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第95話 血を継ぐ者、継がせたい想い

 美濃国 稲葉山城


 三好殿には子が出来た祝いを貰い、紀伊半島を廻る交易ルートについて相談してから帰国した。

 大事な用事が多々あったとはいえ幸は出産してから日が経っていない。お満との赤子も含めこれからが大事な時期なので出来る限り傍にいたかったので船で急いで帰った。

 津島で弾正忠信秀殿に模型を1つ渡して帰国した。


「御安心下さい。今のところ問題も起きず順調に育ってくれておりますよ。」

「大丈夫。この子も元気。」


 帰って早々、3人の元に行くと元気そうな2人と赤ん坊に出迎えられた。そして豊は、


「殿、その、ぼぼさが出来ました……」


 と報告された。彼女の祖父が飛騨出身の為赤ちゃんを彼女は「ぼぼさ」と呼ぶことがある。京の作法などを身につけた後はそれらが全く出ることはなかったが、動転したのか数年ぶりに出たようだ。


「でかした!体は辛くないか?」

「はい、幸の様な事は御座いませぬ。」

「あれは無理。辛い。二度と味わいたく無い。でも子は沢山欲しい。」


 幸はそう言って寝かしつけている娘の頬をツンツンした。半開きの口から涎が溢れる。鼻をひくひくさせる様は何故か愛嬌が感じられた。


 しかしオギノ式は偉大だ。絶対ではない。しかし、生理が安定する程度に栄養状態などがしっかりしている場合に限るが、この時代の多産な女性ならどんどん子が出来る。

 3人共が既に子が腹にいる状況に家族や家臣達は大喜びだ。蝶姫達も大喜びで不思議な踊りを踊りながら祝福してくれた。


 父も跡継ぎと孫娘の誕生を喜んでいた。幸の娘があまり大声で泣かなかったので嬉しかったらしい。まだまだ気は抜けないが、授かった命を大切にしよう。

 産婆の育成も頑張らねばならない。生活が安定して嫁を迎えた職人や文官達の下にどんどん子供が出来ている。


 孤児向けの学校に加え文官や足軽向けの学校も新設しつつある。教師の育成も少しずつ進めているが、人手不足の解消には時間がかかるだろう。確実に進めねばなるまい。


 ♢


 美濃国 大桑おおが


 子供の事で太守様に呼ばれた。御正室で大桑城下の近江の間に普段お住まいの江の方様も一緒だ。


「典薬頭、嫡男の誕生に続き慶事が続くな。めでたい事だ。」

「太守様に御祝福頂けるとは、産まれた我が子も喜ぶ事でしょう。」


 喜んではくれている。が、少し陰を感じた。


「のう、典薬頭。其方は何か子作りの秘訣か何か知っておるのか。」


 少し逡巡した後、太守様はこう切り出した。江の方様が太守様に嫁いでから既に7年。当時は13だった江の方様も今では20だ。しかし、未だに子は出来ない。


「余も40をとうに過ぎた。いつまで子を作れるかわからぬ。六角との縁を考えれば、余はなんとしても子を成さねばならぬ。」


 一部では石女と非難を受けている江の方様の立場も考えているのだろう。


「なれば婚儀から年も経ずして子を作った其方に、何かあるかと思ってな。恥を忍んで教えを請いたいと思うてな。」

「なれば1つ、我が家で行なっている方法が御座います。」

「ほう。何か食べ物か、其れとも交わる方法か?」


 食べ物はまだしもやり方で子供が出来やすくなるとか俺は聞いた事ないぞ。奥まで届くのは良いことだろうが。


「此れは江の方様が知っていると良いものに御座います。女子には子を作りやすい日というものがある様でして。」

「なんと。流石は日ノ本一の医師よ。人の身体については右に出る者がいないの。」

「その様な日が……。婆やには聞いた事が御座いませんでした。」


 江の方様も驚いている。オギノ式発見は20世紀だからそれも当然だ。

 荻野先生は偉大だ。ローマ法王庁も彼の発見による避妊は認めたくらいだ。


「細かい事は幸より伝えさせましょう。方法が方法なので直接お話しするのは男には憚られます。」

「そういうものか。まぁ余は任せるとしよう。其方は何も無いなら以前描き途中であった絵の様子を見させて貰おうか。」


 ヤバい。まだ完成していない。

 年末に言われていたのに、3ヶ月ほぼ放置していた。


 ♢


 美濃国 稲葉山郊外


