第76話 堺より来る
なんとか8日連続投稿できそうです。
尾張国 津島
今日は津島に来ていた。というのも堺から紀伊半島を船と陸路で迂回して来た商人と会うためである。
木沢長政は商人の通行は認めつつも、関で書状などの検閲をしているらしく、中々連絡が取りにくくなってきていたのだ。
商人たちに不評なこのやり方は堺だけでなく桑名や大湊の商人も味方につけることに繋がっており、迂回路が繋がることになった。
「お初にお目にかかります。材木町で薬を商っております小西屋の弥左衛門で御座います。こちらは息子の寿徳と申します。」
「弥左衛門寿徳に御座います。是非お見知りおきくださいませ。」
堺からやって来たのは薬種商の小西屋だった。同じ名前は跡継ぎだからか、息子の方は自分より少し年上らしい。父親の諱は行正だ。
「左近大夫利政だ。息子の典薬頭共々宜しく頼む。で、畿内は如何なっておる?」
「はっ。三好伊賀守様が塩川・三宅を管領様方に寝返らせました。更に畠山稙長様が遊佐様の支援で12月半ばまでに紀伊を制圧しました。」
話を聞くと父と同じことを三好・遊佐の両家が画策していることがわかった。三好伊賀守利長(長慶)は摂津での木沢勢力の排除に、遊佐は紀伊での木沢勢力の排除に成功。
「粉河寺、根来寺、高野山が畠山稙長様に従うとして僧兵を派遣しました。年末に管領様は摂津の芥川城に入り、淀川沿いに布陣しました。木沢長政はこれに対し敢えて大軍を置かず対陣しつつ和泉方面の細川元常と若江付近にいる遊佐長教に対し兵を送っているとのこと。」
紀伊は宗教勢力含め大部分が公方様・管領様の味方となった。山城の兵力を釘付けにすべく管領の腹心とされる三好政長と三好伊賀守利長が摂津から山城を窺い、丹波方面から管領細川晴元本人と波多野晴通の軍勢が接近している。
これに淀川を挟んで対峙しつつも、京での民衆に対する人気取りで攻めにくい状況を木沢長政は作っている。そして父親の木沢浮泛を大将に河内方面で攻勢を強める遊佐長教・細川元常排除に動いているらしい。
「つまり、木沢長政は四面楚歌だと?」
「左様で。しかしそれでも大和などで木沢殿に従う国人は従う姿勢を崩しておりませぬ。」
三好による調略では河内・大和は動揺しなかったらしい。木沢長政は思っている以上に支持者が多い。2人も木沢支持者について情報を集めていたようだ。
「大和では筒井氏や十市氏、それに二見氏や楊本氏などが木沢に与していて支持は固いですな。」
「簀川氏や鷹山氏は仁木氏の笠置襲撃を手伝っておりますが、勢力としては大きくないですから。態度が不鮮明なのが柳生ですな。」
柳生家厳は服部党の調略に乗って笠置攻めに参加したが、失敗すると早々に木沢長政に再従属して対細川元常の最前線へ出兵している。その場の雰囲気に流されているのか、単純に戦いたいだけなのか。
「とにかく、繋がりが強固な河内・大和の国人衆へ楔を打ち込める可能性が典薬頭様にはあると管領様や三好様は御考えです。是非とも派兵をお願い申し上げます。」
「わしとしては船旅は出来る限り少なくしたい。安濃津の長野氏に協力を得て伊賀から大和方面を突くのが最上と見るが。」
父は進言していた策を提示するが、メッセンジャーとはいえ今回の件に大きく関わっている小西行正は渋い顔をする。
「東部の城は堅いと聞いております。仁木氏は引き続き引付役をするようですが、管領様の三好軍が主体の摂津方面が大手となり、細川元常様と遊佐様の軍勢が和泉から搦め手として動くようです。」
「ならば土岐の軍勢はどちらに加わるのだ?」
「摂津の大手でしょうな。戦への参加というより京で人気の典薬頭様に木沢長政から都を奪還した後の人心慰撫を頼みたいといったところかと。」
その言葉に、父は露骨に不機嫌な表情を作る。ちなみに、大手が主力軍、搦め手が側面や第二軍という意味になる。
「それでは兵を連れながら一戦も交えるなと?名門土岐の家臣が畿内へ出兵しながら戦わずに戻ったとあらば武門の名折れ。恥をかく位なら兵を出さぬ方が良いではないか!」
大仰な動きで腕を組んでそっぽを向いて臍を曲げたアピールを始めるが、先日言っていた戦場での経験に繋がらないこと、あわよくば小西屋から好条件の商売を引き出そうとしていることは流石に慣れたためにわかるようになってきた。
「しかし、情勢は今だ如何転がるかわかりませぬ。援軍に来て頂くにしても500ばかりでは戦場を選ぶには典薬頭様が朝廷にも通じる御方故大事すぎて難しいのです。」
「ではいくら兵が送れれば良いのだ?」
「命じられているのは500のお願いをするようにと。船もそれ以上ですと熊野水軍から銭の要求が多くなりまして……難しいかと。せめて1000ほど畿内に送れれば管領様も戦力として期待するようでしたが……」
父の顔には「フィーッシュ!」の文字が浮かんでいた。
