【短編版】虹の魔女の婚活調査

作者: 猫乃真鶴


 長く続いた隣国との戦争は終わった。

 お互いがお互いの国土を荒らすのは民の為にならぬと、先代が崩御したのちに後を継いだ王太子が停戦を持ち掛けたのだ。隣国はもとより争いを厭っていた。すぐに協定が結ばれ、賠償が決まった。長引くと思っていた戦争はあっという間に終わったのだった。

 民は大いに喜んだ。なにしろ先代の王とその側近だけだったのだ、戦に乗り気だったのは。末端の民からしてみればそんなもの望んでいなかった。停戦に合意してくれた隣国に感謝を捧げるくらいだった。

 それからは、協定の下、隣国との交易も増えた。なにしろ長く続いていたから、こちらもあちらも色々なものが不足していた。お互いに不足するものを送り合う事で、わだかまりは少しずつ解消されていった。


 隣国との境からやや離れたこの村でも、停戦の流れは確かにあった。村に男手が戻ってきたのだ。男手が増えて農地の手入れが行き届くようになり、収穫が増えた。生活が安定するようになったのだ。

 そうなると、より多くの収入を求め、女も街に出るようになった。なにしろ様々な物が不足している。それらを補うのに、ともかく人手が必要だったのだ。人も物も、いくらあっても足りなかった。

 そうして人々が新たな生活を始める中、それに取り残される者も少なからずいた。

 ミトレットも、その取り残された一人だった。


「え〜っ、また返品!?」

「悪いなあ、ミト」


 大柄な男は、立派な手で自らの後頭部を掻いた。


「戦争が終わってから、こういう類いのもんは需要が減っちまってねえ」


 ミトレットの前には、彼女が作った様々な道具が置かれている。

 ミトレットは魔女だった。魔女が作る物には不思議な力が込められている。使うのは簡単だが、作れるのは魔女しかいない。効果はとても高いけれど、数が出回らないので高額になりやすい。需要は減ったかもしれないが、皆が皆裕福になりつつある。だから少しくらいなら売れると思っていたのだが、返品に次ぐ返品で、在庫は溜まる一方だった。

 大柄な男は、村唯一の商店の店主だ。彼はずっとミトレットの作った道具を店先に置いてくれていた。


「虫除け、傷薬、魔除けのハーブなんかはまだ売れるんだ。でもこういう物騒なもんはなぁ」

「むう……」


 獣用の爆薬仕込みの罠、暴漢避けの痺れる棒、忍び込んだ泥棒に向けて投げつける劇物入り卵。ミトレットに返却されたのはそういう物だった。


「なんかこう、もっとマイルドな物なら、売れると思うぜ」

「そうは言っても、どういうのがいいか……」

「なら、アニスに相談してみたらどうだ?」


 アニス、というのは店主の娘だ。ミトレットとは姉妹のように育った。彼女は家の手伝いをしており、小さな村では珍しく流行にも敏感だった。なるほど彼女なら、相談相手にいいかもしれない。ミトレットは頷く。


「アニスは二階?」

「ああ。多分自分の部屋にいると思う」

「じゃあ、お邪魔するね」

「なんか出来たら見せてくれ。都でなら、売れるかもしれんしな。店に置けるものなら、扱ってやるから」

「うん。ありがとう」


 ミトレットは慣れた足取りで居住スペースへの階段を上がっていった。




「アニス〜。いる〜?」


 こんこん、と扉を叩けば、すぐに目的の人物が顔を出した。


「あらミト、いらっしゃい」

「お邪魔しまーす」


 扉を潜ると手近な椅子に腰を下ろす。アニスはちょうどお茶を淹れていたようで、その香りが漂っていた。


「なにこれ、珍しい匂いだね」

「父さんが仕入れて来たのよ。南の方で飲まれている花のお茶だそうよ」


 味見するでしょ、と言って渡されたカップを、ミトレットは有り難く受け取る。


「ありがとう、頂きまーす。……ふわあ、いい香り!」

「ふうん。確かに。でもすっごく渋いわね」

「これははちみつがいるね」

「それか砂糖ね。この辺りの人は飲み物に砂糖を使う人は少ないわ。いい香りだけど、売れるかどうか微妙ね」


 アニスはカップを前に、腕を組んで「うーん」と唸る。


「でも、逆に言えば、そうしてでもこの香りを楽しみたい、って思われれば、砂糖もはちみつも売れるって事だよね」

「……それよ!」


 ぱん、と手を打つアニス。ミトレットはびくっと肩を揺らした。


「この前、保存が効くっていうビスケットを仕入れたの。実際食べたら甘ったるくて、歯が溶けるかと思ったんだけど。それと合わせて売ればいいんだわ、そうすれば両方無駄にならなくて済む!」


 ぐっと拳を突き上げるアニスは、まさしく商売人だった。あらゆるものに商機を見出しては売り捌くのが、彼女のもっぱらの趣味だった。店主以上の生まれながらの商人なのだと、他でもない店主が言っていたのをミトレットは思い出した。


「で、そう言えばミトレット、なんの用?」


 そうだった、とミトレットは袋をひっくり返す。出てきたのは、さっき店主から返品された道具だ。


「売れないって、おじさんに返されちゃったの。どうして売れないのか、アニスにも聞こうと思って」

「そうなの? どれどれ……」


 検分するうちに、みるみるアニスの表情は歪んでいく。


「あんた、まだこんなの作ってたの!?」

「こ、こんなのって……。でもこれ売れ筋だったんだよ、村の奥さん達みんなが買ってたの」

「そんなの何年も前じゃない。いい? 今はね、男の人が帰って来てるのよ。獣駆除なんて、男の人に頼めばそれで済むの! わざわざこれを買う必要なんてなくなったのよ、売れなくて当然よ」

