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第88話 苦悩する者、苦労する者

 天文11(1543)年になった。年末に松平で嫡男が誕生したそうで、産まれた直後と言って良い時期に正室共々当主の広忠は那古野なごやへ人質に出したそうだ。思い切りの良すぎる行動に弾正忠殿が驚いていたと吉法師からの手紙に書いてあった。名前は竹千代。恐らく徳川家康だろう。


 北条からは密書で氏綱様が再び倒れたと連絡が来た。錦小路様が下向予定だったので、そのまま様子を診てきてくれるそうだ。


 ただ、以前診た時の感覚からいえば今回は助からないだろう。既に遺言も伝えてあるらしく、家中はほぼ動揺なく千葉氏の支援と河東での今川へ圧力をかける態勢を維持しているそうだ。



 そして年明けすぐ、お満が悪阻つわりを訴えた。まぁオギノ式計算は偉大ということだろう。

 前世なら高校生くらいの年齢なので色々言われるだろうが、この時代だと極普通扱いだ。それにお満は前世と照らし合わせても結婚できる年齢ではある。問題ない。


 我が家は正月過ぎて早々からお祝いムードである。ついでに幸と豊の子作り解禁でもあるので2人も大喜びだ。とはいえ父親になる実感はない。前世含めて初の子供だからだろうか。家臣や近隣大名から贈られる贈り物に少し焦っているくらいだ。

 北条氏から贈られて来たカイロウドウケツの置物は驚いた。ガラス質でグラスファイバーの集合体みたいな海綿で、断熱材に使うグラスウールそのものだった。夫婦の円満にちなんだ贈り物らしいが、今度断熱材として使うために取り寄せるのも考えようと思った。


 昨年は遂に父の子が生まれなかった。父と小見の方との最後の子は少し時間がかかったのでヤキモキしたが、終わってみれば今までで最も元気な子である。


 この子が最後かはわからないが、七男九女の大家族となった。ちなみに五男と六男はそれぞれ日蓮宗と天台宗に請われて仏門に入った。俺と血縁が欲しかったらしい。

 五男は日蓮宗の日顒にちぎょう様が預かりその庇護下に入り、六男は天台宗の曼殊院まんじゅいんに入った。以前会った帝の子の側に仕えることになるそうだ。この駆け引きは親斎藤の高田派以外の2宗派が俺との血縁を欲しがったためらしい。飛鳥井あすかい家を通じて義兄弟の高田派に遅れはとらないということだとか。


 小見の方の子である弟の勘九郎は今年から西村姓となった。末弟の新五郎も西村姓となり、深芳野みよしのから生まれた同母弟である喜平次らは、祖父の北面の武士時代の名乗りである松波姓を名乗ることになっている。斎藤を名乗るのは俺だけだ。否、近衛から斎藤帯刀左衛門尉利茂(とししげ)殿の養子となった大納言殿がいるか。あちらが守護代斎藤氏の正統ということになっている。


 ここ数年で手腕を遺憾無く発揮した父は美濃の実質的支配者に君臨している。国人達からも信頼され、唯一の問題は暫定後継者の二郎サマとの確執だけだ。



 我が家がお世継ぎに沸く中、二郎サマ以外跡継ぎのいない土岐宗家は不穏な空気に包まれていた。

 六角定頼から太守様に嫁いだ御正室と太守様の間に子が出来ず、結果として二郎サマの家督相続の可能性が出て来たのだ。


 この二郎サマが斎藤氏一門と仲が悪い。以前は多少なりとも支える姿勢だった帯刀殿すら二郎サマが遠ざけた為、彼は家中でも孤立気味だ。それでも次期当主は現状彼しかいない。

 国人達からも二郎サマは侮られている。土岐の鷹を継ぐ気配はなく、官職で俺に追いつかれ、武勇でもイマイチ派手な戦果もない。


 名ばかりだが初陣で城を落とし、帝にも拝謁し、木沢長政を討ったことで名声でも差がついて来た形だ。

 耳役では人手不足だったのもあり服部党をそのまま雇うことになった。彼らに国人達の動きや領内の技術漏洩を防ぐ仕事をしてもらっているが、彼らの調べでは国人の中には二郎サマに不満を持つ者が多い。


 今川の分国法を知ったためか似たような物を作ろうとして太守様に怒られたらしいのだが、その中身が国人に大桑おおが城下に妻と子を住まわせるよう強要したり、守護不入を否定したりで全方位に喧嘩を売っていたらしい。


 国人の集住というのは武田氏が家臣統制の為行なっているそうだが、甲斐より広い美濃の国人でそれをやるには余程彼らより強い力がないと不可能だ。武田氏当主の武田信虎すらこれを進めるのに数年かかったと言われるし、二郎サマは武田ほど当主として強くない。国人が反発して内乱になるのが関の山だろう。

