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5:少女になって-4

「はぁ、はぁ、はぁ……」

 二階を飛ばして三階へ、三階も飛ばして四階へ。

 俺は一気に駆け上がる。

 けれど五階は無かった。

 だから俺は少しでも階段から離れるように、人間照明が照らし出す血塗れのホテルの廊下を駆け抜けていく。


「身体が……熱い……」

 そうして、何故か三階よりも遥かに長いホテルの廊下を駆けていると、どうしてか俺の身体に不調が生じてくる。

 視界が捻じ曲がり、ふらつき、思考と体が結びつかないような感覚を覚えてくる。

 そして、それ以上に感じたのは、身体の表面から大量に出てくる汗と、自分で自分の身を焼いてしまうのではないかと思うような熱量。

 空気は年末のそれに相応しく冷たく、乾いているのに、汗が汗として役割を果たさず、そのまま流れ出て行って、俺の身体に熱がこもっていく。


「はぁ、はぁ……レゲス……か」

 俺は思わず廊下の半ばで膝を着き、口から少しでも多くの熱を逃そうと呼吸を荒くする。

 何故、俺の身体こんな事になっているのか、そんなのは決まっている。

 レゲスだ。

 このホテルのローカルレゲスの仕業に決まっている。

 恐らくは、水が気化しないとか、状態変化を起こさないとか、そう言うレゲスがあるのだ。

 だから、あのアメンボ男の異形はこちらの事を急いで追いかけてこなかったのだ。

 本能か理性かは分からないが、このホテルの中で長く走ったり、忙しなく跳んだりすれば、自分で自分の身を焼く事になると分かっているから。


「う……ぐっ……」

 異形は今も俺の事を追って来ている。

 階段を上がってくる音が聞こえている。

 他の階を探す様子もなく、俺の居場所など分かっていると言わんばかりに、一直線に俺の下へと向かってきている。

 だから俺はだるい体を無理矢理に動かして、階段の方を向く。

 生き残るために。


「はぁ、はぁ、はぁ……」

 俺は……俺のレゲスを未だによく分かっていない。

 対象を10秒間指差す事でマーキングし、マーキングした対象が俺の体液に触れると、強烈な毒を含む黒い液体に変化する。

 分かっているのはこれだけで、細かい仕様は理解していないし、どうしてあの時確かに死んだはずの俺が助かったのかもよく分かっていない。

 だがそれでも、生き残るためにはこのレゲスを使うしかないのは確かだった。


「来るなら……来い!」

 だから俺は右手の人差し指を100メートル近く離れた階段に向けて真っ直ぐに伸ばし、左腕でそれを支える。

 マーキングに触れさせる体液の事は考えなくていい。

 そんなのは俺から流れ出た汗と言う形で、幾らでも廊下に散らばっている。


「dsyt……」

「来た!」

 やがて、異形が階段からホテルの通路へと窮屈そうに姿を現す。

 そう、あの巨体にこのホテルのローカルレゲス、そして100メートルと言うこの距離。

 俺のレゲスを発動させるための10秒など余裕で稼げる。


「lsちls」

「へ?」

 はずだった。


「あっ……」

 そう、この異形はアメンボだった。

 アメンボは水の上を滑るように移動する。

 そして、このホテルの床は血と言う名の水で覆われていた。

 つまり……


「おおlsmmづpぃfs!」

 10秒どころか3秒ほどで異形は俺の下に到達し、呆気にとられて動けなかった俺の身体を、勢いそのままにアメンボ部分の口が貫通した。

 そして……


「jsjsjsjsjsjs!」

「いぎいいいいいいいいいいぃぃぃぃぃぃ!?」

 チェーンソーのようになっているアメンボの口の刃が俺の中で激しく回転し、俺の内臓をかき回し、引き千切り、破壊していく。

 痛みが俺の頭の中で駆け巡り、身体が俺の意思とは無関係に奇妙にガタガタと前後に震え、口からはただただ絶叫が出ていく。


「んsls、r!んslsfs!」

 異形の男部分が笑う。

 俺の事を馬鹿にしたように、いや、実際に愚かだと笑っている。

 己の能力を過信した愚者であると笑っている。

 そしてただ笑うだけでなく、死なないように加減して、出来る限り長く甚振れるように考えて、棒を振るって俺の身体を打擲(ちょうちゃく)する。


「ああああああああぁぁぁぁぁあぁぁぁぁぁ!?」

 この時の俺は、もう死ぬしかない。

 出来る限り早くこの苦しみが早く終わって欲しい。

 熱に浮かされた事もあって、そんな事を考えていた。

 けれど、熱に浮かされてたが為に身体が思うように動かなかったせいだろう。

 俺の右手はこんな状況にあっても、なお異形を指さし続けていた。


「jsちぃ!?」

 そう、指さし続けていた。

 だから10秒経って、異形の身体には青く淡く光る奇妙な文様が記されていた。


「あ……」

 体液にも触れていた。

 俺の血液と言う名の体液に、返り血と言う形でこれでもかと言うぐらいに。


「ーーーーー!?」

 異形の全身は一瞬にして黒い液体に変換され、ホテルの床に撒かれた。


「逃げ……ないと……」

 そして直ぐに周囲へと広がっていく。

 本能的に黒い液体から逃げようとした俺よりも遥かに速く、気化しながら広がっていく。

 内臓をズタズタに引き裂かれ、掻き混ぜられた上に、相手の身体が自分の体内にある状態でレゲスを発動した俺に、自身のレゲスから逃れる術はなかった。

 内側からも外側からも身体が黒く腐り、崩壊していく。


「あっ……」

 そうして一歩だけでも歩けたかどうかも分からないままに俺は再び死んだ。

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