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運命と真実


   At1「運命」


 SIDE1 カズ


 ひどい雨の日だったことを覚えている。

 

 傘も差さずに、憂鬱な気分のまま歩いていた。

 頬に張り付く髪がうっとうしい。肌に張り付くシャツの感触が気持ち悪い。

 しけた路地裏。音も匂いも雨に掻き消される。

 冷たく、全てを洗い流す雨。強く、刺すように降り注ぐ。

 ドシャッ・・・・と。

 何かが――そう例えば人間が――倒れるような音がした。 

 目に付いたのは血の紅ではなく、まるで夜の闇で息づく月のような青銀色だった。

 確かにそれは月と同じ色をしていた。青銀色に輝く長い髪。

 青銀色の野良犬を見つけた。

「・・・・・でっけぇ野良犬」

 その、青銀色の髪を踏みつけた。反応が無い。

「生きてんのか?」

 動いた。血がこびり付いている唇が。

「・・・・・・・っ」

 まともに声になってない、低いうめき声。

「おー、生きてんな」

 うつ伏せに倒れている野良犬の、血まみれの脇腹を足で突いた。ひどい出血だ。今すぐ死ぬことは無いが、このまま雨に打たれ続ければ危ないかもしれない。

「なぁお前、今、死にてぇ?」

 しゃがんで、問いかけてみた。

「・・・・・っ、ね・・・・・・」

 それは、全くの気紛れだったけど。

「死にたく・・・・・・ねぇ・・・・っ」

 野良犬を、拾った。

「じゃあ、生かしてやるよ」

 毛並みのいい青銀色をつかんで顔を上げさせる。

 傷の痛みからか、それともぞんざいに扱われた屈辱からか、野良犬は血まみれの顔を歪ませた。

 額が深く切れてる。流れた血が雨と混じって頬を伝っていた。顔のいたるところに、殴打の跡が浮き出ている。

 それでも一番目を引くのは、ぎらぎらと睨み付けてくる黒と銀の双眸。

 それは「仲間」と「最強」の証明だった。

 仲間がいた。

 血にまみれて、雨に打たれて、野良犬のように路地裏に転がって。

 最強の仲間が、俺の下で這いつくばって死にかけていた。

「もう、怖がらなくていい」

 野良犬は、警戒して睨み付けるのを止めない。

「お前は一人じゃない」

 野良犬が、うなった。

 それは、狼のうなり声に似ていた。


「俺たちが、仲間だ」


SIDE2 ゼン


 怖がる?

 誰が?

 俺だって言いたいのか畜生。

 ツイてねぇにもほどがあんだろ。

 ・・・・・・ホントに、恨みなんか買うもんじゃねぇな。

 自分で言うのもなんだけど、武術の天才で喧嘩じゃ完全無敵の俺でも、三十対一はさすがに無理っす。

 しかも畜生め。やつら待ち伏せて鉄パイプ持参で極めつけはナイフでぶっすりかよ。

 恨みなんか買うもんじゃねぇって言ったけど、恨みなんか買った覚えねぇのに。

 何?目立つからですか?

 かわいそー俺。

 血が止まらなくて、頭がくらくらしてきて、ツイてねぇことに雨まで降ってきやがって。

 このまま、死ぬんだと思った。

 だから。


 そのとき現れたあんたは、死神かと思った。


「なぁお前、今、死にてぇ?」

 死にたくねぇに決まってんだろ。

 俺はまだ、死にたくねぇんだ。

「俺たちが、仲間だ」

 頼むよ。

 連れてかないでくれ。

 死神の仲間になんかなりたくねぇよ。

 死にたくねぇ。

 連れてかないでくれ。

 頼むから、連れてかないでくれよ。

 死にたくねぇよ・・・・・・・。


「・・・・・・・・い。・・・・・きろ・・・・・・」

 ・・・・・・・俺は死んだのか?

 ここはどこだ?

 地獄か?

