前へ次へ
91/368

第91話  生とは難しきものにて

前半は三人称。♢♢から一人称です。

 遠江国 曳馬城


 6月半ば。入城した織田弾正忠信秀は、屋敷の広間に入るや左頬にえくぼが浮かぶのを我慢できなかった。


「失ったものも大きかった。……だが、遂に遠江まで辿り着いた!」

「今川義元……思っていた以上に難敵でしたな。」


 薄汚れた家臣たちだが、表情は皆明るい。


「城主の鵜殿長照、まだ十を過ぎたばかりだったそうだが、良く城を守っておったしな。」

上ノ郷(かみのごう)城を出る直前に元服し、父の死ぬ前に烏帽子姿を見せたという話でしたな。」

「最期も実に見事な討死であった。あと数年あれば成長し我らも大いに苦戦したであろう。」



 5月20日、遠江に11000で侵攻した弾正忠信秀は長篠から浜名湖北岸を東進。曳馬と二俣の城から出陣した今川軍8000と三方ヶ原で激突した。


 合戦は激戦となった。若き総大将今川義元は寡兵ながら粘り強く戦い、織田の先鋒だった寺沢又八や岩越喜三郎らが今川先鋒の朝比奈隊に討ち取られるほどだった。


 これを立て直したのが先鋒の一角として参加していた柴田権六である。寺沢又八が討たれ混乱する兵を大声で一喝すると、自ら槍をとって最前線に向かい勢いづく今川勢を押し留めた。

 その隙に毛利藤九郎が隊を立て直した結果、朝比奈隊は徐々に勢いを失った。今川方の大沢基相らが討死し伏兵が佐久間全孝に防がれたことで今川義元は敗北を悟り、東へ敗走した。


 天野虎景・景泰親子が殿として討死する間に今川軍の過半は戦場からの離脱に成功。残りも曳馬へ撤退した。



 態勢を立て直し堀江城を落とした弾正忠信秀は6月1日に曳馬城へ侵攻。


 鵜殿長照や浜名政国が籠城したが、城内で事件が発生。内部の混乱の中で織田勢が雪崩れ込んだ結果、6月半ばにして天竜川以西をほぼ手中に収めることとなった。


「で、城内で我らを手引きしたのが其方か。顔を上げよ。名を何という?」


 そして、騒動の主は膝が曲げられない足を伸ばした不恰好な姿勢で頭を下げていた。


「はっ。某、名を山本勘助と申します。」


 顔を上げた時、片目のあるはずの場所が窪んでいることに諸将は目を見張る。


「隻眼か。病か?」

「いえ、修行の日々の最中妬まれ夜に襲われた結果にて。」

「其れで命を落とさず済んだなら豪運よの。」


 弾正忠が口元を緩ませる。片目ながらその目は揺らぐことなく弾正忠を見続けていた。

 居並ぶ将の1人が小馬鹿にするように死角で彼を小さく指差した。


「確かに目は片方のみになりましたが、代わりに天から物が見えるようになりまして御座います。」


 そう言って指差した将の方を向き、一瞬鋭く見つめた。

 弾正忠は遂に声を出して笑い出した。


「見事だ山本勘助。松井平兵衛から聞いた通り只者ではない。わしに仕えぬか?」


 その言葉に、勘助はわざとらしく目を見開く。


「宜しいのですか?この通り満足に座る事も出来ぬ身に御座いますが。」

「正直、今は人が足らぬ。此れ程三河と遠江への道がうまくいくとは思っておらなんだ。才覚あれば出自も問わぬ積りよ。」

「有難き事に御座います。精一杯務めさせて頂きます。」

「うむ。励めよ。」


 勘助は予期せずして起こした騒動で弾正忠に利した事を、結果的にこういう運命だったのかもしれないと思っていた。


(混乱に乗じて馬を拝借して三河に抜けようとしただけだったのだが。まさか馬小屋に忍び込む為に起こした小火で、あれ程大きな音を立てて井戸の屋根が崩れるとは。)


 せめて、今川の世話になった人の助命だけは功績を挙げて願い出ようと思う勘助であった。


 ♢♢


 美濃国 稲葉山城


 夏に入った。お満のお腹はもう明確に大きくなっている。


 経過は順調なはずだ。産婦人科は未経験なので体調不良などが起きていないことでしか判断できないが。

 そして妊娠解禁となり排卵日前後も閨に呼ぶようになったことで、幸が先に妊娠した。

 幸の方がお満より悪阻つわりが酷いため、お満とのスキンシップ含めて結構忙しい。


 幸はタイプ的にネガティヴになって口数が物凄く増えるようだ。兎に角悲観的になる。呼び方も昔の「若様」に戻っているし。膝枕しつつ青い顔をした彼女を日に1度は必ず見舞う。