「うう、辛辣……」

「事実でしょ、仕方ないわ」


 ずずっと、カップの中のお茶を啜って、アニスは言った。「やっぱり渋いわね」と呟くと、カップを横に除けている。

 ミトレットもちびちびとお茶を舐めながら、ダメ出しされた道具を眺めていた。


「じゃあ、今はどんなのが売れるのかなあ」


 アニスの目がきらんと光る。


「そりゃあ決まってるわ。美容品よ」

「びようひん」

「そ。男も、女もね。今、空前の婚活ブームなのよ」

「こんかつ」

「……あんた大丈夫?」


 単語をオウム返しにするミトレットを、アニスは覗き込む。「分かってないでしょ」と言えばミトレットは「えへへ」と頭を掻いた。やはり、理解していないらしい。

 アニスは、はあ、とため息を吐いた。


「平和になったじゃない? みんな生活がそこそこ安定するようになって、今までみたいに日々を必死に過ごす必要が無くなったのね。じゃあ次にどうするかって言ったら、結婚よ」


 結婚、とミトレットは繰り返した。


「そ、結婚。もう戦争は終わったんだもの、引き裂かれる心配が減ったってことでしょ。分からなくもないわね」

「ふうん」


 ミトレットにはちょっと良く分からなかったので、適当に相槌を打った。

 アニスは続ける。


「でね。みんなが結婚する気になった事で、問題が起きたの。誰もが結婚相手を見つけるのに、狩りをするようになったわけ」


 狩り、と再度ミトレットは繰り返す。結婚と狩り、それがどう繋がるのか分からない。立派な獲物を意中の相手に差し出すのだろうか、獣みたく? 首を傾げていると、アニスが身を乗り出してきた。


「自分の理想に近い人を自分のものにする。ライバルを蹴落としてね。これはもう狩りよ、狩り」


 アニスはそう言うと、すとんと椅子に戻った。


「街中標的を狙う人の群れになった、というわけ。……わかる?」


 ミトレットはぶんぶんと首を横に振った。それにアニスは、しょうがないわねえともう一度ため息を吐いた。ミトレットのことだ、分かっていないに違いないと、彼女はそう思っていたのだ。実際ミトレットは分かっていない顔をしている。アニスは、噛み砕いた言い方をした。


「女はより一層、自分を良く見せるために、あらゆる手段を尽くしているって話よ」


 それでようやく、ミトレットにも合点がいった。


「つまり……婚活女性が欲しがるものなら、売れる!」

「その通り!」


 ぱちん、とアニスは指を打って音を鳴らす。


「人の作るものには限度があるわ。でも、魔女はそうじゃない。とてつもなく効果の高い物を作れるでしょ、きっと売れるわ。ここいらじゃ魔女はあんただけでしょう? だから期待してるんだから」

「わたしに?」

「そうよ。あんたの作るものが売れる。そうするとつまり、うちが儲かる! 頑張ってよね、うちの店の将来がかかってるんだから」

「大袈裟な」

「大袈裟でもなんでもないわ。事実よ」


 ふふん、と胸を張るアニス。いつも通り、自信に溢れた姿だ。アニスはミトレットと違って、いつも自信がある様子だった。ミトレットは逆だ、自信なんてなくて猫背ぎみだった。確かに魔女で、作った道具を売って生計を立てているが、その数は多くない。魔女仲間の中でも控え目な売り上げだった。


「でも、どういうものを作ったらいいのかな……」


 ミトレットは、そういうのに疎い。アイディアなんててんで浮かばない。それに、自信がない。どういう物を作れば良く売れるかなんて、今のミトレットには分からなかった。


「そうねぇ」


 アニスは顎に手を当てて考えた。


「手脚は細くてすらっとしてて、色白で、出るとこ出て、引っ込むところは引っ込んでるのが、今の美女の条件らしいわ」

「えぇ? 手脚が細かったら、農作業するのに困らない? ある程度の太さがなきゃ、荷物を運べないもの。それに日焼けは良く働く女性の象徴じゃあ」

「だから、そういう生活が敬遠されてるってことでしょ」


 アニスはミトレットをじとっと見る。


「そういう女性が好まれるんなら、そこにヒントがあるんじゃないかしら」

「うーん、それじゃあ……」


 今度は、ミトレットが唸り声を上げた。腕を組んで天井を見上げる。こうすると、いい考えが浮かぶ気がするのだ。


「例えばだけど……嵌めると細く見えるようになるブレスレットとか、着けるだけで肌が白く見えるイヤリングとか、どう?」

「いいじゃない! ミトレットにしては冴えたアイディアね」

「え、えへへへ……」


 褒められてミトレットは上機嫌になった。色の白いミトレットは、照れるとすぐに頬が赤く色付く。そばかすの浮いた頬を掻くと、ふんすと両手を握りしめる。


「じゃあ、それで一度作ってみる」

「ええ。完成したら見せてね」

「もちろん!」


 そういう事で、早速ミトレットは試作品を作る事にした。すぐにアニスと別れて家に戻り、ミトレットは構想を練る。素材と効力とを組み合わせ、なにがいいのかを考える時間が、ミトレットは特別好きだった。

 計算を元に分量を計り、魔力を注ぎ込む。それが望んだ通りの効力を持った素材になった時がとてつもなく楽しい。ミトレットは熱中してアクセサリーを作り続けた。

 数日後、出来上がった試作品を持って、ミトレットは再びアニスの元を訪れていた。


「……ダメね、とてもじゃないけど、売れないわ」

「え、なんで!?」


 だが、アクセサリーを出した途端、アニスは厳しい顔付きになった。アイディアは良かったし、実際出来上がったものも文句のない仕上がりだった。自信作だったのだ。きっとアニスはベタ褒めしてくれるに違いないと思っていたミトレットは、驚きの声を上げる。


「ブレスレット、上手く出来たんだよ! ほら見て、着けると手首がすっと細く見えるでしょ? 手首だけじゃバランスが取れないから、肘まで自然にほっそりして見えるように工夫して」

「そうね。ちゃんと細く見えるわ」

「揃いでチョーカーも作ったんだから。首元をすっきり見せると、スレンダーに見えて素敵だって、こないだアニスも言ってたよね。調整が大変だったけど、ほら、どう? ちゃんと首元がすっきりして見えるでしょ」

