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8:商店街探索-2

「う、うわああぁぁ!」

 俺は慌ててその場から飛び退く。

 直後、流血ホテルであったアメンボの異形に比べればだいぶゆっくりと、けれど明確な殺意を込めて振られたダイ・バロンの金槌が、俺が飛び出した建物の壁を叩き……建物全体が一気に赤く燃え出し、ドロドロに溶けていく。

 その光景を見て、俺はこう思う。

 あの金槌は俺の首輪と同じようにレゲスを持っている。

 それも、叩いた相手を凄まじい温度に加熱するようなレゲスを。


「さて、レディ。名前を答えて頂けますかな?吾輩、見た目と名前通りの男爵でありますので、攻撃を仕掛けていないレディに対して一度チャンスを与えるくらいの寛容さはあるのです」

「はぁはぁ……」

 俺は距離を取ると、ダイ・バロンの懐中時計から鳩の鳴き声が聞こえてくる中、左手の人差し指だけを曲げて、密かにダイ・バロンを指差す。

 そして、リスクを伴うとは思いつつも、時間稼ぎも兼ねて自分の名前を告げようとする。


「俺の……名前は……」

 だが俺の名前は……思い出せなかった。

 何度も唐傘に他の友人たち、先生、それに家族から毎日のように名前を呼ばれているのに。

 名前の部分にだけ靄がかかったように分からない。

 自分の前の姿は思い出せるのに、自分の住んでいた場所のように俺の名前を簡単に探れそうな部分の情報だけが跡形もなく消え失せている。

 まるで、俺の名前など混沌に飲まれて消えたのだと言わんばかりに。


「おや?どうされましたかな?レディ?もしや、人に名乗らせておきながら、自分は名乗らないと言う不躾な振る舞いをされるのかな?もしそうであれば吾輩、少々本気でレディに躾を施さなければいけなくなるのですが……」

 俺が悩んでいる間、一度鳩の鳴き声を挟みつつも、10秒が経つ。

 けれど、首を傾げるダイ・バロンにマーキングは現れない。


「い……」

「い?」

 俺の名前は分からない。

 そして恐らくだが、ダイ・バロンはレゲスを無効化できるような何かを持っている。

 と言うか、もしかしたらダイ・バロンが身に着けている品々はそのほとんどがレゲスを持った品物ではないかと言う。

 何と言うか……ここまで戦力差があると、もう、やけっぱちになってやろうとしか思えない状況だった。

 だから俺は……


「いいいぃぃだぁっ!誰がお前みたいな変態仮面に俺の名前を教えるか!」

 思いっきり口の端を引っ張った上で、馬鹿にしてやった。

 こちとら、どうせ死んでも生き返るのだ。

 ならば、少しでも時間を稼いで、さっき逃げた人間たちが少しでも遠くへと行けるように時間を稼いでやる。

 その上で、やれるだけのことはやって……可能ならダイ・バロンだけを、最悪でも道づれにしてやる。

 俺の能力ならそれが出来るはずなのだから。

 外見に影響されたのか、年齢相応に支離滅裂な思考になっている部分もあるが、それでもコイツ相手に礼儀正しくしてやるなんて絶対に御免だ。

 俺の根本が、根源が、何かが徹底的に馬鹿にしてやれと、貶してやれと言っているのだから、それに従ってやる!


「はは、ははは……」

「ふん、怒ったか?こんな小娘……」

 そんな俺の反応に対してダイ・バロンは……


「はーはっはっは!」

「っつ!?」

 心底愉快だと言わんばかりに笑い声を上げる。


「イーダ、イーダか。まず間違いなく吾輩を馬鹿にするべく発せられた言葉だが、中々に良い名前ではないか。貴様の根源にも一音くらいは被っている。今後はその名前を名乗るといいのではないかな?名を混沌に呑まれ、吾輩とは根本的に反りが合わないレディ」

「何を言って……」

 俺は思わぬ反応に半歩分だけ足を引く。

 いや、それよりもだ。

 もしかしなくてもコイツは俺が自分の名前を知らない事を最初から知っていて……いや、それ以上に、根源ってなんだ、根源って。

 ああくそ、反応するべきところが多すぎる!

 また、懐中時計の鳩が鳴っていてうるさいし!


「さて、いい加減にレディの時間稼ぎも飽きた。恐らくは吾輩を対象としてレゲスを使っていたのであろうが、吾輩にはそんな物は効かない。そしてだ……」

「うっ!?」

 しかも、俺がダイ・バロンに向けてレゲスを使っていた事までバレてる!

 ついでに言えば、この余裕っぷりからして、やっぱりレゲス無効化のレゲス持ちかよ!

 こんちくしょうめ!

 相性最悪だよ!!


「吾輩の根源も徹底的にレディを叩きのめせと言っているからな。その声に従うとしよう」

「このっ……」

 鳩の鳴き声を響かせつつ、ダイ・バロンが俺に向かってくる。

 対する俺はリュックに付けておいたタオルの一つを手に取ると、頭の中でカウントを取りつつ、その場から逃げ出す。

 そう、ダイ・バロンの身体能力は普通の人間並み。

 ならば、見た目相応の身体能力しか持たない俺でも全力で逃げれば数秒くらいは稼げる。

 だから俺は全力で駆ける。


「8秒……」

 再び鳩の鳴き声が聞こえてくる。

 今更だが、この鳩の鳴き声は8秒ごとに聞こえて来るらしい。


「これで……」

 ダイ・バロンが金槌を振りかぶり始める。


「2、1……」

 対する俺は唾液の付いた指を食いこませると言う形で、指先が向けられ続けていたタオルを手放す。

 そして、残り2秒の間、手放したタオルをきちんと指さす。

 手放したタオルはダイ・バロンの目の前にあった。

 普通に行けば、ダイ・バロンは胸でタオルを受け止めていた事だろう。

 だがしかし。


「っつ!?」

 まるで、これからタオルがどうなるのかを知っているようにダイ・バロンはその場から勢いよく飛び退く。


「0!」

 直後、俺のレゲスが発動。

 タオルにマーキングが行われ、元々付いていた俺の唾液に反応して黒い液体に変化。

 黒い液体は即座に気化を始め……周囲一帯を致死性の煙で覆い始め、辺りに転がっていた果実が腐り、ボロボロに崩壊していく。


「これはこれは……レディを侮っていましたな。ただのタオルが致死毒のガスグレネードになるとは……」

「くっ……」

 だが、悔しい事にダイ・バロンは煙から逃れて見せたらしい。

 煙の向こう側から、声が聞こえてくる。


「この場はお預けといたしましょう。次に会う時は……その頭蓋を叩き割ってくれる。魔女め」

「べええぇぇだっ!やれるものならやってみな。その時は最低でも道づれにしてやる。変態仮面」

 そうして、ダイ・バロンは何処かへ去っていった。

 そして俺は……


「あ、そう言えば、初めて死なずに済んだ。おおっ、なんか嬉しいぞー!」

 実戦で自分のレゲスを使ったにもかかわらず、死なずに済んだことに、ちょっとした感動を覚えた。

 だがそのために、ダイ・バロンから逃げた人たちが何処に向かったのかを知る時間は失われてしまったのだった。

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