「おい、いい加減に起きろ。野良犬」

 俺はゆっくりとまぶたを上げた。

 白い。白いって言うことは少なくとも地獄ではなさそうだ。

 あの世かもしれないけれど。

 とりあえず俺がいるのはベッドの上らしい。

 あの世ってのはベッドもあるもんなのか?

「おう、起きたか」

 一人の男が、俺を覗き込んできた。

 目に飛び込んできたのは、百鬼夜行のタトゥー。

 ・・・・・・・・前言撤回。

「あー。やっぱ俺死んでるわ」

「あ?」

 やっぱここは地獄だ。

 なんも悪いことしてないのに、よりによって地獄に来ちまうとは。

 ホントに、とことん俺はツイてねぇ。

「鬼がいる・・・・・・」

 つぶやいた直後、俺の頭に拳が落ちてきた。殴られた頭よりも反動に響いたわき腹の傷のほうが痛んで、半ば本気でご臨終かと思った。

「おい、カイ」

 聞き覚えのある声。それは気絶する前に聞いた声だった。

「一応怪我人だろ。殺すなよ」

「お前に言われたくねぇよ」

 鬼が呆れた声と共に見た方向。

 そこに、死神はいた。

 気絶する直前の記憶と、あまり変わらない黒シャツ姿。

 そしてぼんやりとだが覚えている、黒と蒼の目。

 両目の色が違う、それは俺と同じ双眸だった。

「ああ、死神まで居やがる」

 でも、これで決定的だ。

「俺もうマジで駄目だ」

 ここは地獄だ。

「死んだー」

 シーツの上をごろんと横になった俺に容赦ない蹴りが入って、俺はベッドの上から転げ落ちた。

 傷がさっきよりもずっと痛んで、思わず涙目になってしまったのが悔しい。

「いつまでも感傷に浸ってんじゃねぇよ犬ぅ」

 蹴り付けやがったのはどうやら死神のほうで、鬼がその横で呆れたように目を覆っていた。

「ま、死神っつーのは当たらずとも遠からずってやつだな」

 死神はに、と笑みを浮かべて、俺の前にしゃがみこんだ。

 俺は死神の顔を初めてまともに見た。

 思いがけず端正な顔立ちをしてる。二十代半ばかそれ以上に見えた。それでもやっぱり目を引くのは、黒と蒼の、怪しい笑みを灯した目――――。

 自信に満ちたような、相手を嘲るような笑みが、死神にはよく似合っていた。

「ようこそ」

 嗚呼。

「天国寸前のイカれた地獄へ」

 こりゃぁもう、ツイてるツイてねぇの問題じゃねぇな。 

「犬。てめえの名は?」

 人生最悪の日だ。

粋然スイゼン。櫻井粋然・・・・・だ」

こうなれば、もうどうにでもなれ。

「粋然か・・・・・・。よし、粋然。お前は今日から『ゼン』だ。櫻井粋然という名は捨てて、これからはそう名乗れ」

 死神が笑った。


 俺、櫻井粋然。

 享年十六歳。

 秋の雨の日にて。

 死亡、確定。



At2「真実」


 昔からツイてなかった。

 ありえないほど目立つ容姿が、疎ましくてたまらなかった。

 ガキのころは誰も気味悪がって近づこうとしなかったし、俺はいつも一人だった。

 親父はロシア系のクォーター。お袋は生粋の日本人。

 親父は確かに、クォーターでも銀髪と銀の目を持っていたけれど。

 そこからどうして右目が銀で左目が黒なんていう子供が生まれる?

 髪は父親譲りの青銀色。

 どちらかというと顔は母親似。

 親父なんかの遺伝がなければ、何の変哲もないただの高校生になれたのに。

 全く、何から何まで、本当に親父は嫌いだ。

 こんな髪と目がなければ。

 学校の不良に目をつけられて、絡まれては喧嘩の繰り返し。

 そして報復として脇腹を刺される重傷を負って、死神に拾われることもなかったのに。

 今日人生最悪の日を迎えることになったのも。

 今日「櫻井粋然」が死んだのも。

 全部全部親父譲りのこの髪と目のせいだ!!


