第98話 細き道筋
最後の♢♢から三人称です。
美濃国 稲葉山城
夏になった。
数日前、見事、江の方様が懐妊された。
家中は上から下まで大騒ぎだ。大多数が喜んでいる。娘でも太守様の血縁を婿に迎えて2人の子を跡継ぎにとか、二郎サマに子が出来ればその子と婚姻させて、とかも可能なのだ。
不穏になるのは二郎サマの周囲の極一部だ。
彼の周囲に今いるのは斎藤の家とかつて敵対した家や、村山殿の様にそうならざるを得ない家、そして各家で不満を持つ次男三男以降の子だ。
彼らは斎藤一族が近年更に強大になっているのに危機感を強くしている。と同時にこちらの美味い話に乗れるなら乗りたがっている。
しかし立場上美味い話が来るのは家の長男が先だ。疎外感がある為、対立傾向にある次期当主候補の二郎サマに阿る。
しかし、ここで江の方様が妊娠した。年内には子供が産まれる。女の子ならばまだ良い。しかし男の子なら廃嫡は必至だ。
現に男女分からない今ですら騒ぎ立てている人間はいる。反二郎サマの筆頭は先日の敗戦で領民に被害が出た国人達だ。
相手が朝倉宗滴とはいえ、戦はこれまでの二郎サマの数少ない当主としての「売り」だった。なんだかんだ言いつつ局地戦では負けなかったのを、宗滴入道に土岐頼純を使ってのらりくらり躱された。二郎サマはまともに戦う相手を得られないまま敗れた。
最近は頭痛に悩まされているらしく、酒の量が増えているらしい。
泥酔しないと眠れないと聞くが、あれだけ長く歯ぎしりしていればそうもなる。
いつもの4人での話し合いでも当然この話題が出た。
「というわけで、歯ぎしりのしすぎは頭痛や肩こりに繋がるわけです。専門ではないのでそこまで詳しくはないですが。」
「其方が詳しくないなら日ノ本に詳しい人間は居らんわ、戯け。」
訪問診療でたまたま知っていただけなのだけれど。
「さて、となると尚更荒れておろうな。己に子が出来ないのも痛いだろうな、二郎サマは。わしや利芸とは子種の強さが違うようだ。」
「親子揃って凄まじいですな。兄上と違い、うちは男は2人だけですから。」
「跡継ぎが盤石なのは良いことです。若様、今後も励まれよ。」
無論。乳は一時的に息子に譲ったが、離乳食になる頃には返してもらわないといけないしな。
「で、二郎サマ。如何すべきか。」
「もし江の方様の御子が男児ならば、跡目争いになりかねませぬ。」
平井宮内卿は家族仲が悪いのを嫌がる。土岐氏が代々続ける跡目争いにも嫌悪を抱いており、そのため美濃に来た時土岐に仕えず我が家に仕えたのだ。
「実は提案があります。」
声を上げたのは……俺だ。
「ほぅ、申してみよ。」
これまで様々な文献や太守様との絵を習う中での雑談で、この問題の俺なりの解決策が思いついたのだ。
「二郎サマに一色様の養子になって頂き、三河守護に据えるのです。」
それが、一色への養子案。
現在の土岐氏は一色からの養子で入った土岐成頼様から始まっている。成頼様の子が太守土岐頼芸様の父親である土岐政房様。なので一色との関係性は深い。
「一色氏は応仁の乱の少し前までは代々三河守護を歴任して居りました。二郎サマも一色の血は引いて居られる故、一色の養子となって三河守護になって頂き、美濃は江の方様の御子に継いで頂くのです。」
「ふむ。続けよ。」
「三河守護代は弾正忠家に出して頂き、二郎サマには各地の剣豪を呼んで腕を磨いて頂いたり相撲などを楽しんで頂きつつお飾りを務めて頂く形です。」
三河守護職は一色氏・細川氏が主に務めた場所だ。吉良氏が権威として君臨しているそうだが、吉良氏は室町幕府の守護になったことがない。
だから守護職が実質空位の状態といえる。ここに一色の血を引く二郎サマが入れば美濃守護は穏便に江の方様の子に繋げられる。
「問題が三つある。一つ、二郎サマが其れを受け入れる様にせねばならぬ。二つ、弾正忠に了解を得ねばならぬ。三つ、二郎サマに付き従う者達を如何するか。弾正忠と従う者は金でも構わんかもしれぬが、二郎サマは難しいぞ。」
二郎サマは土岐の名に誇りを持っている。その名を捨てる上に太守様の跡を継げなくなる。しかも傀儡として三河に行くことになる。これをどう説得するか。
「だが、目の付け所は悪くない。少なくとも今のまま追放しようとしても恨みを買って内乱となるという其方の夢通りになろう。其れよりは穏便だ。」
不敵に笑う父は楽しそうである。
