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第97話 密約は葡萄の香りと共に

今週も火曜日更新します。来週3月6日は繁忙期なので火曜更新なしになると思います。

 相模国 小田原城


 その日、小田原で歴史に刻まれる会談が行われた。

 北条新九郎氏康・織田弾正忠信秀・武田大膳太夫晴信が一堂に会し話し合いをしていた。


「では、駿河は北条、遠江は我らが。」

「そして、弾正忠殿の娘が我が子西堂丸の室となり、北条・織田・斎藤により関八州への道を掌握する同盟と為す。」


 弾正忠信秀は尾張・三河・遠江を押さえて伊勢を目指す。

 新九郎氏康は駿河・伊豆・相模・武蔵を押さえて関八州へと勢力を伸ばす。

 土岐は美濃から越前を窺う。


「で、我らは信濃に進ませて貰いたい。」

「其れは良いが、真に信虎を追い出せるのか?家中が纏まっているか我らは疑っておる。」


 大膳太夫晴信の言葉に、弾正忠信秀は疑念を示す。何より、先日の三方ヶ原での一戦で武田軍は弾正忠を苦しめたのだ。


「寝首をかれないかと不安になるのは当然だな。我が家臣も後ろから刺されないかと疑っておる。」

「我らも完全に信じたわけではないぞ。其方が信虎のやり方を嫌っておるから敵にならぬと判断しているまで。」


 この3人の中で一番年齢が若い大膳太夫は、2人の真意を探るような瞳に咄嗟とっさに素直に見返す。

 それを見て弾正忠信秀は左えくぼを作り、場を和ませるように笑う。


「まぁ、当分武田とは国境を接する事も無い。今川へ援軍さえ送らないなら此方は充分よ。」

「……姉上は北条にお預けしましょう。」

「ほう、確かに今川家中については此方で決めるとしたが……良いのか?今川の正室でもあるのだぞ。」

「誰かの嫁に欲しいと仰るなら構いませぬし、人質にして頂いても結構。武田の立場が弱い事は重々承知致して居りますからな。」


 大膳太夫晴信は覚悟を決めた顔つきで2人を見渡した。


「今川と甲斐が心中する事は許されませぬ。父上の処遇も御任せ致す。詫びとして大宮司の兵部少輔を北条に降伏させましょう。そして我らは諏訪との同盟を破棄し、信濃へ向かいまする。」

「富士の大宮司か。確かに、兵を差し向けるには面倒だが押さえて置かねば厄介か。」


 富士の大宮司(富士兵部少輔信時)は今川との血縁もあり、そして家督争いでも義元を支持した人物である。武田領から今川領へ行く際通る場所であり、同時に現在睨み合っている富士川の上流に本拠を持つ厄介な領主でもある。


「では北条から弾正忠殿に何か代わりにお贈りして武田・斯波は手打ちと致しましょう。」

「うむ。最近は今川と懇意の公家が騒ぎ出して居る。夏の間には遠江の決着をつけたい。」

「では夏になったら父を追放し、兵部少輔の元へ出兵しましょう。」

「北条も二万以上は動員できましょう。東海道を我らが押さえれば陸路の使い道も良くなりましょう。」


 新九郎氏康の言葉に、弾正忠は東海道を使って更に人と物の移動が活発になって儲かるであろうという計算を頭の中で描き、

 大膳太夫は富士を降伏させた後に如何に諏訪領に攻め込むかを考えていた。



 こうして武田・織田・北条による今川を滅ぼす為の道筋は決まった。


 ♢♢


 駿河国 駿府城


 梅雨明けの6月末、武田信虎とその一部側近が駿河に追放され、斯波氏は大和守・伊勢守・弾正忠各家に動員を命じた。北条は相模・武蔵の一部・伊豆での動員開始を宣言。

 一報を遠江で受けた今川義元は、防衛線の準備に連日休みなしだった反動で数日の間寝込むことになった。



 ほぼ同じタイミングでそれを知った寿桂尼じゅけいには、即座に太原雪斎たいげんせっさいを呼び出した。


「我が子義元は最優先ではない。今川の名を残すことを第一とせよ。」

「やはり、大方様はそう仰られると思いました。」

「山科卿と母の甘露寺かんろじ家にも文を出しました。駿府に滞在している権大納言様にも京に向かって頂ける様お願いしておきました。」


 駿府は一時期京の公家が多く逃げ込んでいた。その名残であると同時に駿河に荘園を持つ正二位権大納言冷泉為和(れいぜいためかず)が今も駿府に滞在していた。


「こうなると公方様との縁が切れたのが苦しゅう御座いますな。」

「過ぎたことを申しても意味はない。今出来る事を全てやって今川を残すのです。この首と我が子の首で孫が生き残るなら構いません。」


 既にこの時代では充分高齢である彼女は、自分の首すら交渉材料にすることを躊躇ためらわない。


「関東管領もなんとか立て直しつつあるようですが、兵を出すには厳しいように御座います。」

「里見程度では厳しいでしょうが、他に此方に味方する者は近場に無し。忌々しきは弾正忠よ。斯波の名をほしいままにして居る。」


 弾正忠が全力で今川と戦えるのは斯波氏が名分を与えている事にある。斯波氏は遠江守護を応仁の乱前後に代々名乗っていたこともあり、弾正忠の侵攻は斯波氏の悲願成就とも言えた。

 それを隠れ蓑に勢力を拡大する織田弾正忠信秀こそ、今川を滅びの間際まで追い込んだと寿桂尼は考えていた。


「例え敗れてこの首が晒され様と、斯波と織田にだけは晒されたく無い。朝廷からの和睦が間に合わなかったとしても、降伏は伊勢氏にする様に。」

「御意。駿河は蒲原かんばらと駿府に兵を集中しつつ北条の進軍を遅らせましょう。遠江は各地の守りを固め、渡河を出来る限り許さぬ様にしているはず。和睦の使者さえ間に合えば、その間に伊勢と落とし所を作れるはずに御座います。」