 あの後。

 ベッドの上に這い上がった俺は、死神の話を聞いた。

 死神は引きずってきたいすに座って、鬼はその後ろの壁にもたれかかった。

「ここは『AFOWアフュー』っつってな」

 死神――カズというらしい――は、煙草に火をつけて煙を吐いた。

「まぁ、なんつーかマフィアだ」

 まふぃあ?

 その言葉の意味を図りかねた。

 俺の頭はまともに働こうとしなかった。

 自分が知らない場所にいて、知らない人物と話をしてる。

 どうも自分では到底想像もつかないような大きな渦に巻き込まれた感がある。

 その感じに頭がいっぱいで、その働きが鈍くなっていた。

 情けない。しっかりしろ。

 今の状況についていってこれないなんて、情けなさ過ぎる。

 そう自分に言い聞かせて、頭を戻す。

 まふぃあってアレか?

 犯罪組織ってやつか?イタリアとかにいる?

 情けないことにマフィアって日本にもあるんだ、とかそんなことしか浮かばなかった。

「マフィアって麻薬とか拳銃とか密輸して犯罪とか犯してる組織か?」

「まぁ、一般常識じゃそうなんだろうな」

 一般常識ってことはここは違うのか?ていうかマフィアって言っときながら違うってどういうことだよ。

 全く、疑問しか浮かんでこないのがむかつく。

「ここじゃ麻薬は扱ってない。拳銃も・・・・・・密輸はしてない。あるのはあるがな」

 カズはふー、と煙を吐きかけてきた。

「それ、止めろ」

「あ?」

 煙草は昔から嫌いだった。

 今でも、吸ってるやつを見ると殴りたくなるほど嫌いだ。

 一度などは吸いながら絡んできた学校の不良を本当に殴ってしまって、乱闘になったことがある。

「煙草は嫌いだ。止めろ」

「へぇ、てめえ俺に意見しようなんていい度胸してるじゃねぇか」

 カズはにっと笑って顔を近づけてきた。ついでとばかりに煙を顔に吹きかけられて、半ば本気で殴ってやろうかと思った。

「煙草は止めねぇ。てめえがどう思おうが俺には関係ねぇ」

 それでも、それだけ言われても、拳が出ることはなかった。

 本能とでも言うのだろうか。

 こいつは違うと。こいつは今まで俺が相手にしてきたチンピラとは違うと感じていたのかもしれない。

 どうしてだろう。

 こいつは危険だ。

 こいつがその気になればそのときはすぐにでも殺される。

 そんな気がした。

「話を戻すか。AFOWはそこら辺のマフィアとは違う。密輸なんてそんな下らないことはしない。犯罪も、多分犯してない」

 じゃあなにしてるんだよ。 

 密輸も犯罪も犯していないマフィアなんて、マフィアといえるのか?

「じゃあ、何してるんだよ」

「他の犯罪組織の殲滅」

 せんめつ?

 その意味を知るのに、数瞬かかった。

 殲滅。皆殺しにして滅ぼすこと。残さず滅ぼすこと。

「そのために拳銃とか所持してるが、裏で流すような真似はしてねぇ。潰したマフィアの麻薬や拳銃は、独自のルートで外国に売り飛ばしてる。まぁ言ってみれば俺たちは、悪を潰す正義のマフィアってわけだ」

 正義。カズの口から聞くそれは、なぜかひどく滑稽に思えた。

 目の前にいるこの男は、第一印象が「死神」だったこの男は、「正義」とはありえないほどかけ離れていた。

 カズ自身も本気で言ったわけではなさそうだった。

くっと含み笑いをもらして、近くにあった灰皿に煙草を押し付ける。もうその灰皿にはずいぶんな量の吸殻がたまっていた。

「そして・・・・・・ここからが本題だ、ゼン」

 カズはいきなり真面目くさった表情でそう切り出した。

「十年・・・・・・・いや、もっと前に、AFOWの中でとある『力』が確認された」

 カズはいすの背もたれに寄りかかり、またしても煙草を一本取り出し火をつけた。

「両目の色が違うことで、その人間は『力』を得る。・・・・そうだな。それは超能力とも言っていいし、『人間』を超えた特殊能力とも言っていい」

 何かとんでもないことを言われた気がする。

 カズは今なんと言った?

