<< 前へ次へ >>  更新
46/108

46:魔女と神獣-1

 何処までも黒い世界が続いている。

 下は気化し続ける大量の黒い水。

 上は触れた者の命を奪う黒い煙。

 第7氾濫区域の中に残っていた生命は一部の例外を除いて、悉くその命を奪われ、次の命を奪うための黒い水と化していった。


 そうして全ての命が途絶えた後、黒い壁と言う名の境界が崩壊したことによって、元の世界の何倍ものサイズに膨らんでいた氾濫区域と言う領域には、元の世界からの強烈な物理圧と法則圧がかかった。

 レゲスと言う異質な法則によってその存在を支えられていた黒い水と黒い煙は、エネルギーの補給も途絶えていた事によって、瞬く間にその存在が消失していく。

 だがそれと同時に空間が縮むと言う異常事態によって大地が宙を舞うような勢いで圧縮が行われ、破壊がもたらされる。

 天を引き裂くような轟音と、時刻に関係なく夜を招くような土煙が第7氾濫区域だった領域中で起こり、周囲に被害をもたらす。


「……」

 しかし、いずれも一過性の現象。

 時間が経つにつれて、草一本生えていない荒地の崩壊は止まり、土煙も晴れて、黄色い月の光が降り注ぐようになる。

 そんな中で俺は……


「ぺっぺっぺっ、マテリアの効果は健在、か。まあ、おかげで助かったわけだが」

 周囲の状況手から反射的に何かを吐き出しつつ、立ち上がる。

 『月が昇る度に』の効果によって、銀の髪に青い目、黒い爪に巫女装束、鎖付きの首輪に裸足と言う元通りの姿で。

 だが、見覚えのない物もあった。


「ん?」

 それは気が付けば右手で持っていた青い紋様が各所に入った黒い(かんざし)のような物体。

 長さは10センチメートルほどで、途中には蒼い珠のような飾りが、珠の中心を串が貫通するような形で付いていて、よく見れば珠は回転させられるようだった。

 うん、サイズさえ十分に大きければ、杭のように見えなくもない。


「ふうん……」

 で、当然ながら普通の物質ではない。

 これはマテリアだ。

 その証拠に、俺はこの簪が俺の指であるように感じたし、その表面は湿っているようだった。

 使い方は……うん、銘も含めて頭の中に流れ込んでくる。


「ま、試し打ちは嫌でもする事になりそうだな」

 俺は簪……王権(レガリア)兵装(マテリア)『魔女の黒爪』を右手に持つと、嫌な気配がした方に向く。


「ふううううぅぅぅぅぅ……魔女めええぇぇ……」

 そこには全身を黒ずませ、今にも息絶えそうな様子のダイ・バロンが立っており、俺に対して憤怒の視線を向けていた。


「殺してやるううぅぅ!殺してやるウウゥゥ!!」

「……」

 ダイ・バロンがどうやって生き残ったのかを気にする余裕はなさそうだった。

 俺の目の前でダイ・バロンの身体は膨らんでいき、体高2メートル近い巨大な獅子に似た姿になっていく。

 着ていた衣服も身に着けていたマテリアも、顔に付いている獣の仮面以外は全て弾け飛んでいき、残った獣の仮面はダイ・バロン自身の顔として融合していく。


「吾輩ハアアァァだい・ばろんンンンン……」

 獅子の姿となったダイ・バロンの身体は、黒い金属の欠片を所々に身に付けると共に、全身が白くて長い毛に覆われている。

 極彩色の仮面のような顔には、鋭い牙が生え揃った口があり、俺一人くらいならば丸呑みに出来そうな程に大きく開かれると共に、猛烈な熱気を口内から放っている。


「魔女らんだヲ殺ス者オオオォォ……畏敬ヲ忘レタ人間ニ鉄槌ヲ下ス者ナリイイィィ……」

 だが不思議と恐ろしさは感じなかった。

 それは死ぬことが無いと言うのもあるが、知恵有る獣であったダイ・バロンが強靭な肉体と引き換えに知恵を失ったように見えたからかもしれない。

 とは言えだ。


「死ネッ!らんだアアァァ!」

「ああうん、やっぱ俺の身体能力じゃ無理だな」

 ダイ・バロンが飛びかかってくる。

 その動きは凄まじく速く、俺にしてみれば気が付けば目の前にダイ・バロンが居て、前足を振り上げていると言う状況だった。

 避ける暇どころか、構える暇すらも無かった。


「だろうね。イーダだし」

「!?」

 だが、ダイ・バロンの一撃が俺に届く事は無かった。

 攻撃が俺に届くよりも早く、俺は横から現れたその人物に持たれて、ダイ・バロンの攻撃の範囲外にまで移動していた。


「ちゃんと助かったんだな」

「うん、イーダのおかげでね」

「使い魔アアアァァァ……」

 俺は俺を持っている人物……ツノの顔を見る。

 ツノの身体に傷は無く、ダイ・バロンの事をしっかりと見ている。

 どうやら、第7氾濫区域を崩壊させる前にやった諸々はきちんと効力を発揮してくれたらしい。

 尤も、その崩壊に伴う破壊からツノの身を守った結果として、俺が張っておいた障壁はエネルギー切れで消え去ってしまったようだが。


「で、イーダ。アレはダイ・バロンでいいんだよね」

「ああ、間違いない。最後の悪あがきでああなったみたいだ」

 ツノがしっかりと俺を持ち直す。

 ダイ・バロンはこちらの隙を窺うように、ゆっくりと俺とツノの周囲を回り始める。


「じゃあ、倒さないとだね」

「ああ、倒さないと地の底にまで平然と追いかけてくるだろう。ただまあ……」

「魔女オオォォ使い魔アアァァ……」

 さて、ツノが来てくれたのであれば、ダイ・バロンを倒す手段はある。

 そして、その手段を実行するためにもまずは……


「殺スウウウゥゥゥ」

「まずは逃げてくれ!」

「うん、知ってた!!」

 ツノに全速力でダイ・バロンから逃げて貰うとしよう。

<< 前へ次へ >>目次  更新