第90話 割れた氷を踏み砕く音
皆様の応援で90話まで書くことができました。まずはその事に感謝したいと思います。ありがとうございます。
美濃国 稲葉山城
田植えの時期が来た。春も大分過ぎた頃でないとこの時代の稲は田植えができない。お満が安定期に入るまで手が付けられなかったわけで、この辺りでも技術の違いを感じる。
田んぼの畔に棒を立て、その位置に植えることで正条植えできるか試してみた。リズムが合わずに横一直線に並んだ村の人々が真後ろに下がらず斜めに植える人が出た。
というのが失敗としてあったので、ラジオ体操の動きから同一のペースで植えること、後ろに下がる一歩を小さくして一緒に下がることで曲がらないようにすること、などを取り入れてみた。
1,2,3,4の声と共に同じペースで田植えを進める。作業が速い人も遅い人も、6までで田植えを終えて8で後ろに下がる。遅い人は頑張らないといけない速さ。速い人にはより丁寧に仕事をしてもらえば問題ない速さ。
1面終わるのにかかる時間は今までと大きく変わらず。植えられる苗の量は少し減ったものの、ムラがないので稲か雑草かの見分けはつきやすい。
本領発揮は夏になってからだ。成果を待とう。
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美濃国 大桑城
梅雨のある日。管領から太守様へ手紙が届いたらしく、主だった家臣が集められた。
「大内が尼子と対峙していたが、1年以上攻め続けたのに敗れたそうだ。」
「尼子氏は追撃で大内の跡継ぎを討ち取ったと聞きました。持明院様が周防に下向されて居ります故、近々文が届くかと。月山富田城を攻めるのに大内軍は相当苦労していたそうですので。」
昨年から1年以上もの間、大内氏は尼子氏を攻め続けていた。大内義隆は最盛期ともいえる勢力を誇り、三沢氏や本城氏を寝返らせて5万とも称する大軍で尼子氏の本城、月山富田城を攻めた。宿敵だった尼子経久が直前に亡くなったことも、この大規模攻勢の理由らしい。
しかし、若き当主尼子晴久は祖父の経久に負けずとも劣らぬ名将だった。新宮党と呼ばれる一門の主力を自在に操り、大内軍の弱い部分を襲っては敵軍の集結前に撤退するゲリラ戦法で多くの損害を強いた。兵糧の焼き討ち、夜襲なども巧みに使って大内勢を疲弊させていた。情報として知っているのはここまでだ。
「かなり損耗激しいと聞いておりました故、わしからすれば驚くことでは御座いませぬな。」
「しかし、5万を動かす大内でも敗れるとは、月山富田城、天下の名城であるな。」
いや、城の強固さも大事だが、一番の理由は兵糧ではないか。
兵は食糧が無ければ戦えない。正に「腹が減っては戦が出来ぬ」だ。
「尼子は勢力拡大のため播磨に手を出しておる。余としては木沢が死して平穏となった畿内が荒れるのは困るのだが……」
だが、そもそも太守様の認識こそ間違いである。これまでの平穏こそ木沢長政という人がいたから保たれたものだ。
そして7月。猛暑の中、薄氷を粉々に砕く音が、響いた。
緊急で大桑の屋敷に集められた一同に、畿内の動乱が始まったことが告げられた。
「細川氏綱様、堺にて挙兵!玄蕃頭家の国慶様も此れに応じ、和泉にいた細川晴貞様は山城の勝龍寺にある屋敷に逃げ込んだ模様!」
細川氏綱と細川国慶の反乱。というより管領細川晴元との権力争いである。
「尼子晴久が呼応するやも知れず、摂津の三好勢は播磨の抑えもあって動けぬとのこと!」
細川氏綱は管領細川晴元と管領の地位を巡って争っていた今は亡き細川高国の養子だ。これまでも小規模な反乱は起こしてきたが、今回は木沢派の残党も一部加わっており、和泉北部を制圧したため大きな流れになっているらしい。
「前の如く誰かを伊勢・紀伊周りで送り込むことは可能か?」
「恐らく厳しいかと。今鳥羽周辺は北畠が統治を始めたばかり。斯波も遠江で合戦中な上、管領の幕府一強体制に不満がある畠山様も秘かに氏綱を支援しているという噂が。」
細川氏綱の挙兵には遊佐長教とその主君畠山稙長が裏で糸を引いているという噂がある。氏綱勢は河内に入らず北上して摂津の三好政長領などを荒らしているらしい。畠山殿は木沢残党の討伐と河内・大和を抑えるのに手一杯と言い、彼らの後背をつく気配がない。
「北近江を通るには彼の地が不穏過ぎる。我らが通るだけで何処かが暴走しかねん。」
「六角からも、近江は通れないと思って欲しいと連絡がありましたな。」
六角は北近江の三すくみの爆発を阻止するため軍勢を動かせないでいた。六角が軍を外に出せば京極・浅井・田屋のどこかが動く。だから近江全体の安定のため六角は動けない。
こうして絶妙に関与できない情勢の中で細川氏綱は巧妙に立ち回り、幕府の数少ないフリーハンドな軍勢である三好政長と一進一退の攻防を続けながら摂津と堺の陸路を塞ぎ続けた。
石山本願寺が三好政長の要請で援軍を派遣したところ、比叡山延暦寺がこの動きに反発して支援を打ち切った。