 守護不入の否定はもっと酷い。今の土岐氏がやっても公方様や朝廷の公家衆を敵に回すだけだ。


 織田信長や豊臣秀吉、そして徳川家康がやったからといっていきなりそれを始めても必ずしも上手くいかないのだと彼は俺に教えてくれた。


 時代や背景を無視しても良いことはない。出来ることからやろうと改めて気づかされた。


 ♢


 美濃国 稲葉山城


 屋敷にやって来たのは二郎サマの傅役もりやくである村山芸重(のりしげ)殿だった。

 彼は屋敷の敷地内に来るなり父に頭を下げた。


「左近大夫殿、お願いが御座います。不躾にして無礼、更に非常識なるは重々承知なれど、お聞き届け願えませぬでしょうか。」


 土下座でもしかねない勢いに、流石の父も言葉に一瞬詰まっていた。


「一体何の話か分かりませぬが、まずはお上がり下され。」

「申し訳ない、申し訳ない。」


 村山芸重殿は年齢的には確かに父と同じくらいではあるが、それでも今日の顔つきには老いを強く感じるものだった。

 来客時に使う部屋まで来ると、村山殿は頭を再び下げようとした。なんとか押し留め、何の用事かを父が聞き出そうとする。


「如何された。二郎サマの傅役でわしと変わらぬ立場の貴殿に頭を下げさせる程の事なのか?」

「左様に御座います。否、頭を下げるだけでは足りぬ事で御座います。」

「それは穏やかではないな。出来る限り聞く者は少ない方が良いか?」

「いえ、典薬頭てんやくのかみ殿には是非御同席頂きたく。」


 逃げる選択肢を奪われた。面倒事に付き合う余裕は今ないのだが。


「で、如何された?」

「実は、左近大夫殿に守護代を御子息へ譲って頂きたいので御座います。」


 頭を下げる村山殿。僅かに沈黙が訪れる。


「若は六角の御正室は石女ではないか、やはり自分が後を継ぐしかないと周囲に申しております。しかし、今後の事は誰にも分かりませぬ。なのに己が当主となったら斎藤守護代を討つと彼の方は息巻いて居られるのです。」


 何を言ってるんだ、あの歯ぎしり御曹司は。


「今までは誰も若を相手にしませなんだ。然れど最近極僅かながら若に同調する愚か者が現れております。周囲に己が意見に賛同する者が居ると気持ちが大きくなるもので、拙者がお諫めしても最近は御聞き分け頂けなくなって来ております。」

「あい分かった。」

「ですので我が家が責任を持ちます故左近大夫様に形だけでも御隠居頂き……へっ?」


 父はニヤリと笑みを浮かべ、


「良かろう。わしが家中の火種となるなら、出家して利芸としのりに守護代職を譲ろうではないか。」


 そう、言い出した。


 ♢


 美濃国 大桑城


「本日より斎藤道三(どうさん)入道とお呼びくださいませ。」

「う、うむ……」


 評定の場は騒然としていた。

 父が出家し道三と名乗るようになった為というのもあるが、それに加えて、


「本日より守護代職を継がせて頂きました。斎藤大納言で御座います。」


 斎藤帯刀殿までが守護代を辞めてしまったためだ。近衛稙家様の庶子として生まれた斎藤大納言正義(まさよし)殿は、父道三の養子となって斎藤氏の一員となり、先日帯刀殿の持是院じぜいん家を継ぐため彼の養子となった。


