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第81話 繋ぐ者なき幕府

前半が三人称、美濃の話から一人称です。

 摂津国 芥川山城


 戦を終えた三好伊賀守利長(長慶)軍は山城の制圧に動く管領細川晴元を尻目に早々に帰城した。既に摂津国内ではこの戦最大の功績は三好軍だと噂が広まっていた。京が安定する頃に呼び出しがあるまで、彼は摂津の掌握を優先するつもりだった。

 しかし、三好伊賀守の表情を明るくしていたのはそれが一番ではなかった。屋敷に戻り、一息ついたその様子に、同じく戦に出ていた弟三好彦次郎義賢(よしかた)は語りかける。


「ご機嫌ですな、兄上。」

「当然だ。これで畿内に三好の名は益々とどろく。それも越後守(三好政長)ではない。我が名でだ。」

「いいえ、それが一番ではないですな。……典薬頭様ですな。」


 その言葉に、彼は軽く目元を緩めた上で小さく頷く。


「美濃が味方になれば六角の牽制に良い上、質の良い薬も手に入り三好の為になると考えてのことだったが、これ以上ない良縁を得たわ。」

「男子三日会わざれば刮目して見よ、でしたか。最近明から入ってきた『三国志演義』とやら、正にこの状況を表すものに御座いますな。」

「一日も早く婚姻の儀を行い、血の縁を結びたい。しばらくは此れに集中するぞ。」

「委細承知。例の計画は阿波で進めましょう。」

「頼むぞ。石山は今回も軍勢を通過するのに文句を言ってきた。あれは摂津に、いや畿内にいては邪魔で仕方ない。」


 ♢♢


 木沢長政討伐終了後の4月始め。蓮淳れんじゅんに破門され堺に居た蓮悟れんご・実悟親子が石山本願寺を弾劾する書状を日本全国の本願寺寺院に送った。


 彼らは蓮淳が本願寺を私物化したが為に近年の本願寺派の衰退があると主張。正しき教え・親鸞の原点に立ち返るとして阿波の東光寺を真の本願寺(東光本願寺)として拠点とする浄土真宗東光派を立ち上げ、善楽寺ぜんらくじなどもこれに加わった。


 この活動には近江で兄を暗殺されたものの堺で辛うじて暗殺を回避した下間頼盛しもつまらいせいも加わり、摂津・播磨・紀伊などに少なからぬ動揺を与えることになった。

 そしてこの動きに即座に三好伊賀守利長が賛同。彼らを勅願寺ちょくがんじとするよう朝廷に要請が行われたため、蓮淳は激昂して三好との関係断絶を宣言した。


 彼らは浄土宗や高田派との和解を掲げたため、京では石山本願寺への批判が強まり山科帰還を目指す本願寺派の活動を妨げることになっていく。


 更に、本願寺内部でも蓮淳への不満は渦巻いており、本願寺は内部での争いや論争により疲弊していくことになる。


 ♢♢


 近江国 観音寺城


 城の高台から斎藤典薬頭利芸の軍勢が帰還する様子を眺めていた六角弾正定頼の元に、進藤貞治(さだはる)がやって来た。彼は「六角の両藤」と謳われる六角氏の重臣である。


「随分と険しい表情をされますな。殿は典薬頭殿に何か感じましたかな。」

「……其方か。典薬頭には会ったか?」

「以前一度。知性を感じる深い目をして居られましたな。」

「だが、怖さはなかった。」

「怖さ、に御座いますか。何かありましたかな?」

「戦の褒美に木沢の遺児を引き取っていった。土岐としての謝礼以外で何かあるかと管領が問うたのにそう答えたらしい。」

「木沢長政の。ではもしや。」

「思った以上に厄介な存在になるやもしれぬ。義賢は才覚ある故問題ないとは思うが……」


 その表情に楽観する様子は微塵もなく。進藤貞治は主君の普段にない姿に、無意識に息をのんで斎藤の軍勢を見るのだった。


 ♢♢


 美濃国 稲葉山城


 帰りは主に陸路となった。理由として1000もの軍勢を運ぶ船の余裕がなかったためだ。諸々の戦後処理もあって自分たちの軍勢は河内から大和、大和から京へ上るという進軍をしていたので山城から近江を通って帰る方が楽だった形である。


