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第82話  硝石とは何に使う物ですか?―はい、冷却剤として使うものです。

 美濃国 稲葉山城


 田植えが終わったポカポカ陽気のある日。

 領地周りを終えた後、畿内へ出発前に建設したある施設の様子を見に城下のある場所にやって来た。


 地下に造られたそこは中に日差しが入らないような構造となっており、ひんやりとした空気が中に漂っていた。

 管理を任せている1人が先導しつつ説明してくれた。


「この氷室は若殿様から指示された方法で定期的に冷やしています。この時期でもこれほど中が寒いのには驚きました。」

「まぁ、此の部屋を試作した時も塩で多少は冷やせていたけれど、やはり硝石は違うね。」


 この場所、氷室は冬の氷を保存しておく部屋である。基本的に涼しい・冷たい環境を維持して夏も氷が使えるようにするのが目的だ。

 氷室自体は以前の火事の後に火傷の治療用に新設し、塩を寒剤に使って運用していたが、やはり城下に近い場所なので夏になると少し溶けてしまっていた。


 これを克服するために硝石を一定量堺と博多を通じて倭寇(わこう)経由で輸入したが、氷室全てには足りないので作り始めたわけだ。硝石自体は高校生物の教科書で化学合成細菌として亜硝酸菌と硝酸菌の反応などと共に話には聞いていた。


 とはいえこれも詳細までは知らなかったため現在も試行錯誤中だ。5年かかるよとは理科の先生の雑談だったが、成功しているかも5年かけないとわからないわけで。

 現状は毎年5個程土や糞尿、石灰の割合を変えながら試作中だ。仕事に従事している人間は臭い仕事でかつ硝石の悪用を防ぐ為他より高い給料を払っている。今年からは各地で手に入った蚕の糞も混ぜている。


 表向きは肥料作りだし、過去に失敗した土は肥料として使えそうなものは肥料として撒いているので強ち嘘でもない。


「しかし、今後は冷却剤だけではなくなるからな。」

「はぁ……薬にでもなるのでしょうか?」

「まぁ、薬にもなる。それ以外でも使う。」


 硝酸もそうだが、使い方次第では薬品の製造にも使える。だが、それと同時に俺が目指す圧倒的な軍事力にも使う。


 誰も逆らう気が起きない程の大量の鉄砲と火薬を自給する軍団。

 織田と斎藤がそれを手に入れれば日本から戦争は無くなるはずだ。鉄砲は来年伝来する。それを出来る限り早く確保し、関にいる大量の鍛冶職人達によって量産体制を構築する。

 そして硫黄は飛騨から、硝石はうちから供給出来るようにするのだ。製法が確立したら一気に硝石を作り出す。


 大量の鉄砲と火薬を自給して国力を増したら物量で一気に日本中を席巻するのだ。それが恐らく一番人的被害を減らせる。

 鉄砲の製法を知らない国はまともに対抗できず、知っている国もうちほど鉄砲を量産出来ず量産しても硝石が足りずに戦えずに終わる。


 目指すべきはそこだ。来年は勝負の年になるだろう。



 視察した氷室の氷を一部貰い、おがくずや商品に使えない質の悪い綿を間に挟んだ三層構造の木箱で運ぶ。断熱材としてはもっとしっかりしたものが欲しいが、グラスウールを作りたければモーターを作って回転させる仕組みが必要になるだろう。今はセルローズの偽物で代用だ。急いで運ばないとまた日差しが強くなっている。溶けたら家族が悲しむだろうと思い、家路を急いだ。


