22:折れずの竹林-6
「出れる!出れるんだ!」
「やった!やったぞ!」
「ばんざあぁぁぁい!」
大多知さんが開けた穴に生徒たちは喜びの色を見せる。
だがそれも当然の事だろう。
脱出不可能と思われていた氾濫区域から逃げ出す手段が見つかったのだから。
もう二度と見れないと思っていたであろう日常が穴の向こうには広がっていたのだから。
「ツノ!私たち助かるんだよ!」
「う、うん。そう、そうだね……」
「……」
だが、表情が芳しくない者も居る。
俺に、ツノに、大多知さんだ。
「イーダ君、君は……」
「無理でしょうね。俺の名前は本当の名前ではないですから。だからこそ警告も来たわけですし」
そう、黒い壁を抜けるのには自分の名前を告げる必要がある。
そして、黒い壁に開く穴は告げた当人以外には通れないような大きさとなっており……
「あ、閉じちまった」
「別の誰かが開けた穴を通って、って言うのは許さないって事だな」
「あれ?てことは……」
当人以外が近づいたら、穴は閉じるようになっている。
つまり、自分の名前を失ってしまった俺にはどう足掻いてもこの壁は越えられないと言う事だ。
「ツノ、もしかして……」
「うん、イーダと一緒で私も無理だと思う。
「そもそもとして、俺とツノの場合、人以外の何かが混ざっているからな。その何かの名前まで言わないといけないなら……たぶん、どうしようもない」
「そんな……」
そしてツノも壁を越えられない。
と言うか、異形と化してしまった面々は誰も越えられないだろう。
異形と化した時点で、本当の名前など無くなってしまったも同然なのだから。
「大多知さん、教師として一つ提案があります」
「分かっているとも」
けれど名前が分かっている面々が脱出できることに変わりはない。
そして、この情報はレゲスの保有者とそうでないものの間にある格差と同じく、何としてでも他の人間に伝えるべき情報である。
「では、出来る限り手早くお願いします」
「分かった。だが、万が一の時は……」
「全力で高校まで逃げます。教師として、生徒を見捨てて外に逃げるつもりはありません」
「そうか……」
だから、大多知さんとこの調査班に一人だけ同行していた男性教師の判断は……俺、ツノ、男性教師の三人をこの場に残して、残りのメンバーは氾濫区域を脱出。
すぐ近くに控えているであろう自衛隊に生徒たちは保護してもらうと同時に情報を提供。
そして、可能ならば救助要員としての自衛隊を入れて、高校に避難している生存者たちを脱出させると言う判断は正しい。
最終的には俺やツノ、それに他の異形と化した面々が取り残される事になったとしてもだ。
「ツノ。待ってるからね。外で待っているからね!」
「うん、待ってて。必ず私も脱出して見せるから」
今の紅い月の花弁は6枚で、増えている途中。
花弁は一時間につき1枚ずつ増減するそうだから、次の新月……エリアのシャッフルまで17時間と少し。
高校から境界までは急いで、かつ真っ直ぐに来れば1時間もかからないだろうし、集団行動である事を加味しても2時間くらいで何とかなるかもしれない。
本当に、本当に上手く行けば……俺たち以外の全員の脱出も出来るかもしれない。
「待ってるからねー!」
そうして大多知さんに連れられ、生徒たちは境界の外に出て行った。
恐らくはこの第7氾濫区域初めての生還者として。
「さて、二人とも分かっているとは思いますが……」
黒い壁が閉じたのを確認した俺たちは合流地点として指定した安息の間の前で周囲を警戒しつつ待機する。
「いざという時は先生を見捨てて構わないから、高校まで全力で逃げろ。ですよね。灰霧先生」
「ええ、その通りです。三連さんの身体能力とレゲスならば、イーダ君を抱えていても、大抵の相手からは問題なく逃げれるはずですから」
待機中にまず話す事になったのは?
異形に襲われた時の対応策だ。
「でもそうなったら先生は……」
「生きながら食われる、くらいは覚悟していますよ。こんな状況ですから」
「……」
この灰霧先生は、俺の記憶が確かなら数学の教師の一人で、俺のクラスの数学もこの人の担当だったと思う。
当然、ただの人間で、レゲスなど持っていない。
レゲス持ちの道具もないだろう。
つまり、その時が来てしまえば、逃げる以外には出来ない一般人と言う事になる。
「却下ですね。先生が残るくらいなら、俺が残った方がまだ良い。俺なら最悪は免れる事が出来るんですから」
うん、駄目だな。
この人を残すのは駄目だ。
「イーダ君?」
「イーダ?」
「言っておきますが、先生を死なせたくないと言う意味ではなく、単純な足止め役としての話です。何も危害を加えられない敵なんて、目端が利く奴なら相手にもしませんよ」
そう、単純に戦力として駄目だ。
大多知さんは恐らくレゲスを持った物を持っていたから、命と引き換えに足止めするくらいは出来ただろう。
だが、この人にそれは出来ない。
それはつまり、敵の前に残しても餌以外の意味がないと言う事だ。
であるならばだ。
「それはそうだが……教師としてだね……」
「それこそ知った事じゃないです。今は緊急事態なんですから、適材適所で行きましょう。と言うわけでツノ。何か有った時ツノは高校へ、先生は可能なら壁の向こうへ、それが無理ならツノに抱えてもらうなりなんなりして、とにかく逃げ延びてください。敵は俺が引き受けますから」
「……。イーダに死ぬ気はないよね」
「ない。こんな姿になって、自分の名前も分からなくなったけど、それでも俺は生きて氾濫区域の外に出たいと思っている。だから、死ぬことを選ぶ気はない」
そして、それ以上に俺は俺自身の意思に関係なく死ねない。
『月が昇る度に』がある限り、俺は月が昇る度に復活することが決まっている。
その事をこの教師とツノは知らないが……
「分かった。いざとなったら先生を抱えて逃げる」
「ああ、それでいい」
「ツノ君!?イーダ君!?」
それでも信じてくれたらいい。
ツノは力強く頷いてくれる。
「でも、可能ならイーダも抱えて逃げるからね。イーダを左手で持てば、灰霧先生は右手一本で持てるだろうし」
「まあ、可能ならな」
ツノが二人抱えて逃げるのは……まあ、たぶん出来るんだろうな。
ツノのレゲスの詳細は分からないが、重量に関係する事だとは分かっているしな。
「じゃ、後は救援以外に何も来ない事を願うばかりだな」
「うん、そうだね」
「はぁ……まったく君たちは……ん?んー……?」
そうして決めることを決めた俺たちは助けが来る事を待つことにした。
絶対に氾濫区域から脱出して見せるのだと心の中で思いながら。