第78話 平和を願う者の戦争 上
上中下で木沢長政の乱をいきます。
和泉国 堺
3月に入る前に船で堺へ向かった。
共に来たのは平井宮内卿と川村図書を目付として小姓衆、そして日根野弘就が同行した。
堺では田邊屋又左衞門という薬種商が出迎えてくれた。彼も小西屋と共に今回の船の手配などをしてくれた。
堺郊外で大久保党と芳賀高照・高継兄弟と合流。この時点で兵が1000に達したため、小西屋は慌てて木沢勢と対陣している管領様に自ら報告に行った。
♢
河内国 久宝寺城
3月8日、安井定重殿を尋ねて久宝寺を尋ねた。1000の兵を連れてだが、予め戦う意思はないと伝えた上での行動だったためか、兵を双方並べつつも中間の陣幕が整えられ、そこでの話し合いとなった。
陣幕の中で挨拶を交わした直後、安井殿は頭を下げた。
「わざわざお越し頂き申し訳ない。」
「幸の件、こちらこそありがとうございました。」
「……申し訳ないですが、少々不利な情勢程度では我が主を見限ることは出来ませぬ。」
「理由をお伺いしても?」
「一族がここに根付いたのは応仁の乱の頃です。既にその頃には本願寺派の慈願寺がここにはあり、領地の大半は寺を中心とした集落だったのです。」
聞けば応仁の乱頃に幕府から先祖渋川氏の領地だったこの一帯を与えられたそうだ。
「慈願寺とは決して友好的ではなかったのですが、10年ほど前にあった本願寺との戦いで周辺は荒廃しました。再建後も当然本願寺門徒とは決して良い関係ではなかったですが、これを収めてくださったのが木沢様です。」
昨年、対立と融和を繰り返していた本願寺と安井氏の調停を終えたのが木沢長政だった。辛抱強く両者と文を交わし続け、6年かけて新しく中心寺院として整備された顕証寺周辺の環濠都市化の許可の代わりに北部の寺内町を安井氏が管理する形で決着をつけたのだ。
「いつ対立するかわからぬ故子を1人預かって頂いておりますが、寺内町の管理をこちらが完全に請け負うことでこの地域が安定したのも事実。その御恩ある故、易々と寝返るわけにはいかぬのです。」
この時代の国人領主は生き残りに必死だが、生き残る上での恩義に対しては実に義理堅い面を持っていたりする。
「とはいえ、既に事態は動いていますよ。ここは孤立します。」
「……それは如何なる意味で御座いましょうか?」
「各地で反木沢殿で蜂起することになっております。この近くでは高屋城と若江城。」
実は遊佐長教殿や畠山稙長様が木沢派の切り崩しのため、今日を合図に一斉に動き出すことになっている。
遊佐殿は若江城主の若江実高の弟である若江行綱を唆し、更に畠山弥九郎に重用されずにいた諸将を焚きつけて2つの城を木沢長政から奪おうとしていた。早朝の段階で早くも動いた若江行綱殿は既に実の兄を追放して遊佐殿の援軍と共に城内の掌握に努めているそうだ。
「既にこの城に近い若江城はこちらの支配下に入っております。大人しく降られた方が良いかと。」
「とはいえ、今は降れませぬ。顕証寺の実淳殿が病で倒れられているとはいえ、領民には本願寺派が多いのです。」
「……実淳殿が病?」
「はい。つい先日ですが、もう五十二歳に御座いますので助からぬだろうとは思いますが。」
患者がいる。敵とはいえ助けられるなら助けたい。しかもここで助けられれば穏便に安井殿もこちらに降れるのではないか。
「御会いすることは出来ますか?」
「まさか……本願寺の僧は典薬頭様の敵に御座いますぞ!?しかも実淳殿は仏敵扱いしている蓮淳様の御嫡男ですぞ!?」
「ならばこそ、ここで助ければ安井殿の助けとなりましょう。少なくとも、降っても文句は言われますまい。」
「……典薬頭様の名を明かさずになら、治療できるやもしれませぬ。ただ、その場合あまり沢山の人間を内部には連れて行けませぬ。」
となると護衛は最小限。バレたら死ぬ。しかも相手は病状すらわからない。助けられなかったらどうなるかわからない。
「ちなみに病の状況は?」
「中で診た医師によれば、下痢が止まらないとのことで。」
「それ以外では?」
「医術はわからぬ故、なんとも……。ただ、食事がとれぬ故少しずつ弱っておられるそうで。」
経口補水液はいつでも作れるように用意がある。堺で買った砂糖もあるので蜂蜜以外でも作れる。
「……お願いします。救えるならば、救いたいのです!」
長い沈黙。しかし、最後に安井殿は折れてくれた。