「ええそうね、首が長く見えて、デコルテも綺麗に見えると思うわ」

「じゃあなんで」


 出来上がったブレスレットとチョーカーを手にするミトレットを、アニスは怒鳴りつけた。


「なんでデザインが毒蛇なのよ! こんなの身に付けたい女性がいると思う!?」

「いるかもしれないでしょ!?」

「一部はそうかもしれないけど、大半の女は嫌がるわよ!」


 ミトレットは自信が無いのが欠点だが、腕前は良いのだ。作る道具の性能は悪いどころかとても良い。細工の腕だって悪くない。だがこのブレスレットはそれが逆効果になっている。てらてらとした金属製のブレスレットは、蛇の鱗を非常に良く再現している。今にも動き出しそうな造形だった。これはこれで需要があるかもしれないが、女性向けのアクセサリーとしては最悪と言っていい出来栄えだった。アニスだって、まじまじと見るのは気が引けた。村育ちのアニスでさえそうなのだから、都で育った女性は尚更だろう。

 それに、とアニスはもうひとつのアクセサリーを手に取る。それは先日言っていた、着けるだけで肌が白く見える効果のあるイヤリングだ。イヤリングは、耳に着ける金具の下に、丸っこい飾りが着いている。ただ丸ければ問題ないのだが、これは問題がありまくりだった。


「なによこのイヤリング。どうしてこんなトゲトゲしてるわけ?」

「これはフグっていう魚でね、つつくとこうやってトゲトゲになるの。丸いのにトゲトゲなんだよ、可愛いでしょ」

「可愛くないわけではないけど、こんなのドレスと合わせられるわけないじゃない!」


 アニスは再び怒鳴りつける。これらは、あまりにも女性向けとはかけ離れていた。


「チェンジで」

「えー……」

「チェンジ。作り直せ」

「あう……」


 強いアニスの反発に、ミトレットはがっくりと肩を落とすのだった。



 それから改良に改良を重ね、ミトレット考案の婚活用女性向けアクセサリーが完成した。

 嵌めるだけで手首から二の腕までが細く見えるブレスレット。

 嵌めると指がほっそりとして見える指輪。

 着けると、首が長く見えるチョーカー。

 極め付けは、着けるだけで、肌の色が白く見えるイヤリング。そばかすも薄く見える効果まである。


「いいじゃない。完璧よ!」


 アニスはそれらを手放しで褒めてくれた。ミトレットは今、それら全てを身に付けている。痩せたミトレットには、ブレスレットと指輪はさほどの効果をもたらさなかったが、イヤリングとチョーカーはばっちりだった。血色の悪いだけのミトレットの頬は陶器のように滑らかに見え、そばかすはものの見事に薄くなっている。近付けば分かる程度には残っていたが、これなら化粧で隠せるだろう。

 ドレスに合うデザインにするのが一番大変だったが、花をモチーフにすることでそれをクリアした。ミトレットの指や首には、見事な花の細工が飾られている。

 うんうんと頷くアニスは、実に満足そうだった。それでようやく、ミトレットもほっと一息つく事ができた。


「あとは市場調査ね」


 が、アニスはすぐに、次なる指標を立てる。もう次か、と思ったミトレットだったが、アニスの言ったことがよく理解できない。なんのことかとアニスに尋ねる。


「市場調査って?」

「それがちゃんと効果があるのか、確認するのよ」


 首を傾げるミトレットに、アニスは微笑んでみせる。


「効果はちゃんと出てるわ。それらが、ちゃんと男性に受けるのかを見るの。でないと着けていても意味がないでしょう?」

「なるほど……」


 これが男性に認められなければ、女性達が着ける意味はない。ということは、せっかく作ってもこのアクセサリーは売れないということだ。確かに、男性に受け入れられるのかは確認しなければならないだろう。

 だが、誰が、どうやって確認するのか。ミトレットは反対側に首を傾げる。


「誰が確認するの?」

「ミトが自分でやればいいのよ」


 ミトレットは、ふうん、と気のない相槌を打つが、すぐに「んえ!?」と奇声を上げた。


「わわわわたしが!? パーティーに出るの!?」

「そうよ。でないと男性の反応が良く分からないじゃない」


 言ってアニスは、棚から一枚の封筒を取り出した。


「ちょうど父さんがね、領主様からの招待状を受け取ってきたのよ。あたしが行くつもりだったけど、これ、ミトにあげるわ」

「そん、そそ、そんなもの貰えないよぉ!」

「いいじゃない。あたしも別にそんな乗り気じゃなかったし」

「でで、でも」


 狼狽えるミトレットの手を、アニスはがしりと握りしめる。


「ミト、これはチャンスなのよ。実際に効果があるかどうか、自分の目で確かめるのって大事じゃない」

「それは、そう、だけど……」

「それに、世の女性がどんなオシャレをしているのか、観察するのにも舞踏会はうってつけよ。きっと今後の道具開発の参考になるに違いないわ」

「……ううん、それは確かに……」

「でしょ? 当日の準備は任せて。ドレスもいくつかあるから。貸してあげる」

「うう……」


 アニスの言うことはいちいちもっともだ。聞けば聞くほど、断る理由なんて無いのでは、とミトレットは思った。


「行くでしょ?」

「はい……」


 ミトレットは結局、押し切られてしまった。



 その後ミトレットが家に戻った頃、店仕舞いをした店主が戻ってきた。アニスは父に、招待状をミトレットに譲ったことを報告した。

 店主は呆けたような顔をしたが、すぐに眉間に皺を寄せた。


「うーん、大丈夫かなあ」

「なにが?」

「あの舞踏会、さる高貴なお方が参加されるってもっぱらの噂なんだ」

「噂は噂でしょ? 心配し過ぎよ」

「ならいいんだがなあ」


 あまりに食い下がる父に、アニスは首を傾げる。


「そんなに心配?」


 アニスの父は、うーん、と唸り声を上げた。


「領主様が言っていたんだ、『あの方ときたら、あちこちうろつかれていて困る』って」

「領主様が?」


 この村のある領地の領主、レジエーヌ卿は若い。王家の尊い方と同じ年頃のせいかとても親しく、なにかと融通しているという話だった。そんな領主が、王家の方をこっそり舞踏会に参加させる、というのは、あり得ない話ではないかもしれない。

