4:巫女と蠍-1
「……」
第8氾濫区域の空に浮かぶ紅い月の花弁が12枚揃って、便宜上の満月となり、月が上ったと判断された。
俺が身に着けている鎖付きの首輪と言う外見を持ったマテリア『月が昇る度に』は、その名前の通りに月が空に上ると効果を発揮し、俺の肉体を万全の状態へと戻す。
肉体が傷ついていれば癒し、精神が壊れていれば修復し、魂が砕け散っていれば欠片を集めて元通りにする。
如何なる方法でも外す事は出来ず、本質的な部分を傷つける事も出来ない、現在世界で確認されているマテリアの中でも最も理不尽で異質なレゲスを有する、呪いと祝福のマテリアである。
そうして今回も無事に生き返った俺だが……
「……」
目を覚ましたら、目の前に蠍の顔のパーツを人間に見えるように再配置したものが有った。
それもお互いのおでこを当てて熱を測る様な至近距離で。
「ぬおおおいっ!」
「!?」
俺は反射的に声を上げつつ横に転がり、半回転して掌が白い床に触れた所で体を跳ね飛ばすようにして起き上がり、右手の人差し指を相手に向ける。
「誰だっ!」
「ーーー……」
相手は全身に黄色と茶色の金属板を張り付けたような四本腕の大男。
そう称するのが第一印象としては正しいだろう。
だが、相手が身に着けているのは鎧ではないし、顔も人のそれではない。
顔は先ほど述べた通りに蠍の顔を人間の顔に見えるように再配置したもの。
腕は四本で、俺の身長よりも長いであろう蠍の尾が腰から生えている。
全身は黄色と茶色の金属光沢を有する甲殻に覆われていて、見るからに硬そうだった。
「誰だと……」
「ー、ーーー……」
周囲の地形は動物の骨と珊瑚を組み合わせて作られた壁と柱で出来た部屋で、天井は一部しか覆っていない。
赤い物が幾つも散らばっていて、銃で殺された人間の死体も、殴り殺されたであろう人間の死体も、どちらも複数個転がっている。
そして、この場には俺と蠍男以外に影はなく、俺と蠍男の間には妙な赤い紐で繋がれている。
状況から考えて、この蠍男は……
「いや待て」
何かがおかしい。
そう判断した俺は俺のレゲスによってマーキングが行われる前に指差すのを止める。
そう、何かがおかしかった。
俺は先程まで死んでいた。
ならば何故その間に蠍男は俺を食わなかった?
何故、銃で殺された人間の死体があるのに、蠍男は銃を持っていない?
この赤い紐が蠍男のレゲスであるならば、攻撃は既に完了していて、あちらが絶対的に優位な状況であるはず、なのに何故、蠍男は首を左右に振り、どうしたらいいのか分からないと言った様子を見せている?
「……。お前、俺の言葉が分かるか?」
「ーーー!」
俺の言葉に蠍男が首を上下に振り、明らかに嬉しそうな雰囲気を漂わせる。
ああうん、間違いない。
この蠍男はフィラだが、俺やツノと同じく人間だったころの意識を残しているフィラだ。
しかも、こちらに味方する意思を持っているような、人間の協力者になれるフィラだ。
「分かった。なら、自己紹介といこうか。俺の名前はイーダ。日本人だ」
俺は蠍男に対して名前を名乗る。
なお、俺の言葉が通じるかどうか、向こうの言葉が俺に分かるかどうかという心配はしなくてもいい。
ここ二ヶ月間の訓練で分かった事だが、身体能力が見た目相応である代わりなのか、俺は感応能力とでも言うべきものに優れている。
そのために、通常の五感で感じ取れないものを感じ取ることが出来る他、普通の人間が使うような言語であれば聞き取る事と読むことは確実に出来るし、話す時も意味を伝えることは確実に出来るからだ。
だから、人が使う言語を発せられるか怪しい蠍男相手であっても、会話は可能なはずである、たぶん。
「私はカー……」
蠍男の口から想像以上に可愛らしい声が聞こえてくる。
どうやら、蠍男ではなく蠍女……いや、声の感じからして中身は少女であるようだ。
「カラジェ。うん、カラジェだよ」
「ん?」
ただ、何故か蠍少女ことカラジェは自分の名前を途中で言い直した。
俺のように元の名前が分からないのではなく、元の名前を名乗るのが恥ずかしいと言う感じで。
それにカラジェと言うのは……同時に聞こえてきた響きからすると、この辺りの言葉で蠍を意味する言葉の一部だ、明らかに偽名である。
「そうか。カラジェと言うんだな」
「うん、そう。私はカラジェ。貴女はイーダ。うん、覚えた」
まあ、気にしないでおこう。
隠した理由はどうにも恥ずかしさからであるようだし、隠し事をしているのは俺も一緒なのだから。
重要なのはカラジェの人となりと行動が信頼に足るかどうかであって、本当の名前を名乗らないのはそこまで問題ではない。
「それでカラジェ。俺は外から来たんだが、ここで何があったんだ?」
名乗りが終わったところで、俺はカラジェにここで何があったのかを確認する事にする。
「此処には……悪魔が居た」
「悪魔?」
「実験だって言って、笑いながら……沢山の人を殺したの……だから、だから……」
「ああうん、分かった。だいたいは察したよ」
カラジェは四つの手を強く握りしめ、悔しさを滲ませながら銃で殺された少女の死体を見る。
俺はそれだけでこの場で何が行われていたのかを察して、殴り殺された男たちへと侮蔑の視線を送る。
「カラジェ。さっきも言った通り、俺は外から来たばかりなんだ。だから、俺はカラジェに知っている事を教えるから、カラジェも俺に知っている事を教えてくれ。この子たちの死を無駄にしない為にも」
「分かった。イーダは……優しいんだね……私よりも小っちゃいのに……」
「……」
そうして俺とカラジェは情報交換をするべく、その場に腰を下ろす事にした。
内心で俺は、この情報交換はこれから第8氾濫区域で活動するにあたって、非常に重要な物になると予感しつつ。