 大久保党は管領細川晴元様から直々に感状を受け取ったため、早馬で尾張・三河へこれを伝える使者を出した。こちらでも感状は出す予定なので問題なく岡崎の松平に復帰できるだろう。先日の戦での活躍は流石のものだった。


 一方の服部一族は岡崎には帰らないと言って美濃まで同行することになった。曰く、


「室が身籠っておりまして。天下一の名医の下で産んだ方が良いかと思いますので、戦の褒美代わりにお願いしたいのです。」


 だそうで。稲葉山の城下に移り住む許可を求めてきた。産婆は衛生の概念が身についてきたから確かに安全に出産は出来るだろうが、子供を産んだ後はどうする気なのか。出来れば召し抱えたいが、うちでは既に耳役が諜報や情報収集を担当している。父と要相談となるだろう。


 褒美については木沢長政の遺児2人を引き取ることと練貫座ねりぬきざの生糸職人を美濃に移住させることで了解を得た。


 木沢長政の父浮泛(ふはん)や弟は太平寺で彼が亡くなった後も抵抗していたが、信貴山城の陥落前に秘かに子供をこちらに預けに来た。浮泛は城の落城と共に自害。畠山弥九郎は吉野方面へ姿をくらませた。

 飯盛山では畠山在氏(ありうじ)が抵抗を続けているが、恐らく1年は耐えられないだろう。

 柳生などの一部国人もいるが、あっさりこちらの送った書状を示しながら寝返ってきた筒井・十市とおちの両氏が次々とそういった地域に攻め込んでいる。木沢長政が作り上げた大和の秩序は既に跡形も無い。


 それでも形式上は幕府が再び畿内の秩序を復活させた。調停者であった木沢長政の不在による弊害はこれから顕在化するだろう。

 でも今は共通の敵を排除したという事実で割れた薄氷を無理矢理繋げている。火種はいたる所でくすぶったままだ。



 太守様への報告を終え屋敷に帰ったところで父に呼ばれた。平井宮内卿と叔父の隼人佐道利も一緒だ。


「顔つきが変わったな。」

「色々思うところがありまして。」


 父の口元が僅かに緩む。


「あの男はこの乱世には異質だった。調べた限り対話と互いを理解することで戦を回避しようとしていた。大和と河内だけならそれも可能だったかもしれん。」

「しかし、日ノ本全てでそれを行うというのは無理がある。兄上も必要な時は話し合いをするが、互いの事情を深く知るが故にそれは成り立つ。日ノ本全てでなど絵空事よ。」


 木沢長政という人は現代人の感覚に近い、ある意味悲しき常識人だったといえる。木沢長政の首を京で実検し褒美を貰う時に会った管領細川晴元のように不信感の塊としか言えない人物とは水と油だったのだろう。


「管領の臆病さは話し合いなどという悠長な手段を許さぬ。例え和解を本当にしていても勝手に憎悪が残っていると思いこむ人間だ。木沢長政とは相性が悪すぎる。破綻は見えていた。」

「それでも、戦無き世をなんとか実現しなくてはなりません。」

「若様、であれば管領様をなんとかせねばなりませぬぞ。先日の戦の後御会いした時の様子を見る限り、あの御方は其処にいるだけで戦を生み出す御方。それも無自覚に、無意識に。」


 自分の目で見た管領細川晴元は、余りにも異質な人物だった。

 塩漬けの首を見ても信じず、それを部下に手元まで持ってこさせて作り物でないかを触って眺めるまで疑っていた。影武者でないかも再三部下に尋ねていた。

 あれは狂気だ。戦で出立する前に父が言っていた通り、自分の中で肥大した恐怖心を周囲に伝染させ戦乱を助長する狂気だ。


「畿内の一時期の平穏は、確かに木沢長政という人によるものでした。これから京は、畿内は如何なるか。」


 もう氷の裂け目を直そうとする人間はいない。もう薄い氷を分厚くしようと動く人間はいない。皆が幕府に属しながら、しかし誰も同じ方角を向いていない状態が訪れることになる。


