第87話 積み重なるもの
美濃国 妻木領内 妙土窯
初めてここに来てから早7年。数え9歳だった頃から16歳になったことで視点も随分高くなった。
現在の身長は6尺3寸(約190cm)と成長期を経てこの時代では尋常でない数字になった。しかもまだ伸びている。自分より大きい部下(奥田七郎五郎利直)がいるとはいえ、普通の成人男性より1尺(約30cm)前後背が高いわけで。
難しい診察などで立ち会うと威圧感を与えてしまうらしい。屋敷の天井は母が6尺超えなのでそれに合わせた区画を使うことで済ませているが、こういう遠出の時にそのデメリットが出てくる。
「申し訳ありません。窯も含めて狭苦しいでしょう。」
「いえいえ。腰を曲げれば大丈夫ですので。」
幼少期には感じなかった窮屈さを我慢しながら進むと、開けた場所で昔見た窯が姿を現した。残暑の空気が更に一段暑くなった気がする。
「此れは今もそのまま使っております。が、先日御教え頂いた新しい窯を此方に造ったのです。」
そう言って更に奥に案内される。ぱっと見では分かりにくい様に少し隠された場所に、前世で見た窯があった。
「連房式登窯と呼んでおります。房が連なる形なのですが、朝鮮でも近年使われ始めたばかりだそうで、明で倭寇に攫われ、売られていた男が窯に関わっていたらしく五島から博多に売られて来ておりました。」
完全に誘拐事件なのだが、この時代人の売買は普通に行われている。美濃は最近の収穫増加と紙・石鹸の好調で売られる人間は出ていないが、近江方面から人が売られて運ばれてくることが多い。
北近江の浅井氏後継者争いに京極が絡んで戦があるため、負けた人間を奴隷として売り買いするためだろう。
後継者争い自体は一触即発から六角・朝倉の仲介でなんとか収まった。田屋明政側が浅井領の西部を受領、浅井左兵衛尉久政が東部を受領して当主となる形らしい。北近江はこれで京極・浅井・田屋の三分状態だ。今後どうなることやら。
「大きいですね。窯で試作はされましたか?」
「ええ。かなり高温になるので、焼成が進みますな。」
磁器として岐阜県内では美濃焼が有名だったが、長石を使うしか知識がない。陶器は今でも美濃・尾張各地で作っている。
とりあえず長石も混ぜてみるよう提案だけしておく。本気でやるなら明か朝鮮から職人を招かないとダメだろう。有田焼に負けない様頑張らねば。
♢
美濃国 土岐郡・瑞浪
今年は大型の台風被害などがなく、美濃・尾張・南近江などは安定した収穫となった。逆に戦乱に巻き込まれた大和・河内・北近江などは収穫が伸びず、北近江は越前やうちから米を買い集めてなんとか立て直しを図っていた。
越前の朝倉は管領の力添えで少し力を取り戻したようだ。結果として、苦しさの増した本願寺を今こそ叩くべしという意見が強くなり和睦の空気が壊れているらしい。父が「予定通り」とか言いながら自慢気だった。
秋の仕事を終えて冬になる前に温泉に癒しを求めてきた。今回はお満・幸・豊が色々な話ができる様にという配慮もあって全員連れてきた。
稲葉山にいると豊は医学関係で動くこともあるし、幸は孤児の算盤の先生で忙しい。こうして仕事から隔離しないと3人で話す機会も出来ないだろう。
奥の差配はお満というのは正室なので当然の話だったが、2人は奥でじっとしているタイプではなく外にも色々やることがある。お満は苦労するかもしれない。
温泉を楽しんだ後、幸と碁を一局打つことにした。
「で、如何であった?お満とは話せたか?」
「大丈夫。色々決めた。順番とか。」
ちなみに、生理が安定した頃から幸と豊にはオギノ式を教えてある。最初の子供は正室からとしたいので、敢えて2人には安全日に閨に来る形をとってもらっている。それでも万全とは言えないが。
「正室の子優先。だから豊と2人で確認してもらう。」
「本当は早く体温計を作りたいんだけれどね。あれがあると精度が上がるし。」
栄養状態で生理不順などが出る場合がこの時代は多いから、オギノ式も完璧とは言えない。
「っと。上手く躱されたか。」
「ここの地合いは取られたくない。」