 力を得る?超能力?「人間」を超えた特殊能力?

 滑稽に思えた。

 いや、実際に滑稽だ。

 カズが言わなくったって、そうだ例えば後ろの鬼が言ったってそれは滑稽にしか思えないだろう。

 力を得るだって?馬鹿げてる。

「得る『力』は、能力者によって違う。例えば他人の傷を自分に移したり、時間を自在に操ったり、人それぞれだ。AFOWはこの事実を知ったとき、あらゆる手を使って能力者を集めた。世間がこの事実を知り能力者の奪い合いが始まる前に、戦力を自分の手中に収めるために。以来AFOWの構成員はほとんど能力者だ」

 馬鹿げてる。

 馬鹿げているはずだ。

 こんな話、冗談に決まってる。

 ・・・・・・・・それなのに。

 それなのにどうしてカズは、こんなに真面目な顔をしている?

「いつからこの『力』が存在していたのかはわからない。『力』を使うには強い意志が必要だからな。滅多なことじゃこの『力』は現れなかった。だから十数年前まで誰もこの存在に気付けなかった。AFOWがこの存在に気付けたのは、全くの偶然だ」

 ・・・・・・・おかしい。

 自慢じゃないが俺は、昔から嘘には敏感だった。

 誰かが嘘を言っていると、ああこれは嘘なんだなと直感的に気付けた。

 それなのにこの話は、そんな直感が来ない。嘘と言う気がしない。

 こんな話、嘘じゃないわけがない。

 嘘でしかありえない。

 それなのにどうして?

「この『力』は、目の色が反対色であるほど強力になる。例えば紅と蒼とかだ。そして幾多もある色彩の中でも、確認されている中で最も強いとされているのが、黒と白。つまり」

 まさか。

まさかこれは。

「ゼン。お前は、最強の『力』を持つ人間なんだ」

 真実の、話・・・・・・・・!?

「待てよ・・・・・・・・・!」

 情けないことに、震える声しか漏れてこなかった。

「・・・・・・待てよ。なんだよそれ。一人で話進めてんじゃねぇよ。そんな話信じられるわけねえだろ。『力』?んな馬鹿げた話があるかよ。『最強』?ふざけんな。そんな話、信じてられっかよ!!」

 自覚していなかったが、俺は相当混乱していたらしい。

 気付いたら震える声で絶叫していた。

 本能が感じていた。

 自分は引きずり込まれようとしている。

 自分の力では抗うこともできないような、巨大で底なしの渦に引きずり込まれようとしている。

 危険だと、本能がサイレンをかき鳴らしている。

 完全に捕らわれる前に、逃げろと。

 カズは俺の絶叫にも動じていないように、じっと俺を見つめていた。

 俺はいつの間にか肩で息をしていた。

 混乱していると同時に、興奮している。

 自分が今まで見たことがない、影の世界に。

「まぁ、信じられないのも仕方がないがな」

 カズは一つそうつぶやくと、体重を感じていないようにすっと立ち上がった。

「お前みたいな反応は、もう慣れてるさ。初めてこの話をした全員が全員、そういう反応をするからな」

 カズはふらりと歩いて、白い棚から適当な包帯を一つ、手に取った。

「信じられねぇのはわかる。俺だって最初はたちの悪ぃ冗談かと思った。でもこれは紛れもねぇ真実だ。どうしても信じられねぇって言うなら、証拠を見せてやるよ」

 カズは包帯を握った手を、俺に向けた。

「よく見とけよ」

 ぐ、っと握る手に力が入った。

 その瞬間、変化は起こった。

 じわり、と泥水が染みたかのように、カズの指の間の包帯が茶色に染まった。そこからしゅう・・・・・と一筋白い煙がのぼり、信じられないことにカズの指の間から小さな炎が揺らめいた。