「其の方向で進めたくば方法を考えて来い。江の方様の腹の子が男か女かで、わしらが動ける時間も変わってくるぞ。」
「二郎サマも裏で動いている。兄上にも其方にも伝えているが、弾正忠を良く思わぬ者と接触している様子だ。手を結んで我らと弾正忠を同時に討たんと狙うやもしれぬ。」
タイムリミットがいつになるかわからない、か。ならば何とか出来るよう考えなければならないか。
まずは六角を味方につけよう。根回しをしておかねばならない。
♢
美濃国 大垣・金生山
赤鉄鉱の確認に一度金生山へ行った。
前世で聞いた話よりは赤鉄鉱が多かった。これなら15年くらいは持つかもしれない。消費量にもよるけれど。
近場には杭瀬川が流れる。杭瀬川はそこそこの水量なので、適地に水車をつければ動力に出来そうだった。
一帯を所有する明星輪寺は平安末期の落雷で境内の建物を破損し、その後力を失っていた。
なので境内の再建に寄進を行う事で一帯の採掘と水利権を確保した。次は先日思いついた耐火煉瓦の実験である。
先日、ある武士の室が便秘で悩んでいると相談を受けた。悪阻の食欲不振か、それとも子宮が大きくなって腸を圧迫し血流が悪くなったか。
対処法は妊婦によって違うが産婆とペアを組ませている女医に様々なパターンでの対処法を教える。
「後は、そうだな。胃も調子が悪くて症状が続くなら揖斐で採れる苦土を粉末にした物を入れると……」
「?如何なさいましたか、典薬頭様?」
「そうか。ドロマイトだ……春日鉱山だ。」
記憶が繋がった。便秘に使われる酸化マグネシウムは耐火煉瓦にも使われる物だ。理科年表だと融点は2852℃。岐阜県内では春日鉱山がかつて耐火煉瓦の材料として採掘していたはず。
女医に教えるべき事をさっさと教えると苦土を集める様指示した。
大垣でも普通に採取出来るらしく大垣で造れば良いと分かった。早速ドロマイトで煉瓦を焼くことにしたのが今回の実験である。
現地で土やら石灰やら混ぜ、水車動力のフイゴで空気を送り仮に造った窯で焼く。窯の壁面が溶け落ちるまで焼いて出来たのは、
「なんかボロボロですね。強く握ったら崩れますよ。」
「うむ、配合の比率が間違っているな。」
冷めた煉瓦は見事にボロボロになった。煉瓦としての配合が分からないのだから当然といえば当然か。
「まぁ、数年かかるのは仕方ない。試行錯誤を繰り返さねば新しい物は作れないのだ。」
「以前申されていた羅馬は一日にして成らず、ですな。では出来る限り早く成果を出す様作業を進めますので、暫しお待ち下さいませ。」
「うむ。禄はきちんと出すからな。早めに完成させたら褒美を追加するので頑張ってくれ。」
おー、という声を聞きつつ、二郎サマの件には高炉は間に合わないだろうなと俺は思った。
♢♢
美濃国 稲葉山城
夜の帳が降りた屋敷で、斎藤道三入道は楽しそうに酒を舐めるように飲んでいた。
蜜蝋の蝋燭の光が揺れる中、側室の深芳野と二人で四半刻ばかり何も語らずに酒をちびりちびりと飲んでいた。
ふいに、道三が口を開く。
「わし一人では、此処まで豊かな城下はつくれなかったであろう。」
口元の笑みはそのまま。深芳野もほんのりと頬を朱に染めながら静かに笑っている。
「物の怪かとも思うたが、事此処に至れば些細な事よ。」
「だから殿にも言いましたでしょう。悪い子ではありませぬよと。」
「悪くないからわしには怖かったのだがな。」
皿に入ったカリカリに揚げた鰻の骨を一つまみして口に入れる。カリッという小気味のいい音が響く。
「己が野望の其の先を継げる者がいるというのは、真に喜ばしい事かもしれぬ。」
「其れが家というもの、家族というもので御座いましょうね。」
「家族か。寝首を掻かれるかと気が抜けぬものだと思っていたが、な。」
道三はその日、珍しく深酒のまま無防備に眠りについた。
史実では廃嫡後一色姓となる二郎サマ。一色とは血縁が強く、一色氏は三河守護になれることからこのような考えに。
しかし当然ですが問題は山積です。書いてある通り道は細いのでうまくいく可能性の方が圧倒的に低いです。
ドロマイト(というより炭酸マグネシウム)は実は妊娠時の便秘が酷い時に使われます。耐火煉瓦だけじゃないのです。ドロマイトに含まれる炭酸カルシウムも胃酸過多などで使われます。
便秘に処方される場合はかなり細かい粉末にされたものを使います。処置の仕方の一環でそのあたりは教えていると思って下さい。