案外手間がかかるんだから。あと二週間はかゆくてもかいちゃ駄目よ」

 ハクユは俺を寝台に座らせると、彫ったばかりの銀狼の上にそれがきれいに隠れるぐらいでかいガーゼを当てて包帯を巻いた。

「でもゼンは全然痛がらなかったね。大抵の人は痛くてものも言えないぐらいなのに」

 しかも寝ちゃうし、と笑うハクユに「痛いのなんて慣れてるからな」と返す。

 ほんとに、慣れてしまった。ほぼ毎日殴り合い蹴り合いしてれば痛いのなんて大したことじゃなくなる。

「はい、終わり。少し早く終わちゃったね。カイさん呼ぶ?」

「・・・・・・・・。ああ」

 俺はそっと包帯の上から左胸に触れた。

 俺の鼓動と一緒に、銀狼の鼓動も聞こえてきそうな気がした。


 俺はベッドの上に倒れこんだ。

 そのベッドはもちろん俺のもの。俺がいるのは俺の部屋。

 ここが、AFOWに入った俺に与えられた部屋だった。

 洋風とか和風とか心配していたことはなく、そこはただの真っ白な部屋だった。

 コンロと流し台はある。その横に小さめの冷蔵庫もある。扉も同じ場所にある。ただ何もなかった。白い壁と床とが非現実的な雰囲気を放っているだけだ。

 寝室にはパイプベッドがひとつある。浴室もトイレもレイの部屋と全く同じだった。

 広い遊び場も、ちゃんとあった。

 ただそれだけだった。

「もうちょっとマシにならないのか」

 カイに部屋に案内されて部屋を一通り見て、俺はどこもかしこもただ白い部屋に文句をつけた。

「家賃光熱費水道代その他払わせるぞ青少年」

 ここは家賃光熱費水道代その他払わなくていい代わりに、家具その他日常品はないらしい。仕事・・・・・任務をこなして揃えろと?

「まあ何もないってことは自分の好きなように改造できるってことだ。おかげで俺もレイもカズも好きなようにしてるさ。明日にでも挨拶ついでにメンバーの部屋を回ってみろ。個性的で笑えるぞ」

 そう言ってカイは去った。そして俺は新しい俺の部屋に一人残された。

 そうして俺はとりあえず、ふかふかのベッドの上に倒れこむことにした。

 倒れこんで、シャツの胸元のボタンを外す。俺のシャツは血まみれで着れたものじゃなかったので、カイのシャツを借りた。血まみれのシャツはベッドの隅に放ってある。カイとは頭一つ分違うせいで、なかなかこのシャツはでかい。今は袖をまくってあるが、これを伸ばすと指先しか見えなくなるのが何故か悔しい。

 だがこれでもう、俺の居場所ができてしまったことになる。家の俺の部屋は、残っているのだろうに。

 緋粋はどうしているだろう。お袋も。

 二人とも、あの親父がいなくなっただけであれだけ悲しがっていたのに、今度は俺までいなくなってしまってどうしているのだろう。

 緋粋もお袋も、きっと泣いたんだろう。警察に捜索願とかも出したんだろう。

 俺がいなくなって三日。二人とも心配してるのだろうに、連絡ひとつしてあげることもできない。

 俺はカイに、ずっと気になっていたことを尋ねた。

 家族に連絡することはできないのか。会いに行ってはいけないのか。せめて連絡だけは入れたかった。そうすればいろんなことを聞かれるだろうが、それに対してどう言い訳すればいいのかわからないが、それでも声が聞きたかった。

 カイは首を振った。どんな人間にも、ここに秘密を漏らすわけにはいかない。とそう言って。

 せめて声だけでも。と追及することはなかった。一度首を振った今、カイがうなずいてくれるとは思えなかったし、連絡のひとつでもすれば居場所を聞かれるに決まってる。もう二度と会えないと言ったところで、緋粋もお袋も納得してくれるわけがない。

 憂鬱にため息をついた。信じられなかった。もう二度と家族に会えないと言われても、もしかしたらいつか会えるのではないかと思ってしまう。ここは本当は幻で、もう一度眠って起きたらいつもの俺の部屋で、すべてが夢だったら。ただでさえここは現実味がないのに、そう考えてしまうのも仕方がないのかもしれない。

 でも知ってる。わかってる。何度も幻想であることを期待して、すぐにこれは現実であることを知る。それの繰り返しなんだ。

 これは現実なんだと、俺は知ってるんだ。

「・・・・・・腹減った・・・・・・・・」

 心の中でいくら葛藤してても、腹は律儀に減ってるらしい。

 そういえば何も食べてなかった。でも何もない。

 俺はベッドから降りて寝室を出てリビングに入った。何もない真っ白な部屋の中、冷蔵庫がひとつコンロの横に置いてあるけれど何か入ってるんだろうか。でも整理したばかりの部屋の冷蔵庫に何か入っているとは思えなかった。ただでさえ整理したカイは適当な性格なのに。

 半ばあきらめつつも冷蔵庫を開けると、予想に反してそこには一通りの食材が入っていた。肉に魚に野菜に果物、ポケットには一リットルのミネラルウォーターが二本に、五百ミリリットルパックの牛乳が一本。よく見ると納豆やヨーグルトも入ってる。それに何故か板チョコレートが二枚。

 ・・・・・・・もしかして。

 俺は流し台下の扉を開けた。一通りの調理器具がきちんと整理されて並んでいた。

 ここは感謝すべきなんだろうが、何故か呆れた。なんか一通り過ぎる。

 でも俺は腹の音に急かされて、とりあえず適当に切った野菜と肉をフライパンに突っ込んで炒めた。調味料はコンロ下に揃えてあった。適当に味付けして味見をする。少し薄味だったけど気にしないで火を止めた。濃い味の料理ばかり食べてると病気になるらしいし。

 そこで気付く。皿がない。食器棚がないからどこに置いてあるのかわからない。仕方がないので引き出しも扉も全部開いて探したが、結局見つかったのは引き出しに入っていた割り箸一本だった。

 もしかして皿用意するの忘れたのか?これだけ食材用意しといて皿だけ忘れたのか?

 どうやらそうらしいという結論にたどり着いて、あのカイでも抜けたところがあるんだなあと感心した。完璧な人間なんていないのだとわかりきったことををなんとなく悟った。

 仕方なく俺はフライパンから直接野菜炒めを食べた。真っ白な部屋の中心に腰を下ろして夕食を食べるのも、奇妙な感じがした。早く日常品を揃えよう。そうしたらきっと今感じている非現実感も薄くなるだろう。そうしたらきっとここが幻想だと思うこともなくなるだろう。

 物思いにふけっている間に、フライパンの中身を食べ終わっていた。

 物を食ったら眠たくなってきた。洗い物は明日にしよう。そう思って流し台にフライパンを放り込む。

 眠って朝起きてもこの現実は覚めないだろうけど、それでもどうにかなるだろう。

 だってここが俺のいるべき場所。

 だからきっと大丈夫だ。そう思いつつ左胸の銀狼のタトゥーを撫でた。

 二週間は続くと言われたひりひりとした痛みは、もう名残もなく消え去っていた。



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