第93話 人の縁とは不思議なもので
伊勢国 安濃津
天文12(1544)年となった。
昨年末に義兄である三好伊賀守利長(長慶)殿が播磨での尼子氏の動きが鈍いのを察知し、細川氏綱に猛攻を仕掛けた。
細川氏綱は大敗し河内国の山間部に逃げ込んだが、遊佐殿からは「探している」との一言だけで行方不明らしい。
白々しいにも程があるが、名目上仲間の領地に勝手に踏み込むわけにもいかず、表面上は畿内に平穏が戻った。
表面上でも平穏になり、幸も無事2月初めに出産を終え女の子を産んだ。少し情勢が落ち着いたので、帝への2回目の種痘の為京へ向かう事になった。今回は安濃津や堺の商人との話し合いもある為、海路でまず伊勢の安濃津に寄った。
長野氏の影響が強い安濃津では長野氏当主長野大和守藤定殿が直々に出迎えてくれた。安濃津は40年ほど前の大地震で壊滅的な被害を受けた。今は船が泊まれる程度には復旧しているが、一部には手付かずの残骸らしき物が見られる。
大和守藤定殿のやや疲れたような表情は歳の差を感じるものだったが、事前に聞いた話では1歳しか違わないそうだ。老け顔とは同情する。
「典薬頭様にお越し頂けて恐悦至極に御座る。前々から仲良くさせて頂ければと思っておりました。」
ほうれい線を深くするような笑い方で出迎えられた。そのせいで笑うと益々老け顔になる。可哀想に。
昼間に紙や薬の取引について商家も交えて話し合った後、夜の宴会の前に今度は近習が見守る中2人きりで話す事になった。
「実は折り入ってお願いが。」
「何用でしょうか?」
「我が長野の家は今北畠と戦の最中で御座います。」
昨年に伊勢周りのルートが使えなかった理由の1つに、長野氏と北畠氏の戦があった。
鳥羽周辺を新たに治めることとなった九鬼水軍は領地の安定化と長野氏との戦で船を出す余裕がなかった為に細川氏綱の反乱に土岐氏が関わることは出来ず、通交に関する取り決めも出来なかったのだ。
年末になって両者が落ち着いたおかげで九鬼と商人の話し合いも終わり、航海を阻害するものが無くなったために今回は海路で行けるわけだ。
「双方兵は退きましたが、和睦などはまだしておりませぬ。近江へ勢力を伸ばす事など色々考えましたが浅井と京極があれだけ揉めている為六角殿から干渉するなら敵に回ると言われてしまいまして。」
北畠と一旦戦をやめて近江の京極・浅井へ介入しようとしたら、それをするなら六角が敵になると左京大夫義賢から連絡があったそうだ。六角は今の北近江に誰も関与してほしくないらしい。
その為北畠と和睦すると勢力を拡大する余地が無くなる為、今も和睦などはしておらず、寒さの峠を越えた頃にはまた戦いになるらしい。
「しかし、北畠は六角と血縁関係にあり、今の状態も都の争乱があるから六角殿に見逃されているだけ。我らは後ろ盾がないのです。」
北畠氏の次期当主である北畠侍従(具教)は六角弾正定頼の娘を正室としている。六角がもし介入するなら北畠氏の味方となるのは明白だろう。
「其処で、弾正忠殿と誼を通じたく、口添えを頂けないかと思ったのです。」
「あ、織田殿となのですね。」
「土岐様や斯波様の御助力を頂くなど畏れ多い。其れに守護様に動いて頂くと話が大きくなって却って身動きが取れなくなります。」
「確かに」
太守様が動くと色々面倒になるのは確かだ。一国の主を動かせば周辺諸大名に波及する。ならば弾正忠家くらいの方がフットワークは軽い。
「幸運と言うべきか、某はまだ子がおりませぬ。弾正忠殿から養子を迎えるか、子が出来たら弾正忠殿の娘と婚姻を結ぶかを選べます。」
畿内含め、各地で今川は既に風前の灯火と思われているらしい。東西に強大な敵を抱えていることが大きい。武田では支えきれないだろうという予測だ。むしろ義元は良く粘っているという評価である。
そうなると弾正忠が次に敵とするのは本願寺の拠点長島であり、そこまで来ても来なくても伊勢への弾正忠家の影響力はかなり大きいものとなる。
その弾正忠家と結ぶ事で後ろ盾にするつもりなのだろう。位置的にも今は過干渉して来ない相手なので、長野氏にとっては利が大きい。
「其の様な次第で、弾正忠殿へのお口添え、何卒宜しくお頼み申し上げる。」
上手くいけば織田の内紛イベントである信長と弟の対立を養子に出して回避できるかも、と思ったので承諾し、仲介する事にした。
後日、大和守殿の正室が懐妊した為、一旦保留となったが、弾正忠信秀殿はその子が娘の場合吉法師の弟を養子に出すと早々に宣言。家中に吉法師が家督を継ぐという立場を明確に示したらしい。
幼いながら才覚を示す弟に期待する家臣はこの一件で大部分が彼から離れたそうで(養子に出す時一緒に派遣されて今の土地を離れたくない者達だ)、父が言うには吉法師の家督相続への流れはかなり盤石になる出来事だったらしい。
