第85話 健康診断は大事です
美濃国 稲葉山城
種痘ことワクチンは試験的な意味もあったが、正室を無事迎えられたこれを機に大規模な健康診断もしてみようと思いついた。ワクチンの投与は典薬頭になったことで安定的に広がっている。が、無毒化ワクチンを作るのにどうしても牛と兎を殺さないといけない関係で数の制限がある。
いくら繁殖が早いとはいえ兎も毎年増やせる量は人員的にも限界があるし、牛に至ってはもっと制限が強い。獣医学はさっぱりなので繁殖をどう促せばいいかもわからない。もどかしい。京の若い男性には今もワクチンが行き届いていない。
そして準備段階で長さや重さの単位を統一するのに苦労した。普段使いの道具でも長さの名前が一緒なのに作られた場所によって長さが別な物があるとか計測の概念を理解していないのか。
とりあえず斎藤の家の新しい度量衡として京の枡などを使って統一した。豊臣秀吉もこれを使ったはずだ。残念ながらそれが前世のメートル法などとどう互換するかは知らないが。
健康診断の項目はそこまで多くない。やり方を弟子の2人に教えても出来そうなのが身長体重腹囲といった基本項目しかないからだ。自分でやるとなると余り項目を増やしたくないし、そもそも道具がないので出来ないものも多い。
体脂肪率すら計測しようがないのは痛い。父に「メタボだから痩せなさい」とか言えないのか……。
とりあえず今回の項目は、
・身長・体重・腹囲
・視力
・聴力
・歯科検診(虫歯と歯槽膿漏くらいしかわからない)
・心拍数平均の測定
・聴診器による心音と肺の呼吸確認
・問診+一部触診
・血液型検査
これだけだ。血圧を測るにはゴムの道具がなく、肺活量計も作りたかったが構造までは知らず断念した。尿検査もしたかったが試験紙を使うやり方に慣れすぎてどうやれば良いか分からなかった。余程の高タンパクか糖尿病までいけば尿を蒸発させることでまだ分かるかもしれない。疑わしい人が出てから考えよう。
♢
身長などを終えたら視力、ここまでは医師たちに任せている。身長体重腹囲だけ、女性の場合は幸と豊を中心に産婆や孤児院から医学志望の女の子たちに教えてやってもらった。
問診表を持って最初にやってきたのは母の深芳野だった。相変わらずふんわりした雰囲気で前まで来ると、現状の経過を見せてもらう。
背が高い。6尺2寸(186cm)とは……。腹囲も全然だらしない数字ではないし、視力もかなり良い。Cのマークを両目ともかなり小さなサイズまで見られていた。
耳も前世の記憶と照らし合わせて用意した5つの音程の大中小を全部聞き取れている。もう少し本当は音の大きさを細かく分けたいが専門の機械もないのでふわっとしたやり方なのは要改善かもしれない。
「では母上、口を大きく開けて頂けますか?」
「新九郎、その様なはしたないことはできません。」
いやいや、息子相手に照れないで下さいよ。医療行為だからそういう問題じゃないんですけれど。
「歯が綺麗かと喉の様子を確認するためです。お許しください。」
「うぅ。では貴方だけですよ、見て良いのは。殿にも見せられませんからね。」
なんで口を大きく開けるだけでそんな話になるのかと少しげっそりしつつ、虫歯はないがやはり歯並びが微妙だなと思った。矯正とか出来ないからな、仕方ないか。
最近は甘味も少しずつ水飴に蜂蜜が加わって増えているとはいえ、この時代の人はお歯黒している人が多い関係で虫歯は殆どいない。砂糖の流通量が増えたら考えなければならないだろうが、甜菜ってこの時代あるのか?そこまでの知識はないから不明だ。
ちなみに幸には白い歯も好きだからとお歯黒をさせていない。豊は結構公式な場にも出てもらっているのでそうもいかなかったが。
「とても綺麗な歯でしたよ。流石です。」
「もう、二度とやりたくありません。」
いいえ、少なくとも三年に一度は絶対やります。風邪ひいたら毎回やります。
♢
触診でのお満の心拍数がどうも安定しない。砂時計で時間を見ながら平均値を出そうとしているが、幸の計る数字と俺の計る数字で上下に分かれている。不整脈?にしては……と考えていたところで、ようやく理由がわかった。