細川氏綱は一時的に敗走したが大きな勢力図には変化がなく、管領細川晴元もその勢力を完全に打ち破ることはできなかった。
そして、この状況で数少ない動ける戦力だったのが波多野稙通殿だったのだが、最近は体調を崩しがちだそうで動くに動けない。おまけに丹波では内藤氏も細川氏綱に呼応していて、京の治安維持で管領は身動きできなくなっていた。
評定ではとにかく後背の朝倉との小競り合いが続く状況をなんとかするべく二郎サマと一門の土岐七郎頼満・土岐八郎頼香御両人が揖斐五郎光親様と共に朝倉を攻めることが決まった。
土岐一門が総出となり、脇を森可行・村山芸重といった方々で固め東氏にも呼応してもらう合計7000の大軍だが、斎藤氏や東濃・近江国境の西濃国人は動かせないという判断がされた。
自分が出なくてすむならと安心して各種工具作りなど進めた。
ネジは大量に必要だろうとネジを作る方法とネジの溝を掘る方法を考えることにした。
ダイスでネジを掘るのとタップでネジの溝を掘るのは中学校の技術でやったことがあったので、先日作った万力で棒状の鉄をダイスに似た形に加工した溝掘り機で削ってみることにした。
職人が万力で挟んだ鉄にダイスをはめて回そうとする。
「典薬頭様、これは動きませぬ。回せませぬ。」
「ふむ。少し代われ。…………!」
バキッという音と共に鉄の棒が万力で挟んだ際の部分で折れた。ダイスに噛んだ部分は双方とも食い込むように削れていた。
「このだいす?という物の方が硬くないと溝は掘れぬでしょうな。」
「……これは、タップをやっても同じ結果になりそうだな。」
「で、御座いますな。」
一応試したらやはりペキッとタップが折れた。
「もっと良質な鋼にするしかないな。炭素濃度の問題か?」
「………」
ちなみに、最近気づいたが職人たちはこちらが考え込んだり彼らの知らない用語が出ると静かになる。一度理由を聞いたところ、「典薬頭様が薬師如来様から何か知恵を授かっていると思って黙っております」と言われた。いや、記憶を遡っているだけだ。ある意味神様に与えられた力だが。
「やはり工具用の鋼が欲しいな。転炉が必要?でも転炉の構造までは教科書になかったからな。」
鋼は炭素がどの程度含まれるかで純度の高い鉄と鋼・鋳鉄に分かれる。純度の高い鉄に近づくほど衝撃で割れにくくなる。代わりに炭素量が多いほど硬さが増す。
転炉とは製鉄の重要な工程の1つで、炭素を除くと同時に不要な成分をスラグとして抜くことが出来る。そのためには、空気を送り込んで溶けた鉄の炭素を酸素と結合させて二酸化炭素として排出し、不純物を除く作業が必要だ。
しかし、高校の化学の教科書にも高炉の図はあったが転炉の図はなかった。なので内部反応はわかるが構造がわからない。
「たたらで作っている玉鋼は高いからな。ネジくらいでは使っていられない。」
「ですが、今のままではネジの方が掘る時に耐えられませぬよ。」
そこまで高価な製品は作りたくない。ただでさえ火縄銃の量産に大量に鉄が必要なのに。
「最悪、化学式から構造を考えるしかないか。玉鋼では高いからな。鉄鉱石がとれる場所が美濃にもあるはず。いつの授業で聞いた?鉄鉱石が手に入るとして木炭で高炉って稼働するのか?化学式では問題ないはずだし、石灰は売るほどとれるが……耐火煉瓦って何で出来てる?授業で教わったか?」
少し頭の中を整理しないといけないか。授業で雑談していた中でいくつか情報はあったはずだ。
金生山化石館……あの山で鉄鉱石がとれるか。小学生の時恐竜を観たいって話したら三葉虫とかオウム貝がメインで前世の親父に文句を言ったが、まさか死んで生まれ変わってから役に立つとは。
「高炉だな。植林をこれまで以上にやりつつ伐採計画をきちんと立てて自前で鉄を用意できるようにしよう。転炉と耐火煉瓦は……考えよう。理科年表の記憶から良さげな物を試すしかない。」
記憶があっても技術はない。転炉も構造がわからない。それでもやるしかない。
「そろそろお戻りで御座いますか?」
「あぁ、大丈夫だ。とりあえず必要になったら玉鋼で用意しよう。高くつくが仕方ない。」
「かしこまりました。」
火縄銃の最適な作り方なんて当然知らない。一番良いのは鋳鉄か鋼か、それすらもわからない。
ないない尽くしだが、やらねば歴史は変わらない。ここが歴史の分かれ目と思って頑張るしかない。
細川氏綱、活動が活発化してきています。
史実より遊佐あたりの支援は少し露骨です。遊佐視点で管領勢力が強くなりすぎているので。
高炉の図は高校化学「金属の精錬」で扱います。転炉の図までは載っているものもあるのでしょうか。
私は転炉まで載っているのは知りません。概念図くらいでしょうか。スラグとかの用語も載っているので教科書はやはり偉大だと思う次第。
金生山については山頂付近で第二次大戦後も一時期赤鉄鉱を採掘していたとのこと。
そこまで大量にはないでしょうが、戦国時代の一大名が十年レベルに必要な鉄は十分採掘できます。
うちの学校は理科年表使ったのですが、最近は使わないのかな、と少し不安です。