「辛い辛い辛い。頭がずっと回っているみたい。若様、若様、手を握ってて。」

「大丈夫大丈夫。手も握っているしきちんと側にいる。」

「お満様にご迷惑かけてる。豊にも悪い。謝らなきゃ謝らなきゃ。若様お許しを。無理して側室にして貰ったのに役立たずで皆に申し訳がない。お腹の子にも迷惑かける。学校の子供達にも迷惑ばかりかけてる。」

「大丈夫だよ。いつも十分すぎるくらい支えてくれてるよ。お腹の子も大丈夫だよ。学校の子供達も大丈夫だよ。幸が元気な子供産めるって信じてくれてる。」


 手をさすりながら語りかける。部屋の壁には孤児の学校で彼女が教える子供達から贈られた千羽鶴が掛けられている。折り紙はまだ高価な遊びとも言えるが、こういう用途なら問題ないだろう。ちなみに生徒達は以前お満にも千羽鶴を作ってくれている。ありがたい。


 そこにお満が来た。時期的には動くと辛い時期だが、幸の状態が気になるのかよくここには来る。悪阻がそこまで重くなかったお満にとっては少しショッキングだったようだ。温泉で話すようになった3人は俺のいない時に色々話をしていたので、心配なのだろう。


「大丈夫ですか、幸。御前様も。」

「お満様、お許し下さい。同じように子を身に宿しながら、殿に頼ってばかりで……母となるには未熟だったのです。」

「大丈夫ですよ。貴女の辛さはあと少しで治まると殿が仰せでしょう?それまで存分に甘えて良いのです。殿がそう仰って下さったのですから。」


 幸と対照的にお満は箱入りの消極的な雰囲気が薄れた。母の自覚といえば良いのか。親になる自覚だけなら俺よりずっとできていると思う。自分の中にいるのといないのでは自覚に差が出ると聞いたが、今の状態が正にそういうことなのだろう。


 お満は時期的にはもうすぐ9か月といった状況だ。最近は食事の量が減っているらしいが、本人は元気だ。幸の隣までやって来るだけで軽く運動したかのように息を乱すが、産婆に言わせればこの時期はこうなるものだそうだ。


「此方の方が先に生まれますが、一緒に頑張りましょう。大丈夫。天下一の名医たる殿がついておりますもの。」


 彼女の声は人を癒す力がある。少なくとも、俺と幸と豊には効く。幸も皺が寄っていた眉間から険がとれた。もうすぐ落ち着きを取り戻すだろう。



 時代が時代なので出産直前に隔離する習慣があると言われたが、「子が生まれることを穢れと考えるのはおかしい」と突っぱねた。

 伊勢神宮が主張する生産穢なんぞない、と隣国の俺が否定した形だ。後で色々言ってくるかもしれないが、いざとなれば帝にお願いして出産も医療行為として認めてもらおう。子供の為だ、少々の対立なんて気にする必要あるものか。


 ♢


 7月に入り、井伊氏が織田弾正忠信秀に合流したそうだ。斯波と今川は天竜川を境に睨み合う形となった。

 和田ヶ島に砦を造った弾正忠信秀は二俣城・匂坂城・見附城などを前線とする今川軍と膠着し、年内はこの情勢に変化は起きなかった。


 北条氏は古河公方との連携や千葉氏・真里谷武田氏の支援、そして小田氏との和睦に進んでいるそうだ。先の連合軍での大敗の後に古河公方を攻めて敗れたことで、小田政治の拡大政策が頓挫したのだ。

 里見氏は真里谷武田氏の主導権争いを北条氏相手に上総でしており、北条氏に押し込まれつつあるそうだ。


 全体的に北条氏が優勢だが、関東に注力している関係で今年は今川と睨み合いで終わることになった。

火曜日も投稿します。


山本さんは色々な因果が重なって「織田も面白そうだし良いか」となりました。

彼が織田に加わるのはかなり歴史が変わる部分になりますね。


歴史が変わると言えば今川の情勢もかなり変わっています。既に支配領域は駿河西半分と遠江東半分のみになっております。北条は下総・上総・常陸まで勢力を伸ばしつつあります。


男の自分ではわかりませんが、悪阻は重い人はとことん重いと聞きます。

逆に初産でもそこまで苦しまない人もいるそうなので、文字通り人によるのでしょうね。

労わる心が男性には求められると思います。

前へ次へ目次