計るために距離が近くなりすぎていた。顔が目の前といっていい距離まで気づかず近づいていたのだ。おまけに片手をとって左手首周辺に指を当てて計っている。申し訳ないことをした。
「……すまん。近すぎた。」
「……い、いえ……」
顔が真っ赤になったお満を見て、そういえば明るい場所でこれ程間近に顔を合わせたことはなかった。
「旦那様、そろそろ、次の人。」
「ひゃぅっ」
「う、うむ。わかった。」
半ばフリーズしていたのを幸に一気に現実に引き戻された。とりあえずお満の数字は幸が計ってくれた数字の平均にしておこう。本当は乳がん検査も(やったことがないので感覚的なものになるが)したかったが、今の状態ではお互いまずいことになりそうなので止めた。後日豊にやり方を教えて女性陣の触診を頼むとしよう。
残りの人は脈拍に関しては医師たちに任せる事にした。緊張しない相手でないといけないというのは教訓にしておこう。お満も来年はもう少し慣れてくれると良い。女性陣の診察は極力関わらないようにしているが、妻にも気を使わなければならないのは想定外だった。
♢
片耳に軽く栓をして筒状の片耳用聴診器を胸に当てる。父の心音は規則正しく綺麗だ。日頃の行いと肉体の健康はこの時代でも関係ないらしい。憎まれっ子世に憚る。
「しかし面妖な道具だな。直接胸に耳を当てるのと如何な違いがあるのか。」
「女子の胸に易々と触るわけにもいかぬでしょう。」
「なるほど。確かにわしの女の胸をお前に触られるのは我慢ならぬな。」
独占欲強いな。数えでアラフィフどころかもうすぐ四捨五入還暦の癖にまだ子供産まれてるし、精力お化けか。
男性陣の触診については先程の脈拍に加え基本喉周辺のリンパ腺や肩こりの具合などを確かめるだけだ。専門ではないのでわかる部分は少ない。道具の有無や専門性の有無については出来ることだけやると折り合いをつけていく。
「はい、わかる範囲では問題なし。当分死ぬことはないと思います。」
「そうか。死んだら呪うとしよう。」
その呪い、お祓いしても陰湿に絡みついてずっとまとわりつきそうなので結構です。
♢
吹きガラスの棒からえた経験で鍛治師が作ってくれた注射針と、足かけ3年の修行でようやくそれっぽく出来たガラスのシリンジを組み合わせて注射器ができた。これを使って血液を採取し、血液型を調べる。
血液型は万一の時輸血を可能にするので知っておくことは大事だ。本当は血液検査なら色々調べたいところだが、試薬も試験紙も顕微鏡もないので厳しい。
採取した血液で血清と血餅を分離する。時間を置けば血液は凝固作用でこの2つに分かれるので、血清の方を使って血液型を調べる。他の人の血液と凝集する様子で表を作り、どの抗体かを推測していく。
A型やB型、そしてAB型は転移酵素と呼ばれるものを持ち、それがないとO型になる。Oとは0の意味なので、血液型はABCにならない。2種類の転移酵素を持つのがAB型ということになる。
一族や家臣の一部に協力してもらい、片っ端から混ぜて表にした。日本人はO型とA型が多い傾向なので転移酵素のある、つまり凝集する血液のうち多い方をA型、少ない方をB型として血液型の主だった家臣や一族の一覧表を作った。ちなみに自分はO型。母はO型で父はA型。お満もO型。幸がA型で豊がAB型だった。十兵衛光秀はAB型となった。叔父の道利がO型なので父は恐らくAO型なのだろう。お満との子供はこれで確定でO型になる。
結構な重労働だったが、これで万一の時誰に輸血を頼めばいいかが明確になった。
できれば出番がないことを祈りたい。
♢
とりあえず現状で健康診断に参加した人間で健康に問題のある人間はいなかった。
ただし深酒が多いのでそれを改善するよう一部に話しただけだ。
もう少し酒宴を減らしてほしい。この年齢で酒は飲みたくないのだ。
「息災ならば酒を飲んでもいいではないか。」
父は忠告に耳を貸すことはなかった。史実では謀反イベントは1556年だったはずなのであと14年は生きていることになる。
悪い奴ほど長生きするとは世の真理かもしれない。
武将の血液型は血判状などから判明している場合はそれに、ない場合はダイスで決めてあります。
親の血液型的に無理が出ない様になっています。マムシの血液型はAOという設定です。
火曜日は更新します。