「まことに、武士らしからぬ、されど誰よりも立派な御志に御座いますな。かしこまりました。私も肚をくくりましょう。」
♢
この時代の52歳はイメージでいえば前世の70歳くらいだ。
元気といえば元気だが、肉体は完全に下り坂に入り運動を恒常的にしていないと辛くなってくる頃。
実淳という僧侶も、筋肉はかなり落ちているのがわかった。
「堺の名医とのことですが、土岐の軍勢は如何なさった?」
「ひとまず退きました。身内でもあります故、あくまで一時的なものですが。」
頬がこけ落ちる、とまではいかないものの、その寝姿はあまり力を感じないものだった。
「情けない限りよ。仏敵を目の前にして門徒を率いることも檄を飛ばすこともできぬとは。」
確かに目の前にいる。顔なんて写真もないこの御時世では身形で見分けないといけないだろうから厳しいとは思うけれどね。
扮装している自分や十兵衛光秀では彼らにはわからないだろう。
「失礼致します。糞便は如何でしょうか?柔らかいとかドロドロとか特徴の方は。」
「処理は茶坊主の一人に任せておる。……形をなさず水のようになっておるのでな。」
「少しそれを見てみたいのですが。治すためのヒン……病の特定に使いたいので。」
ヒントなんてわからない言葉使えない。危うい危うい。
「うむ。ではちょっとあれを呼んで参れ。」
すると、傍にいた僧が申し訳なさそうに答える。
「申し訳ありません。あの者は今出払っておりまして。元気な小僧で人の嫌がることも進んでできる者でして。」
「……となると人から人に感染らない病なのかもしれません。とはいえまずは消毒からか。十左衛門(光秀偽名)、柿渋の消毒剤を。」
「この部屋の消毒からですな。承知。」
というわけで、経口補水液を飲んでもらった後消毒を十兵衛周辺でまず行い、茶坊主が戻ってからは最近の食事の状況や糞便の状態を聞き取りすることにした。
その結果、色からして血便になっていること、それが長く続いていること、最近は発熱もあり、腹痛が出るようになってから寝込み始めたことがわかった。
「潰瘍性の大腸炎の可能性が高いですね。潰瘍とは胃の先にある内腑である腸にできる炎症……傷です。ひとまずこれをこの水と一緒に飲んで頂きたい。」
本当は潰瘍を切除したいが年齢的にも体力があるかわからない上、切除して逆に雑菌が入るリスクも当然ある。盲腸の時は緊急性が高かったが、今回は患者である実淳も応対ができ自分から物が飲み込める程度には元気だ。血は出ているが大量出血というほどの兆しは便にもないので、ここは投薬治療でいくことにする。
最近ではこの潰瘍性大腸炎にも漢方を使う治療が行われるケースが出てきている。
処方するのは田七人参と芍薬・甘草・黄芩・黄連・黄柏などを混ぜた物。黄芩の材料であるコガネバナは以前明から入手したが、黄連や黄柏の材料キハダは日本に原生していたので普通に栽培できた。
厄介なのが田七人参だ。これは前世の日本でも栽培技術が確立していない物なため、どうしたって明からの輸入頼りだ。小西屋には重点的に買ってきてもらっているが、どうしたって高価になる。
明でも最近になって薬扱いされ始めたらしいが、昔は海外に売らなかったという話も聞いている。いつから売らなくなるか分からないので手に入るうちに数を手に入れておきたい。
処方した上でこれを定期的に安井殿から受け取る代わりに降伏時に門徒が騒がない様抑えてもらう形がとられた。
安井殿は表面上は畠山稙長という新たな畠山の当主に降ることになった。
遊佐殿は予想以上に早い段階でこの一帯が収まったことに喜んでいた。
蓮淳の息子は1542年6月に亡くなっていますが、この時期木沢長政の乱に一切関わった記録がないので既に病だったのかなと思われます。
なので主人公は自分がバレないであろうと判断して治療に赴いています。
写真や映像技術がないというのは大きいですね。治療内容は徐々に畿内で噂として広まっているであろう範囲なので怪しまれるまではいかないものです。
とはいえ即効性があるわけではないので実淳の治療は継続治療になります。効果についてで本願寺が矛を収めたというよりは安井氏の献身的な姿勢に態度を一時的に軟化している形です。本願寺派自体は結構理性的なので(除く蓮淳)。
史実より早い段階で安井氏が降伏したので河内の情勢はかなり管領方が有利になりました。
次は火曜日になります。