話ながらも幸の陣地に攻め込んでみたが、致命的な痛打にはできず壁を作られた。ここは無理せず別の場所を攻めるべきか。
「次はこっちかな。少し手が薄い。」
「と言いつつ手をかけたらその隣に攻めて来る。」
うむ。狙いはばれている。でも二方向両睨み自体は防げないだろうから読まれても問題ない。
「今日は大胆に行く。」
「お、ツケで来るか。強気だな。」
「積極的にならないと奥方は強い。殿が好きな体型。」
対抗心もあるらしい。幸は豊よりも大きいが、お満は別格だ。優位性を失った気分なのか。愚かな。
「言っておくが、乳に貴賎はない。全てを愛する心算だぞ。」
「真顔で言うことじゃない。」
ジト目で見られた。表情も多彩になって俺は嬉しいぞ。
♢
色々な物の試作やらガラス製品の精度確認やらしているうちにあっという間に冬も本格化した。
お満・幸・豊と4人で過ごす機会も増え、家族仲良く日々を楽しんでいたところ、蝶姫に呼ばれて会いに行くことになった。
彼女も今では数えで8つになり、先日の如く言葉も良く話せるようになった。絵本の影響か崩し字より楷書体の方が得意なのだが、これは家臣や孤児達に共通して見られる特徴である。絵本の教育効果の高さを感じざるを得ない。
「兄上、お満様とは如何ですか?」
「仲良くしているぞ。お満は実に器量も良く奥を纏めてくれているからな。」
箱入り娘だった事もあって最初は心配したが、彼女と共にやって来た幼馴染でもある側付きの娘がとてもハキハキした性格で良く働く。お満の指示に阿吽の呼吸で動く為差配に心配はすぐなくなった。
時間を見つけて阿波での生活や好物の話などは欠かさない様にしている。仕事終わりに三つ指ついて労われる癒しボイスは最早中毒である。
「実は、わっちの婚約相手である吉法師殿は尾張一のうつけ者と聞いたのです。」
「ふむ。まぁ彼奴も色々しているそうだね。」
会った事はないが、文でどのような人物かはなんとなくわかる様になってきた。
信長は物凄い効率を重視している。相撲も鍛錬として行い、次男三男といった武士の子を鍛えている。彼等には俺が贈った絵本の読み聞かせをし、文字を読むことや絵本の教訓を説いているらしい。
恐らくだが、こうして自分に忠誠を誓う将兵を育てたのだろう。御恩を与えつつ同時に彼らの能力も鍛える。
「相撲ばかりしていて、城下で遊んでばかりと聞きました。兄上の様に父の仕事を手伝ったりはしていないのです。」
「いや、まぁ特別な例を例としてもだな。」
「兄上が特別なのは当たり前です。そうではないのです!」
何が言いたいんだ。幼少期からの労働は法律違反だから遊ぶのは大いに結構だぞ。
「兄上はいつも吉法師殿と文のやり取りをしていると聞きました。ずるいです。」
「ん?嫁入り前から相手と文のやり取りがしたいのか?」
「違います!兄上はわっちや他の家族ともっと遊ぶ時間を作らないとダメなんです!」
最初の話とずれてきている気がする。なんだ、吉法師(信長)のことが聞きたいんじゃなかったのか?
「結局何が言いたいんだい?」
「吉法師殿じゃなくわっちと遊んでください!」
あ、はい。
というわけで、2日後に時間を作って弟妹を集めて皆で和紙製トランプでババ抜きならぬヘビ抜きをして遊んだ。ジョーカーの絵柄に毒蛇使いを描いた物で、雇った絵描きに彩色させたものだ。一品物だからこれ以外にはない貴重品だ。曲げるなよ。
「この蛇使い、何処かで見たことある気がするが?」
「さぁ、特に参考にした人はいないのですが。」
「げーぇ、わっちにヘビ来た!いらないこれ!!」
「……何故か悲しくなるのだが。」
様子を見に来た父が何かを感じたのか眉間に皺を寄せていた。
そしてまだトランプができない年齢の弟妹は俺の頭によじ登ったりして遊んでいた。御付きの女性陣が慌てた顔で側に控えていたが、見ていたお満はころころ笑っていた。
こら喜平次、腕を道代わりに木製車の玩具を走らせるな!
濃姫はお兄ちゃんと遊びたいので駄々をこねただけです。
連房式登窯は倭寇が誘拐した人から情報を得た形にしています。
車の玩具は木製のタイヤとシャフトで挟んだそれっぽい形の玩具です。複雑な構造ではありません。