第99話 風雲児の襲来
日曜日の投下分(100話)が前編で木曜分後編なので間が空きすぎてしまうかな、と少しスケジュール的失敗を感じております。
とはいえ繁忙期なので火曜投稿すると木曜投稿する余裕が無くなり大分間が空いてしまうので悩みどころです。
どうするか日曜日までに決めて投稿時にこちらで報告致します。
美濃国 稲葉山城
7月。夏の盛り。小型の台風は畿内に大きな被害を出さず、しっかりと根を張った稲が育っている。今年も豊作が期待できそうだ。消毒用アルコールの備蓄を増やそうか。
そんなある日、桑名から連絡が来た。
「宗牧様、ですか。」
「左様。都に居た頃は和歌について習ったものです。」
平井宮内卿が教えてくれたのは、桑名からこちらに向かっている谷宗牧なる人物のことだ。
どうやら連歌師と呼ばれ、近衛家や三條西家でも指導する程の和歌関係の有名人らしい。
「で、その方が秋頃に此方においでになる、と。……何の為に?」
「弾正忠殿に会った後、関東に湯治に行くそうですな。宗牧様は今川義元と京で修行されていた頃に懇意になっていたそうで、その助命嘆願に動いているのでは、と思われますな。」
なるほど。仲の良かった弟子の様な今川義元を助けたいとも考えているのか。
「となると、うちからも弾正忠に取り次いで欲しいと言われるかな?」
「無いとは言えませぬな。其れは其れとして若様の和歌の腕を上げて貰いたいのもあって前々から声はかけておりましたが。」
いやいや、才能ない人間にこれ以上やらせようとしないで欲しい。
「今後の公家の皆様との付き合いを考えれば、ある程度格好がつかねば困りますので。諦めなされ。」
理不尽だ。
「という事があってね。かなりお偉い先生が来るそうだ。」
「あの宗牧様が御前様をわざわざお訪ねですか。流石ですね。」
今日は乳母に任せる日なので、夜はお満と2人で過ごしている。
「苦手な事に時間を使うのは好きではないのだけれど、何か急ぎの用事でも其の時分に来ないものか。」
「勿体無う御座いますよ。教わる事すら中々出来ぬ御方に御座います。」
お満がそう言うなら一日指導を受けるくらいはしておくか。これだけ有名なら歴史上にも名前が残っているだろうし。
「ところで、今日の鰻は如何だった?」
「驚きました。最近お父上様が鰻の骨を揚げた物を好んで居られるとは聞き及んでおりましたが。」
「山葵が良く合うんだ。最近ようやく醤油が再現出来たから甘辛のタレが作れる様になった。」
下魚扱いの鰻だったが、正しい食べ方をすれば盛夏の栄養源にピッタリだ。
医学的に栄養素が豊富と言えば、後は味勝負である。蒲焼きのタレも水飴やらみりんやら蜂蜜やら、醤油と色々合わせて再現した。〆の茶漬けには山葵も欠かせない。
カルシウム源として鰻の背骨も揚げて皆に食べさせている。父道三が特にお気に入りだ。
鰻の旬は夏過ぎ。太陽暦では8月以降になるが、季節の流れ的に少しズレている気がする。
そのため今でも結構脂が乗って美味い。旬だと思って良いはずだ。出産からそれなりに時間が経ったとはいえ授乳で体力を使うのは変わらない。鰻で体力回復して貰いたい。
お満は2人だと距離感が近いが、赤子がいるとあまりベタベタして来ない。
今は2人きりなので少し甘えてくれる。身長差が頭2つ分以上違うので、胡座をかいて座ると膝の隙間に彼女が収まる。後ろから抱きしめるとうまいこと腕の長さで下から乳を支える形にできる。
柔らかさを味わいつつ互いの温もりが感じられる至福の時だ。
「御前様、2人とも首がすわりましたね。」
「うん。順調で何よりだ。」
首がすわるのは赤ちゃんによって時期が変わる。喜太郎は夏前に、娘はつい先日首がすわった。
「御前様の御一族も仲良くて嬉しゅう御座います。三好の家も兄弟は仲良くて。しかし戦乱の世なれば嫁ぐ先が同じとは限りませぬ。」
「そうだな。家族で憎み合っては日ノ本を平和になぞ出来ぬ。」
「日ノ本から戦を無くす……御前様は凄い事を御考えですね。」
別にそこまで高尚なわけじゃない。最初はただ長生きしたかったからだ。そして、消極的に目指しても無理なものだと思い知らされたからだ。
「今は其れより、まずは御家の事を考えるべき時ではないか?」
耳元で囁きつつ、せっかく2人だけなのだ。子供が出来てより重みを増した乳を味わおうかと思ったその時、襖の向こうに人影が現れた。
「若様、御客人がお見えになると先触れが。」
なんてタイミングだ。どこの誰か知らないが乳の恨みは恐ろしいと知らないのか。
「其れが……弾正忠様の御嫡男が半刻(約1時間)程で来られると……」
困惑した声と相手に思わず抱きしめていたお満と目を見合わせた。
吉法師!?吉法師ナンデ!?