 炎は瞬く間に全体に燃え広がる。俺が息を飲んでいる間に、カズの手は勢いのある炎に包まれていた。それなのにカズは、全く熱がる様子を見せない。まさに涼しい顔で、手の中で燃え盛る包帯を眺めている。

「どうだ?」

 言葉を失っている俺に、カズが問いかける。

「これが『力』だ」

 カズは手の中の包帯を床に放ると、いまだ燃え続けるそれを靴底で踏み潰した。

「信じる気になったか?」

 そうだ。

 もしカズの話が真実だとしたら、両目の色が違うカズは能力者ということになるじゃないか。

「因みに俺の能力は発熱能力だ。体のどこからでも熱を発して、あらゆるものを燃やすことができる。こういう能力だから、俺の体の耐熱は半端じゃねぇ」

 カズは、『力』を持っている。つまりカズは能力者であるということだ。

 つまりそれは、その話が真実であるという証明に他ならなかった。

「まだ信じられないか?因みに手品じゃねぇぞ。んなくだらねぇもんの心得はねぇ」

 そりゃそうだ。

 カズが手品なんてくだらないもの、習得しているわけがない。

 わかっている。

 きっとそうなんだ。

 世界にはこんな力があって、そんな力を使う人間が実際にいるんだ。

 それが真実なんだと、わかっている。

 でも駄目だった。

 例えば俺が普通の人間で、どこにでも腐るほどいる高校生だったら、もしかしたらその真実もすんなり受け入れられたかもしれない。

 でも現実はそうじゃない。

 俺の髪はどんな人ごみでも目立つ青銀色で、そして俺の目は誰もが気味悪がった黒と銀の二色で、それが意味するのは自分がそんな力を使える人間で、能力者ということだ。

 他人事ならよかった。

 でもそれは他人事じゃない。

 正真正銘、それは自分のことで、そして自分を引きずり込もうとしている世界のことだ。

 信じたくない。認めたくない。

 信じればそれは、自分から巨大で底なしの渦に飛び込んでしまうような気がした。

 認めればそれは、自分が人間を超えた『力』を持つ人間に、人間ではない人間になってしまうような気がした。

 情けないけれども、それはとても怖いことだった。

「信じ・・・・・・られねぇよ・・・・・・・」

 今俺がいるのは、どこだ?

「・・・・んな力持ってるなんて、人間じゃねぇじゃねぇか」

 片足を渦に掴まれて、それを振り払おうともがいてるのか?

「その力が俺にもあるなんて、信じられっかよ!!」

 それとももう渦の中に巻きこまれて、翻弄されてるのか?

「俺が・・・・・俺が人間じゃねえなんて、信じられるか・・・・認められっかよ!!!」

 また、俺は絶叫した。

 今度は混乱からじゃない。

 ・・・・・・恐怖からだ。

 俺を飲み込もうとする巨大で底なしの渦の形をした、俺の知らない世界に。

 沈黙が流れた。誰もしゃべろうとしない。俺に真実を話したカズも、どこか軽蔑したような目で俺を見つめるばかりで、口を開こうとしない。

 だからといって俺が何か言おうという気にはなれなかった。

 今口を開けばきっと、恐怖に翻弄された情けない喚きしか出てこないだろうと思えた。

「お前は人間だ」

 唐突に沈黙を破ったのは、ずっと口を出そうとしなかった鬼だった。

「カズも、今AFOWで『力』を奮っている仲間たちも、みんな人間だ。大体、元々この『力』は人間が持っていた力なんだ。この『力』を持っているということは、言わば個性の一つでしかない。だからお前は、人間だ。人間でないわけがない」

