39:外を目指して-7
本日は三話更新になります。
こちらは三話目です。
「ど、どういう事なの?」
「ツノはそのままそこで待っていてくれ。ちょっと試してみる」
俺は湿地帯で色々な動きをしてみる。
四つん這いになる、素足で地面に触れる、ジャンプ、ブリッジ、腹這い、逆立ち、座って数秒間制止、軽くあるいは全力で走る、エリアの出入りを数度等々。
だが、全身が泥まみれになるような動きをしてもなお、俺の身体には何の異常も現れなかった。
「本当にどういう事なの?」
「どういう事なんだろうな?」
これには俺もツノも首を傾げずにはいられなかった。
この湿地帯に条件を満たしたものの命を問答無用で奪うローカルレゲスが存在している事は間違いない。
それは事前の調査で犠牲になった虫と、つい先ほど死んだ蛸のフィラから確定している。
だが、その命を奪うはずのローカルレゲスが俺には作用しないと言うのは……はっきり言って、不気味だった。
「えいっ」
「ツノ!?」
そうして悩んでいるとツノが湿地帯に飛び込んでくる。
「あーうん、私にも効果なしか。となると、イーダが偶然逃れたわけじゃなくて、蛸のフィラと虫で共通する何かがあるんだね」
「い、いや、それよりも、いきなり飛び込むのは止めてくれ。と言うか確証も得ていないのに動かないでくれ……心臓に悪いと言うか、何かが有ったら取り返しのつかないタイプのローカルレゲスなんだから……」
「ゴメンね。でもさ、何時までも悩んでいても仕方がないしさ」
「それは……そうだが……」
「それと、たぶんだけど、そんなに時間も残ってないと思うんだよね」
「時間が無い?」
ツノが命を落とす事は無かった。
だが、その動きを見た俺は心臓が止まるかと思った。
俺のように保険があるわけでもないのに、そう言う事をするのは止めてもらいたい。
「……イーダ。力が集まっている場所……この先ってさ。何があるの?」
遠くから爆音のような物が聞こえてくる中でツノが問いかけてくる。
「この第7氾濫区域の核がある」
「核?」
「氾濫区域を保つための要、と言ってもいいかな。俺が独自に得た情報と立壁さんが持ってきた資料から読み解けた極一部の情報を合せて解釈した限りだと……たぶん、核を潰すような事をすれば、氾濫区域は崩壊すると思う」
「そうすれば、皆助かる?」
「それについては微妙な所だな。俺の頭がそんなに良くないから、氾濫区域の崩壊に合わせて何が起きるかを完全に予測する事は出来ない。ただ、氾濫区域を取り巻く黒い壁は消えるから、俺のように名前の分からなくなった連中も外に出る事は可能になると思う。フィラも含めてな」
「そっか……」
それは氾濫区域の核についての質問。
実際のところ、核を破壊し、氾濫区域の内と外を分ける壁を取り除けば、今逃げ出している避難民だけでなく、俺が外に出ることも可能だし、極少数かもしれないが情報も無しに単独で今まで生き延びている人たちの脱出も叶うだろう。
また、氾濫区域全域に広がるレゲス……レゲスを持たないものは持つ者を傷つけられないと言うレゲスを取り除く事も可能であるかもしれず、それが取り除ければフィラたちに対抗するのは一気に楽になるだろう。
だが、良い事だけかと言われれば、微妙な所ではある。
なにせ、氾濫区域の中にはダイ・バロン含めて、人に対して敵意を有するフィラがまだまだ居るのだ。
これらが解放され、自由に暴れ回ったとなれば……それは『インコーニタの氾濫』と言う大災害の第二段階として歴史に刻まれるような事態になるかもしれない。
「ツノ、お前もしかして……」
「うん、此処まで来たんだから、いっそ核を壊しちゃうのも有りかなって思ってさ。たぶん、外には自衛隊の人たちが沢山居るだろうから、危険なフィラが逃げるのは何とかなるだろうし、他の人たちが逃げる手伝いになるかなと思ったんだけど……ごめん、ちょっと浅慮だったね」
「……」
ツノの考えが正しいかどうかの判断は難しい。
なにせ、外にどれだけの備えがあるのかも、残っているフィラがどんなレゲスを保有しているのかも分からないからだ。
この際ダイ・バロンが普通の人間に紛れて逃げ出すのはどうでもいいとしても……竹林で戦った濁音の発声で首を刎ねてくる兎のフィラなどは数でどうにかなるか怪しい相手でもある。
だから、この判断は本当に難しい。
「あ、宝箱」
「唐傘のだな」
そうして俺たちが悩んでいる間に、近くの沼の底から、水面に向けて宝箱が浮き上がってくる。
どうやら唐傘のフィラは力尽きたらしい。
「中身は……普通の番傘か、銘は『我が傘の腕』。一体感はあるが……それだけか?」
中に入っていたのは時代劇なんかで出て来そうな、黒い骨に赤い生地の無骨な番傘。
自分の腕の延長として扱える感じはあるが……それだけだな。
俺の場合、腕の延長は大して意味が無いし、唐傘には悪いが俺にとってはハズレだな。
「ツノが持っておいてくれ。ツノ?」
「……」
だから俺はツノに『我が傘の腕』を渡す。
ツノはそれを受け取ったが……やはり悩んでいるようだった。
「……。ツノ。少しいいか?」
「何?」
「俺にはどの道、核を破壊する以外に脱出の手段がない。なにせ自分の名前を知らなければ外に出られないのに、俺はその名前を失っているからだ」
「うん、そうだね」
「だから俺はこれから核を破壊しに行く。ただ、俺一人じゃ、たぶん核を破壊する事は出来ないし、そもそも辿り着けない。だから一緒に来てくれ。俺の意思で核を壊すから、ツノは俺に言われた通りに手伝ってくれて」
「うん、分かった。けど……」
「けど?」
「私は私の意思で核を壊す。核を壊す事でもしかしたら……ううん、絶対に色んな人に迷惑をかけるだろうけど、それも含めて私自身の意思で核を壊しに行く」
「分かった。なら一緒に行くとしよう」
「うん、一緒に行こう」
そうして俺を右手で持ったツノは、俺の重量を感じた様子もなく、第7氾濫区域の核がある場所に向けて駆け出した。
後どれだけの人間が生き残っているのかは分からない。
だがそれでも俺たちの行いによって助かる人間が居ると信じて。