()()、お前はあの男の失敗を見て、己が為さんとしている道に今足りない物が何か見えたか?」

「むしろ、足りない物しかないと思います。同じ志を持つ仲間。戦を起こそうと相手が思わなくなる圧倒的な国力と兵力。それを支える文官。戦を止められる権威と権力。」


 典薬頭という権威は戦無き世にはあまりにも足りない。信長が最終的に何を目指すか、それも考え、場合によってはそれを誘導したり助言できるような関係でないとダメだろう。


「お前が目指すもの自体は実に耳触りの良いものだ。だからこそそのままでは無理であろう。やるなら誰も思いつかないような何かを積み重ねねばなるまい。」

「誰も思いつかないような何か……」


 その言葉に対し感じた難しいという想いが顔に出ていたのだろう。宮内卿信正がこちらに向き直って語りかけてきた。


「若殿、戦無き世という大義を為したくば天地人を得ることです。戦の芽を摘むには何者も逆らえぬ力を持つ他ありませぬ。それにはこの三つが必要。」

「天地人……孟子ですか。以前宮内卿に教えてもらった。」

「左様。天の時・地の利・人の和。三つは相互に影響し合い三すくみとなっておりまする。それらを如何に己の元に多く引き寄せるか。これが大事を為すには肝要に御座います。」


 天の時・地の利・人の和。孟子の教えで戦略を為すために必要な三要素だ。

 時勢を見誤らず、地勢を把握し、家臣や領民をまとめあげていれば己の為さんとする行いは必ず成功するという考え方。


「あの御方が挙兵するなら、管領様の乱を生むやり方を厭うならせめて同じ細川一門の亡き晴国殿が旗頭となる時期に起つべきでした。」

「細川一門という権威を味方につけていれば、ですか。」

「それはきっと多くの地の利や人の和を生み出したでしょう。しかし今回それは無理に御座いました。」


 ある意味それこそが天に見放されていた証でもあります、と宮内卿は遠くを見るように言った。

 今の時代に誰も成し遂げていないようなことをやる。そしてそれを使って信長と共に天下泰平を築くのだ。


「まぁ、わしはわしでやりたい事をやるがな。成果を出せば時は与えるが、わしはその結果を利用しながらわしの為したいことを為す。やりたいことがあるならわしを超えろよ、宮内卿は其方に手を貸す故な。」

「頑張れよ利芸。兄上が邪魔する気が無いのは其方に期待している部分もあるのだ。」


 ニヤニヤと笑う父に、美濃を平和裏に実効支配する方法も考えなければならないことを思い出させられた。

 美濃国内で血を流すのは御免だ。これも何か考えていかなければならない。忙しい日々が続きそうだ。会社や組織の運営や経営をする人間が勤務時間の概念を失うという話はこういう部分から来ているのだろうか。


 アメリカの大統領が夏休みをしっかりとれているのは実はホワイトなのでは?そういえば住んでいる家もホワイトだ。

 将来の日本の為政者諸君に是非夏休みを摂れる様な制度作りをしなくてはと心に誓った。

本願寺については蓮淳に破門されていた人々の中で残っていた面々が三好の下で分離しました。分断して都合の良い組織を作るのは土岐氏のやり方を真似た形です。史実では下間頼盛は暗殺されていますが、本作では本願寺の影響力低下によって暗殺は片方だけしか成功していません。


練貫座は西陣と共に戦国時代初期に絹織物の職人が所属しましたが、この頃には将軍家が西陣にお墨付きを与えて衰退しています。1548年にトドメがさされるので、この時期から職人が西陣へ吸収されたり全国へ散らばったりします。そこをうまいこと確保した形です。


周囲も主人公が何か変わったということに気づき始めています。次話以降にそういった部分も少しずつ出てきます。


【追記】

諸事情により多忙につき次回は木曜日です。宜しくお願いします。

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