 鬼、という印象を持っていたわりには、どことなく優しい声だった。

 そのギャップのせいか、その言葉はじんわりと体の内部に染み渡るようだった。

 俺の中で渦巻いていた混乱と恐怖がゆっくりと収まっていき、落ち着きを取り戻すことができた。

 だがカズはそれが気に入らないとでも言うように、不機嫌な顔でフンと鼻を鳴らした。

「そういうことだそうだ。・・・・ま、俺はお前が信じようが信じまいがどうでもいいがな」

 ぶっきらぼうに言って、ずっと立っていたカズは再びいすに座った。

「お前が信じようが信じまいが、この話は真実だ。そしてお前が最強の『力』を持ってるってことも、全部本当だ。いいか、よく聞けゼン。今まで十数年間、AFOWはずっとこの真実を隠し通してきた。だがいつこの真実がばれたり、発見されるかわからない。もしこの真実が世間に知られたとしたらその時は、大規模な能力者争奪戦になる。そうとなればゼン、最強の『力』を持つお前を、いくつもの組織が確保しようとするだろう。それこそどんな手を使っても、だ。どんな馬鹿でもどれだけ乱暴な扱いをされるか想像がつくだろう?もしかしたら脅威として永遠に拘束されるか、最悪殺されるかもしれない」

 実際にそれを想像して、ぞっとする。

 確かに人間を凌駕する『力』があるとすれば、たくさんの組織や政府が、それを獲得しようと躍起になるだろう。

 そしてそれは奪い合いになり、やがてはきっと、戦争か能力者狩りにまで発展するに違いない。

『力』は、人を狂わせるんだ。

 そして俺はどうなる?

 どう転ぼうが、確実に殺される運命だ。

「その時お前が一人だったら、もしくは家族と共にいたら、お前は抗うことなく捕まり、そして共にいた人間にも被害が及ぶ。『その時』のために、俺はわざわざお前にこの話をしたんだ」

 家族・・・・・・緋粋・・・・お袋・・・・・・。

 じゃあそれはどういうことだ?

 俺は緋粋たちのそばにいちゃいけないってことか?

「その時」が来たら傷つけてしまうから、もう一緒に暮らせないってことか?

「真実を信じようが信じまいがどっちでもいい」

 顔を上げる。自然にカズの顔が目に入った。

 黒と蒼の双眸に目を引かれる。

「俺が言いたいのは最初からこれだけだ」

 AFOWには、そんな人間が、たくさんいるのだろうか。

「ゼン。お前は、AFOWに入れ」

 驚かなかった。

 驚くべきところなのかもしれないが、それでも驚く気にはなれなかった。

 大体これだけAFOWの秘密を聞かされて、そのまま放り出すとは思えなかったから、予感はしていた。

「『その時』が来た時、固まって対抗できるように。AFOW全員で、『力』に狂った人間から身を護れるように」

 きっと選択肢なんてないんだ。

 俺はもう渦に巻き込まれて翻弄されていただけなんだ。

『力』の存在を知ったところから、俺はもう戻れなくなくなっていたんだ。

「・・・・・・ったく」

 本当に、どうにでもなれ。

「んな話聞かされて、断れるわけねぇだろ」

 開き直りでもしなきゃ、やってられるか。

「いいぜ。入ってやろうじゃねぇかAFOWってやつに!」

 こうなったらやけくそだ。

 俺はカズの瞳を睨みつけて、さも自信に満ちて見えるように、高々と宣言してやった。

 カズはそんな俺を見て、満足そうに笑った。

「いい度胸だゼン。それでこそ、俺が見込んだ価値がある」

 そうして俺はとんでもなく巨大で底なしの渦に、今まで覗いたこともない影の世界に飛び込んだ。


 そしてこのとき俺は、「櫻井粋然」を完全に殺した。

 それは俺が始めて体験する殺人だった。


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