後の織田信長、現吉法師との初めての出会いは、あまりにも唐突なものとなった。
「義兄上に御会いできて実に喜ばしい。絵本の礼など、色々話したかったのだ!」
数えで11歳、満年齢で10歳の彼はまだまだ子供っぽさが残るが、その立ち居振る舞いは決して粗野ではない。
「此処に来ても大丈夫なのかな?留守居を任せる旨弾正忠殿から御連絡を頂いているが。」
「問題はないぞ、義兄上。留守の那古野を任された故、城代として平手の爺を任命する旨書状を置いておいた。」
ずる賢いというか、トンチがきくというか。
「其れに、父上なら俺が此の程度の事はやるとわかっているであろう。だから問題はない。」
そう言って笑う少年には左えくぼが浮かんでいる。
「まだ俺の家臣は礼儀が出来て居らぬ。故に今日は飯尾を連れて来た。」
なるほど。最初からずっと開いた襖から見える庭で頭下げているのは誰かと思ったら、数少ない連れて来られた家臣か。
「頭を上げられよ。その姿勢ではお辛かろう。中に入って此奴の側に控えて下され。」
「勿体無いお言葉に御座います。若の粗相は我らのお諌めが足らぬ故。何卒御容赦を。」
別にそんなこと気にしないのだけれど。信長といえばこういう人間だろうに。
「で、だ。義兄上、火縄銃とやら見せてはくれぬか?予備の物で良いのだ。」
「火縄銃を見たくて来たのか?」
「いいや。何より一番は義兄上に会う為じゃ。だが珍しい物を義兄上がわざわざ人を送ってまで買ったと聞いたので見たくなった!」
新しい物が好きなのも話に聞いた通りか。別に見せても良いのだけれど、軍事機密なので父の許可は下りないだろう。
「のう、吉法師殿。火縄銃は戦の道具だ。此方に弾正忠家と戦をする気はないが、同盟相手とはいえ簡単に火縄銃を見せる事は出来ぬ。」
「ふむ。尤もであるな。だが尚更見たくなったぞ。」
「心配せずともそのうち此方から火縄銃は贈る事が出来るだろう。しかし今は渡せぬ。まだ我らも使い慣れては居らぬ。」
「むむむ」
吉法師は表情をコロコロと変えながら話をする。幼いからか魔王呼ばわりされるような人物になるとはとうてい思えない。
「しかし、何故予備があると?」
「何を言う。義兄上の才覚で、手に入れた物の複製が出来ぬ筈が無かろう。」
ちょっと過大評価し過ぎではないか。出来ているけれど。
「とにかく、外には今出せぬ。何れ必ずや其方にも見せる。」
「そうか。義兄上がそう言うなら引き下がろう。」
どうせ義兄上に会いに来た序でだ、と吉法師は出されていた白湯を一息に飲む。
「忙しいのにお邪魔致し申した。次来る時はもっときちんとした形で参りまする。」
そう言って頭を下げると、吉法師は「飯尾、帰るぞ!」と側の家臣に言って出て行った。
呆気に取られた邂逅だったが、ある意味でらしいと思うものだった。土産に尾張で獲れた鱸の干物を置いていったらしく、久しぶりの海の幸にお満はかなり喜んでいた。
逆に、俺との話の後に会ったらしい蝶姫は、
「あの様な品の無い者がわっちの相手なのですか!?」
と激昂していた。
「何かあったか?」
「あ、あの男、わっちの事を大勢の前で大声で褒めるのです!」
ん?それが嫌な事なのか?
「まだ婚約しただけの、顔合わせもしていない相手が突然屋敷に来て!しかもわっちは屏風の後ろに隠れたのに追いかけて来て!言うた言葉が『義兄上に似て理知的な目だ。気に入った!』で御座いますよ!」
気に入られたのか。なら良いではないか。
「か、斯様な屈辱、もうお嫁に行けませぬ。」
彼女は顔を袖で隠す様にしながら恥だ恥だと言い続けていた。大丈夫だ、姫に恥ずかしい思いさせた男が君の婚約者なのだ。
「とにかく!文では丁寧な言葉遣いでしたのに、あの様な粗野な男はとても兄上には及びませぬ!」
次の文で文句を言ってやります!と顔を真っ赤にして顔を膨らませる彼女を見て、何だかんだで吉法師とうまくやれそうだなと思った。とりあえずご機嫌を直すべく先日作ったけん玉を渡すことにしよう。
ちなみに父は、予め弾正忠信秀殿から吉法師が行くかもしれないと聞いていたらしく、所用で会えなかった事を悔しがっていた。
来年あたりに場を設けて会いたいと指を鳴らしながら殺意の籠もった目で言う姿は、冗談の中に本気も入っている気がした。
嫁については幸が子育てで気が抜けず、豊は妊娠中なので必然少し落ち着いてきたお満相手が主になってしまいます。しかしせっかく久しぶりに味わうつもりが……。
吉法師襲来!とはいえ先触れをきちんとするし、屁理屈でもきちんと手順は踏むあたりは流石の賢さです。
濃姫の性格に関しては満7歳で父親が主君を追い出したり兄と父が仲悪かったりといった史実の家庭環境の問題がない分素直な良い娘に育っています。兄の絵本もあって教養も備わってきています。
裏設定なので本編では出しませんが和歌の腕は既に主人公より上です。センスないので宗牧様に何とかしてもらいましょう(出来るかな)。
今の形のけん玉って意外と歴史が新しい物だと知って驚きました。まぁ加工技術がないと綺麗な球形も作れませんし、受け皿も大きさが合わないと上手く遊べませんから道理かなとも思いました。
今回の試作品けん玉も職人による一品物なので高価すぎて庶民に普及できるものではありません。