 でもまさか、地方の商人にまで招待状を配るような、そんな舞踏会に、王家の方なんぞを紛れ込ませたりはしないだろう。


「大丈夫……よね?」


 でもどうしてだか、ふいに不安になった。ミトレットの身に何か起こるような、そんな胸騒ぎを、アニスは感じたのだった。




 そうしてやってきた、舞踏会当日。自作の婚活向けアクセサリーを身に付け、ドレスで着飾ったミトレットは窮地に陥っていた。


「美しい人……君の名前を教えてくれるかい?」

(ひいぃぃぃ)


 どうしてだかミトレットは、見目麗しい男性に言い寄られていたのだ。


(無理無理無理。なんでこんなことに)


 男性は、青年と言える年頃だった。真っ直ぐの金髪にエメラルドの瞳。鼻筋の通った顔は整っていて、美しいと言って差し支えない。そんな美しい青年が間近に迫っていて、ミトレットは硬直してしまっていた。

 なんせ、こんな経験ミトレットにない。それに周囲の貴族っぽい人が、「どうしてあの方がここに」「こんな所に、どうして?」と囁き合っているのを聞いてしまった。きっと、とても地位の高い人に違いない。そんな人に対して、どう接していいのかなんて、ミトレットは知らなかった。だからただ黙っているしかない。


(あああ、わたしの馬鹿。ろくに作法も知らないのに、こんな舞踏会に出るだなんて)


 アニスからは、この舞踏会は、近年名を高めている商人をはじめ、年若い貴族や、その後見になろうという人達の交流の場だと聞いていた。若い領主様の発案だそうで、様々な立場の人達に招待状が送られているそうだ。だから、若い人達の間では、婚活にもってこいということでとても人気があるらしい。若い女性一人が参加しても浮いたりしないから、ミトレットもほっとしたのだが、まさか男性に捕まるとは思ってもみなかった。ミトレットは困って、微笑んで受け流すことしか出来ない。


「ねえ、いいだろう? 名前を教えてよ。君の声が聞きたいな」

(そ、そんな事言われても)

「もしもこのまま君を見失ってしまったら、君を見付けられなくなってしまう」

(見付けなくていいですぅぅぅ)

「君を見付けるための指針を、僕に頂戴? 君は、なんて名前なのかな……」

(うわああん、あ、諦めてくれないよぅ……! というか、そういうあなたは誰!? し、知らない人に、無闇に名乗っちゃだめって、新緑のお姉さんも言ってた!)


 新緑のお姉さん、というのは、ミトレットと交流のある魔女の事だ。魔女には名前の他に通称がある。通称は、たいていその魔女の特性を表すものだった。ミトレットなら「虹」だ。虹のような幻想的な奇跡を起こせることから、ミトレットは「虹の魔女」と呼ばれている。

 思わず姉のような存在を引き合いに出すほど、ミトレットは混乱の真っ只中にあった。けれどもミトレットと謎の青年の周囲は、ぽっかりと穴が空いたように誰も近付こうとしなかった。誰からの助けも得られそうになくて、ミトレットはどんどん焦りと混乱で血の気が引いていくのがわかった。

 だが、神はミトレットを見捨てていなかったらしい。人混みを掻き分けるようにしてこちらへ向かってくる青年の姿があったのだ。

 青年は近くまでやってくると、ミトレットと謎の青年の間に割って入ってくれた。


「アレン、お嬢さんが困っているじゃないか」

「そうは言っても、僕の好みど真ん中なんだもの。せめて彼女の名前を聞きたくてね。……くりくりの青い瞳、玉のような白い肌。癖のある栗毛も愛らしい。唇なんて、はあ……見てみろ、熟れた果実のようじゃないか。むしゃぶりつきたくなる」


 謎の青年は、ぺろりと自らの唇を舐めた。


(ひいい! た、助けてぇ!)


 ミトレットはもう、捕食者に食べられそうな獲物になった気分だった。ぶるぶると震えて小さく身を縮める。ひぃ、という小さな悲鳴が、口から洩れる。

 それを聞き咎めたのか、割って入った青年が、ちっ、と舌打ちをしたのがわかった。


「おい、その辺にしとけよ」

「なんだいクレス、邪魔しないでくれないかな」

「するに決まっているだろう! お前は自分の立場を理解していないのか」


 突然言い合いが始まって、ミトレットはそっと様子を伺う。

 謎の青年は深く息を吐いて、あらぬ方を向いた。


「はあ、つまらないな。こんな美しい人を見付けたっていうのに、僕の愛は自由にならない」

「それは仕方がないだろう。いい加減諦めろ。……お前にはその道しかない」

「…………」

(な、なんだかよく分かんないけど、チャンス!)


 今なら、青年二人はミトレットの方を見ていない。今が好機と、そろりそろりと後退り、身を翻した時だった。ミトレットはドレスの裾を踏んづけてしまった。


「あっ!」


 衝撃に備え、目を瞑る。が、覚悟していた衝撃は訪れず、ただ何かに受け止められたのを感じた。


「大丈夫かい?」


 間近から聞こえる声に目を開ければ、そこにはたった今、距離を取ろうとしていた謎の青年の顔があった。もう一人の青年の、「あ、こいつ!」という怒鳴り声が聞こえる。

 が、それどころではない。突然の事に、ミトレットは悲鳴を上げた。


「ひゃあ!」

「ああ、大丈夫そうだね」


 優しく微笑んだ青年は、嬉しそうにミトレットの手を取った。それを振り解けないでいるうちに、青年はじっとミトレットの瞳を見つめる。そしてあろうことか、ミトレットの顎に手を当て、くいっと上向かせるように動かしたのだ。

 ミトレットはあまりの出来事に、身動きが取れない。


「あ、あ、あ、あの」

「……美しい。本当に、なんて綺麗なんだ」


 ひゅっ、とミトレットは息を呑む。ミトレットにしてみれば、この青年のほうがよほど美しい。さらさらの金髪は絹のよう、瞳は宝石のエメラルドそのもの。顔立ちは整っていて、誰もが見惚れるに違いない。

 そんなご尊顔が目の前にあって、どうして平常でいられるだろうか。目を見開くミトレットの頬を、男の指がそっと這っていく。


「君は——」


 目の前のエメラルドが近付いてくる。吸い込まれそうなそれから、ミトレットは目を離せなかった。


「はい、そこまで」


 それを、先ほどクレスと呼ばれた青年が強引に引き離した。エメラルドが遠ざかって、ようやくミトレットは、そのエメラルドに魅入っていた事に気が付いた。


(わた、わたしは、なんてことを……!)