「ではわしから小西殿には500の船旅をお願いしよう。しかし現地では1000を揃えて見せましょう。さすれば戦場についても考慮して頂きたいと管領様に御伝え願いたい。」
「……かしこまりました。伝言は確かに。」
「それと、此奴の薬についても頼むぞ。」
「元々そちらで儲けさせてもらうのが主だったのですが……先にこの話全部させられてしまいましたからな。……勉強はさせてもらいますが、四国だけでなく備前にも知り合いが居りますのでそこまで売ってみせましょう。」
納得といった表情を作って父は頷いて見せた。
「うむうむ。わしらも何がしかないと沽券に関わるのでな。宜しく頼むぞ。」
儲けの取り分やら色々な誓紙を小西殿と交わすと、父は上機嫌でそれを小姓に渡して控えをとらせていた。ちなみに婚姻時に三好家中が移動する時の接待費も小西屋と共に西国で漢方薬を売る薬種商が持つように話を持っていっている。
このあたりは小西殿に武士として応対して見せながら最終的に商売の利を取るという正に我が家の家訓通りの動きである。武家としての動き方は忘れずしかし武家の風習に捉われない。利をとるためなら武士らしくないことも平然としていくのだ。祖父の教えは確かにここに息づいていた。良いことかは知らない。
「では、雪が融け次第紀伊の畠山様が動くのでそれまでにこちらに着けるようお願いします。船については手配が進んでおります故、2月には尾張に着くことが可能で御座います。」
「あい分かった。其方もこちらの件きちんと伝える様に。」
「かしこまりました。書状にある通り大津からの物の流れを止めないよう具申して参ります。」
頭を下げる2人の小西弥左衛門を見ながら、俺は同情を隠せなかった。
♢
組紐作りに適した試作の丸台作りをしながら、幸と豊と今日の話し合いについて話していた。
「というわけで、マムシの父上は見事に自分の意見を全て通したわけだ。」
「ですが、兵は500しか送れぬのですよね?如何なさるのです?」
「いや、もう送ってあるのさ。」
そう。豊の疑問は尤もだが、大久保党は既に坂本にいるのだ。比叡山の協力で近江国坂本に郎党200で滞在しており、大和攻めの場合は彼らが知己である服部党と連絡を取って合流。
京方面が担当ならそこから途絶えさせない物の流れを利用し一族の人間を旗頭に少数に分かれて必要な戦場へ向かう予定になっていた。
そして昨年10月の政変で亡くなった芳賀殿の子息が約束通りこちらに逃げてきていた。彼らとその郎党にこちらの将兵を合わせ300が枝村商人の仲介で、これまた紀伊国熊野にある天台宗の青岸渡寺に到着済みである。
こちらは熊野の参詣道を使って吉野方面に抜けるか海路で畿内に入る予定だった。熊野の道は正直無理があると思っていたのでこちらが選ばれて実は一安心だった。
「神算鬼謀。最初からはめるつもり?」
「だったのかもしれない。それに太守様や二郎サマに最初から合戦で大活躍するつもりで大軍送ります!ってのも不信感持たれかねないしね。」
あくまで大久保党は現地で頼られて陣借りを許すというシナリオである。熊野の兵は大和情勢を探るための先遣隊として予め伝えてある兵に芳賀氏の郎党が保護を求めただけ。
そういうシナリオが既に出来上がっている。
「今回の戦、三好殿と父上の思惑通りに進むであろうな。」
歴史に名を残した、それも高校の教科書や資料集に載るレベルの2人だ。
少なくとも見た覚えのない木沢長政殿では勝ち目はないだろう。敗者だからこそ彼の名前を俺は習わなかったのだろう。
とはいえ歴史は変わっている。自分から積極的に変えてもいるのだ。
油断はできない。戦とは人が死ぬものなのだ。
「出来る限り戦禍を被る人は少なくしないと。」
明日は安井殿や筒井殿、十市殿に文を書こう。そう決心をしながら、完成した丸台の出来を確認してその日を終えたのだった。
堺の商人とはいえ中立装って影でコソコソなんてのは良くある話ですね。
とりあえず堺は現状三好利長(長慶)の影響が強いのでこういうことができます。
地図でもわかるように文字通り四面楚歌ですが史実と全く一緒です。この状態で史実でも5か月間木沢長政は京都を支配し続けています。
季節も関係しているでしょうが家臣や国人の信頼が篤い理由は単純な強さでは語れないかな、というのもこの話のキャラ付けに関わっています。
組紐は映画『君の名は。』でも出てきますが岐阜県や三重県など各地で昔から作られていた物です。映画の中で三葉が組紐作りに使っていた丸いあれを主人公は作っています。江戸時代頃から使い始めたそうです。
形状が確認したい方は本日1月3日地上波初放送なので良ければご覧ください。
あれも聖地の1つが岐阜県ですしね。なので今日中にできる限り投稿したかったのです。
連続投稿は明日で終わりです。その後は週3日ペースに戻りますので日曜になります。
宜しくお願いします。