 ♢


 稲葉山の屋敷に帰ると蝶姫と他の弟妹達が目を輝かせながら出迎えてくれた。昼が過ぎて暑いくらいだからか、氷室を見に行った土産の氷を待ち望んでいたらしい。


「兄上、御務め御苦労様で御座います。」

「「御苦労様で御座います。」」


 この出迎え方、なんとかならないか。前世のドラマの影響で刑務所から出所した某組長の出迎えにしか見えない。


「臭い飯を食べてお気分優れぬでしょう。今井戸の冷えた水を取りに行かせましたので。」

「まずは一杯飲んで一息ついて下さいませ。」


 確かに硝石作りの現場で悪臭嗅いだ後に食べたおにぎり(豊の手作りだ。もうすぐ彼女も立場上簡単に料理はできなくなるだろう。ちょっと寂しい)は鼻に臭さが残っていたが。なんでそういう表現になるのか。


「ありがとう。そんなに畏まらずとも良いぞ。」

「いえ、わっちたちの為に自ら進んであのような場所に入って来られたのじゃ。ここで労えぬなど斎藤一家の名折れ。」


 なんでこう的確にそれっぽい表現になるのか。そう思いつつも冷えた井戸水を一杯飲んで文字通り一息つく。


「あにぃ、ムショいった?ムショ!」

「あぁ、所務な所務。領地には軽く様子だけ見てきたよ。」

「ムショがえりだ!ムショがえり!」


 弟の勘九郎はいくつかの言葉を逆にして覚えている。子供だと結構あるのだが、その言葉だけは逆に覚えないで欲しかった。しかも今のタイミングで言うかね、君。


「はい、氷。これから蜂蜜と一緒に美味しい甘味を作るから待っていてくれるか。」

「甘味!甘味!!」


 目に見えてテンションが上がるのは福姫だ。数えで7歳になった彼女は今や甘いお菓子に目がない。


「はしたないぞよ福。まずは兄上に足を洗ってもらわねば。草鞋に泥がついたまま甘味を作るなど危ないからの。」

「そうそう。土間には手を洗って足を洗ってから出直して頂かねば。」


 所々に挟まる怪しい言葉には反応せずに、俺はまず井戸へ出先の汚れを落としにいくのだった。


 ♢


 砕いた氷と柑橘類の搾り汁、それに蜂蜜を加えてなんちゃってかき氷を作った。汗ばむ陽気の中で精度のまだまだな回転刃を使ったためかそこまで細かくならなかったが、まぁなんとなくそれっぽくなったので良しとした。


 試作一号を食べた父左近大夫利政は「……次は夏に作れ」と一言残し器を持ったままその場を去った。娘たちの物欲しげな顔に奪われたくないと危機感を抱いたらしい。


 お腹を冷やしすぎないよう量を調節して渡したが、福姫は一気に口に運んだためかこめかみを抑えて悶絶していた。もっとフワフワな氷なら違うだろうが今の道具ではこれが限界だ。食べ過ぎないためにも調度良い。


 こうして、氷室で夏の治療用に保存された以外の氷は祝いの席や余程の暑い日に家族で消費したり接待に使われたり褒美の1つに使われたりすることになった。

 勘九郎が暫くしてから氷を食べたい時に揉み手しながらこちらに近づくようになったのは困った。変な癖を止めさせるのに結構手間取ったと小見の方は言っていた。動きがどう見ても三下のそれだ。西村の名前を継ぐ立場なら三下の雰囲気なんて身につけるなと言いたい。

硝石は解毒や通便の効果がある漢方とされています。【高校生物II】の「光合成と窒素同化」の中で〔細菌の光合成と化学合成〕という形で硝酸菌などは良く扱われます。雑談好きな先生とか五箇山の近い地域では硝石の話まで出てきやすいとのこと。とはいえ伝聞だけでは当然硝石をすぐ作れないので6年前から今も試行錯誤中です。


寒剤としての硝石は塩では話にならないレベルですので、その性質を利用して氷室を多く作っています。16世紀後半のイタリア・フランスあたりから寒剤としての硝石は認識されだしたようですね。


断熱材はグラスウールとかとても設備的に今は無理なので、

木・セルローズファイバーもどき・木

で挟んでいるだけです。単一の素材にしないのも目的なのでそこまできちんと断熱できていません。

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