 家柄が家柄なので今まで二郎サマも触れることができず、父も面倒事に巻き込まないようにと烏峰うみねに造った新しい城の城主として東濃を任せるだけにしていた。


 その大納言殿に帯刀殿が守護代を譲ったのだ。父の出家と相まって家中は騒然とした。


「余としては例え守護代は二人共子に継いだとはいえ、今後も経験豊かな左近大夫と帯刀に支えてもらいたいのだが。」

「太守様、しかしそれでは宮内少輔様が納得できぬ御様子でして。」

「お、お前まで辞めるとは聞いておらぬぞ、帯刀!!」


 声を荒らげる二郎様。下座にいる国人たちの目は冷ややかだ。


「以前から『其方は使えぬ。左近大夫と共に辞めれば良かろう』と某に申してはおられたでは御座いませぬか。御望み通り致したまでに御座いますぞ。」

「左様左様。新しい時代に年寄りは要らぬと仰っていた。わしも聞いておる。」


 歯ぎしりが響く。不協和音ではあるが焦りがにじみ出ている。


「余はまだ其方達に仕事をしてもらわねばならぬ。未熟者の事など気にせず、此れまで通り仕えよ。」

「太守様の為ならば是非も御座いません。」


 父はその言葉を引き出すことで満足したのか、頭を下げて守護代復帰を示した。


「いえ、既に歳が歳で御座います。良い機会にて守護代は大納言殿にお任せします。」


 帯刀殿はそのまま守護代は辞める意向を示した。確かに年齢でいえば実は父より帯刀殿の方が上である。


「うむ、そうか……。では相談役として余と大納言を支えよ。」

「御意」


 辛うじてこの騒動は治まった。しかし、周囲の国人からは、


「二郎様はいかん」「思いつきで当主を挿げ替えられかねん」「小姓に出した次男に家督を譲れとか言い出すやも」「心を入れ替え忠義を尽くしていた帯刀殿がおいたわしい」「やはり二郎様が当主になるのは如何かと」


 こんなひそひそ声が聞こえていた。


 反感が場を支配していた。二郎サマは最初から最後までずっと無言だった。何が狙いだったのか。



 評定が終わった後、村山芸重殿が訪ねて来た。


「若は道三殿より少しだけ優位に立ちたかっただけなので御座います。」


 父は太守様と話があると残っていたため、2人での話となった。


「何か譲って頂くことで後継者として家中を統制できる姿勢を見せたかっただけなのです。」

「父はむしろ全て譲りましたね。結果として若様の横暴と国人には取られた。」

「やはり道三殿程の才覚は我らにはありませぬ。若も其処を分かって下されば良いのですが。」


 美濃の太守になるにはそれ相応の役割がある。土岐氏は応仁の乱前後には実質的な運営を斎藤氏に任せていた。

 だからこそ土岐氏は幕府でも重きを置かれ、斎藤氏が支え土岐氏が旗頭となることで美濃はまとまっていた。


 二郎サマは確かに土岐氏名門の積み重ねを持っている。ただ、同時に斎藤氏のネームバリューも美濃支配には欠かせないものといえる。


「あの気性は人の上に立つ者には合わぬのです。ですが御諫めする程武を極めることで道を切り開かんとされる。」

「面倒な事は下の者に任せた方が楽なのですがね。」


 自分から戦場の最前線に立つのも、人の先頭に立って働くのも御免である。それより自分のしたいことをしながら後方で書類仕事を少し、評定で意見をまとめて指示を出すだけくらいで済む当主本来の仕事の方が良いではないか。


「やはり典薬頭殿の方が人の上に立つ素養をお持ちですな……。若とお生まれが逆であったら……」


 気を落とし、小さな溜息をつく村山殿。


「お忘れ下され。年寄りの世迷い言に御座います。」


 そういって、彼は屋敷を出て行った。



 夜になって父と村山殿の話をした。


「あの小僧も不孝者だな。村山殿も幼少のみぎりから苦労し続けておった。父とその兄が家督を争い、幼き頃は相手にされなかった故か、分かりやすい武家の棟梁らしさを求めてしまったのよ。」


 太守頼芸様と兄の土岐政頼様。二郎サマが物心つく頃には2人は既に骨肉の争いをしていた。

 争乱の中で体調を崩した最初の御正室は亡くなり、それでも戦を辞めなかった父に振り向いてもらうため、少年は戦でも役に立つ武を磨いた。


「しかし、土岐の当主に求められるものではなかった。そこが分かっておらなんだ。」

「親の心子知らず、ですね。」

「ほう、上手いな。そうだ、太守様は土岐の棟梁を求めたのであって、武家の棟梁を求めたわけではなかった。村山殿は、其処を教えきれなんだ。今も変わらぬ。」


 古いことわざかと思ったがもしかしてこれも無いのか?


「其方もわしの心を慮って今後も励めよ。」

「実はこの言葉、対となる物が御座いまして。」

「ほう。申してみよ。」

「子の心親知らず。」

「成程。世の真理かもしれぬ。」


 笑う父を見つつ、俺はマムシの心なんて誰も分かるわけないだろうと思った。

時間が前話と今話で8か月くらい経過しています。おめでたも当然といえば当然ですね。


本来道三と名乗るのは大分後なのですが、今回は色々と流れが変わっていますので当然時期も変わった形です。名前は史実と変わるとややこしいので一緒にしています。

そもそも史実通りだと1542年には頼芸様追放されていますしね。


カイロウドウケツは写真を見るとすごくグラスウールです。実物は意外にも簡単には割れないガラス質です。


親の心子知らずは吉田松陰の辞世の歌から来ているという説明を見たのですが、それが由来と言って良いのかなんともわかりません。似たような考え方自体はもうあったのではとも思っています。

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