 エメラルドの瞳はとても近くにあった。それこそ彼と口付け出来るくらい、近かったろう。ようやくそれに思い至ったミトレットは、ぼっと顔が熱くなるのを感じた。

 二人の青年はそのまま押し問答をしているようだ。


「アレン、いい加減にしろと言ったはずだ」

「惜しい。後ちょっとだったのに」

「お前な、彼女がどんな目に遭ってもいいって言うのか」

「…………」

「君、悪かったね。今のうちに行くといい」

「ひゃ、ひゃい!」


 ミトレットは震える足を叱咤して、足早にその場を離れた。クレスという青年に礼を言うべきだったろうが、それは出来なかった。とてもではないが、謎の青年の前に、これ以上いられなかったのだ。人混みに紛れるようにすれば、きっと後を追えないだろう。そう思い、人の間を縫うようにひたすら進む。

 走り去るミトレットを見送って、ようやくクレスは掴んでいたアレンの手首を離す。


「悪ふざけが過ぎるぞ。見ろ、どうするんだこの空気」

「それは申し訳ない、レジエーヌ卿」


 クレスは、自分をそう呼ぶアレンに、眉を顰めた。クレスと話している間も、アレンはずっとミトレットが走り去った方を見つめたままだったのだ。ふざけたような態度でこそいるものの、彼の目は本気だった。友人の恋を応援したいものの、立場がそれを許さない。だから困っているのだと知っているアレンは、そんなクレスに笑ってみせた。


「絶対に逃したくないなー、と思うくらいには、僕は本気だよ、クレス」

「……お前、まさか」

「そのまさか、さ」


 アレンの手の中で、美しい細工が施された鏡が輝いた。

 これは、「金剛の魔女」と呼ばれる魔女が作ったものだ。元々は軍事品だった。それを勝手に私用しているのだ。鏡は小さなピンブローチとセットになっていて、ブローチのある位置を鏡で知る事のできる道具だった。いわゆる追跡機だ。アレンはミトレットのドレスの衿に、魔女が作った追跡機を仕掛けたのだ。


「犯罪だぞ」


 クレスはアレンの行動をそのように評する。アレンは、なんの、と笑ってみせた。


「御伽話じゃないんだから。これくらいしないと、身元のわからない女性を見付けるなんてできないでしょ」




 そうとは知らないミトレットは、無事に我が家に辿り着いていた。アクセサリーは全て外し、机に乗せたが、脱いだドレスを綺麗に掛ける気力が無かった。脱ぎ捨てたまま床に放置して、どさりとベッドに倒れ込む。


「はあ、疲れた」


 疲れた、本当に疲れた。一応、目的は果たせたような気がするが、実際ミトレットに話しかけたのはあの謎の青年だけ。それ以外には遠巻きにされていたから、アクセサリーの効果はよく分からないのが実態だ。


「きれいな人だったな……」


 まあ、あれだけ綺麗な顔をした青年を魅了出来たのなら、成功と言っていいだろう。だが、あれで良かったのだろうか。ミトレットはそう思った。

 ミトレットは、地味な見た目だ。醜いわけではないと思う。だが、だからと言って美しいわけではない。ただただ凡庸で、あんなに美しい青年に言い寄られるような存在ではない。

 ミトレットは、そっと頬に手を当てた。

 抱き留められた、あの時。彼はミトレットの頬に手を添えた。そうして、見つめ合って——あのまま止められなかったら、口付けをしていたかも知れない。

 そう思った瞬間、ぼっと頬が熱くなった。頬だけではない、顔中が熱い。


(あわわ、わたし、なんてことを……)


 そんな姿を見られていたと思うと、とんでもなく恥ずかしい。ミトレットはベッドの上で転がって、足をばたつかせた。


(しょ、初対面なのに。知らない人だよ、あの人は)


 ミトレットは再度ベッドの上を転がる。横向きになると丸くなった。


(で、でも、なんでか、嫌じゃなかった)


 その理由はミトレットにも分からなかった。本来なら嫌悪して当然のことだろう、肩を抱かれ、不躾に近付いて顔を覗かれては。けれども彼にそれをされても、どうしてか振り払えなかった。

 怖かった、緊張していた。それはもちろんあるだろう。けれどもミトレットは嫌悪していなかったのだ。だから振り払えなかった。

 では、なぜ嫌悪しなかったのか? 考えたが、どうしてもそれが分からない。でも、彼の笑顔を思い浮かべると、ミトレットはほんのり温かい気持ちになった。嬉しいような、なんだかくすぐったいような気持ちだ。これは一体なんなのだろう。