 管理している村への道も随分整備が進んでいた。大八車で硝石のなり損ないの肥料を運びやすいようにである。


 石を取り除き表面を作った整地ローラーで固めただけだが、馬に牽かせて側溝を用意しただけでも大八車の使いやすさが全然違う。

 街中の一部とこの道以外は父から許可が出ていないが、ゆくゆくは尾張と美濃をこの道で繋ぎたいところだ。



 村では大々的に正条植えが行われていた。今年は正条植えの為に各地に竹棒が立っていた。

 皆が同じ掛け声と共に同じラジオ体操のリズムで稲を等間隔に植えていくのを見る。見える景色は前世で見た田園風景に限りなく近いものだ。


「肥料の具合は如何ですか?」

「素晴らしいです。雑草も取りやすいお陰で夏の仕事が減りまして、綿花の世話も困らなくなっております。」


 村の乙名おとなも喜んでいる。収入が確かに増えているので、最近は子供が産まれては栄養状態も良好で順調に育っている。

 服も収穫した綿花から税として納める分以外を使って布を織っている様だ。替えの服まで持てる様になった彼らは今、周辺の農村から嫁に出したい相手の筆頭となっている。


「そろそろこの村の周辺には平らな土地は無いですな。手間をかければもう少し作れますが。」

「無理はしなくて良い。平らで無い場所には綿花を植えよ。」

「畏まりました。次男三男でも幾人かは田を頂けたので、典薬頭様がこの地を治める様になった頃よりお納めする年貢が随分多くなりました。」


 ここから手に入る税収入はおよそ倍になった。年貢が増えたのと綿花の収入が出来たこと、そして農具の貸し出し料が取れるようになった事が大きい。

 最初はそのまま農具をあげようかと思ったが、タダで配ると周りの領主が自分にも寄越せと突き上げを食らうのでやめろと父に言われた。

 なのであくまで貸し出しだ。一部は貯めた資金で買いたいと言ってきたので売った物もある。


「今後も何かあれば是非お声がけ下さいませ。典薬頭様が明の技術を試す程我らも豊かになっておりますので。」


 良く見ると乙名の服が先日別の村で育てている蚕から試作して売り出した絹の服だった。儲かってるな、こちらに協力的になるのも当然か。



 城下の糞尿が肥料になる城下からやや離れた場所。


 去年の終わりに実験の1つで硝石が作れた。

 現在ではその時の方法で半分を硝石の丘にしている。


 発酵が終わって肥料に出来る物はそこまで臭いがしない。発酵が済んでいるからだ。

 しかし日々人口が増えている為か集まる糞尿の量も増えている。臭いが市街・街道に行かないように新設の場所を選ばないといけないのだが、この勢いだと更に拡張が必要になるだろう。


「火縄銃の試射に使えたし、硝酸も作れたし順調なのは良いんだが……臭いで迷惑をかけるな。」

「その分(ろく)もかなり頂いておりますし。まさか農家の三男だったのに嫁が二人も迎えられるとは思いませなんだ。」


 責任者をやっている男はかなりのリア充生活を謳歌しているようだ。


 後で聞いたらほぼ諦めていた幼馴染に加え、先日の女郎の1人を身請けしたそうだ。責任者になって幼馴染を嫁に欲しいと言いに行ったら、以前は父親に門前払いだったのが盛大に迎えてもらえたとか。


「これからも頼むぞ。丘の数が多くなるようなら人手も増やすし、その分組頭や大将である其方達の禄も増やすからな。」

「へい、頑張ります!」


 頼むぞ。ある意味この技術こそ秘匿を徹底しなければならないのだから。戦乱を拡大しないためにも。

六角との間に子が出来ない事に危機感を抱く土岐頼芸。史実でも土岐二郎頼栄(1525年前後)の次である六角の正室との子(土岐二郎頼次)は1545年生まれです。史実ではこの間に斎藤道三との内乱(1542年~)があったとはいえ、子が出来なかったのは事実です。


信秀に渡した模型はその内話に出てきます。


硝酸は硝石に辰砂から作った硫酸を混ぜて作ります。硫酸カリウムと硝酸になるので硝石になっているかが確認できます。

以前出ていた硝石生産はこれから4~5年後に本格的に使えるようになります。

都市人口も増えている関係で相当長い間は肥料生産場として周囲にも認識されるでしょう。

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