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26:折れずの竹林-10

「イーダ君……すまないっ……」

 どうやら俺は俺のレゲスについて少しばかり勘違いをしていたらしい。

 と言うのも、俺のレゲスはマーキングした相手を黒い液体に変化させるのだが、今までの俺はこの、黒い液体に変化した時点でマーキングされた相手は死んだと思っていた。

 だが、今の俺の状態から考えるに……黒い液体に変化しただけでは、まだ死んでいないらしい。


「はぁはぁ、まさか自爆とは……魔女め……そうまでして吾輩を殺したいか……」

 そう、俺はまだ死んでいない。

 俺の全身は黒い液体に変化し、その揮発性の高さ故に次々に黒い煙に変化していっているが、その煙が触れた者の身体を黒く染め上げて崩壊させると言う毒性を示さなくなるまで、俺の身体の感覚は残っている。


「いや、それも当然の事か。吾輩と魔女は不倶戴天の敵。レディの一部でしかなくとも、吾輩の一部でしかなくとも、相手の事が心底気に食わないと思う程度には反りが合わないのだからな……」

 だが少しずつ身体の感覚は薄れていっている。

 当然だ。

 俺の身体は蒸発し、世界に拡散していっているのだから。

 だが、自分が失われていくと言うのに、不思議と不快感のような物はない。

 むしろ、世界との同化と言う事で、気持ちよさすらも伴っているようだった。


「だが、此度は吾輩の勝ちだ。ふふふ、勝因はやはりマテリアの所有量にその質か。吾輩に『本能は語る』が無ければ、レディの策も決まっていただろうが……残念だったな。今回の吾輩に不意討ちは効かないのだ」

 ああ、俺が世界に広がっていく。

 第7氾濫区域と呼称される、この狭い世界に広がっていく。

 流れ込んでくる。

 第7氾濫区域を形作る混沌が持つ情報たちが俺の中に。


「さて、一先ずは安息の間で休むか。まったく、吾輩の身体能力が普通の人間より少しマシ程度なせいでこういう時は困るな……。それにしても、この氾濫区域の人間どもはレディ含めてどいつもこいつも思いっきりが良すぎる。もう少し、躊躇ったり迷ったりしてくれれば吾輩の狩りも楽になると言うのに……ああいや、これもブシドーと言う奴か?となると国民性と言う……」

 外と中を分かつ混沌の壁に穴が開いて、人が一人出ていく。

 安息の間に誰かが入って、休息を始める。

 こちらの目が無い高台を目指して多くの人間が駆け抜けていく。

 その人間たちが一つの命に統合されていく。


「……」

 ああ、見える。

 この狭い世界の中で渦巻く混沌とした流れが。

 無数の生命が、膨大な情報が、大量のエネルギーが溶け込んだ混沌を感じる。

 混沌が秩序を持っては失い、混沌へと帰すのを感じる。

 そして、その力の中心点が……この第7氾濫区域の始まりの地に、あの藪の中にあるのを感じる。

 行かなければならない。

 死して混沌へ帰るのであれば、そこへ俺は行かなければならない。

 世界と一つとなり、蕩けるような快楽を受け入れ、暖かな眠りに就かなければならない。


「あぐっ!?」

 だがそれは叶わない。

 首が締まる。

 鎖が巻き上がる。

 世界に、混沌に、散逸したはずの俺が掻き集められていく。

 深い深い暖かな海の底から、冷たい海の中を通って引き上げられていく。


「これ……は……」

 産まれたての赤子のように泣く事は無い。

 けれど、泣き出したいほどにツラい。

 世界から引き剥がされていく。

 安寧を奪われる。

 息が出来ないまま何処かへと連れて行かれる。

 俺を俺足らしめるものが集められ、補われ、あるべき姿へと還らされる。


「月が……紅く……」

 空に浮かぶ赤い月の花弁が12枚揃って、美しく咲き誇るかのように。

 俺をイーダと言う少女の肉の内に収め、縛り付け、その上で彩っていく。

 土塊を捏ね合せて人形とするように。

 藁を束ねて人形とするように。

 混沌を濃縮して、分化させて、整理することで、人間のような姿を創り上げていく。


「はっ!?」

 そして気が付けば俺は……不折の竹林の地面に大の字となって寝ていた。


「うぐっ……」

 はっきり言って、最悪の気分だった。

 何の心配もしなくていい場所で、最高に気持ちのいい状態だったのに、唐突にそれを全て奪われたような気分だった。

 酷く下品な表現をするならば、絶頂する直前にこれ以上は駄目だと再開の目途なしに強制終了を喰らった気分だろうか。

 ああいや、本当に下品だ。

 嫌になるほどに下品な表現だ。

 だが、現実として世界に溶け込み、一つとなる快楽を言い表せと言われたら、俺の貧相なボキャブラリーだと、こう言う他ないのだ。


「はあっ……」

 そうやって馬鹿な事を考えていると、少しずつ頭がはっきりしていく。

 周囲の情報も自分の状態もきちんと頭の中に入ってくる。


「真面目に生き返ると、こんな変な感覚になるのか……」

 とりあえず『月が昇る度に』はきちんと効果を発揮してくれた。

 だから俺はこうして傷一つ……いや、服の汚れ一つ無い姿で、不折の竹林に寝転がっているし、空には満開状態の紅い月が浮かんでいる。

 周囲に敵影は無く、極めて静かな状態であり、俺が自爆した場所と今の場所はかなり離れているが……向かうべき高校の位置は何となく分かる。

 失った物は……流血ホテルで見つけたリュックや、自爆する前に履いていた靴など、どうやら『月が昇る度に』で復活する対象に、装備品の類は含まれないらしい。


「さて……」

 そして、復活中に感じた第7氾濫区域の核とでも称すべき場所。

 その場所も俺は何となく感じ取れるようになっていた。

 そこに何があるのかは分からない、行く必要があるのかも分からない。

 けれど、エリア移動が起きても、その場所だけは常に感じ取れそうだった。


「とりあえず高校に戻るか」

 俺は立ち上がると、高校に向かって歩き出した。

 何をするにしても、まずはそこからであるからだ。

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