 考えるうちに、疲れていたミトレットの意識は沈んでいった。うとうとするとあっという間だった。ミトレットは、すぐに眠りに落ちた。

 脱いだドレスは床に落ちたまま。もしもこれをきちんと片付けていたら、そこに仕掛けられていた追跡機を見付けられたろうに。




「……ミト。ミトレット。起きなさい」

「ううん……」


 翌朝、一人暮らしのはずのミトレットを起こす者があった。だが、疲れ切っていたミトレットは、すぐには目を覚まさなかった。寝返りを打って、布団を被る。


「あとちょっと……」

「だめよ。起きなさいってば! ミト!」

「ううーん……?」


 強く揺すられて、ようやくミトレットの目が開いた。そこには友人のアニスの顔がある。ミトレットは何度か瞬きをした。


「あれ。おはよう、アニス」

「おはよう、じゃないわよ。ミトレット、あんた昨夜なにしたの?」


 ミトレットはきょとんとする。


「なにって?」

「しらばっくれない! 見なさい、ほら!」


 目を擦るミトレットの手を引き、アニスは窓の側に寄った。そうしてカーテンの隙間から、そっと外を見る。窓の外、下を見れば、そこには人だかりが出来ていた。

 その中心には立派な馬車と馬が見える。そしてその馬車の前に居たのは……昨夜出会った謎の青年がいた。

 青年は、昨夜と同じ白い服を着ている。間違いなかった。


「あ、あの人!」

「見覚えがあるのね?」


 頷いて、ミトレットは昨夜あった事をざっくりとアニスに説明した。アニスは一通り聴き終えると、深くため息を吐いた。


「はあ……まさか、が起きたようね」

「どういう事?」


 アニスは、なんだか決まりの悪い顔をして、ミトレットに向く。ミトレットはそのアニスの表情で、なんだか良くない事が起きたのだと、そう悟った。


「昨夜の舞踏会にね、さる高貴な方が参加なさるっていう噂があったらしいの。今表にいるあの方が、その『さる高貴な方』よ」

「えっ」


 ミトレットは驚きの声をあげる。昨夜出会ったあの青年は、どうやってか、ミトレットの居場所を探り当てたのだろう。

 どうしてそこまでするのだろうか。いや、そもそもあの人は何者なんだろうか? ミトレットは疑問で頭がいっぱいだった。


「あの方はなんていう名前なの?」

「ミト、聞いてないの?」


 ミトレットは頷く。


「うん。聞く前に逃げちゃったから」


 アニスはもう一度息を吐いてから、そう、と言った。


「じゃあ、教えてあげるから、良く聞いてね」

「うん」

「あの方はアレンディア殿下よ」

「……えっ」


 ミトレットは息を呑んだ。


「アレンディア殿下!?」


 それは、王太子の名前ではなかったか。そう言うと「まだ寝惚けてんの?」とアニスは目を細める。


「白い騎士服なのが、アレンディア殿下。もう一人の青い服の方は、ここの領主のクレスティヌス様よ」


 そういえば、とミトレットは記憶を呼び起こす。昨夜出会った青年二人は、それぞれ「アレン」「クレス」と呼び合っていた。アニスの言うことが正しければ、それは彼らの愛称なのだろう。

 だが、そんな彼らが、ミトレットの家の前に居るのはどういうわけか。ミトレットの居場所を見つけ出したとして、そこへやって来る理由がミトレットには分からなかったのだ。

 そんなミトレットを、アニスはまた目を細めて「何言ってんの」と一瞥する。


「つまりアレンディア殿下は、昨夜の舞踏会であんたを見初めたと、そういう事でしょ」

「みみみ、見初めた、って」

「そう言っているのよ、本人が」


 その言葉にミトレットは絶句する。小さな村で起きたことだ、それはきっと、もう村中に知れ渡っているに違いなかった。

 はくはくと口を動かすミトレットは、すっかり青くなってしまっている。


「ど、どうしよう。なにかの間違いだよ。だってわたし、昨夜はあのアクセサリーを着けていたから」

「そうよね。でも、という事はあのアクセサリーの効果は抜群ってことよね。すごいじゃないミト、これは売れるわよ」

「そうだけど、今はそれどころじゃなくない!?」


 商魂逞しいアニスに、ミトレットは叫んだ。普段通りの彼女が、今は恨めしい。


「とてもじゃないけど、殿下と会うわけにいかないよ」

「どうして?」

「どうしてもこうしてもないでしょ。だって、見てよ。アクセサリーを着けてないわたしはこんなだよ? ちんちくりんのなんの変哲もない魔女だよ」


 それは紛れもなく事実だ。昨夜、ミトレットはアニスの手を借りて着飾っていた。作ったアクセサリーは、みんなきちんと役目を果たしていた。気になっていたミトレットのそばかすは綺麗に消え、肌は陶器のようになっていた。

 アレンディアはきっと、そんなミトレットの姿に惚れたのだ。それは返して言えば、着飾っていないミトレットにはなんの価値もないという事になる。そんな無価値な姿を、あの麗しい王子様に晒して、なんの意味があると言うのか。

 震えるミトレットに、アニスはいつも通りの調子で言う。


「あら、じゃあいいじゃない。そのまま殿下に会えば」

「なんで!?」


 ミトレットは、がばりと顔を上げた。アニスはそれに驚いていたが、すぐに不思議そうな表情で首を傾げた。


「なんで、って……別にあんた、殿下と懇意になりたいわけじゃないんでしょ? だったらそのままで会えばいいのよ。そうしたら殿下はきっと、『昨夜会ったのはお前じゃない!』って、そう言うわ。殿下は昨夜の、着飾ったあんたのことを気に入ったんであって、着飾っていない今のあんたを気に入ったわけじゃないんでしょう?」


 アニスの言ったことはもっともだった。アレンディアが美しいと言ったのは、あくまで昨夜の、着飾ったミトレットなのだ。

 だが、ミトレットは、このままの姿をアレンディアに晒すのが怖かった。どうしてかは分からないが、彼に失望されたくない、とそう思ってしまった。

 それはミトレットの本心だ。でも、どうして咄嗟にそんな風に思ったんだろう。

 そうだけど、と呟いてから、困った顔で俯いてしまったミトレットを、アニスは見守っている。


「殿下に、そのまんまで会うのは怖い?」


 アニスがそう言ったので、ミトレットは素直に頷いた。


「ふうん」


 呟いたアニスは、その後がしっとミトレットの両肩を掴んだ。ミトレットは驚いて顔を上げる。


「そうなのねぇ」


 顔を上げた先にあるアニスの顔は、にやにやとしていた。


「うふふ。そう。そうなの。ふうん」


 なんだか訳知り顔で、にんまり笑んだアニスは、そのままばんばんミトレットの肩を叩いた。


「なんだかんだ、あんたも女の子なのねぇ。それもかなりの面食い。あ、それは殿下もか」

「えと……アニス、どうしたの?」

「ううん、なんでも。でもそうね、友人が困ってるんだもの。協力するのが親友ってものよね」


 うんうん頷いたアニスは、ミトレットの手を引いた。なんとなくそれに従ったミトレットはベッドから起き上がる。そのまま歩いて、部屋の扉の前まで進む。


「あんた、殿下に会いなさい。そのまんまでね」

「ええ!? アニス、わたしの話聞いてた!?」

「聞いたからそう言ってんのよ。いいから、いいから。あたしを信じなさい」

「無理だよぅ」

「なんでよ! あたしのこと信じてないの!?」

「信じてるけど、信じられないんだもん!」

「いいから行くのよ、ほら!」


 言いながらミトレットを最低限身繕いさせたアニスは、嫌がるミトレットを玄関から押し出した。すぐにミトレットは扉に縋ったが、内側からアニスが抑えているらしい。扉は開かなかった。

