49:核を目指して-5
「どう?」
「駄目だな。視界はぼやけたままだ。良くなった感じもしない」
俺はラルガに連れられて、安全と思える場所にまでやってきた。
そこでラルガが眼鏡を作ってかけてくれたのだが……ぼやけた視界に変化はない。
「ふうん。となると、目の問題じゃなくて、脳の問題と考えた方がいいわね」
「脳?」
「恐らくだけど、メカラのフィラのレゲスは、あの気体の体に触れた生物に対して、目で捉えた映像を脳で処理する際に正常な処理ではなく、異常な処理をするようにする、と言う変化を恒久的に起こすものだったんでしょうね」
「つまり、『月が昇る度に』が発動するまでは、この視界のままって事か」
「普通の人間なら死ぬまで、ね。掠っただけで実質的に失明に近い状態になるレゲスと考えたら、さっきの戦闘はかなり危ういところだったわね」
「そうなるな……」
しかし、ラルガの言う通りだとすれば、メカラのフィラのレゲスを受けたのが俺でよかったとは思う。
なにせ、俺には『月が昇る度に』がある。
この視界のぼやけは明らかに障害であるから、次の満月が来れば治るはずだ。
問題はその満月が来るのがちょうど丸一日先と言う点だが……ここは上手くラルガに凌いでもらうしかないな。
「それでイーダ。核の位置は?その状態でも分かっているのよね」
「ああ、それか。そっちについては問題なしだ。核の位置は……こっちだな」
俺はこの第8氾濫区域の核がある方向を指差す。
「……。それは本当?」
するとラルガは少し戸惑った様子を見せつつも、声をかけてくる。
「ああ、間違いない。この方角だ。今の俺にはこの方角に何があるかは分からないが」
だが、位置に間違いはない。
だから俺はそこに核があることを断言する。
「イーダ。その方向だとほぼ間違いなく海底よ……。この第8氾濫区域で海底は……」
「海底……ああなるほど。だから通路が斜めに伸びているのか」
「は?」
ラルガが微妙に怒った声を上げる。
どうも、目が見えていない分だけ、普段よりも微妙な声音の差を読み取れてしまうな……。
まあ、それは置いておいて、今は説明だな。
「いやな。核がこの方向にあるのは間違いないんだ。で、恐らくは海中から入る正規ルートが直上に向かって伸びている」
「……」
「だけど、この正規ルートとは別に、斜め方向に向かって伸びている細い通路。なんと言えばいいんだろうな……通用口みたいなのがある」
「その通用口の先は?」
「えーと、さっきの同化中に見た限りでは……こっちの方向だな」
「……なるほど。そういう事ね」
俺が続けて指差した方角の先を確認したであろうラルガがため息を吐く。
さて、この方向に何があったのだろうか?
「イーダ。イーダが指差した先は高台になっているホテルの地下よ」
「は?」
今度は俺が疑問の声を上げる番だった。
何故ホテルの地下に、第8氾濫区域の核と言う中枢部分に繋がる道があるのか、その理由が本当に分からなかったからである。
だが、ラルガがこの場で嘘を言う訳ないのだから、現実にホテルの地下から第8氾濫区域への通用口が伸びているのだろう。
「でも、これで得心がいったわね」
「えーと、何がだ?」
「ホテルの現状。大量の海水が浴びせられていて、近づくことも逃げることも出来ない状況。そして、外がそんな状況であるにも関わらず、未だに内部では争いが続いているであろう状態よ」
「あー……」
ラルガの言葉で俺も何となくではあるが理解する。
なるほど、確かに通用口がホテルの地下にあるのであれば、今のホテルの状況はむしろ妥当であるのかもしれない。
「高台全域に向けて大量の海水が浴びせられ、迂闊に踏み込めば海水に触れた状態でエリアの外にまで流される状態。その主目的はホテルの中の人間を逃がさないことではなく、俺たち氾濫区域の破壊を目指す者をホテルの中に入れないため、か」
「そして、内部で争いが続いているのは、海水の壁を乗り越えてホテルに辿り着いた者を始末させるため。あるいは本当に隠したいものである通用口の存在を秘匿するため。新月で隣のエリアを沈めたのも、これが理由でしょうね。考えたものだわ」
なにせ、隣のエリアが沈没するまでに比べて、第8氾濫区域の核に到達する事は極めて難しくなっているのだから。
「でもどうしてホテルの地下に通用口が?」
「それについてはクライムの趣味と都合でいいと思うわ。クライムはヴァレンタインに進言と言う名の指示をしていたでしょうから、ホテルの中に出入り口があった方が都合がよかったのかもしれないし、灯台下暗しの考えで作っただけかもしれない。考えてもいいけど、考える必要性は薄いわね」
「なるほど」
うんまあ、クライムだしな。
あの犯罪行為を愛するとか言う変態の事だから、どういう風に出入り口を設置した方が見つかりづらいかぐらいは知ってそうだが、考えるほどにドツボにはまりそうな気もする。
「……。イーダ」
俺の手に触れたラルガの手が微かに震えている。
「私様は次の新月のタイミングでホテルへ。そして満月のタイミングで侵入を試みるわ。だから……」
「分かった」
「……。ええ、お願い。カーラとギーリのためにも私様は死ねない。そして第8氾濫区域を崩壊させたい。だから一緒に行きましょう。第8氾濫区域の核へ」
だから俺は震えが止まるようにと、ラルガの手を握り返す。
そうして俺はラルガに連れられて、まずはホテルにどう侵入するかで頭を悩ませているであろう現地当局の軍の下へと向かった。
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