20:潮の雨-1
『つまり、第8氾濫区域の高台は武装組織によって制圧されている可能性が高い。と言うことですか』
「もぐもぐ。ああ、こっちが警告した時の状況が状況だったとはいえ、それまでの連中の行動と対応を見ていると、そう判断した方がいいと思う」
ジャングルことマルメルフータンを抜け、密林の中の村とでも称すべき場所にやってきた俺とカラジェは、食事と仮眠を取った。
そして、満月を迎えて例の蝶たちによって潰された俺の手が治ったところで、俺は予定通りに堀埣さんに報告。
これまでに解明あるいは推定したローカルレゲスに、新月に起きるエリアの沈没、海水が持つかもしれない危険性、協力者になってくれる可能性が高いラルガとギーリの事、それからジャングル内で遭遇した銃を持った男たちについて話す。
『まあ、氾濫区域内に発生した高台が無法者によって制圧され、ある種の地獄になっている事は珍しくはないですし、こちらでも既に想定していた事態ではありますが……実際に起きているとなると中々に厄介な事態ですね』
「珍しくない?」
『ええ、第7氾濫区域では高台が学校であったこと、教師陣を始めとして秩序だった行動を望むものが多かったこと、少数派が武力制圧を行えるような武器がない日本と言う社会、そして、そもそもとして無法者が学校に辿り着くこと自体が難しいグロバルレゲスといった事情から起きませんでしたが、第1から第6の氾濫区域では、同様の事例が発生しています』
「なるほど。こういう時だからこそ暴れたいって発想を持つ奴は結構多いんだな」
なお、この村のローカルレゲスだが、地面や壁に触れた物が良く弾むだけのようで、戦闘や探索、工作の類をするには難しいが、ただ休憩するだけならば特に問題の無いエリアである。
なので俺たちはここで休むことに決め、ジャングルで回収してきた鉄の味がする果実やら、バナナの味がしてちゃんと食べることもできる枝などを齧っている。
「あの、そうやって無法者が治めるようになった後は……」
と、ここでカラジェが口を挟んでくる。
カラジェの言葉は堀埣さんには分からないはずだが……どうやら、流れと仕草から、なんとなくで察してくれたらしい。
『ちなみに、そういう状況になった後は遅かれ早かれ、その集団は壊滅します。壊滅の原因については内部崩壊、フィラ、外から入ってきた軍によるものなどですが……まとめて言ってしまえば、氾濫区域と言うのは外からの補給もなく長時間の滞在が行えるような場所ではない、と言うことです』
「つまり、準備が整い次第とっとと逃げ出せってことか」
『そうなりますね』
「なるほど……」
まあ、まとめてしまえば『妙なことを考えず、手早く逃げ出せ』。
やはりこれが正解なのだろう。
第7氾濫区域だと、それも簡単ではなかったが。
「こっちからの情報は以上です。そちらの方では何か分かりましたか?」
『脱出に成功した人間からの情報収集の結果から、第8氾濫区域の脱出条件が推定され、現地当局の実験の結果、条件が確定しました』
「「!?」」
堀埣さんの言葉に俺もカラジェも驚く。
だが、その後に続けられた堀埣さんの言葉と、映し出された光景に俺とカラジェは絶句する。
『第8氾濫区域の脱出条件は、ペアを組んだ相手との粘膜接触を行っている事です。分かり易く言ってしまえばキスあるいはセックスですね』
「「……」」
そこに映し出されていたのは、第8氾濫区域の内と外を分ける黒い壁の前で、現地当局の軍人と思しき赤い紐によるペアを組まされた男性が凄く渋い表情でキスをする光景であり、そのキスと同時に黒い壁に二人分の穴が開く光景だった。
『……。見てもらえば分かる通り。相手への好意とかは関係なしです。本当にシンプルにペアを組んでいる相手と条件を達成するだけです』
「ええっ……」
なんというか、条件を確定させるために頑張った軍人の方々、本当にお疲れ様です。
と言うかだ。
「色んな意味で悪意しか感じねぇ……」
『本当にそう思います。好意を持っている者同士でペアを組んでいるのであれば、なんと言う事はない条件ですが、無理やりペアを組まされた相手とやることを感じると……』
「そう……」
「俺はカラジェが相手だから別に問題ないが、人によっては断固として拒否しかねないぞ」
「イーダ!?」
『そうですね。だからこそ、これまでに民間人で脱出できたのはカップルや夫婦ばかりだったわけですが』
好きでもない相手とキスを、それも場合によっては自分が本当に好意を抱いている相手の前でやらなければいけないのだ。
これはもう性別や各個人の倫理観や貞操観念とかの問題以前に悪意しか感じない。
だが、最悪の場合、無理やりにでも行為に及ばせる必要もあるだろう。
なにせ、氾濫区域の中は普通の人間が長期間滞在できるような環境ではなく、赤い紐で結ばれたペアは大体の場合において片方が死ねばもう片方も死ぬことになるのだから。
「それで、他に何か情報は?」
「えーと、えーと、私にはお嬢様と言う……」
『そうですね。現在、現地当局が第8氾濫区域の南西部から、陸路での侵入を行い、橋頭保となる基地の建設を試みています。フィラ、ローカルレゲス、その両方による妨害がありますが、次の満月までには最低限の基地が出来上がる予定です。ただ……』
「エリアが沈没すれば、基地は廃棄するしかない。ですか」
「ああでも、お嬢様にはギーリが居て、ギーリの顔は私で……」
『そうなります。なので、前兆となる地震についての情報はこちらから至急伝えておきます』
さて、他の情報だが、前線基地の作成が始まっているらしい。
ただ、氾濫区域と言うのは悪意ある誰かが作り出し、運営しているものだ。
となれば、次のエリア沈没がどこになるかは……半ば見えている気がしなくともない。
「堀埣さん。俺たちはこれからどうすれば?」
『第一目標としては氾濫区域からの脱出を。高台の危険性と脱出条件は既に明らかになりました』
「はい」
『他の目標としては、可能ならばラルガさんとギーリさんの二人と合流し、四人で脱出すること。道中で入ったエリアのローカルレゲス解明。襲ってきたフィラと人間の撃退。ついでに回収可能なマテリアの回収ぐらいでしょう。ですが、どれも絶対の命令ではありません』
「はい」
『いずれにしても第一は生き残ることです。どうかお気を付けを』
「分かりました」
「ブツブツブツ……」
そうして俺は先程から何かを呟き続けているカラジェを尻目に堀埣さんとの通信を終了した。