 どんどんと扉を叩くミトレットの後ろから、そっと声がした。


「……君がミトレット?」


 ミトレットはびくりと肩を揺らした。


「もしそうなら、返事をして欲しいな」

「う……」

「ミトレット」

「は、はいぃ……」

「この村に唯一っていう魔女の」

「は、はい……」


 返事はしたものの、ミトレットは振り返らない。そんな彼女を咎めることなく、アレンディアは静かに語る。


「……昨夜、君と良く似た人を舞踏会で見てね。とても美しい人で、彼女には僕の側にいて欲しいなって思ったんだ。彼女は名前も名乗らずに、僕の前からいなくなってしまったけれど」


 ミトレットは黙ってそれを聞いている。


「あまりにも彼女のことが諦められなくて……別れ際抱き留めた際に、彼女に追跡機を取り付けたんだ。ばれないよう、こっそりとね。金剛の魔女謹製の高性能なやつさ」

「えっ!」


 驚いて、思わずミトレットは振り返った。そして、自分を見つめているあのエメラルドの瞳を見付ける。途端にそれから視線を外せなくなった。


「ふふ。ようやくこっちを見てくれたね」


 アレンディアはそう言って、すっと空を見上げた。


「追跡機はどうやらこの家にあるようなんだ」

「……」


 ミトレットに心当たりはない。でも、否定するだけの情報もない。

 金剛の魔女、というのは、ミトレットや新緑の魔女達を統括する立場の、とても偉い魔女だ。今現在存在している魔女のなかでも、最高の力を持っている。そんな彼女の作った追跡機ならば、寸分違わず居場所を伝えるだろう。

 青ざめるミトレットに、アレンディアは相変わらず美しい顔を向けている。浮かべる笑みは柔らかいものだった。


「聞けば君は、この家に一人暮らしだそうだね。出入りしているのは商店のお嬢さんくらいで、そのお嬢さんはクリーム色の髪だとか。となると、商店のお嬢さんは僕が探している人じゃない」


 アレンディアは首を傾げた。


「君が、昨夜の女性で間違いないかな?」


 ミトレットはそれに答えることが出来なかった。ただ黙って、アレンディアを見つめている。


「……なんて、一目見て分かったんだけどね。見間違うはずがないさ。僕が昨夜見付けたのは、君だ」


 アレンディアの目は、顔は、喜びに満ちていた。嬉しくて嬉しくて仕方ない、そういう表情だった。それを見て、ミトレットは内心で泣きそうになっていた。

 嬉しかったのだ。昨夜アレンディアに向けられた目と同じものが、今ミトレットに向けられている。アレンディアは、着飾っていなくとも、同じものをミトレットに向けてくれている。それが嬉しくて堪らなかった。

 それでミトレットは、自分の気持ちを理解した。ミトレットも、アレンディアに魅せられていたのだ。だから彼に見付けて貰えて、こんなに嬉しい。


「君の名前は?」


 微笑むアレンディアに、今度は震えることなく、ミトレットは答えた。


「……ミトレット、です」

「ああ、ようやく君の声を聞けた」


 喜色を浮かべるアレンディアは、ミトレットの手をそっと取った。昨夜のように、それは優しいものだった。その事が、ミトレットは嬉しい。喜びが胸を満たし、溢れてくる。

 ただ、アレンディアのその笑顔が、自分に向けられている事がミトレットは不思議で仕方ない。それを無視できなくて、ミトレットは思い切って尋ねてみることにした。


「どうして、わたしを?」


 それに対するアレンディアの答えは意外なものだった。


「君の目がね、とっても綺麗だったんだ」

「わたしの目が?」


 うん、とアレンディアは頷く。


「透き通った綺麗な青だなあって、そう思ったら目が離せなくてね。だからきっと一目惚れなんだと思うよ」

「ひ、一目惚れ」

「うんそう、一目惚れ」


 アレンディアは、照れくさそうに笑ってみせた。それから頬を指先で掻いてから、もう一度ミトレットに視線を向ける。


「ミトレット。お願いがある。僕の側に居てくれないかな」


 きっと、アレンディアの言葉に偽りはないのだろう。言葉はとても軽かったけれど、ミトレットを見る目は真摯なものだった。だからきっと信じてもいいのだろう。

 でも、ミトレットは首を横に振った。


「……それは、無理です」


 アレンディアは目を見開く。それをミトレットはじっと見返した。これだけは伝えねば。そう思って、ミトレットはぐっとお腹に力を込める。最後まできちんと話せるように。


「昨夜殿下が褒めてくれたわたしは、作り物なんです。細い指も白い肌も、わたしが作った道具でそう見えていただけで」


 涙の浮かんだ目で、ミトレットはアレンディアを見上げた。


「なにも着けてないわたしは、こんなです。ぜんぜん綺麗じゃない。可愛くもない!」


 突然の告白だったが、アレンディアは、そうか、とふっと笑った。


「そんな事ないよ」

「でも」

「僕の目には、今の君もとても綺麗に見える」

「そんなはずない!」


 強く言い切るミトレットに、アレンディアはふうむと考える仕草をして見せた。


「昨夜の姿を作り物だと君は言うけれど、果たしてそれは本当だろうか?」

「……へっ?」


 いきなり何を言うのだろうか。ミトレットはぽかんと口を開ける。


「僕は立場上、魔女が作った物は良く見るんだ。その効果もね。確かに昨夜の君の姿はそりゃ美しかったさ。でも、ああいうのって、認識を歪ませるのではなくて、着けた人の素質をより良く見せるものだろう?」