実際の子はまだ産まれていないが、さてさて男か女か。大きく影響しそうな子である。
♢
和泉国 堺
堺に到着すると、小西弥左衛門行正が出迎えてくれた。一日彼の手配した宿で泊まってから、招かれていた茶会へ向かった。
主催は千与四郎。三好の義兄上から嫁を貰った、言わば嫁の義理の兄である。
同席したのは奈良の塗師松屋の源三郎殿。本当は2月中に開く予定だった茶会を、俺が参加できるようにわざわざ少し遅らせてくれたらしい。
茶室は狭い。4畳半くらいか。3人もいると狭さをより強く感じ圧迫感すらある。書院造の一室だが、掛け軸などのわかりやすい装飾品がないため幾分寂しさを感じる。
「貴方様とは一度お会いしたかったのです。」
彼は自らの名を千宗易と名乗った。聞いた事がある。千利休だ。戦国ゲームでこちらの名前も見た。
「義弟でもあり、土岐の重臣でもあり、医学の風雲児であり、貧しき民を救う御方でもある。」
宗易の服装は地味な色合いの服装だが、涼やかな目元で整った顔をしている。
「貴方様は正に輝く御仁だ。なれば会ってみたいと思うは必然。」
「其処まで褒めて頂くと照れますね。」
「故に、貴方様に負けぬ輝きを放つ茶碗を用意させて頂きました。お近づきの印に献上致します。今後御使い下さいませ。」
そういって木箱から出して渡されたのはやや青い風味のある黒の茶碗だった。僅かに白っぽい斑点が無数に浮かんでいる。
「油滴天目と呼ばれる唐国の茶碗に御座います。星が如く輝く茶碗なれば、貴方様が扱えば互いの輝きを引き立てられましょう。」
「ありがたいことです。素晴らしい物なのでしょう。」
細かい事はわからないが。中国からわざわざ持ち込まれたなら相当だろう。
手で持ったところ、宗易殿のテンションが変わった。
「おお……素晴らしい!見られよ源三郎殿!輝く典薬頭様と、其れに負けじと輝く天目の美しさ!壮大!優雅!正に!!正に!!」
「うむうむ。素晴らしき哉、素晴らしき哉。」
「おおぉぉ……此処にも侘びがありまする……実に輝かしい!」
目を細め手を忙しなく動かし、感動していると全身で表現してくる。何だこれ。
「しかぁし!惜しむらくはこの場にこの身があること!これだけの輝きをもってしても!我が内なる輝きは止められぬ。あぁ、侘び茶をせねばなりませぬな……!」
「左様。侘びを味わいましょう……!」
2人は少し震えながら目を閉じ、そして何事もなかったかのように座って宗易が茶を点て始めた。
唖然としてしまったが、歴史に名を残す名人の茶だ。気を取り直して味わうこととしよう。
淀みない動作で茶を点てる宗易。洗練され、流れのあるその動きは無駄を無駄と感じさせないものだ。むしろその無駄が余しになり余裕が出る。
「あぁ、今日の茶も実に膨かな香り……香りが引き立ててしまう!茶室に閉じ込めた美しさを、敢えて造り出した貧に!浮かび上がってしまう!この身の輝きが!!」
思考が一瞬止まった。
「何処か欠けたこの部屋が、茶碗が、茶入が、茶筅が持つ輝きを!この身の輝きが霞ませてしまう!申し訳が立たない、折角光を最低限しか入れていないのに!其れでもこの身の輝きが増してしまう!茶室を完成させてしまうことを!」
恍惚とした表情で準備を終える。茶の香りが一気にこちらまで届く。
宗易が頭を下げる。慌てて此方も礼を返し、茶碗を手に取った。
口に広がるのはふわっとした苦味。そして鼻に強烈な茶の良い香りが抜ける。
思わずため息が出る。美味しいというよりは爽やかだ。
「貴方様は良き御仁だ。この身が点てた茶を飲むとその御方の本質が覗き見えますが。晴れやかな顔をしておられる。本に良き縁を得た事、恐悦至極に存じまする。」
満面の笑みを浮かべる宗易。そして源三郎殿。
「飲み方の作法は此れから身につけられるが宜しい。この時を楽しんで頂けた事が何より。貴方様をまた御迎えするのを楽しみにしております。」
茶碗との輝きの組み合わせが見事です!と最後に宗易に力説され、気に入られて茶会は終わった。
後日聞いた油滴天目の値段はかなりの物で、しかも宗易から貰ったことで父にも羨ましがられた。あんなナルシスト気味な男でも畿内では若き俊才として名が知られつつあるためらしい。
黙って茶を点ててればそうも言える。しかし、その本質の一端に触れた俺としては茶を飲んだ時よりも渋い表情にならざるを得なかった。
油滴天目の取引記録があるもので50貫。金雇いの常備兵だと20人前後は1年間雇える金額ですので、それを友好の証として渡せる宗易は流石ですね。
利休のキャラ設定には某ボードゲームの影響が出ております。
「侘び」とは……己の輝きをもって茶室の美を完成させる空間也!
そんなハイテンションでナルシストな利休を今後とも宜しくお願いします。
火縄銃関連までは文字数的にキリが悪かったので次話に回しました。日曜までお待ち下さいませ。