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2:少女になって-1

「待て、待て、待て、いや待て、本当にちょっと待て。これは一体どういう事だ」

 俺が覚えている声よりも明らかに高くなっているそれを聞きつつも、俺は何度も頭を振って冷静になり、その上で改めて今までと周囲の状況を確かめる。


「すぅ……はぁ……落ち着け……そう、落ち着くんだ……俺……」

 俺が今居る部屋はガラス張りの天井以外は石で出来た小部屋だった。

 石はとても綺麗かつ滑らかで、少女にしか見えない俺の姿もしっかりと映り込んでいる。

 扉と思しき場所は一ヶ所だけだが、ドアノブはしっかりと付いている。

 重さが普通なら、問題なく出れると思う。


「アレは……月……だよな?」

 ガラス張りの天井の向こうには真っ暗な夜空に、紅い月が浮かんでいる。

 ただし、俺が知る月とは色以外にも違いがあり、紅い月の周囲には12枚の花弁がくっついていて、細かく不気味に動いている。


「俺は……『インコーニタの氾濫』に巻き込まれた……んだよな?うん、それでいいはずだ。と言うより、それしかない」

 俺が『インコーニタの氾濫』に巻き込まれた事に疑いの余地はない。

 この姿になる前に俺は混沌としか言いようのない黒い壁に呑み込まれ、あまり思い出したくはないが……あの濁流の中で色々と混ざってしまった感じはある。

 そして、『インコーニタの氾濫』は全てが分からなくなる恐怖の災害と聞いている。

 それが本当であるならば……少女の姿になるくらいはあるのかもしれない。


「いや、ねえよ。なんだよ、少女って。化け物ならまだ分かるが、少女って何だよ少女って」

 俺はセルフツッコミを思わずしつつも、石の壁に写る自分の姿を改めて見る。

 身長はたぶん140センチも無い。

 髪は銀色で腰まであり、正直かなり長い。

 瞳の色は綺麗な青。

 容姿はかなり整っていて、100人に聞けば95人くらいが美少女と答え、3人は無関心で、1人は違うと答え、最後の1人は誘拐を考えるくらいには美少女だろう。

 身に着けているのは青を主体とした巫女装束っぽい衣装だが、装飾や小道具の類もそれなりにある。


「ん?」

 で、よく見てみれば、何故か俺の爪は黒く染まっていた。

 それもマニキュアで色を塗ったような感じではなく、元からそう言う色をしていると言う感じである。

 加えて巫女装束の下だが、青い染料を使った刺青がかなりの量で施されていた。

 背中側は見えないから確かめられないが、この分なら背中の方にもかなりの量の刺青があるのかもしれない。


「……」

 そして、股間の相棒だが……恐る恐る確かめてみたが、当然のように消えていて、代わりに女性のそれになっているようだった。

 軽く泣いた。

 両手両足をついて、その場で泣いた。

 だが、この異常事態であっても、これぐらいは許してほしい。

 17年間一緒に育ってきた相棒が唐突に失われたのだから。


「うん、もう諦めよう。現実を受け入れよう。俺は少女になったんだ。それも可憐で、美と付けても問題のない少女になったんだ。なった以上は……受け入れるしかない」

 一通り泣き終わった俺は立ち上がると、改めて周囲を見渡す。


「ん?」

 そうして周囲を見渡していると、壁の一部に文字のような物が刻み込まれている事に気づく。


「えーと……」

 日本語ではない。

 アルファベットでもない。

 数字でもない。

 その他、見た目だけでも俺が知っている言語とも被らず、はっきり言ってしまえば子供の落書きのようにも見える。

 だが……どうしてか読めた。


「『此処は安息の間。ローカルレゲス:この部屋の中に居る生物は万全の状態へと回帰する』?どういう事だ?」

 此処に書かれている通りなら、この部屋の中に居る限りは腹も減らないし、疲れもしない、それから傷を負っても直ぐに治るとかそう言う事だろうか?

 よく分からないが……読み方を間違えていると言う感じはしないし、嘘や冗談が書かれていると言う感じもない。

 何と言うか、この部屋の中に限ってはそう言う風に法則が歪められている、と言う感じがする。


「うわっ」

 そうして首を捻っていると、突然目の前が光り、宝箱としか言いようのない金属製の枠に木の板を張って作られた箱が現れる。

 表面には壁と同じように文字が刻まれていて、『このエリアに存在するローカルレゲスを最初に解明したボーナスです』と書かれていた。

 どうやら、先程の文章を読んだことで、何かの条件を満たしたらしい。

 なので、俺はその重量に苦戦しつつも宝箱を開けてみる。


「よい……っしょ……と。中身は……うわっ」

 で、中身だが……鎖の付いた首輪だった。

 俺の手の長さ程しかないとはいえ、鎖が付いているとは……正直、猟奇的と言うか犯罪臭と言うか、とにかくそう言うものを感じずにはいられないものである。


「銘は……『月が昇る度に』。ううっ、鎖付きの首輪とか……でも、身に付けておいた方が良いんだろうなぁ……たぶんだけど」

 正直、俺の姿含めて、作成者の趣味を疑わずにはいられない。

 けれども、これにも何かしらの力が秘められているのは間違いない。


「ええい!着けるしかない!」

 正直に言おう、宝箱を開けた時に感じた重量感からして、この身体のスペックは見た目相応。

 そんな体で異形の存在が闊歩すると言う『インコーニタの氾濫』から脱出する事は不可能に違いない。

 だから俺は首輪を身に着けた。

 この首輪に秘められている力がこれからの俺を救ってくれると信じて。

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