 ぱちぱちと瞬きをするミトレット。その勢いで、ぽろりと涙が溢れて頬を伝った。それを、アレンディアはそっと指先で拭う。


「走るのが速くなるアンクレットはその人の能力を後押しするものだし、腕力が上がるブレスレットも同様だ。背が高くなる靴——は別物か。とにかく、君が作ったアクセサリーもそういう類いのものだろう」


 なおもぽかんとするミトレットに、アレンディアは笑んでみせる。


「つまり、昨夜の君は、君の魅力が引き立てられただけにすぎない、ってこと。磨けばあんな風に、君は輝くんだよ。僕はそんな君が美しく感じたんだ」


 何より、とアレンディアは続ける。


「何より、瞳の色は昨夜と変わらない。瞳はなにも変わっていないでしょう? 透き通った、綺麗な青だ。力強く輝いてる。だから君は何も変わってない。違わないよ。……分かってくれたかな?」


 アレンディアが言ったことが本当のことなのか、ぼんやりするミトレットには分からなかった。だが、優しいアレンディアの微笑みは信じられるかもしれない。ミトレットはそう思って、そっと頷いた。

 頷くミトレットに、満足気に笑みを深めたアレンディアは、さっとミトレットの背に手を回す。


「じゃあ早速お城に……」

「ちょっと待ったー!!」


 行こうか、とミトレットを馬車に乗せようとしたアレンディアに、待ったをかける者がいた。ミトレットの家から飛び出してきたアニスだ。

 アニスはずんずんと進んで、アレンディアの正面に立つ。


「ミトレットを連れて行かれるのは困りますわ、王子様」

「君は?」

「ミトレットの親友のアニスです」

「ああ、商店のお嬢さんの」

「ええ」


 どうぞお見知りおきを、と腰を折るアニスは、なんだか良家のお嬢さんっぽかった。実際は、小さな村の商店の一人娘なのだが。ともかく堂々としていて、頼もしさを感じる。さすがだな、と様子を眺めていたミトレットは思った。

 アニスはすっと背筋を伸ばして、アレンディアに——この国の王太子様に向いた。


「ミトレットは、うちの専属の魔女なんです。うちの店はその子無しでは成り立たない。そんな彼女を、お城へ連れていくだなんて! うちの店に潰れろと言っているようなものですわ」


 堂々としたアニスの言葉に、アレンディアは目を細める。


「すごいね君。村の商人にしておくには勿体無いよ」

「お褒め頂き光栄ですわ。でも残念、身の程は弁えてますの」


 つん、と顎を上向かせるアニス。そんな態度は不敬にならないのかとミトレットはおろおろと視線を彷徨わせるが、アレンディアに気にした様子はなかった。ただ、クレスティヌスが難しい顔をしていたから、アレンディアはよっぽど懐の広い人なんだろうなとそう思った。

 くすくすと笑い声を上げて、アレンディアはアニスに交渉を持ちかける。


「そうか。じゃあ、どうしたらミトレットを連れて行けるのかな?」

「そうですねえ、父とも相談してみないといけませんが。例えば……大口のお得意様が居たりすると安心なんですが。お城へ出入りするような、ビッグな方だと、なお良いですね」


 アレンディアとアニスは、にこにこと笑っている。


「よし、わかった。ちょうどいい、ここにいるクレスを窓口にしよう。レジエーヌ卿はここの領主だ、なにも問題はないね」

「アレン! 勝手に何を」

「まあ、ありがたいですわ! レジエーヌ卿、どうぞよろしくお願いいたします」

「くっ……」


 苦い顔をするクレスティヌスのことも、にこにこしているアニスとアレンディアのことも、どうしてそんな顔をしているのか、ミトレットにはわからなかった。ただ、アニスとアレンディアが、ミトレットにとって不都合になる事をするはずがない。ミトレットは黙ってそれを見守っていた。


「ミトレットも、それでいい?」


 だから、急にアレンディアにそう言われても、なんの確認なのかわからなかった。「ひゃい!?」と声をあげるミトレットに、アレンディアは優しく教えてくれる。


「君は魔女なんだ、生業を続けたいだろう? 安心して道具を卸せる場所があれば、それだけで利点になる。彼女の家なら、君も安心して作ったものを渡せるだろ?」


 あっ、とミトレットは声を上げた。そう、ミトレットは魔女だ。魔女は、魔法を使って道具を作り、生計を立てるのを生業としている。生業を辞めた魔女は気力を失うことが多く、そうなるとどんどん衰弱していく。生きる意欲を失うのだ。ミトレットが健康に生きていくには、これまでのように道具を作り続けるしかない。

 それを、アレンディアは分かっていたのだ。どこまでもミトレットの為を想っているのだと分かった。

 ミトレットは、嬉しくて涙が溢れそうだった。それを堪えて何度も頷く。


「決まりだね」

「毎度ありっ!」


 勢いよくアニスが言って、ミトレットは思わず笑ってしまった。


「アニス、それだとなんだか、わたしが売られていくみたい……」

「あら、そんな事ないわよ。頑張ってねミトレット、うちを儲けさせてちょうだい!」

「うええ……」


 アニスの言葉が可笑しくて、溢れそうになっていた涙はすっかり引っ込んでしまった。代わりに笑いが溢れる。可笑しくて可笑しくて、結局ミトレットの目からは涙が零れた。アニスがそれをハンカチで拭ってくれた。

 そんな二人を見て、アレンディアも笑みを浮かべる。


「君たちは仲が良いんだね」

「それは、もう。だってあたし達、親友ですから」

「そうか。それはとっても頼もしいね」


 アレンディアも笑い声を上げた。小さな村に、喜びの声が溢れた。





 それからミトレットは、お城で道具を作るようになった。アレンディアと出会うきっかけになった、あのアクセサリーだ。

 王子様を射止めた「虹の魔女」の美容道具は瞬く間に有名になり、都中の女性が求める事態になった。

 その道具は都では買えず、彼女の出身地でしか購入出来ない。それでわざわざ、女性達はその村を訪れた。レジエーヌ領にある小さな村だった彼女の出身地は、そのおかげで凄まじい発展を遂げた。今では知らぬ者はいないくらいの有名な土地だ。


 虹の魔女にあやかり——婚活の聖地として。