 太原雪斎は若き義元が生き残る道を捨てぬように考えていた。いくら今川の為とはいえ、子が死ぬのを望む程寿桂尼は薄情ではない事を知っているからこそである。


「其方は真に今川には過ぎたる忠臣よな。十分に報いれぬのが口惜しい限りです。」


 寿桂尼の言葉に、雪斎はただ頭を下げるだけだった。


 ♢♢


 近江国 海津城


 高島郷の国人を前に、浅井左兵衛尉久政はくらい目つきで彼らの顔を眺めていた。


「我らは田屋の家に従うというより、公方様に従う者。田屋殿とも懇意にしていたが、何より公方様の家臣として代々御仕えしてきたので。」


 滔々(とうとう)と述べ続けるのは高島七頭と呼ばれるこの地の国人の1人である田中頼長である。保内ほない商人とも関係が深く、幕府の奉公衆に名を連ねている。


「ですので、此の地以外は左兵衛尉殿に従うものではないのです。」


 左兵衛尉久政によって田屋明政は4月に暗殺された。

 徳昌寺とくしょうじで4月6日に行われた浅井亮政(すけまさ)の法要、ここで田屋明政は主だった家臣と共に襲われた。

 滞在屋敷で多くの家臣を殺害したことで、逃げた家臣からこれを知った明政の親族は海津城を脱出。


 田屋城確保に軍勢を派遣した左兵衛尉久政を迎えたのは、明政と行動を共にしていた高島七頭の代表者3名(田中頼長・朽木晴綱くつきはるつな・佐々木越中)だった。

 彼らはあくまで援軍を要請されていただけと主張。自分達は浅井の下には付かないと宣言した形である。


 左兵衛尉久政が重い口を開いた。


「公方様の家臣、か。真に?公方様は其方らを守る為に兵を出すか?」

「無論。特に朽木は公方様が万一の時避難される地。管領様からも格別に御配慮頂いておりまする。」


 田中頼長の言葉に、左兵衛尉久政は暫く無言となる。実際、5年前には田屋氏と高島七頭の間で合戦も起きており、その時高島七頭を動かしたのは六角氏である。

 浅井はこの戦を最後に和睦し、養子に左兵衛尉久政を迎えたのだ。


「今後は浅井の敵にならぬ様にして欲しい。」

「其れは公方様がお決めになる事。公方様の敵に、くれぐれもならぬ様お気をつけ付け下され。」


 そう言ったのは朽木谷の領主である朽木晴綱である。半ば挑発するような物言いに左兵衛尉久政の額に青筋が浮かぶ。


「まぁ、六角弾正様の血縁である貴殿ならば公方様に弓引く事は無いと信じて居りますぞ。」

「六角一門ではない!!浅井の当主だ!!」


 凄まじい怒気を発する左兵衛尉久政に、その場の全員が一瞬固まった。怒りに歪んだ顔が、数秒の後周りの様子を見て気まずそうに変わる。


「とにかく、浅井の害とならぬ様頼むぞ。」


 そう言うが早いか彼はその場を後にした。家臣達が続き、残りの田屋城などへ兵を向ける準備を始める。



 その場にいた国人達も一礼して場を離れる。話し合いの場を離れたところで、国人達が口を開く。


「危ない橋を渡ったな。」

「なに、わしはもう息子が元服も済んで居るしな。激情に駆られてわしの首に手をかける程度なら公方様に助けを求めるか京極についた方が良い器よ。」

「浅井はどうせ此方にこれ以上兵を送る事は出来ぬ。京極が気になって戦う余裕はなかろう。」


 田中頼長・朽木晴綱・佐々木越中の3人が帰りの道すがら意見交換をする。


「現状維持は出来た。傍に浅井領があるのは気に食わないが……六角も今は浅井と関わるなと言って来ている。」

「越中よ、京は其れ程不穏か?」

「京の事なら朽木が一番詳しかろう。」

「朽木には連絡が来て居らぬ。しかし油断は出来ぬ。細川氏綱は未だ行方知れず。畠山氏が裏で支援している様だが、確証がない故管領も問い詰められぬとか。」


 近江の北西部に位置する高島郷は周囲を管領細川・南近江の大大名六角・北近江の有力者浅井の勢力圏に囲まれている。

 彼らは自らの立場を守る為に時に対立し時に協力している。


「京が不穏であればある程我らの価値は高まる。浅井や管領には悪いが、もう暫く中央には荒れて貰おう。」

「であるな。六角も家督の継承でまだまだ安定しない。浅井には京極とうまくしのぎを削って貰おう。」


 互いを見合いながら笑う彼らが国人。

 数百年の積み重ねの中で地方に根付いた、戦乱を強かに生きる者達である。

武田が最後に晴信への当主強制交代で今川支援を止めたので、今川家中は朝廷からの和睦の使者が来るの待ちです。それに関しても遠江への守護不入関連で一部に敵対する公家がいる以上難しい状況です。

必死に生き残りをかけている義元が倒れるのも仕方ないですね。


ちなみに、氏康が数え30歳、信秀が数え35歳、晴信が数え24歳です。当主か否かも含め、晴信は史実よりちょっと経験が足りていません。


佐々木越中は高島越中とどちらの呼び方にするか悩みましたが高島郷という地名と被らない様佐々木にしてあります。

史実の田屋明政は結構長生きしているようなのですが、本作では法要で暗殺されました。史料上見られる浅井虎夜叉も設定上同時に暗殺されていますが、本文では触れません。

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